照れて頭を振りすぎて椅子から転げ落ちたヨルハ公爵をデルシが抱き上げている所に、
「デルシ、よいか?」
「陛下!」
皇帝が突然現れた。
来ると聞いてはいなかったデルシは驚き、抱き抱えていたヨルハ公爵を《強く抱き締め》拘束して、皇帝の身の安全をはかる。
「お前がゼフ=ゼキか」
「はいヨルハ公爵ゼフ=ゼキ・ヴァレンタランス=ヒヴィトリアンス・ディレスカンデーデにございます」
デルシの腕の中にいたヨルハ公爵の体に力が入ることはなく、
「矢車菊の茶を飲みながら、お前と話しがしたい。ゼフ=ゼキよ」
皇帝が新たに用意させた茶がテーブルに並べられ、皇帝が着席するとデルシは腕を解いてやり、ヨルハ公爵は皇帝の前に膝を折り話に花を咲かせた。
「次は菓子を持ち、部員全員で余に会いに来たいとな?」
「はい!」
「よろしい。余も常々帝国上級士官学校のクラブ活動の内容を見たいと考えていたのでな。全クラブの活動報告を受けてやろうではないか」
「ありがとうございます!」
立ち上がり、隣にいたデルシの首に抱きつき”ぴょんぴょん”跳ねて、嬉しさを体全体で表現するヨルハ公爵に皇帝の表情も緩む。
「やりました! デルシ様! シクもクレウも喜ぶ!」
デルシは”座れ”とは命じず、あやすように背中を叩き、喜びに共感してやる。
「良かったな、ゼフ」
非常に行儀が悪いのだが、ここで”座れ”と命じれば、ゼフが暴れることを首に回された腕の力から感じ取り、万全を期するために周囲の兵士たちにも遠ざかれと手で指示を出す。
ヨルハ公爵が退出してから、
「ゼフに抱きつかれて、首が折れるかと思いました」
「お前の首が折れるとな? デルシ」
デルシは首を三回ほど回して側頭部に手のひらをあてる。
「折れるというのは”こんな感じではないかな?”と思ったまでですが。とこで陛下、本当によろしいのですかな? クラブを見てやるなど。相当な数ですぞ」
「よいに決まっておろう。皇帝はできぬ約束はせぬ。それにしても楽しい男だな。ベリフオンは種類が違い過ぎるが、下手に似た男よりはよかろう」
「ゼフが飛びかかりでもしたらどうするおつもりで?」
「余は強くはないから平気であろうと思ってな」
「まったく」
※ ※ ※ ※ ※
ヨルハ公爵の面会が終わり、別室で待機していると連絡を受けたベリフオン公爵は”行きましょう”と手を差し出す。
「どうやら終わったようです。では一緒に迎えにいきましょう、エルエデス」
「我が行く必要などない」
その手を払いのけエルエデスは腕を組み横を向いたが、その顔を両手で挟み力尽くで正面に戻し”付いてくる”ことを強要する。
「付いてきてください」
菩提樹蜂蜜色をしたエルエデスの甘やかな色調の髪も大きく乱れる。
「……」
エルエデスは黙ってされている性格ではないので、同じようにベリフオン公爵の顔を掴み頭蓋骨が軋む程力を込めて睨む。
「私とあなたは仲良くなる必要はありませんが、互いを知る必要があるとおもいます」
「作戦を遂行するにあたってな」
「学年が違うので話をする機会が少ないのが残念です。同じクラブでしたら、融通も利くのですが。どうです? 私が部長を務めるクラブに入りませんか?」
ベリフオン公爵は頭から手を離し、指すべてで髪を引っ張るように梳く。艶やかなエルエデスの頭髪は光り揺らめき眩しいばかりに輝く。
「……」
”エルエデス、今日は何を観る? お茶飲む? へえ、楽しみだね。あ、うん、恐くはないよ”
「ホラー映画観賞部、気に入りましたか?」
ベリフオン公爵の癖のない灰褐色の髪をから手を離したエルエデスは《なにを考え、なにを期待しているのだ》と己を突き放してクラブを尋ねる。
「別に。貴様が在籍しているクラブはなんだ?」
「サウザンアイランドドレッシング部です。サラダにかける一手間加えたオーロラソースとでも説明すれば解り易いでしょうかね。そのサウザンアイランドドレッシングを日々研究しております」
「断る!」
「そうですか、残念ですね。ちなみに部員は私一人なので、秘密の話をするのには最適なんですけれども。二人でトマトやオリーブの栽培に鶏の育成からしようと思っていたのですが」
―― ゼフのことがなければ、危うくこいつとサウザンアイランドドレッシングを、原材料から作る羽目になるところだった! そんなことするなんて、こいつと子ども作るのより嫌だ!
図らずもヨルハ公爵はエルエデスの精神を救った。
※ ※ ※ ※ ※
「たしかにそうじゃが……儂はぬしと話すこともないし……」
俯いたメディオンに、
「では一緒に出かけましょう!」
ゾフィアーネ大公は元からの予定を告げる。実は彼自身、別の予定があったのだ。それに付き合わせようと、行き先も告げずにメディオンの腕を掴み歩き出す。
「ど、どこへじゃ? ま、待て! ゾフィアーネ大公! ぬしの足はながっ!」
同い年のゾフィアーネ大公とメディオンだが、身長は15cmほど違い、その15cmはすべて股下。長い足を存分に使い大股の早足で歩くゾフィアーネ大公について行けず、躓き転びかける。
「……っ?」
「失礼しました」
”転ぶ!”と思ったメディオンだが、ゾフィアーネ大公に抱きとめられていた。
「いつの間に……!」
”こやつのせいで転んだ”という素直な気持ちと”それでも転ばないように抱きとめてくれたから”という理性の間で僅かばかり逡巡し、礼儀として感謝の気持ちを述べようとしたメディオンの視界に飛び込んできたのは、ベリフオン公爵とエルエデスとヨルハ公爵。
「離さぬか!」
礼を言いそびれたことを後で後悔したが、この時はそんな余裕、メディオンにはなかった。子爵に近い知り合いに見られたことで大焦り。
乱暴に体を押されたゾフィアーネ大公だが、もとより体の作りが違うので驚きもせず、
「おや? 皆さんどちらへ?」
知り合いに出会っても皇王族らしく右手でマントの端を持ち、左手を斜め前に曲線的に差し出して挨拶をする。皇帝に酒を注ぐために心血を注ぐ男の動きは滑らかで静けさすら感じさせる。
―― 喋らなければ本当に物静かそうなお方です(ジベルボート伯爵談)――
「ゾフィアーネ大公とリュティト伯爵か」
エルエデスは二人を見ても不自然だとは感じなかった。
メディオンは父親がローグ公爵で母親がテルロバールノル王女。イデールマイスラの従妹に当たり、皇帝の后にもなれるほど。
その彼女の婿候補となれば、皇王族でも上位陣が選ばれるのは当然で、その関係だろうと推察して。そう思っているエルエデス自身、似たような物なのだが自分のことはあまり気付かないもの。
そしてベリフオン公爵もヨルハ公爵も同じで、にやつき探ることもなければ驚きもしない。
「いや! これはな!」
誰も驚かないので”正しく勘違いされている!”と気付き、自分の秘めた気持ちの在りかを守るために焦り否定するメディオンと、
「ちょうど良かった。皆さんもご一緒にいかがですか?」
対照的というべきか、いつも通り落ち着き払ったゾフィアーネ大公。
「ご一緒にって、どこに?」
「兄が街で反重力ソーサーレース部の打ち上げをしているのですよ。そこに行こうと思いまして。いかがです?」
必死に否定していたメディオンの動きが《反重力ソーサーレース部》と聞き止まる。
「行こう。ヨルハ公爵、ケディンベシュアム公爵」
もしかしたら応援に行った子爵もいるかもしれないと思い、心は既に打ち上げ会場に。
「部外者が邪魔してもいいのか?」
「問題ありませんよ、ケディンベシュアム公爵。私など、他のクラブの打ち上げに皆勤賞ですよ」
「黙って一人でサウザンアイランドドレッシング作ってろ」
エルエデスの冷たい視線など物としないベリフオン公爵を無視し、
「打ち上げに部外者が混ざることなどざらです。例え陛下が飛び入りで混ざられても、このゾフィアーネがいる限り給仕に問題はございません!」
ゾフィアーネ大公は何時ものごとし。
「場所はどこなんだい?」
ヨルハ公爵も楽しいことは好きなので、行き先を尋ねて参加の意思を明らかにする。
「貴族街と平民街の間にある、上流市民街の中程にある、企業や大学の謝恩会などに使われるところです。庶民らしいお値段で中々に料理が美味しいところです」
世間的には金持ち下級貴族や平民の一世一代の晴れ舞台に使われる場所で、企業や大学の前には《一流》という単語が付くのだが、そんなこと彼らが気付くはずもない。
「ゼフが行くなら我は遠慮させてもらう」
「ケディンベシュアム公爵、ここは帝国ですよ。王国では反目しあっているかもしれませんが、陛下のお膝元で、百年戦争程度の些細な小競り合いで酒宴の席を断るなど愚かしいことですよ」
「……解った」
百年戦争とは有人惑星27590個が破壊されたラウ=セン・バーローズとガウ=ライ・シセレードの《個人的な争い》のことである。
「ところで、リュティト伯爵も連れて行くのか?」
メディオンの手首をしっかりと逃げないように握り直しているゾフィアーネ大公にヨルハ公爵が尋ねる。
「駄目ですかね?」
「リュティト伯爵、嫌じゃないか?」
二人が近付いてきた時の状況を見ていたヨルハ公爵には、どう考えてもメディオンが嫌がっているようにしか取れず、実際メディオンは先程までは嫌であった。
「……お主もら行くのであろう?」
「行くよ。シクに連絡入れたら、打ち上げに参加してるって返事きたしね。今日はクレウの屋敷に泊まらせてもらうから合流するのが最適だ」
子爵もがいるのであれば話は別。
「ならば儂も行く。下々の生活を直接見るのも良い勉強じゃ。お主もそのつもりで行くのじゃろう!」
「そんな気負っていくわけじゃねえよ。これだからお姫様は」
エルエデスが思わずエヴェドリット口調になり”かちん”ときたメディオンが言い返そうとしたのだが、
「決まりましたね。では、ただいま車を用意させますので」
場を仕切る能力に長けているゾフィアーネ大公が二人の手首を掴み、言い合いの芽を潰しがら歩き出す。
用意されていた六頭立ての軽装馬車。
「正式な外出ではありませんからね」
軽装だが車体から車軸に至る迄、金で装飾されており、馬の毛並みは灰色。
「大公皇王族が使用する共用馬車じゃな」
共用なので個人を示す紋章ではなく、ベルレーヌ(皇王族)を示す《秋桜の茎と葉に朝顔の花が咲いている》帝国唯一の合成紋が施されている。
全員馬車に乗り込み、ゾフィアーネ大公の合図を受けて馬車が動き出した。
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