エルエデスのピアノのレッスンも終わり、二人でイルギ公爵邸を後にした。最終便に間に合うよう大宮殿へと戻る馬車の中で、名残惜しそうに見送っていたイルギ公爵のことを思い出し、
「泊まらなくていいんですか?」
「泊まりたくないからお前をつれてきたんだ、ジベルボート」
「……」
”僕が変更届け出しますよ”と言外に告げたところ、ばっさりと切り捨てられた。
結構良いように使われている自分に気付いたものの、二人の関係を悪化させるようなものではないので黙って従うことにも決めた。
「それで、本当にいいのか?」
「なにがですか? エルエデスさま」
「あいつに声楽を習うことだ」
十二歳にフォローされている二十一歳の認めたくはないが「夫」である男の姿に、殺意を覚える前に情けなさを感じてしまい、あまり知り合いと接させたくはなかったが、
「願ったりです!」
裏側の性格が見当たらないジベルボート伯爵ならば、口外もしないだろうと。なにより最初に誘ったのは自分だから拒否するのも憚られた。
「そうか、良いなら構わない……ところでお前は、どうして帝国上級士官学校に入ったんだ? ジベルボート伯爵家の概歴なら学校にも通わず王国軍将校格で入隊だろう」
ケシュマリスタで《武門》と言われる家柄の当主は基本的に学校に通うことなく、直接王国軍に入りそこで学んでゆく。
「それですか! 僕はザイオンレヴィの付き人として入学したんです。三年前ザイオンレヴィはマルティルディ様から入学するように命じられ、それを聞いたカロラティアン伯爵が僕に同時期に入学するように命じたのです」
「それだけか」
「はい。でも個人的にとっても嬉しかったんですよ」
「嬉しい?」
「僕、九歳になるまで同い年の子と話したことなかったんですよ。ずっと一人で貴族の当主の勉強して、軍人になるための訓練をして。一生このままなんだろうな……ってことすら思い描くこともなく過ごしてたんです。そこに突然振って沸いた帝国上級士官学校行きです。ザイオンレヴィと一緒に行くことが前提なので仲良くなる必要もあると外に出ることになりました。試験勉強用の勉強会を開いたりイネス邸に招いてもらったり、同年代の貴族と会話したりと。これが凄い楽しくて、入学したら六年間こうやって過ごせるのかと思うと嬉しくて嬉しくて、試験勉強にも真面目に取り組むことができました」
※ ※ ※ ※ ※
彼はカロラティアン伯爵に連れられて、アーチバーデ城へと赴き、そこでマルティルディとザイオンレヴィに出会った。
本城だが海の離れ小島。わざわざ海風に”弱い”花が植えられた島は、岩肌が剥き出していたが、一つだけ小さく咲いた花がえもいわれぬ美しさを醸し出していた。
小島の中心で純白のベッドソファーに右足だけを降ろして身を投げ出していたマルティルディ。右足の爪先の傍でザイオンレヴィが跪き歌をうたっていたのだが、彼の目には入らなかった。
マルティルディを視界に入れてしまったが最後、そこから動けなくなる。固定された視界と、聞き続けなくてはならない声。
―― その子はなんだい? サルヴェチュローゼン
途切れることなく歌っている声がマルティルディの声により聞こえなくなり、彼の世界はマルティルディに支配された。
”数秒前まで隣にいた男が彼の支配者であったというのに!”
マルティルディは名を聞き、瞳を僅かに細めて、
―― おいでよ
彼に手招きした。彼はカロラティアン伯爵に許可を取ることもせず、顔色を窺うこともせず、ふらふらとその手招きに従う。
そして彼はザイオンレヴィに躓いて、マルティルディのベッドの端にぶつかる。
―― 僕しかみえなかったのかい?
「はい」
彼の答えにマルティルディは満足し、合格した暁にはザイオンレヴィの付き人になることを許した。
その頃からザイオンレヴィはマルティルディと距離をおくようになり、同時に彼と過ごすことが多くなる。同じように彼も若干カロラティアン伯爵と距離をおくことになった。
二人はイネス公爵邸で勉強し、ザイオンレヴィの婚約者であるエンディラン侯爵の家を訪問する際に付いて行き、同じくザイオンレヴィの妹であるクライネルロテアのヅミニア伯爵の元を訪れたり。
―― サルヴェチュローゼンがなにをしたいのかは解っているよ。解らない? 解らなくて良いよ。君は気にしなくていいよクレッシェッテンバティウ。このイネス公爵が上手くやるからさ ――
※ ※ ※ ※ ※
「お前が前向きなのは、そのせいか」
ジベルボート伯爵は人に話しかけることに関して積極的だが洗練はされていない。上として下にむけ命じる態度や、上司に対する口調は慣れているのだが、対等に気を付けて話し始めてまだ三年。その対等に話そうとしている態度が容姿と相俟ってかなり幼く感じられるのだ。
「そんなに前向きに見えますか?」
―― 本当に良い容姿だな
この顔立ちと歌わなければ良い声が、彼の言動における幼さを魅力にしていた。なによりもケシュマリスタは幼児性が残ることが特徴にも挙げられる程なので違和感を持たれることは少ない。
「かなりな。もしもの話をして悪いが、ザイオンレヴィが帝国上級士官学校に入学するように命じられなければ、お前は自分はどんな人生を歩んでいたと思う」
「軍人でしょうけれども、友達は一人もいなかったと思います。カロラティアン伯爵のように」
「副王は友人がいないか」
問い返しながらエルエデスは自分も似たような物だなと改めて感じた。
この時まで明確に友人が欲しいと感じたことはない。いなければいなくても、生きていくのには不自由はない。
「カロラティアン伯爵は部下と同僚、そして主しかいません。それが悪いこととは僕には言えません。なにより実際生きやすいとは思います」
「確かにな」
「そうやって生きても僕は納得しただろうし、良い人生になったとは思います。でも僕は今の人生が好きですね」
「そうか」
「ヴァレンも友達が欲しくて帝国上級士官学校に入学したんですよね」
「らしいな。人懐っこさが似ている。もっともお前は小鳥のような人懐っこさだが、ゼフは猫科の大型肉食獣のそれだが」
「はは……あの、答えられないのなら答えなくていいのですが……エルエデスはヴァレン個人のことは嫌いじゃないですよね」
ジベルボート伯爵はかなり覚悟を決めて口にしたのだが、答えはあっさりと返ってきた。
「まあな。バーローズは敵だが”敵”という括りでしかない。憎悪だとかそんなものはない。だからゼフもバベィラも個人に嫌いという感情はない。憎悪は……そうか、お前は親族を早くに失っているから解らないだろうが、憎悪は身内に対して持つ感情だ。離れようにも離れられない、親子や兄弟そんな枠が肥大化させる。バーローズの奴等は基本遠くにいるからな。殺したいと思えばそれなりに用意する必要があるし王家も関わってくるから……悪い、話が逸れたな。我はゼフは嫌いではない。学校にいる期間に限りだが」
話を聞いていて、ジベルボート伯爵はヨルハ公爵と似たところを感じ、また大きく違うところもはっきりと解った。
「答えてくださってありがとうございます。僕は卒業しても関係ないので、ずっと仲良くしてもらえたら嬉しいです」
「そうだな。属が違うから、お前とは仲良くやっていけるだろう。マルティルディがトヴァイシュに宣戦布告でもしない限りは」
トヴァイシュはエヴェドリットの王太子、サズラニックス王子の兄にあたり、マルティルディと同時期に王となる。
「恐いこと言わないでくださいよ、エルエデスさま。マルティルディ様が宣戦布告なんて……なんて……」
”ない”とは決して言い切れないのは、マルティルディの才能によるところが大きい。ジベルボート伯爵は王城でも試験勉強をした。呼び出したマルティルディが講師を務めてくれたことがあるのだが、これがまさに天才。
シミュレーションの会戦ではザイオンレヴィはともかく、武門の当主として生きて来たジベルボート伯爵は歯が立たず、勝てたことはない。
布陣や攻撃方法は性格を現すとよく言われる。その言われに倣えば、マルティルディの性格は攻撃性が高く破壊的で、全てを叩き潰す。まさに好戦的な性格。
普段からちょっとでも面白くないことがあればすぐに殺してしまう性格でもあるので、トヴァイシュ王太子と少しでも反りが合わなければ挑発して戦争に持ち込む可能性も非常に高い。
「恐がらせるつもりはないが、ここのところ平和だからな……現エヴェドリット王はデルシ様が押さえているから問題はないだろう。トヴァイシュもデルシ様が健在であるうちは問題はないだろうがな」
デルシが抑制力になるのは、なにもデルシが平和的だからではない。
むしろ好戦的なので抑止力になるのだ。デルシは戦争となれば王国軍を率いる。エヴェドリットはもっとも戦争上手が艦隊指揮をするのが当然。たとえ王が指揮権を渡さないと言っても、力尽くで奪い取ることが許されている。
現王もトヴァイシュもデルシには指揮能力も戦闘能力も敵わない。戦争指揮をしたいがために殺害しようとしたら返り討ちにされる。
戦争をしたくても彼女がいる限り自分では指揮ができない。王族の中で彼女もっとも優れていることは貴族たち誰もが知っている。彼女に指揮権を渡さなければ、今度は貴族たちが攻めてくる。
いまのエヴェドリットが戦争しない理由はただ一つ。王が王族の頂点に、一族の頂点に立つには能力が足りないため。
「エルエデスさまがシセレード公爵になって抑えてしまえば良いのでは?」
「なるほど。だが我はトヴァイシュよりも戦争が好きだ。戦争になったら飛び出す、ゼフもそうだろうよ」
「そうなんですか。それじゃあ仕方ないですね。そうなったら僕は停戦交渉役についてるでしょうね。僕、カロラティアン伯爵の元で王国軍予備費を扱う勉強してたんで」
王国同士の停戦交渉は「金額」で決着をつける。
昔の戦争のように領地を奪うことは「皇帝」以外はできない。皇帝が王たちに領地を与えているので、それを勝手にやり取りするのは禁止されているためだ。
「予備費を取り扱う……もしかしてお前はザイオンレヴィの資産運用もしているのか?」
「はい! 付き人の仕事の一つとして。むしろ資産運用しかしてないんですけれどね。どうなさいました? エルエデスさま」
停戦交渉の資金を確保するのは至難の業。戦争前には用意されているのだが、停戦交渉する規模になると、途中で軍費が足りなくなり《勝てば使わないのだから》と放出することを命じられ、予備費を使い込むような戦いは、当然泥沼の決着を迎えて最早徴発できるような余力はどこにも残っていない。
停戦交渉資金を借りることは可能。ロヴィニアあたりは両国に全額貸し付けるほどの停戦資金を持っているとも言われている。言われているだけなのは、どの国も借りたことがないため。借りたら最後、戦争をふっかけるほどではなく、だが発展出来ない程度には金を吸い上げることは火を見るよりも明らか。
その為、できることなら自分たちの資産で賄いたい。ではどうやって? 税金や寄付の中に上手く隠すのだ。それも国内だけではなく、他国にも跨り必要な際に回収できるように。
―― 押しの強い雰囲気からすると、交渉場にいたら厄介な相手だな。見た目で安心させて……か
和平交渉の席に並ぶ軍費の責任者候補ということは、他属の資金の流れについても知識がある。
「ケーリッヒリラが自分の資産運用に困り果てていた。お前教えてやったらどうだ?」
「え、教えるんですか。僕が?」
※ ※ ※ ※ ※
寮に残った子爵は知らぬ間にキルティレスディオ大公に捕まりかけたが、ゾフィアーネ大公の「半重力ソーサーレース部で首吊られてるザイオンレヴィ君を回収に来て下さい」放送に図らずも助けられることになった。
「ヨルハ公爵を誘いなさい、ミーヒアス。彼なら一緒に酒も飲めますよ」
「ヒロフィル、手前は俺を殺してぇのか」
「当然でしょう。ヨルハ公爵なら容赦なく殺してくれるでしょうに」
知らないうちに危険を回避して駆け出していった彼を見送る形になったキルティレスディオ大公と通信機を用意して後方に控えていた執事公爵。中年と老人、坊ちゃんと爺やの会話とは思えない内容だが、今更この二人になにを言っても仕方がない。
「あのな……ところでよ、ヒロフィル」
「なんですか?」
「ゼフ=ゼキはヨルハ公爵家初のあの容姿だが、お前の記憶の中にあれっぽい容姿の奴はいるか? あれが初か?」
「あそこまで骨と皮だけではありませんが、痩せ細った人はバーローズ公爵家にいましたよ。”彼女”の場合はそれほど強くありませんでしたが」
昔、ヨルハ公爵よりは”まし”だが、骨と皮だけのバーローズ公爵の類縁は存在していた。その貴族は見た目通りに弱く、さほど生きることなく寿命を終えた。
「……バベィラは美人だよな。ドノヴァンだけどよ」
”ドノヴァン”とは《眼窩のない隻眼》を指し示す。
「美人ですね。あの派手な眼帯が負けるほどですから」
バベィラは左眼窩がなく、眼帯で覆っている。眼帯は額から鼻の中程まである大きさで、黒曜石に様々な細工を施している。
その細工も宝石類で飾ることもあれば、誰かの眼球を保存処理したものを埋め込んだり、本物の手の骨を”それと解るように並べて”貼ったりと、残虐で名を馳せる一族の次期当主らしいものだが、所詮それは静止した死であって、右半分にある襲いかかる死の前には色褪せる。
「娘が生まれるのは構わねえが、容姿は父親に似なけりゃいいな」
キルティレスディオ大公が言いたいことは、執事にも解った。
「婿は異父兄弟と定まっているから苦労はしないでしょうが……バベィラに似たほうが良いとは私も思いますが。ですがねえ、ミーヒアス。女性というのは男性とは違って、かなり変わったものでも”可愛い”と言って寵愛しますから、バベィラの望みは恐らく《ゼフ=ゼキに似た姫》だと思いますよ」
「それは間違いだろう? そうだったら男であるべきだろう。あの顔と体の女とか不憫を通り越してまずいだろう」
―― 元デルシ様の婚約者だったあなたが”それ”を言うのはまずいと思うのですが。その程度のことが理由ではないことは解っていますが
デルシの上半身だけを見れば、女性と答える人はいない。あの上半身を見て女性と答える人がいたら「病院に連れて行ってやれ」とデルシ本人が言う始末。
「別に問題はないでしょう。あなたが婿になるわけではないのですから、ミーヒアス」
「なんだけどよ」
「ゼフ=ゼキそっくりの姫君見たら、デルシ様は大喜びしそうですがね」
「エデリオンザは女なら、なんでも可愛がるからな。おっ! 獲物発見! じゃあな、ヒロフィル」
「はいはい」
ちなみに今週の被害者は、またもヒレイディシャ男爵でした。
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