君想う[025]
帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[76]
 警備網を抜けて夜を潜り、ヨルハ公爵邸へと二人は辿り着いた。
「邸に誰も居ないのか?」
「居ないよ。定期的に手入れさせているだけ」
「そうか」
 主であるヨルハ公爵が警備を外す。尖塔を持つ邸と、それらを取り囲む矢車菊。
 夜に揺れる青紫の矢車菊の中へ分け入って進み、二人は直接腰を下ろす。
「いいな」
「気に入ってくれた?」
「ああ……良い景色だ。それにしても、ゼフ……似合わないな、その服」
 エルエデスはヨルハ公爵が着ているケシュマリスタデザインの服の似合わなさに笑う。
「ははは、自分でもそう思うよ」
 ヨルハ公爵も洋服を着て鏡を見て、もともとなにを着ても似合わないのだが、この格好はあんまりだ……と思った。だが思いはしたがどうにもならないので、そのまま着てやってきた。
「細いのに似合わんのだな。細いから結構似合うかと思ったんだが。この頭髪はどうしようもないとしても」
 ケシュマリスタデザインは、彼らの細さを強調するもの。彼らはどれほど筋肉が付こうとも「太い」という感覚を人に与えることはない。
 その主な原因は骨が細いこと。細くても強度があるので問題はないのだが、とにかく「華奢」を感じさせる。
 エルエデスに髪を触られながらヨルハ公爵は自分の肩を掴む。
「我もそう思ったんだけど、よくよく考えたら我は骨格だけならシクより大柄だった。骨が細いケシュマリスタの格好なんて似合うわけがない」
 《骨と皮》だけなので頼りない感じしかないヨルハ公爵だが、骨格は大柄で人並みの筋肉がついていたら、人を威圧するほどの体格になる。
「お前、そんなに骨太かったか?」
 先程担いで歩いた時には”そう”感じなかったエルエデスは髪から手をを離しそのまま肩に触れ、自分の肩にも触れてみる。
「……たしかに、意識して触ってみるとかなり厚いな。とは言っても我と然程変わらんが」
「はははは、エルエデスの肩は格好良く厚いもんね」
 エヴェドリットは体格的に男女の差はほとんどない。むしろ胸囲の平均数値は女性のほうが高いことも珍しくない。
 エルエデスは肩から腕にかけてじっくりとヨルハ公爵を触る。
「お前、本当に……骨太いんだな」
「エルエデス、折れちゃうよ」
「折れても問題ないだろう」
「そうだけど、エルエデスみたいな特別な超回復じゃないから治るの遅いよ。治癒開始まで二秒くらい掛かるよ」
 外傷が即座に治る、俗に言う《超回復》能力の大本はガウ=ライ・シセレード。その子孫であるエルエデスの回復力は帝国上級士官学校でも群を抜いている。
「二秒くらいならまだ速いと言っても良いだろう。ちょっと折ってみるぞ」
「いいけど。優しく折ってね」
「綺麗に折るが、優しく折る方法は知らん」
 ガルベージュス公爵とヨルハ公爵の勝負の際、

―― 私にもヨルハ公爵の攻撃連携止める自信はありません。ガルベージュス公爵以外で止められるとしたら……あそこで戦いを食い入るように見ている同室のケディンベシュアム公爵くらいのものでしょう ――

 ゾフィアーネ大公が言った理由。戦う能力に優れていることはもちろん、この超回復能力 ―― 人体破壊を受けるたら干渉を受けた部分を切り落とし再生させる ―― に物を言わせて勝負が出来るのだ。
「参考までに聞きたいんだけど、エルエデスだったら何秒で治るの?」
 骨を折られ回復したヨルハ公爵が、解放された腕を回しがらエルエデスに尋ねる。
「折れたそばから治る。タイムロスなしだ」
「わあ! すごい。今度折ってみてもいい?」
「いま折ればいいだろう。腕でも足でも好きに折ってみろ。ただし人体破壊はなしだぞ」
「解ってるよ」
 ヨルハ公爵は嬉しさを隠さず笑顔でエルエデスの二の腕を掴み、躊躇いなく折った……つもりだったが、折れたはずの腕の骨は手を離す前に繋がっていた。
「凄い!」
「この能力だけは自慢だからな」
「そうだ。我とエルエデスって、同室なのに昔の話したことないよね」
「まあな……我がゼフを初めて見たのは十歳の頃だ。お前はサズラニックス王子と遊んでいた」
「声かけてくれたら良かったのに」
「昔の我は人見知りで恥ずかしがり屋だった」
「そうなんだ」
「そんな訳ないだろう」
「違うんだ」
 その彼女が声をかけなかった。
「声をかければ良かったとは思っている。わざわざお前を見に行って声もかけないで帰ってきたなんて、当時の自分がなにを考えていたのか自分でも解らない」
「我を?」
「天才と名高いお前を見に行ったんだよ」
 親や先代イルギ公爵が羨望と称賛で語っていた”ヨルハ公爵家の次男ゼフ=ゼキ”
 エルエデスの隣に座って、その話を聞かされていたメルフィ=メルレ。
 メルフィの才能が皆無に等しいことはエルエデスにも解っていたが、バーローズの子飼いであるヨルハ公爵家の次男の称賛は、メルフィに対する嫌味を差し引いても破格のものであった。
「いやあ、照れる」
 ”あれが天才なのか”と、見た目で首を傾げたくはなったが”はた”と気付いた。
「照れるな」
 戦ってみようという気が沸き上がってこない。強いと知っているのに……その時、本能的に勝てないのだと感じ取ったことを理解し、怒りと羞恥と今まで知らない感情が沸き上がり、その場を足早に立ち去った。
「照れるなよ。事実お前は天才だろう。それに称賛慣れしてるだろう」
「そりゃ慣れてるけど、なんだろう……エルエデスに褒められると照れるよ」
「ちなみにお前が我を認識したのはいつだ?」
 ヨルハ公爵が初めてエルエデスを認識したのはその翌年。現イルギ公爵の叙爵式典の際に招待されて《将来の公爵妃》という立場でイルギ公爵の隣に立っていたエルエデスを間近で見た。
「メルフィのイルギ公爵叙爵の時。正直メルフィのこと記憶にないんだよね。記憶にあるのはエルエデスで、式後父に”あの子だれ! あの子だれ!”って、興奮して聞いてた」
 強そうな同年代の女の子を見て、首をガクガクと動かして尋ねる息子に―― あの”仔”はお前が殺してもよい”仔”だぞ ―― そう教える。
「いつか殺せるんだ! って、サズラニックスにも自慢したりしてた。デルシ様にもね」
「お前の父親は、それは良い紹介をしてくれたな……今でも殺してみたいと思うか?」
「うん」
「即答だな」
「でもヨルハ公爵になっちゃったから、思うままには殺せないね。公爵になるということは、そう言うことだとデルシ様に厳重に注意されてるし、なによりエルエデスが同室なのは楽しいから、在学中は殺さないよ。イルギ公爵はよく解らない」
 ヨルハ公爵に《イルギ公爵メルフィを殺したいか?》と尋ねたら、殺そうとは思わないと答える。殺したくないのではなく、殺そうと意識して殺しにかからなければ殺せない相手以外「殺してみたい」とは答えない。
 ヨルハ公爵にとってイルギ公爵は、殺そうと意識しなくても殺せるので、彼の頭からは抜け落ちる。

―― ああ、この狂人だ

 エルエデスにとってもイルギ公爵はその程度で殺そうとは思えない相手であったが、ヨルハ公爵への感情が芽生えてから、人間のような殺意をイルギ公爵に持ち困惑した。
 強いから恋しいから殺したいのではなく、他に思う人がいるから一緒にいたくないという殺意。超回復能力も持たない弱い相手に殺意を持ったことに、エルエデスは自分の内側にある狂気の限界を感じた。自分の持つ狂気は限りがあり、引き返すことができるごく有り触れたものであると。
「そうか……矢車菊が美しいな」
 いま隣にいるエルエデスに狂気の限界を悟らせた、矢車菊の中で笑う男は永遠に狂気の中にいる。穏やかであり、けして戻らず。正気へ戻る道もなく、必要ともせず。
「ヨルハ公爵になったと時、デルシ様が”誰よりも青紫の矢車菊が似合っている”って言ってくれたんだ」
 矢車菊はヨルハ公爵の言葉に同意するかのように一斉に揺れる。空白む前の夜の名残の元で。
「確かに似合うが、お前に似合うのは干からびた矢車菊の方じゃないか」
「ドライフラワー?」
「そう言うものではなくて、干からびた感じ」
「……確かにそうかもしれない!」
「我は少し横になる。朝日が顔を出したら起こせ」
 エルエデスはヨルハ公爵に背を向けて横になった。

 ヨルハ公爵は背をむけて横になったエルエデスを目を細めて眺めてから、頭をかかえて軽く振る。
―― デルシ様が言った通り、エルエデス我のこと嫌いじゃないみたいだから……もしかしたら……もしかしたら、素手で手を繋いでもらえるかもしれない!
 
 主の動きにつられるように、矢車菊たちも再び揺れた。

 女の子と手を繋いだことがないヨルハ公爵ゼフ=ゼキの密やかにして大いなる野望。もちろん、キスなんてしたこともないし、自分の唇が常にガサガサに乾燥している上に顔が顔なので、そこまで期待したことはない。

―― それは身の程知らず過ぎるからね! でも、期待しちゃうなあ


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