六年になると帝国上級士官学校生は帝国軍の希望部署に届けを提出する。入学するのも卒業するのも宇宙最難関を乗り越えた彼らは、望んだ部署に確実に配置される。
それは全員が提出しなくてはならない物ではなく、
「シクと我は無職」
「きゃああ! 格好良い、シク! ヴァレン」
届けを出さない者もいる。
ヨルハ公爵の”無位”に関しては主であるバーローズ公爵の座についたバベィラが許可しているが、
「ご両親、怒らない?」
「聞く耳持たずだ、ザイオンレヴィ」
「だろうね」
子爵の両親は許可していない。
ただ子爵の両親は息子を理解しているので、領地を取り上げたりはしない。
放蕩息子に対して、資金源を絶って仕事をさせる――そう考える者もいるが、子爵は貴族特権がなくなったら、自活の道を全力で邁進してしまうのは明か。
なにより息子には、
「我が助けてあげるから!」
「ありがたいがな……ヴァレン」
優秀過ぎる友人ヨルハ公爵がおり、彼が全力でバックアップもしてくる。息子の友人であるヨルハ公爵が自分たちよりも勢力があること、彼の主バーローズ公爵に文句を言おうものなら”にたあ”と言う笑いと共に全面攻撃を仕掛けてくるのは明白。
これがフレディル侯爵家を継ぐ兄であったらまた違ったかもしれないが、子爵は家督を継がない次男なので、両親もそこまではしなかった。
下手に全部を取り上げるよりかなら、与えるものは与え、責任感の強さを利用し、貴族の仕事をさせ、特権を利用させて、手の届く範囲に置いておくのが最良。
「いっそ貴族の特権と領地を剥奪してくれたら」
「シクのご両親、そんな馬鹿じゃないでしょ。ねえ、ザイオンレヴィ」
「まあね。エディルキュレセって、剥奪って言われたら即座に返還できるように、引き継ぎの用意とかしているだろ? 僕ですら分かるんだから、君のご両親にはバレバレってかさあ」
「そんなにバレバレか?」
「我はシクのそんなところが大好き」
「……ありがとう、ヴァレン」
息子の特徴を理解している、知性高く落ち着きのある当主親というのは、中々に厄介な相手である。
「ご両親にしたら、エディルキュレセもそうだろうけどね」
「いや、そんなことはないだろ、ザイオンレヴィ」
※ ※ ※ ※ ※
子爵たち学生生活最後の寮祭――
「伝統になったんだって?」
「いや……伝統というか……」
心太早食い大会、それはいつしか寮祭の伝統となった。六年三回程度だが、伝統なのである。
早食い競争は改良を重ね「かけるもの」はくじ引きで決められ、両者が同じ物をかけることになった。
司会のゾフィアーネ大公がくじ引きの箱を持ち、見物しに来た皇帝の元へと駆け寄って引いてもらう
「今年の決勝に使われるものは……わさびです!」
ガルベージュス公爵対ザイオンレヴィの因縁の勝負は、
「三回連続勝者! ギュネ子爵ザイオンレヴィ! これはもう、美女のキッスをもらうべき快挙でしょう! お願いします! エンディラン侯爵」
わさびに無類の強さを誇ったザイオンレヴィが見事優勝した。彼は調理したものより、原っぱに生えている草などをそのまま食べる生活が長く、水が綺麗なところでわさびを千切って食べていたので、鼻から抜けるあの刺激にまったく動じることがなかった。
ちなみに心太一杯200gにつき、わさびは同量の200gである。
「いや、要らないよ! ジュラスのキスなんて」
「ちょっと、失礼ね! 私のキスが要らないってどういうことよ!」
マルティルディが来なかった最後の寮祭は終わり、それを告げる花火が夜空を飾る。
子爵とメディオンは、二年の時と同じように二人で花火を眺めた。
「再来年もこうやって一緒に来られたらいいのう」
「そうだな」
「……一緒に来ような」
「ああ」
「あのなあ、エディルキュレセ。儂、エディルキュレセに面倒な頼み事をしたいのじゃが……聞いてくれるか?」
「もちろん」
そして子爵たちは卒業の日を迎える ――
帝国上級士官学校の卒業式は午後から執り行われ、午前中は、荷物の発送を終えて退寮手続きを完了させる時間にあてられる。
ヒレイディシャ男爵は最後の荷物を前に、執事の言葉を再度思い出す。同時に彼の頬はゆるみ、表情はやや綻びかけていた。
ピンクのアルパカの面を渡された時は”これをどうしたものか?”と寝られぬ程に悩んだ彼だが、学生生活が終わってみれば楽しかった。だがそれは、不特定多数の者に言える楽しさではなく、自分と一緒に研修をしたゾフィアーネ大公に対してのみ言える楽しさ。
体験した者同士でなければ分からない。
最後の荷物としてスーツケースにしまい部屋を出る。メディオンは既に退寮手続きを取り、帝星へとむかった。
『この荷物、発送手続きを取っておいてくれぬか?』
ヒレイディシャ男爵は共有スペースにおかれたその品を見て頷き、箱を抱えて廊下に出た。
退寮と発送の手続きを取っていると、ゾフィアーネ大公もやってきた。
「ヒレイディシャ男爵」
「ゾフィアーネ大公か」
「卒業ですね」
「そうじゃな……ゾフィアーネ大公」
「はい、なんでしょう?」
輝かしくロヴィニアとはまた違う嘘っぽい笑顔と通る声。
「この六年間、儂はとても楽しかった」
「ええ! 本当に楽しかったですよね」
「その中でも特に楽しかったのは、お主との研修じゃ。お主と一緒に過ごせたことに感謝しておる。ありがとう」
ヒレイディシャ男爵は握手を求めて手を差し出す。その手をしっかりと握り返す。
「私もヒレイディシャ男爵のような人と出会え、そして友人となれたこと嬉しく思っております。ヒレイディシャ男爵はベル公爵を、私はアディヅレインディン公爵を影から支えて行くことになり、対立することもあるでしょうが、それでも私は貴方は友人であり、私は貴方の友人でありたい」
いつも微笑みあまり真面目な顔付きにならないゾフィアーネ大公だが、この時は美しく整った顔に真剣さを浮かべていた。
※ ※ ※ ※ ※
エルエデスとヨルハ公爵は最後のホラー映画を見終えた。
握りあっていた手を、どちらからともなく離す。
エルエデスは卒業式が終了したら、式後に行われるパーティーにも出席することなく迎えに来ているキーレンクレイカイムと共にロヴィニアへと向かうことになっている。
ヨルハ公爵以外の知人たちは、パーティー出席後、翌日に二人を追う形でロヴィニアを訪れ結婚式に参列する。
ガルベージュス公爵がエンディラン侯爵の気持ちを掴むための猶予期間があと一年残っているので、皇王族たちはほぼ全員来年の結婚となり、エルエデスが学年では最初に式を挙げることになった。
手を離したヨルハ公爵はエルエデスの腹に耳をつけ、エルエデスとイルギ公爵の子の心音を聞く。
「エルエデスのお腹の子と、いつか生まれる我の子も、こうやって寮で楽しく過ごせるといいね」
「そうだな」
腹部にあるぱさついた黒髪を撫でながら答える。少ししてヨルハ公爵は頭を離して、エルエデスの手を引いてソファーから立たせる。
「妊娠、結婚おめでとう! ……で、いいのかな?」
腹にいるのはイルギ公爵の子で、結婚相手はキーレンクレイカイム。好きな男は目の前にいるヨルハ公爵。
「ああ」
ヨルハ公爵は爪先で立ち背伸びをし、エルエデスの頬を掴みその額にキスをした。
首が折れ曲がったようにしか見えないヨルハ公爵を前に、エルエデスは前髪を掴み眉毛の上あたりで引きちぎる。
いつも露わになっていた額は”跡”のないキスの跡と共に前髪で隠れ、千切った前髪は、
「初恋の相手に渡すとか聞いたことがあった。受け取れ、ゼフ」
ヨルハ公爵に力強く手渡す。
受け取ったヨルハ公爵も前髪を千切りエルエデスに渡した。
「少しだけだけど」
「ありがたくもらっておく。我の髪は最後には食えよ、ゼフ」
「うん! ありがとう」
帝国には切った前髪を初恋の相手に渡すという風習があった。徐々に廃れてゆく風習ではあったが、存在そのものは消え去ることはなかった。
※ ※ ※ ※ ※
メディオン最後の荷物は子爵から貰った兎の縫いぐるみ”バーディンクレナーデ”
「お主には、色々話を聞いてもらったのう」
万感の思いを込めてバーディンクレナーデを抱き締め、子爵から縫いぐるみを貰ってから数日後に渡された「箱」に丁寧に優しくしまい込む。
「お主はずっと飾っておくが……いまからしばらくは、箱に入っておってくれ」
メディオンは寮生活の空気を、バーディンクレナーデと共に箱に閉じ込めた。
「次に開くときは、儂が公職を引退してからじゃ。その時、独り身の儂の話相手になってくれよバーディンクレナーデ」
箱を閉じ共有スペースにおいて、子爵との待ち合わせ場所へと急いだ。
『陛下。一生のお願いですのじゃ……』
待ち合わせ場所は皇帝のみが立ち入ることの出来る場所。メディオンは頼み込み、その一角を借りた。
その場所とはウォーターヴァイオレットに彩られた湖、中心には改良され咲き続ける藤を飾った棚。藤棚の下には一本の白いストック。
軍妃ジオと皇帝オードストレヴが逢瀬を重ねた場所である。
卒業式に向かう正装をし、先に到着した子爵は、皇帝の命を受けた案内から「ある物」を手渡され、一人になってからずっと湖の中心を見つめていた。
『髪を切る練習をしてくれないかえ?』
「エディルキュレセ、待たせたのう」
やってきたメディオンに”そんなことはない”と首を振る。
二人は並び、湖の縁を歩き、藤棚へとつながる橋を渡る。一本のストックの脇にある椅子にメディオンは腰を下ろし、ヒレイディシャ男爵からもらった理髪道具入れを開き、上着を脱ぎケープを被る。
「メディオン。陛下からの贈り物だそうだ。受け取ったらすぐに開くように……だそうだ」
子爵は案内から渡された包みをメディオンに渡した。中身は小振りな一本のウォーターヴァイオレット。帽子に差すのには丁度良い大きさ。
『理由を述べよ、メディオン。余はお前の頼みを聞きたいのだ、だから教えてくれんか? メディオンや』
『陛下……実は儂……独身を貫き通したいのです。その為には……誰にも知られぬ所で髪を切り落としたいのですのじゃ』
『その美しい黒髪を切り落としてしまうのか……分かった。お前の希望の場所、貸してやろう』
『陛下』
『余もアルカルターヴァとの付き合いは長い。説得できぬ表情をしていることは感じ取ることができる』
一輪のウォーターヴァイオレットを手に乗せ、皇帝の心遣いに涙が溢れ出しそうになりこらえるメディオン。子爵はブラシを持ち、メディオンの髪を梳く。
「エディルキュレセ」
髪を梳いている手に触れて、ブラシを渡してもらう。子爵は鏡を立ててメディオンの前に置き、鋏を手渡した。
メディオンは一房ずつ、自分の手で黒く美しい髪を切り落としてゆく。
柔らかな湖畔の水音とさえずる小鳥の声と、硬質な髪を切る音。
美容部で練習した甲斐があり、髪は綺麗に切り落とされ、最後の一房を残すだけとなった。
「エディルキュレセ。最後の一房、切ってくれぬか?」
「ああ」
子爵はメディオンの右後方に残った一房の黒髪を手に取り鋏をあてる。目を閉じると様々なことが思い浮かぶ。そして目を開き、藤の花が舞い落ちる中、真っ直ぐに切り落とす。
切った髪を渡してから、子爵はメディオンの髪を整える。
貴族ではあまり見られないショートカットを完成させ、ケープを取り外した。
毛先が頬にかかるショートカット姿の自分を鏡で見て、
「エディルキュレセ、似合うかえ?」
「自分で揃えておきながら言うのも……なんだが、似合っているぞメディオン」
短くなった髪を触り、恥じらいの表情を浮かべながら尋ねてきたメディオンに、子爵は正直な気持ちで答えた。
メディオンは椅子から立ち上がりブラシを持ち、今度は子爵が座る。
栗毛の長い髪をメディオンが梳く。
「エディルキュレセ」
「どうした? メディオン」
「儂は陛下に独身を貫くことに許しをいただいたが、エディルキュレセは両親の許可はもらえなかったのであろう?」
「無理だったな」
「儂から陛下にお頼みしにいっても良いが」
「ありがたいが、そこまでしてくれなくてもいい。陛下にご迷惑がかかる可能性もあるからな」
「どんな?」
「エヴェドリットは、どんな些細なことでも争いに持ち込む。我に独身許可を与えたことを不満に感じて……なあ。ローグ公爵閣下のように王や陛下に忠実であれば良いが。我等はなあ」
「そうか」
メディオンは存分に子爵の髪を梳き、美容部の面々と用意した髪留めを手に取る。
栗毛を損なわず目立たず、だが貴族らしいものを――メディオンの希望の元、試行錯誤を繰り広げ辿り着いたのは、茶色みを帯びたオレンジのゴム。中心に控え目ながら、金糸細工が施されている。
そのゴムで子爵の髪を低い位置で束ね、鏡を取り出し合わせ鏡にし、
「どうじゃ?」
出来を尋ねる。
「いいな。ありがとう、メディオン」
六年前のメディオンからは考えられない態度、仕草、そして笑顔。
理髪セットを片付けて、子爵はメディオンが被る帽子を掴み、
「ここら辺でいいじゃろうか?」
メディオンは皇帝から渡されたウォーターヴァイオレットの花を差す。
「いんじゃないかな?」
その帽子を子爵がメディオンの頭に乗せる。
二人は一輪のストックの前で額を軽く合わせ、
「これからも……よろしく」
「こちらこそなのじゃ」
別の人生を歩む未来に対し、挨拶をした。
「会場へと行こうか、エディルキュレセ」
「そうだな。メディオン」
藤棚がある中心部から出て、湖の畔から振り返る。美しく冷たい水と、咲き続ける藤。二度と見ることはないであろう風景を目に焼きつけて。
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