君想う[103]
帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[154]
 ジベルボート伯爵とザイオンレヴィは早くに卒業式会場に入り、準備してくれている在校生たちの間を抜けて、会場を見て廻っていた。
「マルティルディ様、お出でになるんでしょうか?」
 寮祭に来なかっただけではなく、最近めっきり人前に姿を現す回数が減ったマルティルディのことをジベルボート伯爵は心配していた。
「そうだね……来られるのかなあ」
「あっ! ザイオンレヴィ、マルティルディ様で……」

 久しぶりに会ったマルティルディの美しさに、ジベルボート伯爵は声を失い、ただ見惚れる。

「どうしたんだい? クレッシェッテンバティウ」
「うあ……おあ……あまりにお美し……」
「そうかい。ザイオンレヴィ」
「はい、マルティルディ様」
「君、ひどい成績だね」
「も、申し訳ありません」

―― 一層、お美しくなられましたが、中身はいつものマルティルディ様で安心しました

 ジベルボート伯爵は詰られているザイオンレヴィの隣で、マルティルディの美しい顔を眺めながら、笑顔を貼りつけ時が過ぎるのを待った。

 こうして皇帝や王隣席のもと、卒業式が執り行われた。卒業生代表はもちろんガルベージュス公爵。在学中、一度たりとも成績順位を落とすことなく首席をとり続けた彼。
 卒業生たちのガルベージュスコールを受けながら彼は壇上で輝き続けた。
 ちなみに子爵もこの頃になると「ガルベージュス」の発音は完璧になっていたので、皇王族に混ざって声援を送った。

 式が終わり皇帝が去ってから卒業生たちが会場から出ると、
「行くぞ、エルエデス」
 キーレンクレイカイムが部下を連れて待機していた。
「ああ」
「前髪切ったのか?」
 切った前髪に手を伸ばしたキーレンクレイカイムだが、その手はエルエデスに弾かれる。
「見ての通りだ」
「花嫁衣装は、前髪が長いのに合わせて作らせたんだが」
「構わん。行くのだろう」
 キーレンクレイカイムと共に去ろうとした時、会場から出てきたメディオンが、
「エルエデス、似合っておるぞ! その髪型」
 手を振りながら声をかけてきた。
「お前も似合ってるぞ、メディオン。パーティー楽しめよ」

 卒業生たちはそのままパーティー会場へと行き、卒業後の進路や学生時代の話題に花を咲かせる。三時間ほどして終わり、そこから二次会が始まり、
「二次会皆勤賞とは私のことです」
「ベリフオン公爵……」
 在校生や先輩たちも合流し、卒業パーティー以上の規模の、楽しく無礼講が始まる。すっかりと腰布になったゾフィアーネ大公やら、腰の部分だけ丸出しのジーディヴィフォ大公やら、気づけば首にロープをまかれぶら下がっているザイオンレヴィやら。
「ガルベージュス公爵」
「リュティト伯爵。どうなさいました?」
「おめでとうを言いに来たのじゃよ。首席卒業おめでとうなのじゃ」
「ありがとうございます、リュティト伯爵」
「儂は堅苦しいお主が大好きじゃよ。仲良くなってもその姿勢、いつまでもそのようであってくれや」
「はい」
「殿下のこと、今後とももよろしゅうな!」
「……はい。もちろん、わたくしの友人ですから」

 ほろ酔いのメディオンが、皆に感謝を告げて歩いたりと。

 翌朝……というよりは、徹夜のままキーレンクレイカイムとエルエデスの結婚式に参列する面々は、ロヴィニアが用意した豪華宇宙船前に集まる。
 子爵、メディオン、ザイオンレヴィにジベルボート伯爵の四名。
 エンディラン侯爵も参列するのだが、彼女は卒業式は”喧しいこと確実”なので避け、自領地から直接ロヴィニア王国へと向かっている。
「じゃあね」
 卒業したヨルハ公爵はさすがにエルエデスの結婚式には参列することはできず、ここで子爵たちを見送ることになった。
「行ってくるのじゃ」
「ヴァレン、結婚式終わったらシクと一緒に遊びに行きますからね!」
「それじゃあね、ヴァレン」
「バベィラ様によろしくな」

 見えなくなるまで両手を振り続け、満足したヨルハ公爵は、帰る前に世話になったデルシのところへと挨拶に立ち寄った。
「デルシ様」
「来たか、ゼフ。三位とは見事な成績だな……まあ、お前にとって成績など些細なことであろうが」
「シクと今度、迷路図考えるんです。シクがバベィラ様に挨拶にきて、そしてトストスと一緒に!」
 ヨルハ公爵は骨張っている胸をガンガンと叩きながら、次の予定をデルシに伝える。
「そうか。良かったなあ」
「はい」
「楽しい学生生活で良かったな」
「はい……でも心残りはあります」
「なんだ?」
「エルエデスを殺せなかったこと。花嫁のエルエデスは綺麗だろうけど、戦っているエルエデスはもっと綺麗。戦って死ぬエルエデスはそれよりも綺麗で、我がもっともエルエデスを美しく殺せたはず」

―― あの”仔”はお前が殺してもよい”仔”だぞ ―― 

「殺す機会を永久に失ってしまった気がします」
 エルエデスを殺す夢を見ることも”もう”ない。
「そうだな……ゼフ」
「はい」
「それはそうと、早く我にお前とバベィラの子を見せてくれ」
「もちろん! ご期待に添えるよう頑張りますので! そして我の子とエルエデスが産むイルギ公爵の子は、良き友人関係を築けるようにします」
「それも良いな。その際は、我も協力しよう」
「ありがとうございます! デルシ様!」
 子どものころと変わらない笑い顔、血色の悪い唇に運ばれるたケーキ。口の端に生クリームが付き、向かい側のデルシが差しめすと”恥ずかしい”と言いながらハンカチで拭き取る。

「カロシニア公爵殿下、バーローズ公爵閣下が到着しました」

 迎えにきたバベィラに自慢気に成績表を差し出し、隈の濃い目を大きく開き褒められるのを待つ。
「バベィラ様! お待たせしました! そして成績表です」
「ゼフ、お帰り。……これは凄いな。さあバーローズ公爵領に帰るぞ。皆が待っておる。それではカロシニア公爵殿下」
「気をつけて帰れ」
 バベィラと共に帰っていったゼフを目を細めて見送り、
「さてと、次はフェルディラディエル公爵か」

 百年以上帝国に仕えた歴史の生き証人も、そろそろ彼が見送った皇帝たちの元へと行くことになっている。
 キルティレスディオ大公がデルシに迷惑をかける都度、謝りにきたフェルディラディエル公爵。
「我の命がある間は安心しろ」

※ ※ ※ ※ ※


 フェルディラディエル公爵は文句を言いつつ、しっかりとキルティレスディオ大公の使用済みパンツを処分して旅立っていった。

「下着を自分で処分するよう、お前に命じなかった余の失態だな」
 文句を言った相手の一人は皇帝であり、もう一人は、
「ミーヒアス。これからは自分で処分するのだぞ。我はヒロフィルほど甘くはないから、処分はしてやらんからな」
 もちろんデルシ。
「ヒーローフィールー! そして誰がお前に下着の処分頼むか! エデリオンザ!」

 卒業生たちを無事に見送り、身辺整理を終えてデルシと皇帝に後を託し、皇帝と二人きりで最後の晩餐という栄誉に預かったフェルディラディエル公爵。
 百二十歳の天寿を全うした彼が最後まで心配していたのは、キルティレスディオ大公の使用済みパンツを処分してくれる次の担当者が見つからないことであった。

 性格や酒乱や生活態度は、もう心配してもどうにもならないので――

 最後の最後までフェルディラディエル公爵に暴露され、死者を悼むよりも先に叱責を受けたキルティレスディオ大公は部屋へと戻り、帝国上級士官学校新入生の履歴書に目を通す。
「……」
 だが、まったく気分が乗らず、それどころか頭にも入ってこない。酒乱ではあるが頭脳明晰な彼は今まで体験したことがない。
―― どうしてこんなにも頭になにも入って来ないのか?
 意味もなく体ごと振り返り、そこにフェルディラディエル公爵が居ないことを確認しては履歴書に向き直る。
「あー……ん?」
 机には履歴書だけではなく、総統合本部長官の仕事が幾つか乗っていた。
 キルティレスディオ大公は若い頃に、情報統制総合本部の長官を務めていたことがあった。机に乗せられているのは、その類のもの
「なんで俺が、統合本部の仕事を。分散を要求……」

 総統合本部長官はガルベージュス公爵の父・デステハ大公。
 彼は妻である筆頭元帥のサディンオーゼル大公と共に、今年卒業した生徒たちが五年の研修の最中から、ケシュマリスタ王太子夫妻の間を取り持つという偽りの名目で、ケシュマリスタ王国入りしていた。
「イデールサウセラって両性具有の、調子が悪いのか」
 本当の仕事は、マルティルディが産んだ両性具有・イデールサウセラの世話。種別としては”女王(男性機能優先型両性具有)”のため、次の皇帝ルベルテルセスに献上されるべく「飼育」されている。
「そんな本気で向き合わないで、体調が悪いならそのまま殺してやりゃあ良い物をよ。仕事投げ出してまで生かしてやる価値や意義があるのかよ」

―― 必死に生かし、育てても、あの塔に閉じ込められているエリュカディレイスの妹みたいになるんだぜ

 ランチェンドルティス亡き後、一人巴旦杏の塔で、寂しさに泣きながら歌い続けているリュバリエリュシュス。警備担当を命じられたキルティレスディオ大公はその姿を見る度に、苛立ちを感じていた。
「……ああ! 誰が仕事なんてしてやるか! 両性具有なんて育てるんじゃねえよ」
 机を蹴飛ばして倒し、強い酒を持ち部屋を後にして、巴旦杏の塔へと向かう。だが彼は塔までは行かず、入り口とも言える黄金で作られた庭「夕べの園」でその足を止めた。彼の性能の良い耳が、リュバリエリュシュスの寂しい歌声を拾い、それ以上進むことができなかった。持参してきた酒を飲んで、冷たい黄金の上で居眠りをする。

―― やっぱり失敗したじゃねえか……イデールマイスラの馬鹿野郎。なにが俺とは違うだ……一時期、いい感じになっておきながら……

 夜の帳が降りた頃、無数の足音に目を覚ます。
「お前等、なんでここに来たんだよ。立入禁止だろうが」
 夕べの園近くは、皇帝の許可なければ立ち入ることは出来ない。
「キルティレスディオ大公、陛下が”突然変異致死”を発症されました」

―― 嘘だろ? さっきまで、下らない話に付き合ってくださって……ヒロフィルが居なくなった上に陛下まで……エリュカディレイスの妹が死ぬまでは生きると

 キルティレスディオ大公は立ち上がり、急いで事実確認に走る。
 皇帝の側についているデルシから、事実であることを聞かされて、
「……ちょっと行ってくる」
「ああ」
 先程まで眠っていた夕べの園へと引き返し、その先にある巴旦杏の塔へと向かった。窓の側で泣きながら歌っているマルティルディと同系統の美しさを持つリュバリエリュシュス。
「おい」
 声をかけられたリュバリエリュシュスは、数年ぶりに”誰か”の声を聞き、思わず微笑みかける。まさに人を狂わせる美しさ――
 だがキルティレスディオ大公はその美しさに驚くことはなかった。
「シャイランサバルト帝が近々薨去される。薨去って分かるか?」
「皇帝陛下が亡くなられること?」
「そうだ。次の皇帝は息子のルベルテルセスだ。男王のお前は処分される……じゃあな」
「教えてくださって、ありがとうご……」
「うるせえ、男王。話かけるな」
 キルティレスディオ大公は言い捨てて、大股で立ち去った。

※ ※ ※ ※ ※


「あーら、中々綺麗じゃないエルエデス」
 キーレンクレイカイムとエルエデスの結婚式は無事に執り行われた。
 礼服を着たキーレンクレイカイムと、花嫁衣装を着たエルエデス。
「こんな衣装、必要ないのだがな」
 戦闘服で結婚するエヴェドリット出のエルエデスにとって、繊細ですぐに綻びてしまうような花嫁衣装は着心地が悪かった。
 キーレンクレイカイムはいま、花嫁を放置して髪を切ったメディオンとの記念撮影をしている。メディオンは”近付くな”状態だが。
「いいじゃない。そうそう、これプレゼント」
 エンディラン侯爵は自分の侯爵紋が入った十五センチ四方の箱を、エルエデスの目の前に出して開く。
 中にはシンプルなデザインの、小さな香水瓶。
「ヴァレンから」
「……」
「注文されたのよ。矢車菊の香り」
 エンディラン侯爵は箱を手渡そうとするが、エルエデスの手は伸びてこない。
「何をためらってるの? エルエデス。好きでもない男の子を身籠もり、好きでもない男と結婚して、欲しいものを得る。貴方自身が選んだ貴族としての生き様でしょ。たかが矢車菊、それで良いじゃない」
 エルエデスはその箱を受け取った。
「いい香りだったら、追加注文してね。多分私しか作れないと思うから」
「マルティルディの調香師に依頼な……経費がかかりすぎると、ロヴィニア男が文句を言ってきそうだが」
「そうかもね」
「エルエデス!」
 キーレンクレイカイムとの記念撮影を終えたメディオンは、二人の元へと駆け寄って来て、
「メディオン……お前、なんて顔だ」
「エルエデス、綺麗じゃ……」
 挙式の最中は我慢していたのだが、こらえきれずに泣き出した。
「なんでお前がそんなに泣く」
「感極まっておるのじゃ……綺麗じゃあ、エルエデスよ」
 抱きついてきたメディオンの頭を撫でながら、エンディラン侯爵と目配せをかわし、首を傾げるようにして笑う。

「メディオン、花嫁の母みたいですね、シク」
「顔が祖先そっくりだから、確かにそう感じられるな、クレウ」
 シャンパンを飲みながら、二人は背後を無視していた。
「おっぱいで横面張るから、上手に倒れろよギュネ!」
「ちょ! お待ちくだ……うわああ!」
 ジベルボート伯爵は自分が食らうのは良いが、ザイオンレヴィが食らったら、それがマルティルディに知られたら――知らなかったを突き通さなければ、友人の命が危ないとばかりに。
 子爵は逃がそうか? と思ったが、ジベルボート伯爵とヨルハ公爵の喜びようを見ていたので、勝手に逃がして好機を逸して悲しい思いをさせるのも悪かろう――と。”逃がしてくれ!”と言われたら、逃がす準備は出来ていた。
「もごぶご……ごあ……」
 おっぱいで横面を張る以外に、去年よりもさらに成長した胸を使い、谷間に男の顔を挟むことを覚えたイレスルキュラン。
 顔を挟まれたザイオンレヴィの後ろ姿を見て……誰も助ける気にはなれなかった。

―― 相手が王女殿下だからじゃなくて、こんな幸せな時間を奪えませんって……反動が怖いけど

 和やかとは言わないが、それなりに結婚式は”らしい”雰囲気を保ち続いていた。

「殿下!」
「どうした? ファロカダ」
「帝星より……陛下が倒れられ……回復の見込みはないとのこと」

 一瞬にして会場は静まり返る。
「そうか……」
 式は早々に打ち切られ、各自帰途につくなり、情報収集に乗り出したりをする。
「イレスルキュラン、姉上から輿入れ準備をして陛下の見舞いに来るようにとのことだ。私が連れていく」
「兄上が? 新婚なのに?」
「……ああ」
 用意を整える間に、式に来てくれた者たちに感謝を述べて歩く。
「メディオン、ありがとう。そしてメディオンも急がないと。テルロバールノルでもルグリラドの輿入れ準備が整い次第、帝星に向かうだろう。その時、メディオンが居ないと困るだろうしな」
「おう……帝星で……それにしても、まさか陛下までもが”突然変異致死”とは。クロントフもそれで命を失ったというのに……」
 メディオンはテルロバールノル王領へと引き返し、
「エンディラン、ありがとう」
「どういたしまして」
「帝星に行くなら乗せていくが?」
「私はケシュマリスタ王領に帰るわ。ザイオンレヴィは?」
「僕も一緒に行くよ」
 二人はケシュマリスタ王領へと向かった。だが途中でザイオンレヴィは帝星に来るよう命じられることになる。
「僕は残って、エルエデスさんの使い走りしていますよ」
「おま……良いのか? ジベルボート」
「はい。シクが残ると問題になりますが、僕だったら問題にはなりませんから」
 身重のエルエデスを、キーレンクレイカイムと敵対している叔父が残るロヴィニア王領に残すのに、多少の不安は感じていた。本人の強さはキーレンクレイカイムも知るところだが、それとこれとは別である。
「イルギ公爵にもお世話になりましたから、何があってもお腹の子は護りますよ。こう見えても、成績は万年中程でしたので、ご安心ください」
「帝国上級士官学校の万年中程なら安心だな。エルエデス、いいな?」
「ああ」
「で、ケーリッヒリラか。わざわざ式に来てくれたのに、追い返すようで済まんな」
「いいえ。お気になさらぬように」
 これから新バーローズ公爵に就任したバベィラの所へ行く予定の子爵は、皇帝崩御間近という状況から、まずは先方に予定に関する問い合わせをした。
 受けとったバベィラは「予定よりも早く来て構わん」と答え、迎えの艦隊を寄越すとまで言ってきた。
 皇帝崩御間近という政情不安時に、ロヴィニア王弟妃の対立公爵家の軍が近付いてはまずかろうと、子爵は急いで王城を離れることになった。
「シク! 今回は行けませんが必ずお邪魔させてもらうって、バベィラ様に伝えてください」
「ああ」
 各自が旅立ち、
「エルエデス」
「なんだ?」
「夫にキスくらいしてくれないかな」
「……分かった」

 かさつきのない唇に軽く口付け、エルエデスは夫と次の皇帝の正妃となる義妹を見送った。

 次の皇帝はルベルテルセスと決まっている。後継者が多数存在する場合は、多少の混乱もあるが、彼は「一人息子」このまま何事もなく継承される。
 多少の緊張感は継続していたものの、誰もが粛々と皇帝崩御と、皇帝即位と挙式が終わるのを待っていた。

「エルエデス! 大変です……皇太子殿下が皇太子妃殿下と供に……事故死なさいました」

 エルエデスはこの時、初めて腹の子を重く感じた。
 それは厄介だからではなく、自分の命脈が尽きる前にこの子を出産し、ロヴィニアを出て行かねばならないと覚悟を決めたためだ。
 エルエデスの簒奪に協力していたのは皇帝。協力理由は「息子ルベルテルセスではリスリデスを制御できない」ため。
 皇太子が後継者を儲けずに死亡した。となればこの帝国を継げるのはただ一人、暫定皇太子マルティルディ。

―― なにをしているんだい? このケシュマリスタの屋敷が並ぶ通りで。何してても良いけど、弱いねえ。君たちイルギのこと弱いって馬鹿にするけれど、僕からみたら君もイルギも変んないね ――

 歴代最強のファライア帝が即位したら、リスリデスがシセレード公爵であっても、何ら問題はない。
「ここまでか……皇帝頼みは脆いものだな」
 そしてロヴィニアが皇帝ファライアの夫として差し出すのはキーレンクレイカイム。
 エルエデスは腹に触れ、覚悟を決めた。キーレンクレイカイムは帝星に到着してから、自分が妃から離婚申し立てをされていることに気づく。
「ファロカダ」
 王国に残した部下に連絡を入れる。
『殿下、申し訳ございません。殿下のお妃さまに逃げられました』
「……ジベルボートは?」
『従った模様です。二人で防衛線を突破しました』
「そうか。今回ばかりはお前の失態じゃない。帝国士官候補生だ、お前の手には負えなくて当然だ』
「殿下。離婚申し立ていかがなさいます?」
『そのままにしておけ。帝星が落ち着いたら……どうにかする』

 それではもう手遅れだろうと思いながらも、キーレンクレイカイムはそう言うしかなかった。

 グラスに崩御したシャイランサバルト帝が好んだ酒を注ぎ、キーレンクレイカイムはテラスで死を悼む。
 僅かばかりの追憶を持ってそれを終え、
「殿下、どちらへ? 寝室の準備は整っておりますが」
「調べ物をしてから寝る」
 執務室へと入り、紙で作られた最高級の《貴族用》植物辞典を取り出し、少しばかり癖のついている紫苑のページを開き、そこに矢車菊を挟める。
「上手い具合に押し花になってくれよ」
 なぜ自分がこんな子どもじみたことをしているのだろう? そう思うも、キーレンクレイカイムには恥ずかしいという気持ちはなかった。

 彼は彼女のことを気に入って妃にしたわけではないが、幸せにするつもりはあった。愛し合って結婚したのであれば不幸も人生のスパイスとでも言って過ごせるだろうが、政略結婚である以上、不幸は不幸でしかない。不幸を一緒に乗り越えて絆を深めるような関係でもない。だから彼は離婚するまで彼女を幸せに浸らせるために、様々なことを調べていた。

 好きな色、好みの食べ物。気に入っている音楽 ――

※ ※ ※ ※ ※


 シャイランサバルト帝の葬儀が終了し、銀河帝国初の傍系皇帝が立つ。
 第二十三代皇帝サウダライト。
「ヒロフィル……帝国はどうやら大きな転換期を迎えたようだ」
 フェルディラディエル公爵の墓の前に立つのはキルティレスディオ大公。
 ずっと昔に自分の妻になるはずだった同性好きの王女は、五十を超えて息子のような歳の皇帝と結婚して、立場上キルティレスディオ大公から遠ざかった。

 キルティレスディオ大公、彼は巴旦杏の塔の警備の任を解かれた。

 彼はこの時、塔の中のエリュカディレイスの妹は、もう殺されたと思い込んでいた。
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