君想う[033]
帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[84]
 メディオンが「いままで貰った贈り物のなかでもっとも嬉しい」気分を味わい、子爵がベッドに横になり「疲れたが、楽しかった。メディオンにも受け取ってもらえたしなあ」と良い気分でまどろんでいる。その間の部屋は”どんより”としていた。
「なにを怒っているのですか、イデールマイスラ。それと荷物を置き直しなさい」
 一便早く寮に戻り、レバノン杉の伐採状況から、地球レベルの巨大豪華客船の設計図などに目を通していたガルベージュス公爵が、不機嫌を露わに荷物を投げ捨てるように置いたイデールマイスラに苦言を呈する。
「なにって……それは、その……」
 注意されて怒りと羞恥が混じりながらも、行儀が悪いとはイデールマイスラ自身思っていたので、文句を言わずに鞄を置き直した。
「言わないと解りませんから、助言もできませんよ」
 ガルベージュス公爵に助言ができるのか? という疑問はあるが、出来ないと誰も言い切れない。なによりも彼はやたらと説得力がある。黒を白と言い含める程度ではなく《黒とか白とかそんなのは些細なことです。ピンクも水色もオレンジもえんじ色も全部混ぜてマーブルでいいじゃないですか! マーブルで全て解決ですよ!》と言うような。

 具体的になんの解決策も見えないようにも感じられるが。

「それは……それは!」
「助言と言えば、昨晩キルティレスディオ大公に捕まって、こともあろうに朝まで付き合ったそうですね。ヒロフィルから通信機貰ったでしょう」
「貰ったが、それは!」
「大公が一口酒を飲んだら即通報が常識ですよ」
「そんなこと知るか!」
「それは知らないでしょうが、朝まで付き合ってどうするつもりだったんですか? 酷かったでしょうに。それに酒を途中で止めさせてやるのも優しさですよ。酒くらいでは体を壊せない人ですから、誰かが止めてあげないとねえ」
 ガルベージュス公爵は設計図画面を消して、真っ正面からイデールマイスラを見つめる。鋭いだけではなく心の奥底まで見通していると錯覚してしまう視線に晒され、警戒するように腕を組み横を向く。
「確かに酷かったし、そうじゃが……その……」
「どうしました?」
「イヴィロディーグが酔いつぶれてから、儂が一人で相手をしたのじゃが……」
「歯切れが悪いですね。歯切れが悪い人は嫌われますよ」
「あのな! ”エデリオンザ”に心当たりはあるか! ガルベージュス」
 泥酔したキルティレスディオ大公が何度も語った名前《エデリオンザ》
「それはカロシニア公爵殿下でしょう」
 ”デルシ=デベルシュ・エゼラデグリザ=エデリオンザ・フマイゼングレルデバウワーレン”もちろんイデールマイスラも解ってはいたが、それ以外の人物はいないか? それが聞きたかったのだ。
「やはりカロシニア公爵なのか? キルティレスディオ大公が何度も……」
「謝っていたのですか?」
「そうじゃ」
「なら間違いなくカロシニア公爵殿下ですね。あの人は酒癖悪くプライドの高い女好きで、決して人に謝ることはありませんが唯一の例外がありまして、その唯一がカロシニア公爵殿下です」
「なぜ?」
 キルティレスディオ大公の酒と後悔が入り交じった言葉が紡ぐ相手に、もっとも相応しくない名前《エデリオンザ》
 だがそれはイデールマイスラにとってのことで、過去に問題があった。

 解決することのない問題が。

 ガルベージュス公爵はテーブルに肘をつき、指を組み顎を乗せて、マルティルディがするかのように若干首を傾げるようにして問題を教えた。
「イデールマイスラは知りませんか……知らないでしょうね。あの人、キルティレスディオ大公とカロシニア公爵殿下は元々は婚約者同士でした」
 デルシは女性好きで結婚はしないと明言し、それが認められているが、昔から許されていたわけではない。
 認められるまで、苦労をしたのだ。彼女はその苦労を人に語ることはない。隠しているわけでもないので、聞かれれば包み隠さずに答えるが、同じような生き方を勧めはしない。
 彼女は出来る限りの手助けをしてやる。押しつけがましくもなく、だが決して見捨てはしない。皇帝をして《後見人という言葉をこれほど理解している者はいない》と言われる程に。
「知らんかった。あのカロシニア公爵に婚約者がいたなぞ、想像もつかん」
「カロシニア公爵殿下も昔はただの王女で、王の命令にはなかなか背けなかったようです。ご自身で実力をつけて、いまの自由な地位にいらっしゃるのです。そのカロシニア公爵殿下が十四歳の時ですから、あの人は十六歳ですね……その時に、婚約破棄になったのです」
 二人の婚約が整ったのはデルシが二歳、キルティレスディオ大公が四歳のころ。両者共々軍人にむいている同レベルの身体能力を持っていたので良い組み合わせであろうと、先代皇帝が決めたのだ。
 デルシが王よりも皇帝に従うのは、この婚約が元になっている部分が大きい。王城で育ったデルシだが、皇王族と結婚し帝星に居をおく前提で育てられたので、帝国に恭順する姿勢を教えられていた。
「どうして婚約破棄になったのじゃ?」
「解りません」
「は?」
「十六歳のあの人が先代陛下に頭を下げて、カロシニア公爵殿下との婚約を破棄して欲しいと嘆願したそうです」
「理由は?」
「解りません」
「それはお前が知らないということか? ガルベージュス」
「違います。先代陛下も現陛下も知りません。この宇宙で理由を知っているのは二人だけです」

 解決することのない問題。解けることがない謎。

「理由も言わず、説明もなく、王女との婚約を破棄したというのか?」
「はい。先代陛下がどれほど問い質そうとも、あの人の両親が問い詰めても一切口を割らなかったそうです。最後にはロターヌ=エターナまで使おうとしましたが、手傷を負わせて拒否し、極刑寸前までなっても理由は言わず終い」
「手傷を負わせて極刑じゃと?」
「理由を探ろうとしたロターヌ=エターナは先代陛下です。ケーリッヒリラ子爵ほどの能力ではありませんが、充分探ることはできたでしょう。ちなみにカロシニア公爵殿下は先代陛下に抵抗はしませんでした」
「どうしてじゃ?」
「カロシニア公爵殿下曰く”我は知らん”のだそうです」
「貴様はたった今”理由を知っているのは二人だけ”と言ったではないか」
「当事者なので解っているようですが、探られても判明しないと考えたのでしょう。失態を犯した側の考えを読まなければ解らない。それにロターヌ=エターナというのは”今現在”考えていることは解りますが、過去を探るとなると限界があります」
「そうなのか?」
「手繰っていけるものならば手繰れますが、覚えていないと言っているものを探るとなると、脳内に道がないので辿り着けないらしいですよ。わたくしも体験したことはありませんがね」
「深層心理が解ると聞いた覚えがあるのじゃが?」
「”過去”と”深層”と”失態”は繋がるものではないのでしょう。他の人はどうかは知りませんが、あの人とカロシニア公爵殿下にとっては違うようです。真実に至る道は三つのどれでもなく、別の”もの”が存在するのでしょう。思考というものは怖ろしいほどに単純なものですが、単純過ぎる故に”他人が”切欠を見つけることは至難の業です。なによりも、あの能力は同調ではありませんから」
「なるほど……ああ、カロシニア公爵の話であったな」
「はい。とにかく様々あり当時の皇太子殿下、現陛下が必死に先代陛下に取りなし、結局探ることを諦め婚約破棄に至ったそうです。大公が皇帝陛下に傷を負わせたという醜聞ですので、公にはなりませんでした。あの人の実力を考えればそうなるでしょうね」
 当時十六歳のキルティレスディオ大公は帝国上級士官学校に在籍しており、成績は群を抜いて優秀であった。彼はその才能故に許された。許されることを望んでいたのか? どうなのか? それすら彼は語らない。
 デルシとの婚約を破棄した彼は、帝国上級士官学校を卒業した十八歳の時に多数の婚約者を並べられ選べと言われたが、首を縦に振ることはなかった。
 彼は髪を結わない。

―― 俺は結婚する権利を失ったんだ。捨てたんじゃない、失ったんだ ――

 その言葉の意味を知るであろうデルシもまた赤い癖の強い髪を下ろしたまま。デルシは髪をいくら切っても、すぐに回復し一定の長さを保ってしまうので、生涯独身を表明する術がなく、キルティレスディオ大公と共に《特例》を得た。
「そこまでしてもらったのに、カロシニア公爵は陛下に理由を言ってはいないと」
「はい。人は誰しも決して口には出来ぬことがある……そうです。あの話しぶりですと、説明できない理由のようですね。説明したくはないというより、説明したところで当事者以外には解らないような。あなたもそんな感じを受けませんでしたか? イデールマイスラ」

―― お前は俺に似てるから、言っておく。いいか、取り返しのつかない失敗ってのはあるんだ。謝ればどうにかなる? 死ぬまで贖罪? 襟を正して生きる? そんなもんでどうにかなる程度の失敗なんて、どうってことはねえ。世の中にはなあ………………酒持ってこい!

「……ああ。それと、どうもキルティレスディオ大公から見ると、儂は昔の大公に似ておるらしい……」
 酒の席で言われた時は、怒り心頭で「儂と貴様が似ているじゃと! 酔っぱらっても言って良いことと悪いことがあるわい!」と怒鳴り返して、その後赤ワインで満たされた浴槽に沈められた。歪むどす黒いような赤のフィルターの向こう側に見えたキルティレスディオ大公の表情。それは確かに自分に似ていた。
 顔の作りではなく《なにか》が。
 似ていると感じてしまったイデールマイスラは否定するために暴れ、顎に蹴りを入れることに成功し赤ワインの浴槽から脱出することができた。
 さすがにこれ以上は付き合えないと通信機に手を伸ばし、通話に触れようとしたとき、彼の表情が甦った。血のようで血ではない、赤が滲んだ視界の向こう側にあったもの。
「そうですか。イデールマイスラにとっては、有意義な時間だったのですね」
「そうじゃな」
「深酒に付き合う覚悟もいいですけれど、カロシニア公爵殿下を呼ぶのは忘れないでくださいね。あの人が会えるのは、酒で酔って絡んだ時だけなんですから。会おうと思えばいつだって会えます。それどころか結婚したいと言えば陛下は許可してくださるでしょうし、カロシニア公爵殿下も拒否しないでしょう。でもあの人、会えないんですよ。素面で会えないんですよ」
「……」
 弱いのか? 正面から向き合えないのか? と言いかけたイデールマイスラだが、自分が似たようなものであることに気づき口を噤む。
「わたくしもあの人が酒に酔っているところを数回見たことがありますが、何度も謝ってました。謝りながら”謝っても無駄だ。どうして俺は謝るなんてことをするのだろう”と言い、酒に手を伸ばすのです。酷い有様ですしカロシニア公爵殿下も迷惑そうですが、やはりどうにもならないようです」
「……」
 イデールマイスラはキルティレスディオ大公が自分の未来の姿だとは思いたくはなかった。だが思いたくはないと考えるということは、自分に重なる箇所を既に見つけてしまったに他ならない。

※ ※ ※ ※ ※


 イデールマイスラは自分自身の失態によりマルティルディとの仲が修復しがたいものになる。だが彼は酒にも女にも逃れることはなかった。
 真面目だからだと、遊ぶことを嫌うからだと様々言われたが ――

「酒に付き合えよ」
「飲まぬのでも良いのであれば付き合ってやる、キルティレスディオ大公」
「面白みのねえ王子様だな。アルカルターヴァは大体そうだけどな」
「儂は貴様にだけはなりたくはなかった。じゃが……だから最後の無駄で愚かな矜持じゃよ」

「なるほどねえ」

―― いまになってヒロフィルの気持ちが分かるってもんだ。悪かったヒロフィル

※ ※ ※ ※ ※


「イデールマイスラ」
「なんじゃ? ガルベージュス」
「あの人がどんな失敗をしたのかは解りませんが、あの人の轍は踏まないように気を付けてください」
「理由も解らんのにか?」
「理由が解っていたら避けられる類の失敗ではないでしょう……わたくしは酒を飲んで壊れかかってるあの人の言葉に一つだけで印象深い言葉があります」
「なんだ?」
「”生きているのは間違いだが、死ぬのには早過ぎる”意味は解りません、ないのかも知れません。ですが”それ”が、あの人の正直な気持ちなのでしょう」

―― 死んだら俺は楽になれることを知っているから生きてるんだが、俺が死んだらエデリオンザが楽になるのなら死んだほうがいいんだろうが、死んだくらいじゃ楽になれなさそうだし、俺がこうやって生きているのを見ても……元から存在しなけりゃ苦しませることもなかっただろうが、そうもいかない。どうすりゃ良いのかは解らない ――

「解った、肝に銘じておく」
「それで? 貴方が怒っていた理由はなんですか? イデールマイスラ」
「それはな!」
 イデールマイスラは帰寮前の出来事を、怒りに声を震わせ誇張して説明したが、基本能力の高いガルベージュス公爵は、激高しているイデールマイスラの言葉を三割程度で受け止めた。
「なるほど。それで貴方は何故怒っているのですか?」
「何故……それは!」
「王に愛人は珍しいことではないでしょう。王の愛人が許せないというのでしたら、相応の行動を取るべきです。貴方は頭の悪い男ではなく、まして地位なく立場が弱い男でもありません。どのように訴えれば王である妻が愛人を持たないか? その方法を知っているでしょう」


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