寮に戻って来た二人は、そのまま人体調理部の部室へと向かった。
「ただいま帰りました! ……ザイオンレヴィ!」
部室には何時ものように首に太いロープを回され、気を失ったままのザイオンレヴィがベッドに寝かされ、タオルケットまで掛けられていた。
「お帰り、クレウ」
ヨルハ公爵は後ろに立つエルエデスに気付き、作っていたパーツに布をかけて目隠ししてから隣の部屋へと移動させる。
「無事でよかった、クレウ」
子爵は二人分の茶を淹れるために立ち上がる。
「無事でしたとも。あとザイオンレヴィのことはご迷惑を」
―― なんで首にロープ巻き付けたままで寝かせるんだ?
エルエデスは思ったものの、突っ込むことは止めて大きな音を立てて椅子に腰を下ろした。
(エルエデス怒ってる?)
(怒ってるのかな? どうしてだろう?)
作っていた菓子を置いて戻って来たヨルハ公爵と二人、エルエデスの釈然としない感情をの理由に気付かぬまま茶を淹れてテーブルに置き、ジベルボート伯爵は今日聞いたことを、ロープ付きのザイオンレヴィ以外の二人に説明した。
音痴の解決方法を聞き、
「寮母様にねえ」
意外な名前にヨルハ公爵と子爵は首を傾げる。
「聞いたことはないが、才能あるんだろうな」
「今日の夕食が終わったら早速訪ねてみようと思うのです。習ったことを覚えているうちに」
残念ながらジベルボート伯爵はキルティレスディオ大公が休みの日はほとんど廃人であることを知らない。彼だけではなく、部室にいる全員知らない。ここに一人でも大宮殿育ちの皇王族がいたら、この先起こる出来事を回避できたのだが、残念ながら回避されることはない。
子爵もガルベージュス公爵から話を聞いてはいたが、幾ら酷くてもそこまで酷くはないだろうと考え、普通の助言をすることしかできなかった。
「夕食前に行ったほうがいいんじゃないか? どうも夜はお酒を召されるようで、若干癖もよくないそうだ」
子爵は貴族の嗜みを充分持った男であった。
「そうなんですか! じゃあこれから訪問してみようかな」
カップに残っていた茶を飲み干して”美味しかったです”と二人に感謝して頭を軽く下げる。
「我も一緒に行っていいか? クレウ。声の不安定さを抑えるというのは興味がある」
「もちろんですともヴァレン」
「我も行ってみるとするか。どれほど声が変わるか? 興味はある」
子爵も興味はあったものの、気を失っているザイオンレヴィを一人にして置くわけにはいかないだろうと残ることにした。
「ザイオンレヴィの目が覚めたら行くとする」
エルエデスとヨルハ公爵と共に、ジベルボート伯爵はすでに危険な状態となっている寮母キルティレスディオ大公の部屋へと足を踏み入れた。
「なんだ?」
隣室の酒瓶の林の中で転がっているヒレイディシャ男爵は、来訪者に心の中で逃げろと叫んだものの、残念ながら誰もその声を受け取ることはなかった。
「酔っていらっしゃるようですので、また日を改めて」
酒癖がよくないと聞いていたこともあり、すぐに帰ろうとしたジベルボート伯爵だったが、肩を掴まれて座った目で睨み付けられる。
「俺は酔ってない」
―― 酔っぱらいの常套句だ!
”酔っぱらっていない”と自己申告する酔っぱらいほど面倒な”もの”はない。
「酔っていないと言っているんだから、用件を言ってもいいだろう」
エルエデスがそう促し、ジベルボート伯爵はイルギ公爵から言われたことをそのまま伝えた。キルティレスディオ大公は話を聞き終えると、肩をつかんでいた手を離す。
「まっすぐ立って、腹に力を入れろ」
「はい」
ジベルボート伯爵の記憶はそこで途切れている。
次にジベルボート伯爵が目を覚ました時に見えたのは、自分をのぞき込んでいるザイオンレヴィの姿。
「あれ? 夢?」
意識を失って眠っていたはずのザイオンレヴィと逆転したかのような状況に、ジベルボート伯爵は何度も目蓋を閉じたり開いたりして”なにか”を探る。そんなことをしても、変わらないし何も解らないのだが、訳が解らないと無駄な動きをしてしまう。
「気付いた? クレッシェッテンバティウ」
ザイオンレヴィの声に隣室から一緒にキルティレスディオ大公のところへと行った二人と子爵。そして執事がやってきた。
「あの、僕……その、ええ? あれ……あの、この部屋はどこですか?」
「病院だよ。君はキルティレスディオ大公に殴り飛ばされて酷いことになってここに運ばれたんだ。どうやら覚えてないようだね。私は報告に上がるから、あとは君たちに任せたよ」
執事はそれだけ言い、病室を後にした。取り残されたような形になった五人は互いに顔を見合わせたあと、
「済まん、クレウ」
子爵が弁解せずに謝罪をする。
知っていたのだから、もう少し注意を促してやればジベルボート伯爵も内臓破裂しなくて済んだはずだろうとの思いで頭を下げる。
「……えっと、シクは寮母殿の酒乱の度合いを知らなかったんでしょう。だから別に謝る必要はないと」
半端じゃない酒癖の悪さなど話を聞いた程度では理解できないし、伝えることはできない。
「いや、酒癖の悪さで三回帝国軍を除籍になったと聞いたんだ……その……本当に済まん」
ザイオンレヴィが目を覚まし温かいコーヒーを手渡し一息ついてから二人でキルティレスディオ大公の部屋へと向かう途中、執事から「ちょうどよかった! 急いで病院に連れていきなさい」と、ジベルボート伯爵を投げ渡された。
子爵とザイオンレヴィは顔を意味はわからないまま頷き合い、病院へ向かって駆け出した。その最中、子爵は普段は封じているに等しいロターヌ=エターナを使い怪我の理由を探った。
『……キルティレスディオ大公に吹き飛ばされたようだ……酔っていたらしい』
『…………』
「寮母があんな凄まじい酒乱だったとは我も知らなかった」
ヨルハ公爵の頭を”ぼんぼん”叩いているエルエデス。
「あのー具体的に、どうなったんですか? よかったら教えて欲しいんですけれども」
親が子をあやす時の叩き方なのだが、両者の関係や、双方の強さから、どう見ても殴っているだけにしか見えない。
「そうか。最初に言っておくが、まだ全容は明かになってはいない。我等が解っているのは、寮母がお前を殴り飛ばしたらお前が死にかけた。お前が殴られた時点でゼフが攻撃態勢にはいった」
「御免よ。怪我する前に手を出せばよかったんだけど。守ってあげるって言ったのに、役立たずで御免」
ジベルボート伯爵が怪我をする前に助けられなかったので、ヨルハ公爵はかなり凹んでいた。
「そんなことないですよ、ヴァレン。だってヴァレンは音痴治す練習だと思って見てたんでしょう」
「そうなんだけどさ」
ヨルハ公爵からすると速さや威力を感じなかったのだが、それはあくまでもヨルハ公爵の領域。吹っ飛ばされたジベルボート伯爵に重傷を負わせるには充分だった。
ジベルボート伯爵が気を失ったことを理解したヨルハ公爵は《敵の攻撃》と解釈し、即座に守るために攻撃に出た。
「二人が暴れたから、我がお前を背負って部屋を出ようとしたら、隣の部屋まで破壊されてそこにヒレイディシャがいた」
エルエデスも攻撃に参加したかったのだが、先に攻撃した方が優先されるので、しかたなく怪我人回収の任についた。
内臓は破裂しているものの、紅顔の美少年顔は話をしていたときと同じく微笑みを貼りつけたまま。まったく警戒していなかったことと、痛みを感じる前に意識を失ったことを物語っていた。
ヒレイディシャ男爵に関しては、放置しようかと思ったのだが、彼が通信機を持っていたのでそれを受け取るために近寄りついでに回収。
「デルシ様の紋様が描かれた通信機を差し出してきたので、躊躇わずに呼んだ。その辺りで寮母の部屋は全壊。仕方ないからヒレイディシャも担いで逃げた。やって来た執事にお前とヒレイディシャを預けて我も参戦。到着したデルシ様に叱られた」
破壊行為に罪悪感を感じない彼ららしく、エルエデスの態度は堂々としていた。
「済みません、僕のせいでカロシニア公爵殿下に叱られてしまって」
「我もエルエデスも叱られていないぞ、クレウ。叱られたのは寮母だ」
「……」
「我等は騒ぎの原因をデルシ様に説明して、執事も証言してくれたので無罪放免。寮母は陛下から”連れて来い”との命令が下り連れて行かれた」
―― あの人の酒癖の悪さには、陛下も呆れてますからね
「酒癖が悪くて殴ってお前を瀕死にしたのか? しっかりと音痴治療をする為に殴ったところ瀕死になってしまったのか? ここを問い質してから皇帝が処分を決めるそうだ」
「いやあ……酔っぱらいって恐いですね」
ジベルボート伯爵の正直な気持ちは《うわあああ! 僕のせいで! 僕のせいなのか……な?》である。キルティレスディオ大公に対して、大怪我を負わされた恨みなどはない。かと言って、取り立てて庇いたくなるような要素もない。だが皇帝が出てくる騒ぎの発端になったという事実を前に、心の中は《うわああああああ》の繰り返し。
「普通の酔っぱらいは恐くはないが、あれは凄いな」
エルエデスはヨルハ公爵の頭を励ますために叩いていた手を降ろし腕を組む。
「寮母殺し、しちゃうところだったよ」
ジベルボート伯爵が元気を回復したのを見て、ヨルハ公爵の凹んだ気持ちも大分回復してきた。
「痛かっただろう」
ザイオンレヴィが酷い目に遭ったねと、優しく肩を叩く。
「痛かった……ような気がしますけど、ショックで気を失ったからそんなには」
「気を失ってたから、もっと酷いことになったかと思ったけど、内臓破裂で済んでよかったね」
「はい?」
ヨルハ公爵の《内臓破裂で済んでよかったね》に耳を疑い、
「軍人が内臓破裂程度で気を失うはずはないだろう、ゼフ。他にも怪我があったはずだ」
「……」
《内臓破裂程度で気を失うはずがない》と言いきったエルエデスの言葉を聞き、ザイオンレヴィと顔を見合わせる。
その二者二様を眺めていた子爵は、二人の前に立ち両者の肩を叩きつつ、
「エルエデス、ヴァレン。どうもケシュマリスタでは破裂洗礼はないようだ。普通に考えたら異常だろうよ」
他属との理解を深めるために、取り敢えず口を閉じようじゃないかと訴える。
「あのーエヴェドリットは内臓破裂しないと駄目なんですか?」
”洗礼”の響きに避けられない道なのか? 不安になりながら。
「駄目というか、三歳前に最低一回は破裂する」
子爵も三歳直前に、親に叩き付けられて経験済み。
「痛みや衝撃で気を失わない訓練だ」
エルエデスは超回復能力所持なので、痛みに対する耐性を付けるために数え切れないほど”やられた”
ヨルハ公爵は滅多に攻撃を食らうタイプではないが、その強さをより高めるためにサズラニックス王子ともどもデルシに何度か叩き潰された。
「もしかして初めてだったのか! クレウ。それじゃあ驚いただろう」
ヨルハ公爵が隈に囲まれた目を大きく見開き、可哀相にと殴られた場所を撫でてやる。
「こうすると痛いの治るってデルシ様が言ってらしたぞ」
「実際時間が経つんだから、治るだろうなゼフ」
「ケーリッヒリラ子爵は気を失わなかったの?」
「気は失ったがその程度で治療してくれるような家じゃないからな、ギュネ子爵。あの時も両頬をぶん殴られて首までミシミシ言って、意識を取り戻さないと首が危険だってことで目を覚ました記憶が」
―― 自分が内臓破裂したことより、内臓破裂が必須になっているほうが驚きです
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