君想う[034]
帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[85]
 ガルベージュス公爵の言葉は正しい。だが彼は《全て》正しく語ることはない。頭が良いだけではなく人の上に立つために育てられた彼は、全て正しければ人が反発することを理解している。
 彼は正論を説くことなど使命ではない。そんなことは権力のない隠者が語れば良いこと。彼は人をいかにして《皇帝》に従わせるかが任務であり、その為に必要な権力も、納得させる能力も所持している。
「たしかに知ってはおるが……儂はマルティルディに愛人がいようとも……構いはぬのじゃ」
 イデールマイスラの表情も声もそれが嘘だと明かに解るものであったが、彼は気づかぬふりをする。
「貴方が言いたいのは愛人の存在ではなく、ギュネ子爵がアディヅレインディン公爵の愛人には相応しくないと言いたいのですね」
 忙しなく動く眼球。双子の姉とよく似た長い睫が震え、色素のない薄い唇を悔しさではなく、本心を隠すために軽く噛み、彼の意見に同意する。
「そうじゃ、あの男は相応しくはない」
 ”具体的にどのように相応しくないのですか”尋ねて追い詰めることは簡単だが、彼はそんなことをしない。
「では、わたくしはいかがですか? アディヅレインディン公爵の愛人として、貴方は認めてくださいますか」
「……それは」
 イデールマイスラにとってザイオンレヴィは愛人で済むが、ガルベージュス公爵となると話は違う。彼がマルティルディの愛人に立候補しようものなら、イデールマイスラは簡単に王太子の婿の座を追われてしまう。
 彼が愛人の地位に置かれるようなことはない、彼は正当に評価され、いつでも正式な地位にある男だと定められているのだ。
「貴方が考える王の愛人の定義があっても、貴方は王ではない。もちろん王が考える定義が間違っていることもあるでしょうから、貴方が道を正す必要があるかもしれません。その為には明確な基準を用意しておくべきでしょう。情愛に感情をぶつけても話は通じません」
「そうじゃな」
 怒りにまかせて本音をぶつけ合うなる策もあるが、二人はまだ本音をぶつけ合うほど互いを理解していない。
「ただ一つだけ。ギュネ子爵のことですが、アディヅレインディン公爵”が”気に入っているのですよね?」
 マルティルディは”本音”を欲している。それを与えられるのはただ一人、ザイオンレヴィ。
「そのようじゃな。そうでなければ、近づけまい」
「イデールマイスラ、貴方はアディヅレインディン公爵殿下に正面から愛を告げたことはありますか」
「どういう意味じゃ?」
「言葉通りです……まあ貴方のことですから、答えてはくれないでしょうね。答えなくてもいいですよ。わたくしが言いたいのは、貴方が百回アディヅレインディン公爵殿下に愛していると語ったところで、ギュネ子爵が伝える一回の”好きです”には及ばないということです。言葉は中々に通じ辛い、ですがギュネ子爵は本心を伝えることができる」
「……」
「伝わってくる言葉が本心であるかどうか? 誰にでも解るそうです。心が奏でる言葉は、口から放たれ耳を通して聞こえてくるものとはまるで違うそうです。だから嘘を言っているか? いないのか? 誰にでも判断がつくそうです。その中で最も伝わりやすいのが恋愛感情だそうです。それを忘れないでくださいね」

 ガルベージュス公爵の言葉は正しい。完全に正しいものではなく概ね正しい。絶対の正しさを周囲に求めはしない。自分が生きてゆくのに、完全な正しさを必要としないから。

 だから彼は、はっきりと言わなかった。

―― マルティルディがザイオンレヴィを気に入っている理由を ――

※ ※ ※ ※ ※


「どうしてそんなに不機嫌なんだ? エルエデス。イデールマイスラになにかされたの?」
 エルエデスが帰寮便内でイデールマイスラを睨んでいたことに気づいていたヨルハ公爵は、部屋に戻ってすぐに尋ねた。
 エルエデスの怒りは例外なく微量の殺意を含む。
 僅かな殺意にも無意識のうちに反応してしまうヨルハ公爵は、騒ぎを回避するために抑えられている間に、怒りを収めてもらう必要があった。
「悪かった。いま怒りを収める……」
 自分でも殺意があったことを認めたエルエデスは、気分を落ちつけるために図書館にでも行こうとしたのだが、ヨルハ公爵がそれを許さなかった。
「理由を教えてくれ。原因が解らなければ我も困る」
「解った」
 原因を説明しておけば、同じ事があった場合ヨルハ公爵が避けてくれるかもしれないと、イデールマイスラやザイオンレヴィよりも余程鋭く気が回ると、好きな相手に対する欲目でもなく、非常に正当な判断を下し帰宅直前にあったことを説明をした。
 話を聞いていたヨルハ公爵は、
「イデールマイスラらしいね」
 目を見開いてばさばさの髪を振り乱して頷く。正確には「イデールマイスラらしい」というよりは「テルロバールノルらしい」なのだが。
「まあなあ。あいつらしいといえば確かにそうかもしれないな。だが姉のほうがまだマシだったような」
 大宮殿にいたエルエデスはデルシの命令で、皇太子に会いに来たイデールマイスラの姉ルグリラドの警備についたことがあり、何度か会話を交わしていた。
 その時の態度は「言うに及ばず、驚くに足らず、噂に誇張なし」と。
 テルロバールノル王族の特徴を完全に兼ね備え、皇太子妃と火花を散らしていた。
「でもさ、エルエデスはギュネ子爵に対してのほうが腹立ってるみたいだけど、どうして?」
 皇太子妃と未来の皇后、この二人の夫である皇太子はというと、エルエデスの後ろに避難しており、未来の後宮の安寧が非常に危ぶまれる状態。
「どうしてって……お前は見ていないから解らないだろうが、マルティルディのあの態度は……恐らく好きだ」
 避難している皇太子を見て ―― この男はなにをしているのだ? ―― エルエデスはそう思ったが、あまり深く考えはしなかった。

※ ※ ※ ※ ※


 子爵たちが寮へと戻ってくる前、ガルベージュス公爵の部屋にベリフオン公爵がいた。
「リスリデスもさすがに焦ってましたね、クロスティンクロイダ」
「そうだな、ガルベージュス」
「リスリデスにエルエデスがジベルボート伯爵邸にいるって教えたのは誰なんでしょうね」
 ベリフオン公爵であることは知っていて、冗談交じりに尋ねる。
「口の軽い召使いらしいな。備品持ち出しをしていて、その中に高価なものがあったから即刻処刑になったようだ」
 悪いことをしているから罰する……ではなく、都合良く処分するために人を害するようなこと以外は見逃していることが多い。だが見逃されていることに気付ける者は少なく、見逃されている理由を知った時にはその明察なる意見を語ることはできず、処刑される。
「彼の性格は掴めましたか? クロスティンクロイダ」
 ベリフオン公爵はリスリデスのことに詳しくはなかったので、現在情報を収集していた。
「掴むほどではない。ただエルエデスを本気で殺害する気があることだけは解った。世の中には口先だけの殺意を語る脆弱者も多いからな」
 だが情報には感情はない。彼らエヴェドリットを彩る殺意が存在しない。
 だからこそ明確な殺意を確認したのだ。追い詰めた際に命乞いをされても拒否し、また追い詰められた時は助けを求めても無駄だと心に刻む。
「そうですか。ではもう一つ。皇太子殿下について気付きましたか」
「なんのことか、まったく解らないな」
「エルエデスが后候補だと聞いたときの、皇太子殿下の表情の変化」
「まさか、喜んだのか?」
 敵はリスリデス一人の予定であったが、思わぬところから思わぬ人物が注意対象者としてリストに上がった。
「その通り。こちらを見て下さい。去年と今年、セヒュローマドニク公爵殿下を警備していたエルエデス。角度を変えますと……どうです?」
 皇太子はあからさまにしていないつもりだが、皇帝の行動に逐一目を光らせて、どう動くか? その時の感情はどのようなものか? を、彼らは事細かに暗記している。次代皇帝の動きも同じこと。
 よって皇太子の意図は完全に晒された。
 彼はエルエデスのことを気に入っていた。できることなら愛人にしたいなと考えていた。後宮におく愛人ではなく、軍人として伴う際の。


後々判明することだが、皇太子が自らの体の変異に気付いたのはこの時である。彼はエルエデスに既成事実を作り后にするつもりであった


 まだ彼は自分が皇太子だからそこまで研究されつくしていないだろうと安堵していた、なによりも、ガルベージュス公爵たちの暴力的なまでの洞察力を理解していなかった。彼らの観察は全てを暴き出し、次の行動を予測する。
「私は次代皇帝に疎まれることになるのかな? ガルベージュス」
「そうですね。でも皇帝に疎まれてこそリスカートーフォンでしょう」
「簡単に言ってくれる」
「今なら別の候補と変わることもできますよ」
「心配してくれるのはありがたいが、私がエルエデスと共に敗れて死ぬという選択肢があってもいいだろう。そうしたら皇太子殿下はリスリデスを疎むであろうしな」
 皇帝に特定の一家を疎むように差し向けるのは危険だが、皇帝が自ら嫌うのであれば彼らはそれに従うまで。いま皇太子はリスリデスに特別悪意はない。むしろリスリデスが嫌っているから自分の手元に置けるのではないかと考えてもいる。
「確かにそれも用意しておくべきですね。ところで、勝算は?」
「今の所三割程度。研修先でサステベイロを殺害できたら、勝率四割というところだ」
「解りました」
「お前のことだ、自分の中でシナリオはすでに完成させているのだろう? ガルベージュス」
「はい」
「完全勝利か?」
「もちろん。今すぐに反旗を翻しても完全勝利を与えることを約束できる筋書きです。ただし陛下の御心は”卒業まで待て”ですので、教えて差し上げることはできませんが」
「お前の出番を潰すように頑張るよ」
「期待してますよ、クロスティンクロイダ。それでこれがエヴェドリット王国軍編入手続き完了証書です。頑張って研修してきてくださいね。あなたが居ない間は、このわたくしが代理として打ち上げを完全網羅しますので」
 ベリフオン公爵はそれを持ち、部屋を後にした。

※ ※ ※ ※ ※


「相当好きな感じに見えた?」
「ああ」
「じゃあギュネ子爵も同じくらい好きで、マルティルディはその事を知っているよ」
「我が見る分には、全く気付いていないようだが」
「気付かないんじゃなくて、気付かせてしまったから気付かないふりをしているんだろう」
「意味が解らん」
「あのさ、エルエデス。あのマルティルディが《自分が好きな相手が、自分のこと好きじゃない》そんなことを許すと思う?」
「あの女の性格なら許さんだろうが……」
「同時にマルティルディは《自分のことを好きな相手しか好きにならない》はずだ。イデールマイスラが好例だろうね。もっともイデールマイスラは好きかもしれないけれど、言う事もなければ、なにより好意を態度に出さないことにかけては超一流だからね」
「確かに。要らんところで超一流……王族ならば仕方ないのかも知れんが。ゼフ、お前の言うマルティルディ像は正しいだろう。それで”気付かせてしまったから気付かないふりをしている”とは?」
「ギュネ子爵はエターナ=ロターヌだろ。出会ってすぐの頃、素直な気持ちをマルティルディに伝えてしまったはずだ」
「好き……とか?」
「最初は”綺麗な人”だろうけど。千の言葉も触れて伝わってくる感情には叶わないんじゃないかな。子どもの頃の思考回路だとすると、綺麗から好きになって、単純に大きくなったら結婚したいと考えて、そこから愛しているに変わるんじゃないかな」
「子どもの思考回路は確かにそんな感じで単純だな」
「マルティルディが最初ギュネ子爵を傍に置いたのは”感情”を知るためだろう。マルティルディは知識はあっても感情はなかった筈だ。そして感情は簡単には学べないものだ。だがマルティルディは賢いから、感情を知り理解して”感情”を作った。その過程で気付いたんだろう」

―― これはなんて綺麗なものなんだろう。僕にもっとも相応しい感情だ。これはなんだい? ――

「……」
「ギュネ子爵は婚約が確定するまで、マルティルディの傍にいた。夜眠る時も一緒に。眠っているギュネ子爵にマルティルディが触れて自分に対する感情に気付いた」

―― 君が僕の夢を見て、僕は君の夢を”見ている” 夢にいる僕は君の理想なのかい? ――

「……」
「エルエデスから聞いた分じゃ、マルティルディには絶対の自信がある。マルティルディは賢いから自分の美貌に慢心することもないだろうし、不確かな証拠で思い込むこともないだろう。だからマルティルディは知っているんだ、ギュネ子爵の本心を」

―― 君の中にある形なきもっとも美しい感情と、この世界に存在する形あるもっとも美しい僕が結びついたんだ。もう離れることはないだろう ――

「お前のマルティルディ論は正しいだろうな。それでザイオンレヴィはどうなんだ?」
「マルティルディが自分の好意に気付いたことに気付いたんじゃないか。同時に注意されたと思うよ。マルティルディとは住む世界が違うって。両方の心が通じ合ったとき、他者も二人の仲が普通ではないことに気付くさ。大人ならまだしも、子ども同士じゃ誤魔化し切れない」
「自分の好意をマルティルディに伝えてしまい、そして大人たちにやめるように言われて、理解した……ということだな」
「そう。でも彼は離れることは許されないから鈍くなった。鈍感に徹して、傷ついてもその傷に気付かないようにして、他人から見て完璧な下僕だなと思われるように。好意と解釈した大人達が己の考えを間違いだったと思うまでに欺いた」
「マルティルディの感情はどうなる?」
「それに言及することはないだろう。いや、言えないだろうな。鈍感を装ってるんだ、マルティルディの感情の動きを察知しては駄目だ。それがもっとも他人に対して鈍感をアピールできる場所だ。事実エルエデスもそう感じたんだろう?」

 マルティルディを欺くことはできないが、他者の目を誤魔化すことはできる。だがマルティルディは諦めはしない。何故なら彼が自分を好きなことを知っているから。

「ザイオンレヴィ、あいつは本当に勘がいいのか? 本当に鈍いんじゃないのか?」
「鋭いさ。エルエデスはシクが鈍いと思うか」
 ヨルハ公爵が突然引き合いに出した子爵。
「いいや、鈍くはないな。あいつは血筋と訓練で警戒心が尋常じゃないほど発達している。オルタフォルゼを見たことがあるが、あいつもケーリッヒリラと同じで人前に出てくるよりも、避難口に近い場所を陣取っている。知らせていなくても”特殊避難口”に気付くくらいに周囲に対しては鋭敏だ」
 子爵とその兄のオルタフォルゼも直接見たことのあるエルエデスは、あの兄弟は鋭敏だとはっきりと言い切れた。
 彼らの強さは鋭敏さにあると言っても過言ではない。肉体的な強さのフレディルと、策略により脅威的な虐殺を演出することができるデルヴィアルス。その両方の良い所を上手く受け継いでいた。
「今日、一緒に出かけて感じたけど彼は鋭いよ。本当に鈍かったらシクと同じように間合いをとることはできない。シクは知ることを恐れて距離を作る。そのシクとまったく同じようにギュネ子爵は我等と距離を作っていた。警戒を気取られないように、離れていても不自然ではないように。あの距離感を保ち続ける理由は自分の感情を相手に伝えないようにするため。その為に出来る最大限の努力をしている。なにより本当に鈍かったら、自分の感情に対しても鈍感だろうから伝わることを恐れはしないはずだ。彼は人になにか知られてはいけない感情を持っている」
「それがマルティルディに対する感情だと?」
「そうだ。実際マルティルディには黙って触られたんだろう?」

※ ※ ※ ※ ※


「ザイオンレヴィ」
「はい! マルティルディ様!」
 マルティルディは首から下がっている優勝メダルに指をかけて引きちぎり、顎を掴んで同じ身長のザイオンレヴィに軽く口付ける。
「……」
「優勝のご褒美だよ」

※ ※ ※ ※ ※


「黙って触られたな。あれで気持ちを伝えたのか」
「逆だと思うよ」
「ゼフ、お前は我の言葉に全て反対するな」
「うん」
「素直だな」
「素直ってか……今の否定はさ、見ていたエルエデスが怒ってたから違うと思ったんだ」
「どういうことだ?」
「エルエデスは脇で見ていて、苛々したんでしょ?」
「そうだ」
「ってことはさ、彼はマルティルディに気持ちを伝えていないよ。彼は意識障壁を作るのが上手くなって、マルティルディに触れられても何も伝えないことが出来るようになって。でもマルティルディは伝えろと触れる。だけれども伝わらない、伝えない。エターナ=ロターヌの特徴の一つに死亡したら即座に能力が喪失することが挙げられている。腹立たしくとも、苛々しようともマルティルディは彼を殺せない。口から聞くことは諦めた、だってそれを語らせたらイデールマイスラが黙ってはいない。だから誰にも知られぬように告げろと、でも告げない。エルエデスは女性だからこそマルティルディの感情の動きを読めるんだ」
 エルエデスはヨルハ公爵の異義を唱える気にはなれなかった。マルティルディとザイオンレヴィに対して、それほど思い入れがあるわけでもなければ、この回答が間違っていても困らない。
 それよりも今この場で自分が苛ついていないことに気付いて愕然としていた。前日まではもどかしい思いを抱いていたのに、今はそれがない。
 屈折したり行き場を失ったりしていないのは何故か?
―― ゼフに気付かれたか……
 言葉なくとも伝わった感情が行き来する。
 一方的に堰き止めなくてもよくなった感情の心地よさ。目を閉じて身を委ねてしまいたくなるような柔らかな感触。
「お前は男だからザイオンレヴィの気持ちがわかると?」
「そうだね、我は男だから彼の立場と相手との関係から……行動が読みやすい」
―― 気付かないふりをした方がいいのだろうか?
 喋りながらヨルハ公爵は戸惑う。エルエデスの気持ちに気付かないふりをしたほうが良いのだろうかと。だが話をしていて自分が気付いた事を、エルエデスが気付いたようにも感じられ「全てにおいて天才」と言われ、問題を後日に送ることのない即日解決してきた頭脳が初めて考えを《保留》にした。
「なるほど……でも、我はこの先ザイオンレヴィを軽く殴ってみよう」
「それがいいんじゃないかな? エルエデス。もしかしたら、それで考えを変えるかもしれないし」
「変えたらまずいんじゃないか? ゼフ」


「どうにかなるんじゃないかあ。大丈夫だよ、エルエデス」


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