「支配人! ビールが!」
この遊園地は酒を販売しており(午後七時から)ビールも自家製。
そのビールの仕込みタンクの一つに異物が落下してから、信じられない勢いで酒の量が減っていた。
支配人はモニターで物体を確認し、時計を見て、
「後は任せなさい。さあ持ち場にもどり、粗相がないように注意するんだ」
そう言い頷いた。
「全員、集合!」
ジーディヴィフォ大公の合図を聞きながら、子爵はヨルハ侯爵を捜す。彼は特別に目立つ容姿なので、いないとすぐに解るのだ。
「エルエデス、ヴァレンを見なかったか」
「見ていない。……あいつは集合時間は守るタイプだと思うが、どうしたんだ」
そこへ支配人がやってきて、モニターを見せる。そこにはビールを飲み干しタンクの中で機嫌良さそうに眠っているヨルハ公爵の姿。
「こちらの落ち度です。立入禁止と書いていなかったので、アトラクションと間違われたようです」
そもそも酒を造っている場所は普通の人間には辿り着けない場所なので、注意書きをしていなくてもおかしくはないのだが、そこは相手が相手なので下手に出るべきである。
酒を飲んでいる最中に声をかければ良さそうだが、そこは彼らが相手。タンクに落ちたくらいでは死なないことは研修で知っているので、タンク一つ空にされても黙っていた。
「いい顔して寝てますね」
モニターに映し出されるほろ酔いヨルハ公爵の寝顔は、幸せそう……には見えないのだが、機嫌は良さそうではあった。ヨルハ公爵の顔は幸が薄い……のとも少々違うが、色々な部分が薄いので、あまり幸せそうには見えない。彼の顔で濃いのは、目の回りの隈くらいのものである。
本人は非常に幸せであったとしても。
「それでは回収はエルエデスに頼んで解散としましょうか!」
ジーディヴィフォ大公が宣言し、
「お願いしますよ、エルエデス」
ガルベージュス公爵が後押しする。
「なぜ我がゼフを!」
嫌ではないエルエデスだが、拒否する必要がある立場なので否定し怒鳴りつける。
「ヨルハ公爵は本日外泊で、初めてのお酒で酔って寝てしまったのですよ! エルエデス!」
服を着たゾフィアーネ大公の朗々たる声。
「突然暴れ出すかもしれない。なにせ彼は宇宙に名高い狂人!」
モニターで見ている分には狂人の欠片もなさそうな寝顔だが、ベリフオン公爵の言う通り宇宙でも屈指の《戦争狂人》であることは間違いない。
「寝ぼけて暴れてもこまるだろうしね」
「そうなったら僕たちでは止めることは不可能なので、お願いします」
回転によりくたびれ果てたザイオンレヴィを買った椅子に括り付け、背負子のようにして背負っているホストでもあるジベルボート伯爵が、可愛らしい顔で必死に訴える。
「ついでに泊まらせてもらいなさいよ」
「そうですよ。いつ暴れるかわかりませんから」
「僕は大歓迎ですよ!」
《なにか》を言い返そうとしたエルエデスだが、彼ら皇王族たちは隙を与えてはくれない。
「ちなみに、ジベルボート伯爵の邸に泊まりたくないのでしたら、我等と一緒にどうぞ」
「明日の朝、陛下との朝食会にもご案内します」
「もちろん私たちと一緒に泊まったら、朝食会は参加必須です」
「お洋服も貸しますよ」
「ただし本日最終便であなたの兄であるガルデーフォ公爵が大宮殿入りします」
「近寄らないほうがいいかもしれません」
「そして質量の法則が乱れます」
「なにせ物理の法則も乱れます」
「そして明日のお天気も乱れます」
「謎めくわたくしの頭髪も風で乱れてしまいます」
メディオンへのプレゼントを持った子爵が無言だったのは仕方のない事。
「泊まっていいか? ジベルボート伯爵」
「もちろんです」
こうしてエルエデスがヨルハ公爵を回収し、肩に担いで広場に戻ってきた時には、皇王族たちは消え去っていた。
「帰るの速い奴等だな」
「そうですね。それにしてもビールの匂いがすごいですね、ヴァレン。邸に戻ったら洗わないといけませんね」
「本当にな。ったく、幸せそうな面しやがって」
毒づくエルエデスの肩で揺れるヨルハ公爵の寝顔は……やはり不景気であった。
※ ※ ※ ※ ※
「これが我が家こと、ジベルボート伯爵邸です!」
ザイオンレヴィを板一枚挟んで背負いながらジベルボート伯爵が案内をする。
「……」
「……」
ケシュマリスタ属の帝星貴族邸を訪問するのは初めてになる子爵とエルエデスは、驚いた。
「どうしました?」
足を止めている二人に向き直るジベルボート伯爵。その時、背中で椅子に座っている状態のザイオンレヴィが揺れると、一緒に首からぶら下がっている優勝者に与えられるメダルも揺れる。
「いや……話には聞いていたが、本当に一面ないんだな」
ケシュマリスタは壁がある建築をひどく嫌い、柱だけの廃墟を好む性質がある。だが好む建築は相当な広さがなければ維持できず、この貴族邸がひしめく帝星ではその建築は無理なので、帝星では別のケシュマリスタ建築が発達していた。
それが「コ」型の家。アーチ型の玄関を抜けると、両脇にしか壁がなく、その壁も殺風景で視線は開けた庭に向かう。中心には小さく清らかな池がある。
部屋は横の壁に足される形で、やや婉曲している。部屋が連なり円になることはなく、多くても半円くらいまで。召使いたちは少し離れた、普通の家で暮らしている。
「はい! そうですよ、シク。もしかしてシク、初めてですか?」
「ああ。たぶん、エルエデスも初めてだろう」
「初めてだ」
「こっちにどうぞ」
ジベルボート伯爵の手招きに従い、二人は玄関から入って右手側の扉から一部屋抜けたところにある部屋へと連れてこられ、
「荷物を降ろしてください」
ジベルボート伯爵は背負っていたザイオンレヴィを椅子ごと降ろし、エルエデスはヨルハ公爵を床に置く。
「この椅子に置かせてもらっていいか?」
「どうぞ」
子爵はプレゼントを椅子に置かせてもらう。
「ザイオンレヴィ、大丈夫ですか? 部屋まで歩いていけますか?」
「大丈夫だ。悪いが先に休ませてもら……う……優勝したらあんなこと……」
頭を押さえ呟くザイオンレヴィに、エルエデスは”お前馬鹿だろう”といった感じで事情を説明した。
「あの勝者の移動は皇王族に限りだが、知らなかったのか?」
「え?」
エルエデスの母親は皇王族で、ザイオンレヴィの祖母は限りなく皇族に近い皇王族。
「ケーリッヒリラやジベルボート、ゼフが優勝してもあいつらはアレをすることはない。皇王族以外にはしてはいけないという決まりがあるからな。むしろ知らなかったことに驚きだ」
「……我が家体育会系じゃないといいますか、軍人系じゃないので……今度から優勝しないように気を付けます」
ザイオンレヴィは顔見知りの召使いに案内されて、自分の割り当ての部屋へ。そして三人は、寝息が聞こえる変死体ことヨルハ公爵を、
「洗うか」
「そうですね」
洗うことにした。
用意していたヨルハ公爵の部屋へと運び、
「部屋に浴槽があるのか」
「そうです」
半室内にある円形の温泉の傍に転がす。浴槽形式ではなく、床に丸い穴が空いていており境がないので、間違って歩き落下する恐れもあるが、先程のヨルハ公爵のタンク落下と同じように、彼らの場合は問題にならない。
「丁寧に洗わなくてもいいだろう」
服を剥ぎ取り泡をかけてデッキブラシを持って子爵とジベルボート伯爵がヨルハ公爵を洗う。本当に雑な洗い方だが、洗われている方は特になにも感じておらず機嫌が良さそうに眠ったまま。
「ヴァレン、起きませんね」
「これなら殺意がなければ起きないだろうな」
「殺意のない人が忍び込んできたらどうするんですか?」
「忍び込んできた時点で気付く。変に気配を殺していると逆に気付く」
「へえ……そういう物なんです……」
語尾が消えたジベルボート伯爵に、
「どうした? クレウ」
聞き返すが、ジベルボート伯爵は頭を軽く振り、
「なんでもないです」
笑顔で答えてヨルハ公爵を返して、今度は背中側をむけた。
《殺意がない》というところで、椅子に座っているエルエデスに目が止まり「シセレードとヨルハって仲悪いんじゃあ」と思い、声が小さくなってしまったのだ。
「このくらいで良いだろう」
「タオルを床に広げたぞ」
「ありがとう、エルエデス」
二人でヨルハ公爵を大判のタオルに乗せ、子爵が上手に包む。
「シク、なんかミイラ作ってるみたいですよ」
「言うな、クレウ。我だってそう思ってる」
体が体で、包む人が包む人なのでそう見ても仕方がない。包み終えたヨルハ公爵を、
「足の方を持ってやる」
子爵が頭、エルエデスが足を持ち、ベッドに上手に放り投げた。
―― 死体を断崖絶壁に捨てる時みたいだ
見た事もないのに”上手な死体遺棄”だとジベルボート伯爵は感心し、思わず拍手までしてしまう。
「あ、そうだ。そろそろエルエデスさまのお部屋も」
「ゼフの部屋の隣か?」
「え? 隣でいいんですか?」
当然のことながら一番遠い部屋を用意させていたジベルボート伯爵は、かなり間抜けな声で聞き返す。
「我はこいつが暴れた際の安全装置役で来たんだぞ。離れていてどうする」
「そうでしたね。では隣に部屋を」
「じゃあヴァレンのこと頼むな、エルエデス」
「ああ。ただ、暴れたら逃げないで援軍としてこいよ、ケーリッヒリラ子爵」
「我はこの邸の人たちを逃がすことに専念するから無理だろう」
※ ※ ※ ※ ※
用意が調った隣の部屋に通されたエルエデスは洋服を脱いで召し使いに渡して、そのまま風呂に入った。
服を渡したのはビール漬けだったヨルハ公爵を担いだりして洋服が汚れたので、着替えを用意させるため。元々来客予定であった子爵やヨルハ公爵の服は用意されているが、エルエデスのものは用意されていないので、サイズを測って急いで仕立てる必要がある。
エルエデスはワインを持って来るように命じ、風呂に入る。
「入り口が丸くて小さくて、湯は全部繋がっているのか……奇妙な作りだな」
風呂は部屋に一つだが、湯自体は全部屋同じで区切りがない。普通の建物でいうと、廊下の部分に該当する。
その風呂に入りながら、届いたワインを飲みつつエルエデスは夜空を眺める。
「……」
皇帝がなぜ自分をシセレード公爵に推すのか?
頭の切れるエルエデスは予想がつき、それは正しくもあった。同時にそれはエルエデスにとって最も認めたくはない事でもある。
―― リスリデスより劣る……か
歯がみする程悔しいく、認めたくはないが解ってもいた。
「はっきりと言われるより堪えるな……ルベルテルセスに忠誠を誓えということだろうが……皇帝も辛いところだな」
《シセレード公爵に優秀ではない方を選ぶ》理由である皇太子ルベルテルセス。
”息子は優秀ではない”とずっと年下の、まだ公爵の座が遠くにあり手も届かない位置にいる十六歳の娘に対して認めなくてはならない皇帝の心の内に、エルエデスは僅かばかり同情した。
風呂から上がり緑色のタイルの上をなにも纏わぬ姿で歩き、室内側に戻りガウンに袖を通して長い髪を拭く。
エルエデスは前髪を作っておらず、前髪も後ろ髪も長さは同じ。分け目をかえることで随分と雰囲気の変わる髪型とも言える。
暖色灯に照らされている鏡の前で、何度か前髪の分け目を変えてみるが、
「いつもの真ん中分けがもっとも見慣れて落ち着くな」
いつも通りの分け目にして、椅子に腰を下ろした。
少し微睡かけたころ、洋服が出来上がったと召使い数名がやってきて衣装箱を置いていった。
「デザインといい、色といい……ケシュマリスタだな」
服を取り出し裏表を見て、方頬を釣り上げて笑って服に腕を通す。
色は黒みがかった緑で、デザインは完全にケシュマリスタ。腰の位置が低めに設定されている踝まで長さのある上衣。折り返しの襟も高く耳朶の下近くまである。下衣はややゆったり目のズボン。短めの黒い手袋まではめ、完全に寝そびれてしまったエルエデスは、座り直してそのまま庭を眺める。風に揺れる木々や草など、見ても心が穏やかになるタイプではないが、それでも充分に楽しむことができた。
夜空を照らしていた月を映している湯が揺れ、
「あれ? エルエデス」
「起きたか、ゼフ」
洗われてベッドに放り込まれたヨルハ公爵が、浴槽から顔を出した。
「なんで此処にいるんだい?」
流れ着いた変死体さながらのヨルハ公爵の姿に、
「お前が居眠りしたからだ、ゼフ。お前が遅れてくる酒乱だったらまずいということで、我も泊まることになった。だから隣にいた」
いつも”どうしてこれが好きなんだろうな”と思うエルエデスだが、
「そうなんだ、もしかしてエルエデスが運んでくれたの?」
「そうだ」
「運んでくれてありがとう」
「別に……」
「……」
叶わぬ恋なのだから、理由を突き詰める必要もなかろうと ―― たった今そう思い、考えることをやめた。
「……」
「あのさ、エルエデス」
「なんだ? ゼフ」
「散歩に行かない?」
「散歩? どこに」
「我の屋敷。矢車菊見に行こうよ。二人だったら徒歩でも問題ないだろ」
区画が違うので距離にすると相当だが、エルエデスとヨルハ公爵ならば最短距離を進むことができる。すなわち他人の邸の警戒を抜けて行こうと。
「いいだろう」
「食べ物も持って行こう!」
「作らせてくる。お前は用意をしておけ」
二人分の朝食がはいったバスケットを背負ったヨルハ公爵とエルエデスは、塀に上り警備網を抜けて邸へと走り出した。
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