「ではお願いします」
一年の夕食は三人だけで、そのうちの一人であるエシュゼオーン大公は、明日の朝食会に参加するべく今日の最終便で大宮殿へと戻るので、集められた食器類はフェルディラディエル公爵が運んでくれることになった。
エシュゼオーン大公は両手の人差し指と中指をくっつけて立て、
「戻れ〜」
明るい声で食器類に号令をかける。
食器はその声に従い、音も立てずに重なった。
エシュゼオーン大公は念動力を所持している。能力自体も強大で相当な重量を誇るものでも動かす事はできるが、それよりも彼女の能力は細かな動きにある。
折り紙を千枚並べて同時に《千枚全て別々のもの》を折ることができるほど、細かく多彩に念動力を操る。
その彼女にとって、テーブルに乗っている三組の食器類をケースに戻すなど遊びにも等しい。
「それでは、ベル公爵! ヒレイディシャ男爵! また明日」
エシュゼオーン大公は小さな鞄を持ち、二人に手を振って食堂から走り去っていった。
「……」
「……部屋に戻りましょうか、殿下」
「そうするか」
静まり返った寮の廊下を二人並び無言のまま歩き、
「殿下。なにか買って部屋で話でもしませんかな?」
「おう」
ヒレイディシャ男爵の提案で二人で話をすることにした……のだが、それは予定として終わった。
「おい」
背後からイデールマイスラの左肩とヒレイディシャ男爵の右肩を掴んでのし掛かり、声をかけてきた人物。
「キルティレスディオ大公」
「寮母殿!」
「暇だろ。付き合え」
男性だが寮母であるキルティレスディオ大公が二人を強引に誘う。
「暇ではな……」
「酒買って俺の部屋まで来い。お前等付き合え、いいな」
「じゃが!」
「酒買って部屋まで来なかったら、後で酷いことになるからな」
なにがどのように酷い事になるのか? まったく語られていないので中身のない脅しとも考えられるが、だからといって断りきれるものでもない。
「殿下はまだ酒は飲めませぬので、この儂が」
「酒飲まなくてもいいから来い。解ったな!」
二人の返事など最初から聞くつもりなどなかったのは明か。言うだけ言い、二人の肩から腕を放して去っていった。
「……イヴィロディーグ、仕方ない買って行くぞ。お前の学生証で買え」
「畏まりました。それにしても寮母殿も、休日は仕事がないのですから愛人たちの所へと行けばよろしいのに。儂等のような男と酒を飲んで、なにが楽しいのでしょうかな」
寮母のキルティレスディオ大公は四十九歳。現皇帝の従弟筋でもっとも血が近い。皇帝に血が近いということは、それだけで結婚の優先順位が高いのだが彼は独身。本来であれば髪を結い上げて独身主義を表明するなりしなくてはならないのだが、それもしていない。この髪を結わないのは、先代皇帝が特例として許していたことなので、現皇帝も触れはしない。
同性愛者ではなく多数の愛人を持つ、柔らかい輝きの波打つ白銀の髪を持つ元帥。
なぜ彼の酒の席に付き合わなくてはならないのだろうか? 疑問は尽きないが、相手の身分や階級を前に二人は従うしなかった。特にこの二人は血筋に従う傾向が強い。
「さあ……そもそも儂は酒飲まんしなあ」
寮内では休日だけ酒の自動販売機が稼働する。購入するには年齢が十五歳以上の学生証が必要。
「寮母殿は酒は強いとは聞きませんが」
「父王から聞いたところによると、かなり酒癖が悪いそうじゃ」
足りなかったら失礼だろうと次々と購入していたヒレイディシャ男爵の指が止まる。
「酒癖、悪いのですか?」
酒癖が悪い人に酒を与えるなど《愚者の愚行》と”愚”を二度重ねてもまだ足りないような行為。
「悪いとは聞いた。どのように悪いのかまでは聞かんかったが、聞いておけばよかったな」
「ならば教えて差し上げましょう」
酒を買っていた二人の元に現れたのは、食器類を運び戻って来たフェルディラディエル公爵。皺の深い顔に、二人が今までみたこともない苦笑を浮かべて立っていた。
「まずはこれを渡しておきます」
フェルディラディエル公爵が懐から取り出したのは通信機。真紅に金でカロシニア公爵の紋が入っているそれをイデールマイスラが受け取った。
「危険を感じたら躊躇わずにボタンを押しなさい。躊躇ってはいけませんよ。下手に躊躇うと、あとでキルティレスディオ大公が酷く叱られますから」
―― 執事殿。それは酒癖が悪いのではなく、エヴェドリット系酒乱ということか?
エヴェドリット系酒乱というのは、酒で理性の箍が外れて人を殺したり破壊行為に走ることをさす。ただエヴェドリット属に言わせると「酔わんでも我等はそうしている。それではまるで我等が酒に酔った時だけ暴れるみたいではないか」と、かなり不服な名称でもあるが、よく言い表しているので使用され続けている。
「じゃが……」
「キルティレスディオ大公の酒癖の悪さは貴方たち二人の想像を遥かに上回っています。その呼び出しボタンが押されたら、カロシニア公爵殿下は陛下の御前であろうとも、退出礼をせずに即座にやってきます。そうしろと陛下が命じられているからです。どれほどの酒癖の悪さか解りますね」
帝国の根底に関わる礼儀作法を無視しろと皇帝が命じる程の酒癖が悪い、それがキルティレスディオ大公。
「ちなみにすっぽかしたらどうなるんじゃ?」
「よい質問です、ヒレイディシャ男爵。部屋が壊れます、大暴れします。酒の力が相乗効果となり、ものすごく強くなります、止めようと思って止められるような状態じゃないです。あの人は酒癖が悪いくせに、酒宴の約束破られるのが大嫌いです。でも約束する時は相手の事情など一切考慮しません、一方的な誘いなのに怒るのです。なにせ酒癖が悪いので」
―― なんという最悪な御仁じゃ
「取り敢えずあの人のお部屋に行くことをお勧めします。そして危険を感じたら即座に助けを呼びなさい。二人ともテルロバールノル属ですから、意地を張りそうですが……言っておきます。意地を張っていいことは何一つありません。それと……」
フェルディラディエル公爵は言い終えると持っていた箱をヒレイディシャ男爵に渡した。
「あの人のところに持って行こうと思っていた酒です。しかし運悪いですね、二人とも。いつも休日は私が引き受けていたというのに」
デルシ直通通信機を持っているのだから、当然そういうことだ。
「ま、あの人には”爺やが深酒し過ぎないように言っていた”とでも伝えておいて下さい。聞きはしませんけどね」
言うだけ言って去っていったフェルディラディエル公爵の後ろ姿を見ながら、
「フェルディラディエル公爵のあの表情見たか? イヴィロディーグ」
「見ましたとも。鬼執事もあれほど優しげな表情ができるとは知りませんでしたわ……」
いつもの厳しい表情ではなく憐れみの表情。それが物語るものは《御愁傷様》
「部屋が壊れるのは……儂はいいが、同室のガルベージュスに迷惑かかるしな」
それは皇帝の耳にも届くということ。
「儂も……儂はよいのですが、メディオンの部屋を荒らされたくはありませんなあ。儂の失態で寮母殿の人生に思春期女子の部屋を荒らしたという過去を刻みたくはありませんし」
二人は互いに顔を背け大きな溜息を吐いて、重い足取りで寮母の部屋へと向かった。
※ ※ ※ ※ ※
遊園地で夕食をとっているガルベージュス公爵の隣に座りながら子爵は”いっしょに移動”されているザイオンレヴィを、春の陽射しの如き優しき温かさで見つめていた。
”いっしょに移動”とは人間には禁止されている行為で、胴上げしながら移動するというもの。優勝者を讃えての行為なのだが、子爵にはそうは見えなかった。宙に強制的に回されるザイオンレヴィ。舞っているのではなく、宙に放り投げられる都度”くるくるくる”と横回転しているのだ。おかしな声も漏れ聞こえるのだが、それは悲鳴にならない。そして”いっしょに移動”してくれる皇王族たちは総じて真面目だった。彼らの常識と行為は乖離していることが多い……そう子爵は思った後に、頭を振った。
―― 我等エヴェドリットの常識と行為だって他属からみたら……
子爵は自分の一族の立ち位置を、中々に理解している冷静な面を持ち、同時に自分がそこから完全に離れてはいないことも重々理解している。
ちなみに当初、子爵はザイオンレヴィがエターナ=ロターヌであるので触れられたら大変だと止めに入ろうとしたのだが、
「安心してください。ギュネ子爵に触れているのはライフラ・プラト所持者だけです。彼らは情報遮断能力、いわゆる精神障壁能力が高いので、決して問題はおこりません。もっとも精神障壁能力に優れているゾフィアーネ大公がほとんどギュネ子爵を押していますから大丈夫ですよ」
ガルベージュス公爵にそう言われて集団に目を凝らす。するとそこには、先程まで確かに服を着ていたはずなのに、肌色ばかりになった人物が確かにいた。
「ゾフィアーネ大公の障壁でしたら安心ですが……あの、何時の間に脱がれた……いや、正装になられたんですか。いや正装に良くなられる方ですよね」
子爵としてはなにをどのように言って良いのか甚だ困った果ての言葉だったが、
「気付けば正装をしている。そんな堅苦しい男ですよ、ゾフィアーネ大公は」
返答はもっと困る方角を向いてしまった。
「……はあ」
いつも正装だから堅苦しいと言ってもおかしくはないのだが、堅苦しいという言葉がこれほど似合わない正装もない。
《頼むから! 降ろして下さい! 伝われ、この気持ち! 伝わってくれえぇ!》
「ご安心ください! ギュネ子爵。このゾフィアーネ、精神障壁を最大値に引き上げておりますので、何一つ解りはいたしません! 次は何処ですか! 叫んでください! ……ご希望承りました! 皆さんジェットコースターに乗りますよ! さあ! 全員移動開始です!」
(ジェットコースターの上でも延々と胴上げを続けている)
人類は対話によって共存をはかった。だが対話は通じないこともあった……子爵はジェットコースターに連れて行かれるザイオンレヴィを見て、そんなことを考えたが、考えてもどうしようもないというか、何がなんだかさっぱり解らないので諦め、普通に堅苦しい人の話題に移行した。
「堅苦しいといえば、テルロバールノル属ですが……」
メディオンは想像ほど堅苦しくはなかったなと、子爵は思い語尾が曖昧になった。
「そうですね。今日寮に残ったテルロバールノルの二人、間違ってキルティレスディオ大公に捕まってなければいいですがね」
「寮母さまにですか?」
「あの人、酒乱なんです。性質の悪い酒乱でして、過去に三度酒乱で軍を除籍されているくらいですから。公になっていませんから、子爵は知らなかったかもしれませんが」
「知りませんでした」
公ではないにしろ、三度も軍を除籍されておきながら元帥の座についているほどに、才能は傑出している。
「良い機会なので教えておきます。キルティレスディオ大公に酒を用意して部屋に来いと言われたら、即座にヒロフィルの所へ行きデルシ様直通の通信機と酒を貰ってください。そのまま部屋へと行き、キルティレスディオ大公が酒を一口飲んだら即座にデルシ様を呼んでください。移動時間も考慮しないと危険な酒乱です。男女も年齢も構わないで発動する酒乱です。あの通り元帥ですので、やたらと強い上に酒を飲むと能力があがるので、ほとんど手の付けようがないのです」
「はあ……」
「ああ、二人に注意してくるの忘れましたね。皇王族なら誰でも知っていることなので、ついつい言い忘れてしまいました。子爵もヨルハ公爵やエルエデスに教えてあげてくださいね」
「はい。話は変わるのですが、少々お聞きしたいことが」
「なんですか?」
「メディオンに遊園地のグッズをプレゼントしようかと思ったのですが、プレゼントしてはいけない物とかありますか?」
先程メディオンのことを思い出した時途中で帰った彼女に、揚げ春巻き代わりになにか買って行こうと思った子爵だが、他属相手に迂闊なものを贈って気分を害したらまずいと考え、ガルベージュス公爵に尋ねることにした。
「プレゼントですか。プレゼントを贈るのなら”次回は一緒に行こう”と誘う必要もありますから、まずはチケットでしょう。贈り物は一緒に選びましょう。わたくしもエシュゼオーン大公にプレゼントを買っていきますから」
ショップで二人は手触りの良い縫いぐるみを購入することに。ガルベージュス公爵は象で、子爵は兎。アニバーサリーの一点物でショップでは最高額だが、
「ご大層な箱だな……箱は別に届けてくれ。これは、その遊園地のロゴが入った袋に」
「それいいですね、子爵。ではわたくしも同じように」
買っている二人にはお手頃な価格にしか感じられなかったのは説明するまでもない。
「帰りに取りに来るから預かっていてくれ」
「お願いしますね。あと彼にチケットを二枚。このくらい奢りますよ、なにせ後で頼み事があるので」
チケットは幾つかのランクがあるのだが、皇王族対応講義を受けている店員は笑顔で聞き返さずに、最上級のチケットを発行した。
最上級チケットの年に百枚しか発行されず、購入するのは貴族だけで、それも皇王族たちと一緒に来た人のみ。この百枚だけで、年間入場料の五分の一を上回るのだから金額は言うに及ばず。
「解りました。ではありがたく奢られておきます、ガルベージュス公爵」
その後二人はジベルボート伯爵と何故か二次会に混ざっているミステリー同好会のクロントフ侯爵と共に遊園地を堪能した。
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