君想う[058]
帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[109]
「名刺をいま運ばせますので!」
 ”オヅレチーヴァ様恐い”から立ち直ったジベルボート伯爵は、目的の一つである人脈造りに勤しむことにした。
「クレッシェッテンバティウって結構切り替え早いんだよね。父も褒めてた」
「クレウの場合は、切り替え早くないと生きていけないからじゃないのか?」
 子爵とザイオンレヴィが優しく見つめている中、ジベルボート伯爵は名刺を運ぶように指示を出す。同時にエヴェドリット貴族側も名刺を運ばせる。
 一般ではデータ交換だが、貴族は仰々しい。大きさも厚さもかなりのもので、装丁も豪華である。
「名刺交換!」
「ちょっと待て! クレウ! お前」
 運ばれてきた名刺の数に子爵が驚いて制止の声を上げる。
「どうしました? シク」
「いや。クレウのことだから知っているとは思うが……全員と名刺交換したら、交際費が跳ね上がるぞ」
 名刺を交換するということは、交流を持つということで、交流というのは季節の贈り物や会合に招待したり、招待されたりと、かなり金がかかる。なにより貴族と言っても全員同じ扱いではなく、自分よりも高い地位にいる貴族にはそれなりに……など。
 ジベルボート伯爵家は貧乏ではないが、将来のバーローズ公爵の直参級となれば、付き合う上でかなりの出費となる。
 この場にいるのだから全員と交換しなければ失礼に当たりそうだが、彼らは表面上はサズラニックスの出迎えに来ただけで、交換をしに来たのではないため失礼にはあたらない。
 これが交換専用の会合であれば一悶着あるのだが《全員と交換すると大変だろう》と子爵とヨルハ公爵が考えて、この場をバベィラに特別に設けてもらったのだ。
「心配して下さって嬉しいのですが、僕は大丈夫です! シク」
「どうしてか教えてもらえるか?」
 ジベルボート伯爵は豪華な装丁の名刺を先ずはバベィラに渡す。彼女はそれを受け取り、目を通しながら二人の会話を聞いて楽しむ。
「独自の人脈を作りたいと来たわけですが、あんまり大きい人脈をひっそり作るとカロラティアン伯爵が警戒するじゃないですか」
「そうだろうな」
「そうだろうね、クレッシェッテンバティウ」
「だから隠さないことにしたんです」
「……なにか? ここで交換した名刺をカロラティアン伯爵に報告して……」
「交際費出してもらうってこと?」
「そうです。会合は連名出すってことで」
「だがカロラティアン伯爵なら、ここにいるエヴェドリット貴族と知り合いなんじゃ」
「僕の交友関係を把握したいようです!」

―― それじゃあ独自の……いや、逆手にとった……逆手ってほどじゃないが、絡め手か?

 家臣を把握したいカロラティアン伯爵と、多くの貴族と交流しつつあまり資産を減らしたくはないジベルボート伯爵の利害《らしいもの》が合致したということだ。
「というわけで、皆様と交換。受け取っていただけますか? マーダドリシャ侯爵閣下」
「喜んで」
「ところでイネスの」
「はい?」
 今までのんびりと部外者であったザイオンレヴィは、突如バベィラに名を呼ばれて身構え、そして『こんなことしても無駄なのに、何してるんだろう』と思いながら返事をする。
「お前は名刺交換せんのか?」
「は、はあ……あー用意してこなかったので」
 外交用に育てられたジベルボート伯爵とは違い、王国で歌を歌って一生を終える予定だったザイオンレヴィは、そんなこと考えもしなかった。
 だが、ザイオンレヴィの付き人を任せられたジベルボート伯爵は、
「ちゃんと作ってきましたよ! ザイオンレヴィ」
 部屋に運び込まれた大きな二つの箱のうちの一つを”ばんばん”と叩く。
「え、本当?」
 蓋を開けてみると、そこには確かにギュネ子爵の名刺がみっちりと詰まり《気にせずに配ってきなさい。集めた名刺は私に寄越せばやっておくから》と、父であるイネス公爵からの一枚の紙が添えられていた。
「まあ。持って帰っても……」
 名刺を配るかと紙をおこうとした時、
「ちょっといいか? ギュネ子爵」
「なんだい? ケーリッヒリラ子爵」
 子爵は手紙の裏側に小さく何かが書かれていることに気付いた。
「……」
 読んだ子爵が”解る気がする”と納得していると、
「何と書いている、ケーリッヒリラ子爵」
 バベィラが「読め」と命じる。
「読み上げます”間違っても女性とは名刺交換してこないようにね。交換したら相手の女性がどうなるか。リスカートーフォンは確かに恐いけどさあ、マルティルディ様恐いじゃない。どうしても交換したいなら、私の名刺を交換して来て欲しいなあ”読み上げ終了しました」
 さっさと読み上げてから、ザイオンレヴィにバベィラにこの紙を献上しても良いか? と小声で尋ね、父親の字を確認した彼は頷き、その巫山戯たことが書かれている紙はバベィラの手へと渡った。
「イネス公爵らしいな」
 脇でザイオンレヴィは自分の名刺と父の名刺を分けて持ち、
「名刺交換よろしいでしょうか? バベィラ様」
 まずはバベィラにイネス公爵の名刺を手渡し、次ぎに自分の名刺をマーダドリシャ侯爵に渡して、次ぎの人に名刺を渡そうとした所で、
「ギュネ子爵! その方は女性だ! だから卿の名刺ではなく公の名刺をだな!」
 ケーリッヒリラ子爵に羽交い締めにして止められた。
「え、あ……」
 ザイオンレヴィは目の前の「背が高く、筋骨隆々で、顔が恐く凛々しい」相手を、口から可愛らしい悲鳴を漏らしながら改めて見上げた。
「済みません! ギュネ子爵は名刺交換するつもりがなかったので、皆様のお顔と名前と性別を覚えてこなかったのです。申し訳ございません」

―― 見えん。確かに女性に見えん! 体内で赤子を育てる機能がついている、というだけの生物だが、戸籍上は女性なんだ!

「仕方ないですよね」
 子爵の詫びを聞きながら、マーダドリシャ侯爵は”それは不可抗力だよ”と同意する。
「そうだな」
 バベィラやエルエデスのように一目で女性と解るエヴェドリット貴族も珍しくはないが、デルシのように「女性だと紹介されたから女性なのだと納得しなくてはならない」エヴェドリット貴族も少なくはない。
「ああ、そうだ。どうでしょう? バベィラ様。全員下半身丸出しにしたら、女性と男性を間違わないと思うのですが」

―― やっぱり言動が皇王族だ

 子爵は困惑し、話を聞いていた部下たちも「また皇王族に戻った」と思いながら黙っている。
 生まれ育ちが違うので、決して交わることのできない箇所が幾つかあるのだ。
「女は膝を折るだけで見分けがつくであろう」
「ああ、そうですね」
「トゥロエ」
「はい」
「ところでその案、どこで見たものだ?」
「……何故私が過去に遭遇したことがあると解ったのですか、バベィラ様」
「お前の言い方から判断しただけだが、過去にあったのか? 大宮殿で」
「はい。実はギュネ子爵の顔見てたら思い出したのですよ」
 ”レイプ顔”と”下半身露出”の組み合わせでは、ロクなことじゃないだろうな……と、ザイオンレヴィは慣れているとはいえ「嫌だな」と思いっていたのだが、
「なにを思い出したのだ? トゥロエ」
「ジーディヴィフォ大公、現在帝国上級士官学校でギュネ子爵が所属しているクラブの部長。その彼が幼い頃、ガニュメデイーロになった弟に負けじと腰の部分がない服を着て、大宮殿を闊歩していたのですよ。もちろん陛下の前でも。陛下は”そうか”と笑ってお許しになったそうです」
「シャイランサバルト帝らしいというか、皇帝たるもの、その程度は笑って許してやらねばならぬのか。まさしく皇帝の御心は我等には解らぬという世界だな」
「ですがさすがに大宮殿の至るところで腰布逆バージョンはちょっと問題があるので、弟が陛下に酒を注ぐ際に、傍に立つ時のみと決められたとのこと。私はその場に遭遇したことはありませんが、かなりご機嫌でやってきていたそうですよ。今はどうなのかは知りませんが」
 話を聞いていたザイオンレヴィは『この顔が酷い目に遭ってたって話じゃなくて良かったような……でもなあ……』この先もジーディヴィフォ大公から逃げられないのだろうなと、諦めを感じた。
「そうか。面白い話であった。だが今日は跪く程度で許してやれ」
「畏まりました」
 こうして二人が名刺を配っている中、
「戻りました」
 ヨルハ公爵が戻って来て、膝を折っている理由を名刺を配っていない子爵に尋ねた。
「ところでシクはいいの?」
「我はいい、我はいい」
 他属の二人ならば資金面とマルティルディ以外は気軽に名刺交換できるが、同属の子爵になるとしがらみが多く、下手に名刺交換をすると実家と連絡を取り合う羽目にもなるので、子爵は一切拒否することにした。
「そうか。でも我さ、シクの名刺欲しいから作ってくれる? そして交換しよう。シクの手作りの名刺がいいな。絶対”凝って”そうだもん」
 名刺はお抱え職人たちに作らせるのだが、もちろん自分で作っても良い。
「じゃあ、仲間内用に幾つか作るか」
「我も手作りするから!」

 無事に名刺交換も終わり、

「では夕食の時にまた」
 一度解散となった。
 名刺をまとめるジベルボート伯爵とザイオンレヴィ。「エルエデス呼んで来るね!」と駆け出していったヨルハ公爵。最後まで部屋にいたバベィラが子爵を手招きし、
「名刺、リュティトにも作ってやれよ」
 耳朶を食べるかのように口を近づけて囁く。
「あ、はい」
「それと、他とは少し変えてやれ。大貴族の姫君だから……ではなくな」
 部屋を出て行ったバベィラと、付き従う廊下で待っていたマーダドリシャ侯爵がに頭を下げる。
「夕食後にシクのお兄さんとお話していいんですか!」
「ああ」
「ケーリッヒリラ子爵のお兄さんって、触れちゃいけない話とかある?」
「特にはない」
「そうか」

※ ※ ※ ※ ※


 部屋を移したバベィラは、一人椅子に座り目を閉じて頬杖を付き、顔に微笑を浮かべていた。
「どうなさいました? バベィラ様」
「ん? どうした? トゥロエ」
「貴方らしくない表情なので気になったのです」
「我らしくない……か。確かにそうであろうな」
「どうなさいました?」
「ゼフの取った行動がな」
「ケディンベシュアム公爵を庇ったことですか? なにか間違いでも?」
 バベィラは前髪をかきあげ、側頭部で手を止めて額を出したまま上を向く。
「ゼフは何一つ間違ってはいない。だが”庇ってもらうのも良い物だな”と、見ていて思った.不思議なものよ。恥であるというのに」
「なにかあったら私が庇いますので。その際はお許しくださいね、バベィラ様」
「……お前は”危ない!”と叫びながら、手加減なしで突き飛ばしそうだが? トゥロエ」
「良く解りましたね」
「何年お前を夫にしていると思っているのだ、トゥロエ。ところでトゥロエ、ベリフオン公爵クロスティンクロイダのことは知っているか?」
「知っておりますよ。サディンオーゼル大公とデステハ大公が養育しておりましたから、何度か顔を合わせたことがあります」
「”シセレード公爵の夫候補”だそうだ」
「……そうなりましたか。ベリフオン公爵は殺せませんが、シセレード公爵の夫を殺害するのに躊躇いはありませんよ」
「そうか。普通ならば疑うところだが、お前達は本当にあっさりと私情を切り捨ててくるからな」
「それが軍人というものです、バベィラ様」
「……帝国上級士官学校というのは、中々に楽しいようだな」
「それはもう! よろしければ私の学生時代の話をしますよ!」


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