ヨルハ公爵邸に残った二人は、邸を武装させ終え探索をしていた。
生きている人間は一人もいないが、動物などはヨルハ公爵が一族を抹殺した戦いをも生き延びており、主不在の邸で繁殖していた。
「狼飼ってたのか?」
「何匹か飼ってた」
「何匹って数じゃないだろ」
「五千くらいはいたはず」
狼が幾つかの群れに分かれて、激しい生存競争を繰り広げていたりと、自然豊かな山脈の途中で二人は腰を下ろして邸を見下ろす。
少し離れたところにある小さな邸が子爵の目に映った。
「あの建物、直していないのか?」
その邸だけは壊れたままであった。
「うん! あそこは昔、我が隠れて居たところだ」
「……あれは隠し部屋がある邸か」
とエヴェドリット建築にしては珍しい窓が並ぶ、隠し部屋の存在を隠すために細工が施された邸だが、子爵の目には逆にそれが怪しく見えた。
「やっぱりシクには解るんだ。そう、あの邸には隠し部屋がある。天井が抜けている部分見えるか?」
「……見えた」
「あの下が隠し部屋だった」
「ああ、あそこが……」
ヨルハ公爵はその隠し部屋で死体菓子作成に没頭していた。
「そうだ。シクはデルヴィアルス公爵家本邸に行ったことある?」
「あるぞ」
「あの邸って隠し部屋とか結構あるよね?」
「当主でも覚えきれない程の隠し部屋に秘密通路があるそうだ」
「そうなんだ! なんか楽しそうだね」
「楽しいぞ。我も良く行って、マップ作って遊んでいた。一人ではとても完成させられないほどの広さと複雑さだ」
子爵は幼い頃はオランジェレタの婚約者候補だったので、頻繁にデルヴィアルス公爵家の本邸へと連れていかれた。
オランジェレタと殺し合いという名の遊びよりも、邸の構造を調べるほうに興味を持た子爵は、当然一族誰の目にも『変わり者』に映ったが、才能としては適していると、誰もが婚約者と認めてはいた。結局婚約はしなかったが、デルヴィアルス公爵は邸の管理などは子爵に任せたいと考えていた。
「いいな」
「今度の夏期休暇、行くか?」
「いいの?」
「問題はないだろう」
それらがあり、子爵はデルヴィアルス公爵家本邸の出入りは自由になっている。
なによりもデルヴィアルス公爵は、子爵のことを良く理解していた。それというのもデルヴィアルス公爵家、ごく稀に子爵のような始祖ナザールよりも前の祖先に返った《脱出屋》だった頃の一族の特性を持った人物が生まれるのだ。
そのごく稀な争いを好まず、迷路を造って日々を過ごす彼らの手により、デルヴィアルス公爵家本邸が維持され、大宮殿の地下迷宮のメンテナンスが行われ、バージョンアップが成されている。
要するに子爵はデルヴィアルス公爵家寄りの性質が大きい。
「シクの両親が待機してたりしない?」
「……多分平気じゃないか? それにヴァレンが一緒にいたら、さすがに両親も口うるさくはせんだろうしな」
「殺すなら任せておいて!」
子爵の両親では、ヨルハ公爵に指一本触れられない。もちろん両親が弱いのではなく、ヨルハ公爵が怖ろしく強いからだ。
「任せた。それじゃあオランジェレタにでも連絡するか」
※ ※ ※ ※ ※
<スリルあったね、姉さん>
<そうだな……おや? エディルキュレセから連絡? 珍しいな>
※ ※ ※ ※ ※
「”いつでもどうぞ”だそうだ。都合が合えば今回の面子も誘おうか」
通信を切り休憩を終えて二人は立ち上がり、山を降りることにした。
「いいね! そう言えば、シクはソーホスの婚約者にならなかったのか?」
二人とも話はしていないが、壊れている建物に向かうつもりで。
白樺の林を抜けながら、子爵はオランジェレタのことを思い浮かべる。
「昔な候補だったんだが、オランジェレタが幼児形態で止まったのが……どうも受け付けなくてな。十二歳の時に両親から婚約について聞かれたが……断った。見た目で人を判断してはいけないのは解っているのだが……」
「そうなんだ」
「ヴァレンは気にならないほうか?」
「んー……考えたことなかったなあ。元々相手はいなかったから」
「そうか」
「ソーホスの婚約者選びって難航してるの?」
「そうらしい。幼児体は相手が外聞を気にすることが多くて、なかなか候補がなあ。我もその事は解っているから結婚したかったのだが、幼女の裸体は性欲よりも先に吐き気が……」
子爵は一生独身を貫こうとしているが、過去に唯一例外があった。
それがオランジェレタ。
幼児体(男)よりは結婚しやすいと言われる幼女体だが、相手を見つけるのはかなり大変である。それを解っていたので、子爵は婚約者に選ばれたら努力しようとは思ったのだが、現実の物として足を広げた幼女を目の前に出された時、理性と思考と努力ではどうにもならないことを子爵は知った。
相手を傷つけながらも努力するような自己満足の道を選ばず、婚約者にならない道を選んだ。
通常であれば最悪オランジェレタが独身で公爵家を継ぎ、跡取りは弟の子……となるのだが、
「ヒネッセは同性愛者だったっけ?」
ノースラダスタ、こちらは生まれついての同性愛者。
異性に興味を示さない。その姿勢は徹底している。
「ああ。お陰で姉弟は仲がいい。跡取り作れない男は黙って補佐してろとデルヴィアルス公爵に言われて、従っている」
デルヴィアルス公爵は息子に『結婚して子どもを作ったら、オランジェレタを処分してお前に爵位を継がせてやる』と試しに言ってみたものの『要らない』と逃げられ終わった。
―― お前の息子二人とも良いな。オルタフォルゼはエヴェドリットで、エディルキュレセは見た目ナザールで、中身がヒューで。両者とも見た目がいい上に、好みも普通の女に向いていて ――
デルヴィアルス公爵は弟で子爵の父イズカニディ伯爵にそう呟いたことがある。
(ヒューはナザールよりも前にいたデルヴィアルス一族の一人。脱出経路作りの達人)
「それじゃあ、ますますソーホスの婚約者が重要になるね」
姉弟の仲が良いことも救いだが、オランジェレタが結婚に前向きであることも救いであった。
「本当に。紹介できる人がいればいいのだが、我が紹介できる相手など両親もデルヴィアルス公爵も知っている相手だけだからな」
幼女体の結婚の厳しさなど今まで知らなかったヨルハ公爵だが、画面に映った昔と変わらないオランジェレタの姿を思い出し、ケシュマリスタと重ねてみた。
「来年の寮祭に招待したらどうだ? 国内の心当たりは全部当たっただろう? それで見つからないのだから、帝国上級士官学校の生徒から選ぶの最適だろう。皇王族はケシュマリスタ好きだから、幼い体や発達していない体を好む人も多いだろうし、婿の行き先を捜している人も多いだろう」
幼女体の基本と言えば、はやりケシュマリスタ。
そのケシュマリスタを好むと言えば、シュスターの子孫である皇王族。
マーダドリシャ侯爵が自分で売り込んでバベィラの夫の座を得たことからも解る通り、皇王族はよほど才能に溢れていない限りは皇帝の目に止まることもなく、両親が死去していたり、彼らが興味を持たなければ自分で道を模索するしかないので、次期公爵家当主オランジェレタの夫の座は魅力がある。
オランジェレタの母親は皇王族だが、上記のように両親を失っていたり、特段優れた皇王族以外は話題に上らないので、普通の情報網では捕まえることはできない。
デルヴィアルス公爵もオランジェレタも、ガルベージュス公爵やゾフィアーネ大公クラスの夫を望んでいるわけではない。そんな大物を婿に迎えたら、反逆の意思ありと見なされてしまう。
「それは……良い案かもしれないな。オランジェレタは我から見て第四親等だから寮祭にも招待できる」
生徒以外が寮祭に参加するには、在校生からの招待状が必要。
その招待状が出せる相手は、在校生から見て《四親等から七親等まで》と決まっている。親や祖父母を招待しないのは、エルエデスとヨルハ公爵を見ても解るとおり、対立している家の当主が来てしまったら問題が起こるからであり、何よりも寮という開放的な所に親など来て欲しくないという、皇太子の主義主張である。伯父や伯母に叔父や叔母を排除するのも同じこと。祖父や祖母を排除するのも同じ意味である。帝国は説明する必要もない程に、軍事国家であり、頂点に立つものは軍人である必要があるので、在校生の中に皇太子がいることは珍しくない。
そのため親が皇帝であったり祖父母が大皇であったりする場合がある。同居が必須の皇帝と皇太子。だが寮で生活している間は、ほんの僅かだけだが離れることができる。その僅かな自由は、皇太子にとって何物にも代え難いものであり、かつて経験したことのある皇帝にもその事はよく理解している。
兄弟を排除するのは、兄弟全員帝国上級士官学校に入るのは普通なので、無駄だということで。
「もう一回連絡してみたらどうだ? もしかしたら決まってるかもしれないしさ」
「そうしてみる」
子爵とヨルハ公爵は山の斜面をゆっくりと下りながら、再度通信を入れた。
※ ※ ※ ※ ※
「姉さん、またエディルキュレセから通信きたよ」
「なんだろうな。今から来るとか言うのかな」
「それはそれでいいでしょ」
「それはなあ。……どうした、エディルキュレセ…………寮祭? 行く! うん、婿は決まってない。あんまり決まらないから、ノースラダスタと子ども作ろうかと思ってたところだ」
「止めて姉さん、気持ち悪い。エディルキュレセ、我も招待してくれないかな? 帝国上級士官学校で伴侶を選びたいから」
「持つべきものは、出来の良い従弟だな!」
「さあ! 実家に連絡だ!」
※ ※ ※ ※ ※
通信を切り、斜面を降りまっすぐ邸へと向かう。
邸は大自然の中に佇むといった風情なのだが、一箇所だけその風情を否定していた。
邸の一部分に大きな穴が空いており、その周囲の木がなぎ倒されている。倒れた木は隣の木を道連れにしたかのように、同じ方向に倒れて道を作っている。
「ここが隠し部屋だったのか」
穴の空いた天井部分から二人は隠し部屋に降りる。
天井の穴は死体菓子を壊されて怒ったヨルハ公爵がぶちやぶった痕。
邸を直すように指示を出したバーローズ公爵だが、ここには触れなかった。感傷などではなく、ここは新ヨルハ公爵の私室であったところなので、触らなかったのだ。
もちろん内部に死体がないかどうかは確認したが、彼らが確認したときにあったのは、壊れたボウルだけ。
ゼフがヨルハ公爵になった切欠である、壊された死体菓子はなかった。死体菓子はヨルハ公爵が家族の死体と一緒に食べてしまったためだ。
「ここで寝るのが好きだったんだ」
ヨルハ公爵は壊れかかった隠し部屋で横たわる。
「隠れ家みたいな所は楽しいよな」
子爵も同じく横になった。
大きく開いた穴から空を流れる雲を眺める。
「分かってくれる? シク!」
不思議な巡り合わせを感じつつ、
「もちろんだ。我も隠れて細工を作って遊んでいる……もっとも、隠れて居るつもりでも、両親にはばれているようだが」
二人は目を閉じた。
子爵は触れてはいないが、ヨルハ公爵から”狂気”を感じ取っていた。ザイオンレヴィやジベルボート伯爵は気付かない、通常でも溢れ出すその狂気。
狂気に温度はなく色もない。誘われるようなものなのかと言うと、そうでもない。ではなんなのか? それは感じ取れるものにしか解らない。
極上の狂気と共に午睡を楽しむ。
傾いた陽の眩しさに子爵が目を覚ます。見えもせず、音もないが漂っていた狂気の海という寝床から。
「ヴァレン、起きろ」
それは人殺しが嫌いな子爵ですら気分が良くなる”狂気”。
「眠ったね、シク。なんかすごく人殺しがしたいや」
「めったにそうは思わないが、今日はお前の狂気に触れたせいか、そういう気分だなヴァレン」
眠い目を擦りながら、ヨルハ公爵は珍しく子爵が”そう”言ったので、
「近くの惑星いく? 人間たくさんいるよ」
殺しに行こうか? と誘った。
「目の前にいたら殺したかもしれないが、そこまでして殺したいとは思わないな。この景色のなか、ここで目覚めたから感じただけだ」
息をするように、瞬きをするかのごとく人を殺すというのは、そういうことなのだ。子爵の言いたいことをすぐに理解したヨルハ公爵はそれ以上勧めはしなかった。彼自身、同じ気持ちであったからだ。
「そっか……シクと友達になれて本当に嬉しいよ」
「突然どうしたヴァレン」
「ヨルハ公爵になって良かったな! そう思ってさ。シクと仲良くなれるし、エルエデスとも話ができた。クレウやギュネ子爵とも親しくなれて、エンディラン侯爵にも出会えた。ヨルハ公爵にならなかったら……シクには変わった趣味持ち同士で会えたかもしれないけれど、他の人たちには会えなかっただろうしさ。いままで家族を殺したこと、何とも思わなかったけれど、いまはとても嬉しい。あの壊された死体菓子は、我をみんなに遭わせる為に壊れたんだなあ」
喋っていることは捩れ歪んでいる。喋っている当人の動きもおかしいが、
「そうだなあ。ヴァレンがヨルハ公爵ならなかったら……多分会えなかっただろうな」
子爵にはそれを受け止める素地がある。
「なぜか解らないけれど、今日は特に幸せだよシク」
二人とも体を起こして夕日を眺めながら、自分の中にある僅かな狂気を握り絞めながら。
「なんか今日は良い日だな、ヴァレン」
なにをしたわけでもなく、特別な話をしたわけでもないが、二人はとても仲良くなった。
―― ヨルハ公爵の狂気と子爵の狂気は、とても相性が良かった ――
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