君想う[089]
帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[140]
 それは忘れられない時間であった。

「運び出すぞ」
 一般市民に広く開放されている帝星の中央美術館。
 普通の美術品と共に、皇帝が所持している国宝が展示されるスペースがある。
 半年に一度、展示品を変える。その作業を行うのが、
「ケーリッヒリラ子爵。陛下より、これは貴方に運ばせるよう命じられましたので。さあ! 受け取ってください!」
 帝国上級士官学校の三年生が担当する。当然ながら授業の一環として。
「ああああああ!」
「卿が言いたいことは解りますが、ヌビアのイヤリングは丁重に扱うと逃げます。少々乱暴に扱う程度が丁度良いのです。さあ! 受け取ってください!」
 宝物庫から運び出された宝の数々を彼らが運び、展示し、警備にあたる。
「シク、ナイスキャッチ!」
 警備主任はもちろん既に軍務についている将校で、彼らに見張りや警備に仕方を教えるのだ。

 帝国上級士官学校は軍務の全てを学ぶ場所である。

「シクって普通の見張りなら完璧そうですけれども、芸術品の見張りって向かなさそうですよ」
「我もそう思う」
 向き不向きはともかく、彼らは展示品を守るために展示品一つに対し、三人が付いて皇帝の宝を守る。
「エディルキュレにヌビアのイヤリングの警備は無理か」
「腰抜かすらしいぞ、メディオン。折角お前が皇帝に頼んで、今回の展示品リストに入れてもらった品だが……仕方ないな」
「でも一回くらいは警備に付いてもらいましょうね!」
 この日はメディオンにエルエデス、そしてエシュゼオーン大公の三人でヌビアのイヤリングの警備についていた。
「それはそうと、今日はデザイン専門学校の生徒が見学に来ます」
「そうなのかえ? エシュゼオーン」
「デザイン専門学校な。顔写真付きリストは」
「こちらに」
「どれ……このにやけ面がフォルトコセル・ガラドー、芸術家面したのがテレシターヌ・サデロホニア、精神が脆そうな面がサルハドン・ミッケルデニア……」
 エルエデスの評価はかなり正確であった。

※ ※ ※ ※ ※


 子爵は帝国上級士官学校卒業から約二年後、下働き区画で仕事をしているジベルボート伯爵の助力で、露天を出して商品を売っていた。
 露天も好き勝手に座らせるわけではなく、上から区画割り当てが出される。
「……」
「……」
 子爵は隣で店を開いている人物に見覚えがあった。中央美術館に学校から集団見学でやってきた青年。彼の顔が曖昧というか、悩んでいるところに”正体がばれたか!”と初日から焦ったものの、
「初めまして、ザナデウだ」
「お、おう。テレシターヌです。テレシターヌ・サデロホニア……ザナデウさんて、ザナデウだけ?」
 言いながらテレシターヌは自身の目を指さす。そこで子爵は自分の目が左右違うことに驚いていることに気付き、
「ザナデウだけだ」
「そうですか」
「身分はないに等しいから気軽に頼む」
 気付かれていないことに安堵しながら話を続けた。
 子爵は基本人当たりが良いので、テレシターヌとすぐに仲良くなり、一緒に食事に行くことも多かった。
 酒が入ったときにテレシターヌに中央美術館の陛下の所蔵品を見に行ったことあるか? と聞いたところ、
「もちろんあるさ。学校で行った見学の他に五回自腹で旅費を出して見にいったよ」
「五回同じものか?」
 彼は五回、学校の見学で来たのを合わせると六回、子爵が警備している時期の美術館に来ていた。
「ああ。ヌビアのイヤリングが飾られてて。俺、ヌビア大好きでさ!」
「俺も同じだ。俺も結構見に行ったが、テレシターヌを見かけなかったな。それほど通っていたら、一度や二度は遭遇していそうだが」
「人多いからな。それに俺、できるだけ人を見ないようにしてるから」
「どうしてだ?」
「客は良いんだけど、警備が恐くて。強い人が配置されるのは解るんだが、ヌビアのイヤリングの側にはいっつも赤いマントが鮮やかなエヴェドリットが配置されてたから、とにかく周囲は見なかった……赤いマントの貴族とは目が合ったら殺されるから! って、ばあちゃんの教えだよ。陛下のご子息、シルバレーデ公爵閣下は覚えてるけどな」
 現皇帝のご子息シルバレーデ公爵閣下、かつてのギュネ子爵と共にヌビアのイヤリングを警備していた赤マントは二人。一人は子爵、もう一人はヨルハ公爵。
「……なるほど。ではお祖母さんの教えに感謝して、ビールを奢らせてもらおう」

※ ※ ※ ※ ※


「ルグリラド様が待って下さっているので……残念じゃが」
 メディオンは冬期休暇の際、ジベルボート伯爵とギュネ子爵から”ケシュマリスタにご招待”と声をかけてもらったのだが、ルグリラドに会うために誘いを断った。
「休み明けに話を聞かせてくれ、エディルキュレセ。エルエデス、エンディランによろしくな!」
 他に誘われた子爵、ヨルハ公爵、エルエデスはケシュマリスタの二人と共に、ケシュマリスタ王国へと赴き、
「へえ〜君達来たの。じゃあ僕が良い物見せてあげる」
 ケシュマリスタ王国の財産である《太陽系》を見せてもらった。
「地球を見るの、僕も初めてです!」
 ジベルボート伯爵は喜び、
「あの赤く見えるのが火星だよね! 我等リスカートーフォンを表すと言われている惑星」
 ヨルハ公爵も喜び、
「そうだな。えっと金星はどこだ?」
 子爵も大いに喜び、大人の頭ほどあるガラスの球体に太陽系を描き、
「君、上手だね。ガラスでこんなに精巧に作れるんだ」
 イネス公爵が感心しながら、紙に撓んでいる土星を描いて全員に見せた。

「私、すごく絵が下手なんだよね」

「わざわざ描く必要ないでしょう! 披露するなあ!」(ザイオンレヴィ)
「本当に下手ですね!」(ヨルハ公爵)
「イネス。本気で感想を求めているのか?」(エルエデス)
「失敗した土星と言わないで、ボーリングのピンと言えば納得されると思いますよ!」(ジベルボート伯爵)

 子爵は無言であった。

※ ※ ※ ※ ※


「夜景、綺麗じゃのう」
 メディオンはかねてから希望していた遊園地のホテルに、無事宿泊する許可を得て、、
「この低いところから見るのも、また良い物だよな」
 二人でバルコニーから夜景を眺める。
 メディオンや子爵などが”夜景を見る”場合は、見下ろす形、すなわち上空から見るのが普通。高層建築物の上階から見るということはほとんど無い。
「それにしてもホラーハウスめ! 儂に断りもなくバージョンアップしおって……儂は恐かったぞ! エディルキュレセはやはり恐くはなかったか?」
「恐くはなかった」
「そうか。凄いのう」
 エヴェドリット王国の恐怖演出担当家が認める男が恐がるような仕掛けなどがあったら、一般人が歩いたら、一人の例外もなく恐怖で死亡してしまう。
「ホラーハウスを歩いていて思い出したんだが、この前ヴァレン達と貴族街にあるデルヴィアルス公爵邸に行ったら邸が全部迷宮になっててな。貴族街の公爵邸は尋ねたことがなかったから、思わず楽しんでしまった。恐怖を煽るような作りではなく、ただの迷路だから、良かったらどうだ?」
「行く行く!」

※ ※ ※ ※ ※


「シク!」
「こればかりは仕方ないか……」
「当然だ、ケーリッヒリラ子爵。行くぞ」
 子爵はヨルハ公爵と共に、教授たちに抗議を申し立てた。
 エヴェドリットらしからぬ子爵だが、レポートのテーマが『殺人がもたらす害悪について』はまとめられない。
 子爵は感覚的には解るが、これをまとめて提出して、合格点を貰ったら間違いなく殺される。合格できなければ、当然ながら困る。
 帝国上級士官学校に在籍しているエヴェドリット貴族たち全員で、
「我等だけテーマを変えろ。そうでなければ殺戮を開始する」
「戦争の準備は出来てるよ!」
 双璧公爵家の二人に先頭に立ってもらい、テーマ変更交渉を経て『エヴェドリットにおける殺人の定義』に変えてもらった。

「デルシや」
「はい、陛下」
「毎年の事とはいえ、エヴェドリットはこれについては足並みが乱れないこと、余は感動を覚える」
「ありがたき幸せ」

 子爵は特別変更してもらったテーマでも頭を抱えたが、なんとか提出期限内に書き終えた。

※ ※ ※ ※ ※


「だから。絶対エルエデスは、この矢車菊の青がよく似合うわよ」
「それは嫌がらせにしかならんと言っているだろうが、エンディラン」
 帝星の貴族御用達の百貨店にエルエデス、エンディラン侯爵、
「あの二人、仲良いのう」
「そうですねー。でも実際似合ってますよね!」
「まあなあ。じゃがエンディランも矢車菊の青と言わねばいいものを。そう言われたら、エルエデスの立場上、あのカーディガンに袖を通しづらいじゃろう」
「そこはケシュマリスタ女ですから、仕方ありませんよ! メディオン」
「お主が言う通りではあるがな、ナスター」
 メディオンとエシュゼオーン大公の女性四人で買い物に。
 欲しいものがあるわけではなく、自分に似合うものを探しにきたわけでもなく、ただ純粋に買い物を楽しむのである。
「メディオンにはこのショール、似合うんじゃないのかしら?」
「おお。お主が見立ててくれたショールか。どれどれ……」
 メディオンは手渡された派手な柄のショールをあてて鏡を見る。
「結構良い感じですよ、メディオン」
「お主もそう思うか? ナスター。では、これ買って帰るか」

 少し離れたところで、二人が小声で会話をする。

「お前あれ、いつもの嫌がらせだろう」
「嫌がらせって程じゃなくて、からかったつもりなんだけど。メディオンには不発に終わることが多いのよね」
「メディオンは純粋に素直で、エシュゼオーン大公は曲者的な天然だ。あの両者が一緒にいるときは、さすがのお前でも……」
「やっぱり私がからかえるのは、エルエデスだけね」
「ほっといてく……」
「お二方。ミーヒアス様にはどちらのパンツが似合うと思います」

 エシュゼオーン大公の手には、ショキングピンク地に最近帝国で流行っているキャラクターが蛍光緑で描かれているものと、黒地に嘆きの像がプリントされているものがあった。

「……そのピンクのやつって、暗くなると光るのかしら?」
「そのようです! エンディラン侯爵」
「エシュゼオーン大公、その嘆きの像の前のスペース……名前を入れることができるのか?」
「はい! 先代陛下のお名前をお借りしようと思っています! ケディンベシュアム公爵」

 どちらのパンツを履こうが、エルエデスにもエンディラン侯爵にも関係はないことだが、

「先代陛下のお名前はやめておくのじゃ、ナスター」
「そうですか? メディオン」
 メディオンの意見には同意した。心の底から、とても激しく。だが蛍光タイプキャラクターものは、権威以前に避けたいと本能が叫んだ。その結果、

「なんでヒロフィルの名前入りのパンツが! それも……があっ!」
 キルティレスディオ大公がもっとも迷惑をかけたと思われるフェルディラディエル公爵ヒロフィルの名が入れられた嘆きの像プリントパンツが百枚セットで送られた。
 その時のことを、歌の練習に来ていたジベルボート伯爵は”こう”語った。

―― お酒を飲み始めました

 いつもと変わらぬ寮母の姿である。

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