君想う[100]
帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[151]
 メディオンと子爵が花に見とれている間に、ファロカダが用意を命じられていた観覧船を運んできた。
 上からみると楕円形で側面は金の檻。内側は椅子もなにもなく、床に色とりどりの花びらが撒かれている。
「メディオン、乗ろう」
 キーレンクレイカイムが飲みかけのグラスをトレイに戻し、メディオンに手を差し出す。
「なんじゃ! その、ケシュマリスタっぽい乗り物は!」
「予算の関係上」
「よ、予算?」
「メディオンを納得させる乗り物を用意しようと思ったんだが、テルロバールノル式は高価過ぎで、ロヴィニアは素っ気なさ過ぎ。エヴェドリットと帝国はこの平和の海には似つかわしくない武装タイプ。ケシュマリスタは幸い予算内で作れたから。ご不満なところもおありでしょうが、姫、こちらへ」
 キーレンクレイカイムが笑った。
 彼は代表的なロヴィニア容姿ではないのどころか、黒髪に垂れ目と反対に位置するのだが、その笑顔は胡散臭く企みに満ちていた。
「別に儂はロヴィニアタイプでも良かったのじゃが」
 だがこの笑顔に”一応”耐性のあるメディオンは”仕方ない”とキーレンクレイカイムが差し出した手に触れた。
「ちょっと二人で上空で楽しんでくるから」
 その手を上手に引き、身体能力が優れているメディオンの体勢を崩し、抱き締めるようにして金の檻へと連れ込む。
「ちょっ! 待て、キーレンクレイカイム! お主と二人きり……うあああ!」
 浮上し海へと移動した二人が乗った金の檻を見送った子爵は、砂の上に崩れて動かなくなったジベルボート伯爵の元へと向かい、
「ケーリッヒリラ。これを埋めろ」
「埋めるというのは四十メートルくらい掘ってですか?」
「そういうのじゃなくて、海岸で寝ている奴等がよくやるヤツだよ」
「畏まりました」
 幸せそうな顔で気を失っている、美少年水着を着た、紅顔の美少年同期を砂のベッドに寝かせる。
 子爵の腕力と特性からすぐに出来上がり、
「じゃあ私がこの浮き椅子に座るから、お前沖まで引っ張れ。兄上とメディオンのところまで」
「畏まりました」
 イレスルキュランの命令を聞き、浮き椅子のロープを掴み、波を起こさぬようにゆっくりと泳ぎ出した。

―― 出来の良い妹を持って兄上は幸せ者だ

※ ※ ※ ※ ※


 金の檻で海の上へとやってきたメディオンは、
「儂に近寄るな」
 檻にひっついて、向こうへ行け! と威嚇する。
「なにもしないって」
 反対側の檻を背に、キーレンクレイカイムはいつも通り。精々違うのは水着姿であるということくらい。
「近寄るな、スケベ」
「スケベ……ねえ。そりゃ否定しないが」
 女性らしい体を好む、いつものキーレンクレイカイムにしてみれば、女性という性別のみで食指を動かすしかない体型を上から下まで眺める。
「うわああ!」
 ”それ”に人格があり動くと、途端に魅力的になる――その不思議を感じながら、
「そんなスケベな私と結婚しないか」
 生涯言うことはないだろうと思っていた言葉を告げる。
「は?」
 キーレンクレイカイムの言葉に”何を言っておるのじゃ?”とばかりに聞き返すメディオンの、本当に驚いている表情に言葉を重ねる。
「だから結婚。私の妃にならないか? メディオン」
 撒かれた花びらが風に吹かれ、数枚が海へと落ちてゆく。花びらが減ったことを確認したセンサーが天井を開いて花びらを降らせ補充し、また床が花びらで飾られる。
「……あまり良い物ではないな」
「なにがだ?」
「海に花じゃ。ケシュマリスタ葬送でもあるまいし」
 メディオンは海面に揺られる花びらを見ながら、自分のことではない死を強く感じた。
「そうか?」
「エルエデスはどうするのじゃ?」
 キーレンクレイカイムとの結婚を決めたエルエデス。
「どうなるだろうね。最終的な決定権は私が持ってるからなあ」
「お主と結婚することが、最良にして唯一の策なのじゃろ?」
 エルエデスと様々な話をしたが、結局「これ以上」の策を二人は見つけられなかった。
「まあ、そうみたいだな」
「エルエデスを護るのじゃ。たとえそれが僅かだけであっても……いや僅かであったほうが……」
 キーレンクレイカイムは檻の中程までやってきて一度足を止める。
「メディオン。少しだけでいいのか?」
「本当は長生きして欲しいのじゃが、エルエデスがエルエデスとして生きるためには、避けられぬ……だから、エルエデスを妃にせい! その後、時期を見てしっかりと離婚しろ!」
「離婚しなかったらどうする?」
「どうもせぬわい! どのみち、お主には近々親王大公と結婚するのじゃ」
「メディオンは物わかりが良いんだな」
「キーレンクレイカイム」
「なに?」
「いまの”物わかりがよい”は、馬鹿にしておったな!」
 癖で頬を膨らませかけたメディオンだが、話の重要性からそんな子どもじみたことをしている場合ではないと、口の内側を軽く噛んで、少しばかり目を細めて睨み付けるようにする。
「馬鹿にはしていないが、いい意味では使ってないな」
 ”らしくないな”とキーレンクレイカイムは含みを持たせた。それを敏感に感じ取ったメディオンは、一気に言い返した。
「…………お主の言いたいことは分かる、儂だってこんな物わかりの良さは必要はないと思うが、これは……エルエデスとリスリデスの戦いは、儂が口出しできる問題ではない。エヴェドリット貴族として生きるために必要なことであり、儂は……そんなエヴェドリット貴族であるエルエデスの友人なのじゃ。儂等は矜持に拘る、じゃから他者の矜持に受け入れねばならぬ」
 ”相手のすべてを否定して、自分のすべてを肯定させる”それはメディオンには無理であった。自分にとって大切なものが、相手にとって大切ではないこと、逆もまた然り――それを理解したとき、メディオンはエルエデスの生き方を認めた。
「なるほどねえ」
「儂は誇りを失ったエルエデスは見とうないし、生き方を見失わせることも奪うこともしたくはない。儂がテルロバールノル貴族の生き方を大事にするように、エルエデスにはエヴェドリットの生き方を尊重させたいのじゃ……でも、儂は我が儘じゃから、もう少しだけ長生きしてほしいのじゃ……一緒に卒業したいのじゃ。二百人全員で卒業はできなかったから……クロントフは仕方ないとしても……儂が王子じゃったら! エルエデスを助けられたのに! お主に頼むしかできぬが! くやし……」
 泣きはしないが、言いながらどうすることも出来ない感情を瞳に湛えるメディオン。はっきりと傷ついていると分かるが、キーレンクレイカイムが触れて治せるようなものでもなかった。
「メディオン」
 その傷は他者にとって何の価値もないものだが、メディオンにとってそれは、決して治したくはない、治ってはならない傷。

 メディオンの側へと近付いたキーレンクレイカイムは、少し腰をかがめて周囲に誰もいないのだが、秘密だよ――とばかりに耳元で囁く。
「メディオンはケーリッヒリラのこと、好きだよな」
「……」
「ほら、私は王子さまだから、色々なことできるぞ。協力してもいいぞ」
「要らんわ」
 愛想良くいつも通りの話しぶりに、メディオンもすっかりとエルエデスに対する感情をしまい、違う表情で答える。
「そうなのか? エルエデスをシセレード軍から護るよりはずっと楽な仕事だが」
 その表情は幸せ。だが無限の、先程まで子爵と会話していたときのような幸せな表情ではない。
「そりゃそうじゃろうが……儂はなあ、エディルキュレセのことが好きじゃが、儂が好きなエディルキュレセは今のエディルキュレセなんじゃ。変わって欲しくないのじゃ」
「……」
「儂と一緒になったら、テルロバールノル貴族として生きることになる。そうしたら……儂の好きなエディルキュレセではなくなってしまう。嫌いにはならないのじゃが……上手く言えぬが、今のエディルキュレセが好きなのじゃ」

 努力して共に苦難を乗り越える――ではなく、メディオンはいまの子爵が好きなのだ。

「いいんじゃ、キーレンクレイカイム。儂は恋に恋をしているのじゃろう。子どもじみていると言われても、それでいいのじゃ。この気持ちは例えエディルキュレセであっても壊して欲しくはないのじゃ」
 メディオンにとっては、いまの関係が壊れようが構いはしない。
 必要なのは自分との関係ではなく、子爵の存在。

 絵に描いたようなエヴェドリットと正反対の大人しさでありながら、まさに絵に描いたような狂人エヴェドリットの親友ヨルハ公爵に、どこまでも楽しそうに付き合う。
 礼儀作法は知っているが、偶に凡ミスをして苦笑する。出世欲はないものの、しっかりとした責任感を持つ。
 
 誰よりも他人の心を大切にする――

 それはメディオンにとって、とても大事なもの。
 運命の恋だとか真実の愛だとかではなく、美しいだけの思い出。そこで終わってしまうようでは本当の愛ではないと言われたら、メディオンは否定しない。
 だが誰に何と言われようとも、この美しさを損なうような真似はしない。

 メディオンの胸には、子爵が視たら泣き出すであろう美しい思いが秘められている

「そうだな。大事な思い出だ……すべての愛を真実へと昇華する必要はない」
 キーレンクレイカイムはメディオンから少し距離を取り同意した。それはキーレンクレイカイムの中にもある。
 吹っ切って新たな一歩を踏み出すのとは違う新たな一歩。
「ありがとうな、キーレンクレイカイム」
 ”人によって色々な一歩があっていいだろう”と、キーレンクレイカイムは届かぬ位置からメディオンに手を優しく伸ばす。
「……その気持ち、良く解るからな」
「?」
 キーレンクレイカイムもメディオンのとこを気に入り、妃にしたいと思うこともあるが、手に入れてはいけないという気持ちもある。
 それは何なのか? 考えた時、やはり恋に恋をしているのだろうと結論付ける。決して臆病なわけではない、だが臆病だと言われてしまたら否定できない。
 覚えていない相手を重ねていたのだとしても、それは忘れられない大切なものなのだ。
「お、ケーリッヒリラが来たぞ。飛び込んだらどうだ?」
 海面に現れたオレンジ色に派手な柄の描かれた浮き椅子と、その前を静かに進む栗毛。イレスルキュランは中に居る二人は見えないが、金の檻へと向かって手を振る。
 子爵は檻からメディオンが見えたとき手を振った。
「おう! あの……エルエデスのこと頼んだぞ」
「できる限りのことはする」

 元気よく飛び降りていったメディオンを見送ってから、キーレンクレイカイムは金の檻の高度をゆっくりと下げ着水させ、船代わりにして、
「飛び込んでみるか」
「泳げるのか? キーレンクレイカイム」
「人並みにはな」
 人間が飛び込む程度の高さから、あまり勢いをつけず海へと飛び込んだ。

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