君想う[064]
帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[115]
 冬期休暇でますます仲の悪くなった、
「今日は君に会いに来たんじゃなくて、ヨルハを見るのが楽しみで来たんだ」
「儂とて貴様に会いたいわけではない」
 マルティルディとイデールマイスラ。
 もちろん脇にいるガルベージュス公爵がイデールマイスラに厳しい突っ込みを入れるのは何時ものこと。
 脇腹をえぐるように殴り、床に沈んだイデールマイスラを無視し、
「一時間はここでお話してくださいね」
「言われなくても解ってるよ、ガルベージュス」
 マルティルディと話をつける。
「それは良かった」
「早く一時間経たないかなあ。ちょっと楽しみなんだよ、ヨルハに会うの」
「アディヅレインディン公爵殿下はヨルハ公爵とは初対面ですか?」
「そんな訳ないだろ。ヨルハがベクセスライの頃に何度か会ったことあるよ。二人きりじゃないけどさ」
 ヨルハ公爵は爵位を継がないとされていた頃、ベクセスライ伯爵であった。一族を皆殺しにしたので、その爵位はもちろん所持したままでもある。
「それでは何故?」

※ ※ ※ ※ ※


―― エルエデスがいなくてよかった……
「……」
 子爵は無言のまま、酷い有様になったヨルハ公爵を見つめていた。
―― ヴァレンって大らかな人なんですね……
「……」
 エンディラン侯爵にされるがままになっているヨルハ公爵を前に、ジベルボート伯爵は”大らかな人”以外思い浮かばなかった。
―― ひぃぃーごめんなさい! ごめんなさい!
「……」
 ザイオンレヴィは婚約者の暴走と、それを許可した幼馴染みで主の何時もの我が儘ぶりに心の中で詫びていた。

 三人の前には、ばさばさの前髪を「上向き」に結われたヨルハ公爵がいた。前髪が邪魔で一人で居るときにはそうする人もいるだろうが、人前でこれはかなりおかしい。
 黒い噴水が額のすぐ上に出来上がっている。
 そして艶のない髪で隠されていたヨルハ公爵の独特な顔が露わに。普通の状態でも……な顔に、エンディラン侯爵は落書きをしていた。
 彼女は「化粧」だと言い張るのだが、子爵たちには「落書き」としか思えない。
 前回の照れた時の顔が面白かったようで、顔に赤い丸を描いてしまったのだ。
 洋服も彼女が持参したもので、首に濃い紫と黄色の横縞模様の蝶ネクタイ、フリルが大量についた灰色のシャツに、七分丈の上着とズボン。裾から覗く足には、蝶ネクタイと同じく横縞模様の靴下、色はピンクと灰色。靴のサイズはわざと大きめにして目立たせて、最後の仕上げに悪ふざけとしか思えない結った髪を赤いリボンで飾り付け。
「きゃあー! 可愛い」
「えー本当?」
「本当よ!」
「そう言ってもらえると嬉しいね」
 手を叩きながら喜ぶ彼女と上機嫌なヨルハ公爵と”大人になるということは、言いたいことを言えなくなることだ”の三人。
 エンディラン侯爵はヨルハ公爵と腕を組み、
「さあ、マルティルディ様に会いに行きましょう!」
「分かった」
 隣室のマルティルディの元へと向かった。
 二人だけで行かせるわけにはいかないので、三人もついてゆく。
「マルティルディ様、ヨルハ公爵を連れてきました」
 エンディラン侯爵の声は本当に楽しそうであったが……後ろで聞いている三人は、沈痛ではないが、胃が痛い面持ちであった。
「来たかい……」
 部屋から出て来たマルティルディは、ヴェールを被ったエンディラン侯爵と腕を組んでいるヨルハ公爵を見て、指をさして笑い出した。
 後からきたイデールマイスラは”ぎょっ”とした顔で、ガルベージュス公爵はいつもと変わらず。
 本当に楽しそうに笑いながら、マルティルディはぼさぼさの髪を飾るリボンを指で弾いた。
「この髪型、似合ってるよ……ぷっ!」
 そしてまた笑い出す。
 笑われているヨルハ公爵はというと、上機嫌のまま。
「なにがそんなの面白いのじゃ? マルティルディ。貴様等の笑いは人を馬鹿にしているように聞こえるから、笑うのを止めろ」
 不機嫌になったのはイデールマイスラ。
 確かに人を見て笑うというのは褒められた行為ではなく、言い分としては正しいのだが、イデールマイスラの言い方はいつも険がある。
「君さ、僕が笑うといっつもそう言うけど、僕は今、ヨルハのこと馬鹿になんてしてないんだよ。何で君、僕がヨルハのこと馬鹿にしてると思ってるの? 君がヨルハのこと馬鹿にしてるから、そう考えるんじゃないの?」
 マルティルディの笑い顔と笑い声は、当然のことながら計算されつくした完全な美しさを持っているので、イデールマイスラとしては人前では笑って欲しくはない。それが彼の正直な気持ちであった。
「儂は……」
 マルティルディが普段は無表情で、自分の前だけで笑ってくれていたら……それはそれで、彼は素直になれず「ケシュマリスタの笑い顔は人を小馬鹿にしている」と言って喧嘩になっただろうが。
 まったく素直になれず、妻に笑いかけてもらえない男は、形はどうあれ妻の笑顔を引き出した男に嫉妬していた。
 だが目の前の奇怪な格好をした生き物に嫉妬したことを知られたくはないと、妻を否定してしまう。
 イデールマイスラがいつもはまり込む悪循環でもあった。
「気にしなくていいよ、ベル公爵。気に入ってくれたか? 太陽の破壊者」
「ああ、とっても気に入ったよ、ヨルハ。その髪型がとってもいいよ」
 マルティルディは当てつけとばかりにヨルハ公爵と腕を組み、
「両手に花だな……ヴァレン」
 見た目だけは両手に花状態で、寮内の散歩となった。もちろんザイオンレヴィは三人を追いかけ、ジベルボート伯爵も付いていったのだが、子爵はその場に残った。
 彼は部屋に戻り、三人が散歩から帰ってきた時のお茶の用意を始めるために残ったのだ。
 廊下に取り残されたイデールマイスラと、
「先程のアディヅレインディン公爵殿下の笑いは、馬鹿にした笑いではありませんでしたよ、イデールマイスラ」
 残ったガルベージュス公爵。
「解っておる」
「解っていません。心では解っているなんて言い訳です」
「……」
「楽しそうでなによりじゃないですか。イデールマイスラ、貴方はアディヅレインディン公爵殿下をあれ程笑わせたことありますか?」
「なんで儂が笑われねばならぬのじゃ!」
「笑わせるんです。笑われるのではありません。なにより貴方、笑われることすらできないでしょうに。部屋に戻りますよ、イデールマイスラ」
「……」

 両手に花状態で散歩して帰ってきて、エンディラン侯爵が持参したティラミスを食べて、会話を楽しんだ。
「それにしても似合うね、ヨルハ」
「自分でもびっくりしてる。以前クレウの家に遊びに行った時用意されていたケシュマリスタ格好は似合わなくて凹んだが」
「君には似合わないさ。ケシュマリスタの服は僕に似合うデザインだもの」
 主にマルティルディとヨルハ公爵が。
「でも太陽の破壊者はこの格好をしても似合うだろうな」
「だろうね。そうだ、この格好でデルシに会いに行ってごらんよ。デルシも喜ぶよ」
「そうか?」
「絶対喜ぶよ。この格好の君を見て、喜ばない女はいないよ」

 マルティルディとエンディラン侯爵が帰宅後、この格好でヨルハ公爵は部屋に戻り、エルエデスに意見を求めた。

「と、マルティルディに言われたんだが、どう? エルエデス」
「……」
 とても似合っていたのだが、似合う格好をさせたのがエンディラン侯爵だという事実に嫉妬し(エルエデスの耳にはエンディラン侯爵の高笑いが再生された)マルティルディまでその可愛らしさを認めたことにも苛ついて(マルティルディの勝ち誇った笑いが重なって)、こんな変な格好を好むのは自分だけであって欲しいと思いつつ、デルシも見たら喜ぶに違いないと世話になっている相手を考慮しながら、何れバベィラの前でもこの格好をして喜ばせるかも知れないと考えて……

「シクー、エルエデスにあの洋服、ぼろぼろにされちゃった」
「エルエデスはなあ……」

 その後、エルエデスは嫉妬を反省し、仮装としか表現のしようのない服を新調してヨルハ公爵に送った。
「ありがと、エルエデス」
「似合うかどうか、着てみせてみろ」
「え? 怒らない?」
「怒らん。それと髪は我が結うからな」
 エルエデスはイデールマイスラと同じように嫉妬するのだが、彼女は好きな相手を手に入れることもできなければ、自由になる時間も限られているので折れることもできた。
 この時間が稀少であることを、否、時間はいつでも稀少であることを彼女は理解していた。
 障害などなくマルティルディと共にいられるイデールマイスラは、それができず時間が稀少であったことを理解したときには、もう遅かった。
「似合う? エルエデス」
「似合ってる。赤いリボンも似合うが、矢車菊の色もいいな。お前の黒い髪には良く似合う、ゼフ」

※ ※ ※ ※ ※


 メディオンは一週間徹夜で必要と思える本を読みあさり、なんどもバーディンクレナーデ(兎の縫いぐるみ)相手に練習し、コインを用意して、勇気を振り絞って子爵に声をかけた。
「エディルキュレセ」
「お、メディオン。どうした?」
 廊下で声をかけられた子爵は「脱出方法を教えて欲しい」と言った時に似ているメディオンの必死さを滲ませた表情に首を傾げた。
「話があるのじゃ」
「ああ」
 メディオンは先日借りたバレッタを、やや乱暴につきだした。
 そのバレッタの半流体硝子でできた飾り部分は、貴石で作った花とドライフラワーで飾られている。
 後年の子爵は生花を加工し、瑞々しさを損なわない、まさに「花を水に閉じ込めた」ような細工を作ったが、この頃はまだその域には達していなかった。
「このバレッタじゃが」
「それか」

 子爵は何か言おうしたのだが、その台詞は綺麗に忘れてしまった。

「コイン三枚で貴方の作品を買えること、嬉しく思う」
―― 軍妃ジオが初めてペロシュレティンカンターラ・ヌビアの作品を買った時の言葉 ――
 メディオンはそう言い、固く握りしめていた方の手を開きコインを差し出した。
 子爵にとってそのバレッタは、思い入れが特に深いものではなかった。だがこの時、忘れられぬ【商品】となった。
 忘れられない作品、忘れられない相手、初めて売れた商品。
「……お買い上げ、ありがとうございます」
 子爵はコインを受け取り、単純な喜びだけではない”喜び”を表情に露わにしてメディオンに返事をした。
「新作が出来たら……見せてくれい。じゃあな」
 メディオンはバレッタを握りしめ、部屋へと急いで戻る。その背に子爵は頭を下げる。
「お越し、お待ちしております……ありがとう、メディオン」
 メディオンが部屋に戻ってから、子爵も部屋へと戻った。
 扉を閉めて床に腰を下ろして手の中のコインを撫で、子爵は沸き上がってくる感情をどうしていいのか解らず、しばらくそのまま動くことができなかった。

 無事に子爵の商品を買ったメディオンは部屋へと戻り、バーディンクレナーデが待っているベッドへと飛び込んだ。
「言えたぞ! 儂は言えたぞ!」
 軍妃ジオ関係で有名なヌビアだが、テルロバールノルの貴族はほとんど知らないと言ってもいい。
 平民の妃を迎えることに激しく抵抗したのは、テルロバールノル王家。
 その支配下にあるメディオンは、軍妃とヌビアについて表面的なことは知っていたが、深いところまでは知らなかった。
 だが子爵の憧れだと知り、メディオンは今まで誰も教えなかった存在に興味を持ち、自ら知ろうと手に取った。
「軍妃ジオの本、読んで良かった。あやうく儂、嫌な貴族になるところじゃった」
 子爵の商品を買おうと思ったメディオンは、財力に物を言わせて全部購入するところだったのだが”その行為”をヌビアが非常に嫌ったという下りを読み理解し、全部欲しいがここは敢えて一つだけで我慢しようと決め行動に移したのだ。
「なんか、少し成長できたような気がする」

 メディオンはヌビアの本で知った通り、バレッタを使わずに飾っておくようなことはせず、子爵に手入れ方法を聞き、偶にメンテナンスに出して普段使いを心掛けた。そのせいかバレッタは壊れることなく、所持していた人の心が映し出されたかのように、非常によい雰囲気を持った宝飾品に育った。


|| BACK || NEXT || INDEX ||
Copyright © Iori Rikudou All rights reserved.