君想う[065]
帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[116]
 成績優秀ではない、どちらかと言うと追試の達人である子爵やザイオンレヴィだが、無事に進級することができた。
 それはやはり、
「夏期休暇の半分を使い、勉強合宿を開きます」
 ガルベージュス公爵の力が大きかった。
 夏期休暇を半分使い、邸を提供し講師を招き、そして自らも解らない同級生に教えて歩き、全員無事進級した。
 希望者のみではあったが、一年生全員合宿に参加し、
「全員が進級できたことを祝して、乾杯!」
 調整日(進級に伴い書類の提出や、進級金の振り込みなどがあり、全員受理されるまで三日ほどかかる)に皆で集まり喜びを分かち合う。
 帝国上級士官学校の首席というのは、自らだけが優れていればよいものではない。全員を引き上げ、引き連れ共に歩めてこそ真の首席であり、将来の指揮官なのだ。

※ ※ ※ ※ ※


 二年最初の授業も無事に終わり(廃惑星で犯罪捜査)二年に一度のイベントである寮祭が始まった。
 寮祭は大きなイベントを行わない祭りである。
 通常の学園祭であれば派手であり厳つい、軍そのものの形式で行われるが、寮祭はそういた物はない。
「お兄さんと弟さんが描いた同人誌だよ! 買っていかない?」
「合同誌というやつです!」
 自分で作った物を売ったり、
「早食い大会?」
「なんの早食い? 姉さん」
「心太《ところてん》と書かれているぞ、ノースラダスタ」
 普通であれば”おやおや”と言われるような大会を開いたりと……生徒が楽しむことを目的としたものである。
「二人とも来たか」
「エディルキュレセ!」
「当然来るだろ!」
 子爵は招待したオランジェレタとノースラダスタを迎え、早々に数枚の紙を手渡した。
「これは?」
 手渡された紙には子爵が手描きで名と最近の成績と、他の生徒からの評判が記されていた。
「オランジェレタは夫、ノースラダスタは配偶者を探しにくると公表しておいた。それで数名から打診があったから、名前とちょっと調べておいた。他の経歴などは外部でも調べられるだろうが、学内の評価や評判は無理だろうからな」
 普通に婿を探せるタイプなら子爵も気にはしないが、オランジェレタは婿はかなり捜し辛いので、前もって子爵は希望者を募っていたのだ。
「エディルキュレセ、お前は本当に良い男だ。我の弟にならないか?」
「オランジェレタにはノースラダスタっていう弟がいるだろう」
「もう一人くらい弟がいても良い」
「我としても弟がいても構わんぞ、エディルキュレセ。面倒を全部お前に」
「取り敢えず行くぞ」
「何処へ?」
「集まってもらってるんだ」

 集まってくれた希望者の元へと二人を連れて行き、子爵は輪から離れて二人を見ていた。集まってくれた男性たちは、姉弟が誰を選んでもデルヴィアルス公爵家は安泰だと言えるクラス。

―― 決まるといいな。見た目はどうあれ、実年齢十七歳の跡取りが婚約者なしは、かなり困った事だからな

 オランジェレタは子爵が用意してくれていた相手と、一人五分の面談をして全員と話を終え”後日返事を送る”として、あとは寮祭を楽しむことにし、ノースラダスタは気があった数人と寮祭を見て回ることにして二人とは別行動を取ることになった。
「どうだった? オランジェレタ」
「数名に絞ったが、あとは両親にも話してからだ。それにしても今まで死ぬ程苦労したのに、選べるくらい候補を見つけることが出来るとは。ありがとう、エディルキュレセ」
「良い婿をもらってくれよ、オランジェレタ」
「これから婚約やらなにやらするから、結婚式は早くてもエディルキュレセが六年になったころだ。二十過ぎて結婚になるが、幼女体だから許されるだろう」
「ははは……」
 乾いた笑い声を上げながら、子爵はオランジェレタを連れてエルエデスの元へと向かった。

※ ※ ※ ※ ※


 皇帝は親王大公や孫が在校生ではないときに限り、寮祭に足を運ぶことができる。
「今年も足を運べること、良いのか悪いのか。なあ、デルシ」
 在校生に皇位継承権を持つものが一人も居ないことを苦笑しながら、同行のデルシに声をかける。
「焦るお気持ち解りますが、こればかりは。皇太子妃がケシュマリスタであることも考慮せねばなりません」
「まあなあ。それでも最近は皇太子としての自覚が出たのか、キュルティンメリュゼ以外の女には手を出さなくなったな」
 デルシと皇帝がそんな話をしながら寮の門をくぐると、
「あの若さで枯れたんですかねえ」
 寮母キルティレスディオ大公が軽口を叩きながら出迎えた。
「ミーヒアス、お前は元帥服がとても似合うな。余の同期であり、余など及ばぬ優秀な成績を収めて首席で卒業生したお前だ、似合って当然だが……お前を見ていると、本当に惜しいわ」
 皇帝シャイランサバルトとキルティレスディオ大公は同い年で、同じ年に帝国上級士官学校に入学した。皇帝が言った通り、成績はキルティレスディオ大公のほうが遥かに優秀で、当時皇太子であった皇帝は、帝国軍の将来は安泰だと彼の才能に嫉妬することなく、それどころか自らの治世の財産だとすら感じていた。
「お褒め預かり光栄です。もっとも俺はもう、過去しか褒められませんがね」
 名声などは地に落ちたキルティレスディオ大公だが、
「まったく」
 皇帝はそれでも彼を見捨てなかった。以前ベリフオン公爵が言った通り、その才能は捨てるには惜しいと。
「キルティレスディオ、陛下の案内を頼むぞ」
「言われなくても解ってる、カロシニア」
 キルティレスディオ大公は他人のように白々しく、平素は自分よりも大人びているデルシの子どもじみた態度に間に挟まった皇帝は”やれやれ”と思いはしたが、なにも言わなかった。
 皇帝を寮母に任せたデルシは、出迎えするように命じていたエルエデスと合流し、寮祭を楽しむ。
 寮祭はゆるく楽しい反面、エルエデスのような命を狙われている者にとっては、もっとも危険な日となる。
「デルシ様、わざわざ申し訳ございません」
「気にする必要は無い。我はこの寮祭が好きなのだ。お前も楽しめ、学生生活は六年あるが寮祭は三回しか楽しめぬ。後々こうやって足を運ぶ事も出来るが、客として楽しむのと生徒として楽しむのは違う」
「……」
「強制はできぬから、好きにするがいい」
 エルエデスは斜め後ろからデルシの肩越しに望める自信に満ちた横顔を見て、自分が五十歳間近になった時、デルシのような人生を歩んでいるだろうか? と考え、焦りと敗北感を覚えた。
「エルエデス! あ、カロシニア公爵殿下」
 不確かな将来は自らの未来を、明るくはない色で塗りつぶす。
「デルヴィアルスのソーホスか」
 駆け寄って来たオランジェレタの顔を見て、エルエデスはデルシの言葉に従い、楽しむだけに頭を切り換えた。
「はい! デルヴィアルス公爵家第一子、ソーホス侯爵オランジェレタ=オリンジェラタです」
 デルシの前でオランジェレタは幼女体の特性を生かした”マントの両裾を持って広げてくるりと回る”挨拶をして、子どもらしく顔全体で笑顔を作り、デルシはオランジェレタの頭を撫でてやった。
「どうしたんだ? オランジェレタ。お前はケーリッヒリラと一緒ではないのか?」
「エディルキュレセ、イベントスタッフだから分かれた。さっきまで一緒だったんだけどね」
「イベント……ああ、もうそんな時間か。デルシ様、見に行きましょう」
「ん? なんのイベントだ? エルエデスよ」
「ガルベージュス公爵も参加する早食い大会です」

※ ※ ※ ※ ※


 子爵はヨルハ公爵と共に、早食い用の心太を計って椀に盛っていた。
 早食いは説明する必要もないだろうが、制限時間内に多く食べた物が勝ちである。今回寮で行われるのは心太《ところてん》の早食い。
 制限時間は十分で、何杯食べられるかを競う。トーナメント方式で、寮祭前日までに準決勝は終わっており、それまでの熱き戦いの記録は中央ホールで放映されている。
 トーナメント方式で決勝に残ったのは、圧倒的な強さを誇るガルベージュス公爵。全てにおいて完璧な彼は、心太の早食いでも完璧であった。
 もう一人はダークホースとも言うべき存在、ザイオンレヴィ。
 偏食の激しいザイオンレヴィだが、心太は口に合ったようで、顔に似合わぬ勢いで”つるつる”と飲み込み、準決勝の相手であるベリフオン公爵に見事勝利した。
 ちなみにベリフオン公爵は心太にもサウザンアイランドドレッシングであったのは、当然のことである。
 決勝を争う二人、ガルベージュス公爵は黒蜜を、ザイオンレヴィはあかしあ蜂蜜をトッピング。トッピングの量も同量をかけた状態が「一杯」である。
「どうしてエヴェドリットが一人もいないの? クレウ」
 中央ホールで勝負映像を見ていた招待客の一人であるエンディラン侯爵の質問に、ただいま一人で彼女を案内しているジベルボート伯爵が答える。
「エヴェドリットは詐欺だってことで参加できませんでした」
 エンディラン侯爵はもちろんマルティルディと一緒に来て、その後分かれたのだ。マルティルディに同行しているのは、イデールマイスラと鬼執事フェルディラディエル公爵。本来であれば参加できない立場だが、マルティルディは皇帝の護衛という名目で連れてこられた。
「詐欺って?」
「エヴェドリット、特にシクなんか食べるの早いし、普通に椀ごと食べてしまうので」
「でも皇王族が参加できるのなら、エヴェドリットが参加してもいいんじゃないの?」
「そうですけれども、エヴェドリットの皆さん特に参加出来ない事に異議を申し立てなかったので、そのまま。人殺し以外のことは出来なくても問題ないようです。シクが出場していたら優勝してたでしょうね」
「そうなの。今度見せてもらいましょう」
「本当に凄いですよ、ロメラ……じゃなくてジュラス」
 自分の名前が嫌なら別の名を名乗ればいいとヨルハ公爵の提案で、エンディラン侯爵はジュラスと名乗ることになった。”ジュラス”は言いだしたヨルハ公爵の付けた名で、エンディラン侯爵のフルネームには掠りもしないのだが、逆にそこが良かったようだ。
「早く私の別称を覚えてね、クレウ」
 人差し指でジベルボート伯爵の顎を”くいっ”と持ち上げて、ヴェール越しにそれは美しい笑顔で睨み付ける。
「は、はい……そ、それはそうとジュラス。ヴェールは外してもいいんじゃないんですか? もう陽も落ちましたし」
 寮祭は昼過ぎから始まり深夜まで行われ、早食い大会は陽が落ちてからの開催であった。
「気がむいたらね。早食い大会が終わったら、調理関係部合同の模擬店に連れて行ってね」
 エンディラン侯爵は早食い大会に興味はないのだが、婚約者が決勝に残ってしまったので、仕方なしに応援に行くことにしたのだ。

「皆さん、お待たせいたしました! 司会と実況は、兄との合同誌を売り切ったこの私、ゾフィアーネです!」

 早食い大会の会場に椅子はなく、皇帝すら立ち見。
「席、用意しますが」
「要らぬわ。立って見るのが楽しいのだ、ミーヒアス」
 舞台上からフルネームで呼ばれ、余裕で現れるガルベージュス公爵。続いて呼ばれたザイオンレヴィは耳栓をして、外界と自分を遮断していた。
 後々には平気になるのだが、この頃のザイオンレヴィは人前で何かをすることが非常に苦手であった。海と花とマルティルディという世界で生きて来た彼にとって、雑多なお祭り騒ぎは初めての経験で緊張してしまった。
 どうすれば緊張しなくて済むか? と考えて、耳栓をすることにした。視界は目蓋を閉じればどうにかなるが、音はそうはいかないので。
 ”スタート”の号令をかけるイルトリヒーティー大公に事情は説明しており、開始の合図は彼女が手を振り下ろし、板を割ると同時に時計が動くことになっているので、外界の音を遮断していても問題はない。
 裏方で頑張っていた子爵とヨルハ公爵が、舞台裏からザイオンレヴィを見守る。準決勝までの結果を見れば、まずザイオンレヴィに勝ち目はないが、それだからこそ二人は応援することにした。
「頑張れ、ザイオンレヴィ」
「頑張るんだ、ネロム」
 ネロムとはヨルハ公爵がザイオンレヴィに付けた別称であり、エンディラン侯爵のジュラスと同じくどの名前にも掠っていない。
 号令がかかり、両者が椀を持ち心太をかき込む。
 ザイオンレヴィは善戦していたが、完璧なガルベージュス公爵には勝てそうになかった。それを見ていたエンディラン侯爵は、いつになく必死に頑張っている婚約者に声援を送った。
「頑張りなさい!」
 だがその声援は、完全遮音耳栓により心太だけと向かいあっているザイオンレヴィに無視される。そんなものを装着しているとは知らない彼女は、
「ちょっと! 婚約者の声援くらい聞き分けなさいよ! ばか!」
 ヴェール越しでは声の届きが悪いのかも? と考えて、ヴェールを上げて叫んだ。その時だ、

「ぶぼっ!」

 歓声ではない音が響きわたり、一気に周囲は静かになった。異音の正体は静寂に気付かず”つるつる”と心太を食べ続けているザイオンレヴィの隣のガルベージュス公爵。
 帝国の至宝であり、正統皇帝の容姿を伝える彼の両鼻穴から心太。瞳以外左右対称とされる容姿故なのか、鼻穴から出ている心太の本数も長さも、見事に左右対称である。(後に記録映像で確認された)
 燦めく(鼻穴から出ている)心太もそのままに、ガルベージュス公爵は叫んだ。
「わたくしの心を奪うケスヴァーンターンは貴女でしたか!」
 揺れる心太と、鼻づまりの大声。
 そしてガルベージュス公爵は勝負を放棄して、エンディラン侯爵の元へと駆け寄る。
「ああ、愛しき人よ! わたくしの愛を貴女に捧げます! そして望む! 貴女の愛をわたくしに!」
 鼻水のように心太を垂らしたまま駆け寄って来たガルベージュス公爵に、
「……き……きゃああああ!」
 エンディラン侯爵は逃げた。
「お待ち下さい! わたくしは怪しい者ではありません! わたくしの名はガルベージュス公爵《エリア》ともうします!」
 鼻穴から心太を出したまま迫ってくる男を怪しい者と言わずして、なにを怪しい者というのだろうか?
「ちょっ! 助けなさいよ、ザイオンレヴィ! なに心太啜ってるのよぉ!」
 ザイオンレヴィは会場の混乱に気付かず、まだ必死に心太を啜っていた。無心にかき込み続け、心太で満たされた椀を渡されなくなったことで終了を知り、耳栓を外した時、
「……えっと、一体なにが起こってるの?」

 ザイオンレヴィの前には、早食い競争を始めた時には想像もできなかった光景が広がっていた。

 笑う皇帝と笑いを堪えるデルシ、笑い転げるキルティレスディオ大公。いつの間にか正装になり実況中継をしているゾフィアーネ大公に、ガルベージュス公爵の後ろに従い踊り狂うジーディヴィフォ大公。
「ザイオンレヴィのばかぁぁぁ!」
 逃げ回るエンディラン侯爵の罵声に、
「ああ、美しきケスヴァーンターンの声! ケスヴァーンターンの女は罵声を浴びせる声が最も美しいと言われておりますが、その通りでしたな! わたくしをも是非とも罵倒してくださいませ!」
 後を追いかける鼻穴から心太がはみ出したガルベージュス公爵。壊れた美形のが紡ぐ、正統過ぎるケシュマリスタ女性への口説き文句。
 ぼーっとしていたザインレヴィは、いつの間にか手首を掴まれ伸ばされて、
「優勝! ギュネ子爵ザイオンレヴィ! ガルベージュス公爵に勝利する男が現れました! なんと彼は、公爵の恋敵でもあります! これからこの三角関係を、皆で! 皆で応援してゆきましょう!」
 ”ガルベージュス公爵に唯一勝利した男”の称号と同時に、ガルベージュス公爵の恋のライバルにまでなっていた。
 無心で心太を食ったがために起こった出来事。それが悲劇なのか? 喜劇なのか?

「助けてー! いやああ!」
「恐がらないで下さい、可愛らしいわたくしの小鳥よ!」

 皇帝が笑っていたので、それは喜劇に認定された。


|| BACK || NEXT || INDEX ||
Copyright © Iori Rikudou All rights reserved.