―― 終わってしまう! 終わってしまう!
一人になり殺気から解放されたメディオンは、人の波と逆方向につき進んだ。終了時間が近付いていることを告げる音楽が流れ、徐々に人々が帰っているためだ。
”とどめ”とも言えるゾフィアーネ大公の終了放送に、
「……」
肩を落とす。
―― 風船欲しかったのに……
国中の風船を買い占めることなど容易いほどの財力をもつメディオンだが、欲しいのは子爵から渡される風船だけ。
「メディオン!」
「エディルキュレセ!」
「やっと自由になれたみたいだな」
子爵はメディオンが風船を欲しがっていたことを知ってはいたが、貴族らしい貴族であるメディオンのもとに将来の部下が訪ねてくると聞いていたので、寮祭の最中には来られない可能性のほうが高いだろうと考え、会えなくても疑問に感じていなかった。
「あ、あの風船は!」
「作るからちょっと待ってくれ」
人混みから外れ、子爵は特別に用意してきた風船に次々気体を入れて、メディオンが風船を選ぶ際に店で見て欲しがっていたバルーンアートを作る。
”ぎゅっぎゅっ”と音をさせながら捻り、折り曲げ、くぐらせて、蒲公英に似た形の黄色い花を幾つもつくり、茎も作って最後に風船のリボンでまとめる。
「はい」
「お……」
「動物のほうが良かったか?」
「いや……驚いたんじゃ。エディルキュレセ、やったことないと言ってなかったか?」
ディスプレイを見ながらメディオンは”作れるか?”と聞いた時、子爵は”やったことない”と首を振った。
「あの後から練習した」
「みんなにも作ったのか?」
「いいや。配ったのは、気体を注入した風船だけだ」
風船の花束を抱き締めたメディオンは、先程までの焦り疲れた顔から一転し、いま寮祭が始まった! と言わんばかり笑顔となった。
メディオンの顔は子爵の恐怖を煽るガウ=ライ・シセレードだが、雰囲気のまったく違う彼女の笑みに、
「喜んでもらえてなによりだ」
子爵は少しどころではなく照れて、髪に手をやり、やや不自然に表情を隠す。
「儂はてっきり、エディルキュレセは硝子細工を作って売るとおもっておったのに」
「再来年は作るつもりだ。ヴァレンもクレウも一緒に売ってくれるそうだ。良かったら買いに来てくれ、メディオン」
「もちろんじゃ! 良い作品を期待しておるぞ」
二年後、子爵が半流体硝子で作ったアクセサリーを売るのだが、並んだ商品を選ぶのにメディオンがどれ程悩んだか……語る必要もないことだろう。
※ ※ ※ ※ ※
寮祭が終わると、後夜祭が丸一日行われ、片付けはその後に行われる。寮祭自体”のんびり”としたものなので、その後に行われる祭りはもっと緩やかである。
寮内から人が消え周囲に注意を払わなくてもよくなったエルエデスは、寮の一画にある花壇に腰を下ろして、打ち上げられている花火を見ていた。
「エルエデス!」
そこにやって来たのは、ピエロの格好をしたまま両肩に風船を一個ずつ付けているヨルハ公爵。
「ゼフか……その風船余ったのか?」
「うん」
「もらっていいか?」
「もちろん! どっちにする?」
一つはメロン型で、もう一つは群青色のスタンダード型
「スタンダードをもらうか」
肩の結び目を解き、エルエデスは自分の髪に結びつけた。
「……」
「エルエデス、楽しかった?」
「楽しかった。もう二回も楽しめると思う反面、もう二回しか残っていないのかと残念に思う」
「そうだね」
ヨルハ公爵は持ってきたビール瓶を一本渡して、乾杯をする。
離れたところで上がる歓声を聞きながら、二人はビールをあおった。
楽しいのに寂しい ―― 理解し難いものの、その寂しさは後に思い出となるので捨てることはできない。
時が止まればいいのに。そんな有りもしないことを願いながら、思ったことを相手に気取られぬようにと酒を飲む。
「……」
エルエデスにとって実らない恋だが、終わることがなさそうな恋、それがヨルハ公爵。「終わらない恋」とは断言できない。将来気持ちが変わることもある。
だが絶対に実りはしない。
「……」
ヨルハ公爵にとってはそれは永遠のものだが、恋であるかと聞かれたら彼は首を折れたかのように傾げ、否定するだろう。
その感情は恋と名付けられると永遠ではいられなくなる。永久に手放さぬようにするために、それに名を付けない。
飲み干したビール瓶を二人が食べていると、多くの足音が”こちら”に向かっていことを感じ取り、互いに顔を見合わせる。
「ヴァレン! 助けてください!」
先頭を走っているのはジベルボート伯爵。
その後ろを山ほどの皇王族が笑顔で追いかけていた。
「どうした? クレウ」
「皇王族の皆さんが、ジュラスのこと聞きたいって……うわああ! 助けてぇ!」
ヨルハ公爵はジベルボート伯爵とエルエデスの手を掴み走り出した。
「離せ! ゼフ!」
速さについてくることが出来ず、宙に浮いているジベルボート伯爵と、戻って交戦しようとするエルエデス。
「駄目だって。風船壊れるから。どこかに置いてからにしようよ!」
「……分かった。お前はジベルボートを持って走り回っていろ、ゼフ」
ヨルハ公爵の肩に残っていた風船を引きちぎり、迷惑な皇王族の集団から離れた。
※ ※ ※ ※ ※
「わたくしのことをライバルと呼んで下さい!」
「え、いや……僕、いや……あの。僕はガルベージュス公爵のライバルには。ゾフィアーネ大公とか」
「私はガルベージュス公爵閣下のライバルにはなり得ません。貴方こそが! 貴方だけがライバルとなることができるのです!」
「ゾフィアーネ大公もこう言っているので、ライバルになってくださいギュネ子爵」
※ ※ ※ ※ ※
風船を渡す事ができた子爵と、もらうことができたメディオンの元へ、風のように突然現れたのはフェルディラディエル公爵。
元将校、死ぬまで軍人の彼の動きは若輩の二人には見切れない。
ゾフィアーネ大公を立派なガニュメデイーロに育て上げた彼の動きは、やはり似ている。
「お待たせしました」
「フェルディラディエル公爵、なにを?」
彼は持ってきたテーブルを設置し、酒とグラスを置き、
「現酒宴の支配者より贈り物です」
軽やかに、メディオンの目に止まらぬ速さで去っていった。残された二人は、残された品物を見る。
「儂は味は知らぬが絶品と言われるブランデーじゃ」
酒の種類やグラスの種類、置かれている位置など。それらはメディオンが見ても完璧。かつてテルロバールノル王子に礼儀作法を教えられ、皇帝の酒宴の支配者であった老執事(動きは若い)に隙などなかった。
「メモか」
重石代わりの酒瓶から、裏返しになっているメモを子爵が手に取る。メモを記した相手は、この贈り物の主ことゾフィアーネ大公。
―― お約束された際の会話、図らずも聞いてしました。知らぬふりをすればよろしいのでしょうが、私の性格上できないので。是非とも受け取ってください。
四日ほど遅れましたが、ケーリッヒリラ子爵、お誕生日おめでとうございます ――
「……」
「……」
子爵は帝国標準暦で四日前に十五歳になっていた。
帝国上級貴族が十五歳となれば、大体のことは許される。飲酒も、もちろん許可される。一年程前に、メディオンが”儂が初めての酒、注いでやるからな”と宣言しており、ゾフィアーネ大公はそれを聞いていた。
「そう言えばそうだった」
子爵は寮祭の準備、主に熱き早食い大会の心太造りと計量にかかりっきりで、自分の誕生日があったことなど気付きもしなかった。
「……」
メディオンは子爵の誕生日を楽しみに数えていた……ただし、テルロバールノル王国標準暦で。ゾフィアーネ大公のメモを見て”普通に考えたら、帝国暦変換じゃった……儂としたことが……”自分の思い違いに拳を作った。
―― ”儂としたことが”と言うよりは”儂だから”起こったのだと思います ――
「グラスを」
二人は驚きはしたがゾフィアーネ大公の厚意を無駄にすることはなく、ありがたく飲ませてもらうことにした。
「ああ。じゃあ、お願いする」
メディオンに酒を注いでもらい、彼女の目の高さに掲げ、礼をして飲み干す。
「味はどうじゃ?」
「初めてだから分からないが……好きになれそうな気がする」
「そうか! では、儂の時もこのブランデーで乾杯したい! 頼んでもいいか!」
「わかった。用意しておく」
子爵は簡単に了解したのだが、皇帝の酒蔵を預かる男ゾフィアーネ大公がローグ公爵の娘にプレゼントしたブランデーともなると、子爵一人で用意できるものでもない。
まずはオランジェレタに尋ねてみたが「そんな銘柄があるなんて初めて知った」と言われ、覚悟を決めて聞いた実家も似たようなものであった。
「たしか実家にはあったはずだが、今の我は実家には帰れんからな」
話を聞いたエルエデスは、実家の「下賜品」の棚を思い出し、眉間に人差し指を突き立てて、宙を睨む。
「ゾフィアーネ大公からって時点で”皇帝が下賜用に用意させた品”であることに気付くべきだった」
「我がバベィラ様に聞いてみるよ」
ヨルハ公爵が聞いてくれたものの、バーローズ公爵家に皇帝から下賜されたブランデーは残っておらず。
最終的にザイオンレヴィが父親に依頼し、かなり強力な伝手《マルティルディ》により、無事に手に入れることができた。
ブランデーが手にはいるまでにかかった時間は、およそ一年。メディオンが酒を飲めるようになるまではまだ一年以上かかるので、細心の注意を払い保管しようとしたのだが、寮内では酒乱の寮母に強奪される恐れがあるため、
「デルシ様。あと一年、保管しておいていただけませんか?」
「その理由を聞いて、我が断れるとおもうか? エルエデスよ」
エルエデスがブランデーを持って大宮殿へ。
あちらこちらを巡り歩いたブランデーは、出番まで皇帝の酒蔵へと逆戻りすることに。取り出すのはゾフィアーネ大公にしか許されないので、
「ケディンベシュアム公爵が受け取りにきて下さいね!」
「分かった」
当然の形に落ち着いた。
「ケディンベシュアム公爵。ちょっと頼みがあるんです」
酒を保管している部屋と出入り口の間のホールで、エルエデスはゾフィアーネ大公の本性を見た。
何時もの明るさや意味の分からない空気が霧散し、人当たりの良さは消え去っている。
”話を聞いてから”と答えれば殺され”出来ることなら協力してやろう”などは言っても無駄。
「協力はする。ここまで回りくどくするということは、余程のことだなゾフィアーネ」
《子爵に下賜品のブランデーを飲ませ》たのは、ここにエルエデスを呼び出すためのでもあった。
「勘違いしないでいただきたい。私は純粋にメディオンとケーリッヒリラ子爵に美味しいお酒を飲んで欲しいと思ったのです」
「それは信じる。それでお前が我に頼みたいこととは?」
「皇太子殿下を誘惑してみてください」
「……」
「ご安心を。皇太子殿下は貴女には手を出しません……いいえ、違いますね。好意を懐いていた貴女にすら手を出さないことを確認したいのです」
皇太子は子どもを作れなくなったのだが、それは確認するために人目を忍んで調べた結果である。だがどれほど人目を忍ぼうとも、機器を動かす必要があり、結果を抹消しようとも、一時的には記憶媒体に残る。
皇太子がエルエデスに好意を懐いていることを知っていたゾフィアーネ大公は、最近の皇太子の行動に疑問を持ち、彼の能力を用いて勝手に調べた結果「その事実」を掴んだ。
「分かった。だが我の色気など期待するなよ」
何故ゾフィアーネ大公は皇帝に真実を語らなかったのか? 彼は皇太子ではない誰かに皇帝になって欲しかったのだ。それがガルベージュス公爵なのか? マルティルディなのか?
このことが後年暴かれた際に尋ねられたが、彼は黙して語らなかった。
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