君想う[057]
帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[108]
 エルエデスとバベィラが睨み合い、まるで吼えているかのように威嚇しあっていると、
「落ち着いて下さい」
 マーダドリシャ侯爵が間に割って入った。
 周囲には多数のバベィラの部下が控えているが、彼らは動かない。動いたところでエルエデスに勝てないということもあるが、何があっても動くなと厳命されているためだ。
 バーローズを殺すのはシセレードであり、シセレードを殺すのはバーローズだから、それ以外の者は動くなと。
「エヴェドリットだけならばまだしも、ここにはケシュマリスタからのお客もいるのですから。恐い女同士の睨み合いはまた今度にしてください。機会があるかどうかは知りませんし、出来る限り私が機会を潰しますがね」
 マーダドリシャ侯爵はバベィラに忠誠を誓っているし、シセレードと戦うのは止めないが、帝国側と無駄な軋轢を生むことは極力避けるように動く男であった。
 生まれが皇王族である彼にとっては当然の行動とも言え、二人はその仲裁を待っていた。バベィラもエルエデスもここで本気で戦う気はないが、何事もなかったかのように振る舞うのも長年交戦状態であるのだから”おかしい”
 部下たちの前で、そして一緒にやってきたザイオンレヴィやジベルボート伯爵の前で、態度をあからさまにするのは、一族の慣わしのようなものであった。
「あまり恐がっているようには見えんが」
 夫の意見を聞き入れてバベィラは腕を広げて、このくらいで良いだろうとエルエデスに合図を送る。送られたエルエデスも、合図を送るなど聞いてはいなかったが”これが合図なのだろう”とすぐに判断して肩を回すようにしてバベィラから視線を外す。
「あいつらが恐がっているとしたら、絵に描いた狂人サズラニックスだ。女同士の諍いなどあいつらは恐くないそうだ。特にジベルボートはな」
 突然呼ばれたジベルボート伯爵は、自分を指さして驚きの表情を浮かべる。”幼児の悪戯っぽさ”が見え隠れするその瞳は、万人に”可愛いな”と思わせる。
 その表情にバベィラは、からかい半分で【出してはならない人の名】を出した。
「カロラティアン伯爵家と言えば、オヅレチーヴァか。ジベルボート伯爵、あの極悪陰険な若作りは元気か?」
 バベィラの言葉を聞いたジベルボート伯爵は、これまた美しい艶と輝きを持つ甘やかな金髪を掻きむしるようにして、
「ぎゃあああああ!」
 叫び声を上げて椅子から飛び上がり、床に崩れ落ちた。
 人を不安にさせる歌声と同じ声で叫びを上げるジベルボート伯爵。その声にサズラニックスが激しく反応して暴れ出す。
「きしゃあああああ!」
 檻の中で痙攣しだしたサズラニックスの元へヨルハ公爵は駆け寄る。
「落ち着くんだ、サズラニックス……っても無理か!」
「オヅレチーヴァ様が若作りだなんて! 若作りだなんて! カロラティアン伯爵だって思っても言わないのに! いや、僕に確かに言ったけど、言ったけど! 僕は聞いてないぃぃぃ! そんなの! あああああああああ!」
 バベィラの部下たちはマーダドリシャ侯爵以外はオヅレチーヴァのことを直接は知らないが、噂は聞いていた。そして目の前で叫び声を上げるジベルボート伯爵を見て、噂以上に怖ろしい女なのだと納得した。
「落ち着くんだ! クレッシェッテンバティウ。確かにオヅレチーヴァ様は恐いけれども、僕の母上も似たような感じだったし、ロメララーララーラの母上も似たようなものらしいし、副王のお妃になるフェルガーデも似たようなものだし」
「ぎゃあああああああ! フェルガーデ様恐いぃぃぃ! オヅレチーヴァ様と嫁姑戦争こわいいぃぃぃ! いやあああああ!」
「マルティルディ様よりは恐くないだろう」
「マルティルディ様と比べちゃ駄目え!」
 ケシュマリスタの混乱を収めるにはケシュマリスタが良いだろうか? と任せていたバベィラは、
「……」
 火に油を注ぐザイオンレヴィを見て「イネス公爵に似てるのか似ていないのか、さっぱり解らん」そう思いながら眺め、
「……」
 エルエデスは相変わらずのザイオンレヴィに「こいつの父親、口は上手いのにな」と、残念なことばかり口走る姿に溜息を漏らす。
「……」
「……」
 バベィラとエルエデスはしばし見つめ合い、
「黙らせろ、バベィラ」
「仕方ないな、エルエデス」
 不用意に”オヅレチーヴァ”の名を出した責任を取るためにバベィラは立ち上がり、ジベルボート伯爵へと近付いた。
「ジベルボート伯爵」
「ひぃぃぃ! オヅレチーヴァ様はお美しいですとも! お美しいですともおぉぉぉ!」
 頭を抱えているジベルボート伯爵の腕を片手で掴み、もう片手で襟元を掴み持ち上げて、
「済まなかったな、ジベルボート伯爵」
 バベィラは簡素ながらはっきりと謝罪した。
「お……」
「恐がらせるつもりはなかった。許してくれ、謝るから」
 他属とは言え、自分よりも位が高く、強い相手以外認めない年上の女性から謝罪されて、ジベルボート伯爵は驚き、必死に考えて首を”こくこく”と必死で縦に動かす。
「ゼフのように可愛いではないか」
 バベィラの褒め言葉に聞こえない褒め言葉。
 そして周囲はどよめく。
「あのバベィラ様が謝っている!」
「どんな悪いことしても、謝ったことのないバベィラ様が!」
「謝罪の言葉など覚えていないと言われるバベィラ様が!」
 それらの声はバベィラの尾が風を切り、回りにいた部下全員をなぎ倒したことですぐに収まった。

―― どこの国でも女の人は同じだな

 失言のたびマルティルディに白骨尾で殴り倒されているザイオンレヴィは”ふっとんだ”部下たちを見て、言いしれぬ親近感を覚えた。
 床に降ろされたジベルボート伯爵と、起き上がり所定の位置に戻った部下たち。
「サズラニックス、だいじょう……」
 不安を煽る声が収まったので”大丈夫だよ”と言い終える前に、ヨルハ公爵は動いた。余興代わりにとバベィラが尾を最大速度でエルエデスへと差し向けたのだ。
 それを感じ取ったヨルハ公爵は二人の間に入った。
 背にエルエデスを庇うようにして。
「……」
 尾を視界に捉えていたエルエデスは突如現れた、ぼさぼさの黒髪に血色が悪いを通り越した白い絵の具を塗ったような肌のヨルハ公爵に驚いた。
「ゼフ、なにをしているのだ?」
 バベィラは上機嫌でヨルハ公爵に尋ねる。彼女の性質上、自分の攻撃を阻止したヨルハ公爵を怒るようなことはない。
「あの……バベィラ様のほうが強いからエルエデスを庇いました!」
 ヨルハ公爵の答えが響きわたり、少し間が空いてから沸き起こる「嗤い」周囲は完全にバベィラの部下でありエヴェドリット。そして庇われたのもまたエヴェドリット。
 弱いから庇った ―― それは最も馬鹿にした発言であり、行動である。
「……」
 エルエデスは無表情のまま、バベィラは上機嫌のまま。
 オルタフォルゼと共に戻って来た子爵は、嘲りに包まれた空間に戻って来て急いでケシュマリスタの二人から何があったのか話を聞く。
「あーバベィラ様、エルエデスを別室に連れていってもいいですか」
「構わんぞ、ゼフ。それではな、ケディンベシュアム」
「ああ。お前はよい部下であり愛人を持っているな、ロフイライシ」
 ヨルハ公爵はエルエデスの手を引いて、急いで部屋を出て行った。マーダドリシャ侯爵は一人エヴェドリットで嗤いに混ざらなかったサズラニックスを見て”そうだよね”そう一人頷いた。ヨルハ公爵が相手を貶めるようなことを言ったりしないことを、彼は《バベィラの次ぎ》くらいに理解している。

―― 何がどうしてどうなったのか……一言で表すと”青春”なんだろうな。で、バベィラ様もお許しと……

 人気のない廊下を手を繋いだまま早足で進み、滞在用に用意されていた部屋の一つに連れて行き、そこで手を離してヨルハ公爵は謝った。
「ごめん」
「謝らずとも良いが、どうしてあんなことを言った?」
「あのさ、前にエルエデス怒っただろ?」
「なんの話だ?」
「エンディラン侯爵は守ってあげたいけれど……って言った時」
―― 我にとってエンディラン侯爵は守ってあげたい女の子だけど、エルエデスは殺したい女の子だよ! ――
 ヨルハ公爵は悪いことを言ったつもりはなかったが、何故かエルエデスは怒った。その時は理由が解らなかったし、先程まではっきりと解らないのだが、
「だから庇ったのか?」
「うん。あのね、それで解った」
 今ははっきりと解った。
「なにがだ?」
「我はエルエデスのこと殺したいという気持ちは変わらないけれど、守るのも……いいなと思った」
 前回とは違い首がぼっきりと折られることはなかったが、
「……」
 エルエデスの困り果てた表情を浮かべられてしまった。
「駄目だった?」
「……お前だけに言わせるのは卑怯だな。ゼフ……ああ、ここに滞在中はヨルハと呼ばねばならなかったか」
「今は良いんじゃないかな?」
「そうか、ゼフ。あのな、我もお前を殺したいと思うが、先程の行為は気分は悪くなかった。馬鹿にされたというのにな、それでも悪くはなかった」
「エルエデス」
「我はここにいるが、お前は戻れ。ケーリッヒリラ一人では、あの暴走ケシュマリスタ二人を押さえきれないだろうからな」
「うん。……あのね、エルエデス」
「早く行け、ゼフ」

 ヨルハ公爵を部屋から叩きだして、エルエデスは客間のソファーに腰を下ろし、自分の言動の迂闊さと、ヨルハ公爵の行動に移すことを躊躇わない態度に、味わってはならない幸せを顔を両手で覆って密かに味わっていた。

「我は良かったけど……少しはエルエデスの気持ちに沿うことができたかなあ。それとも駄目だったのかなあ」
 ヨルハ公爵は大急ぎで子爵達がいる応接室へと引き返した。


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