君想う[007]
帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[58]
【ヨルハ公爵とガルベージュス公爵の殴り合い】

 それは、学内をまさに光の速さで駆け巡り、
「行ってみるか」
 ヨルハ公爵と同室のエルエデスが向かい、
「ザイオンレヴィ、見に行きませんか?」
「行きたいけど、今日中にマルティルディ様に手紙を書かないといけないから」
「そうですか。じゃあ僕だけで行ってきますね」
「ああ。怪我しないように気を付けてくれよ、ガルベージュス公爵はともかく、ヨルハ公爵は見境が無くなったらどうなることか」
「はい。気を付けて行ってきます!」
 ジベルボート伯爵も修練所へと向かった。

※ ※ ※ ※ ※


「それは面白い! 説得してくれてありがとう! シク!」
 先程までの菓子職人格好よりも似合わないマントを装着した戦闘服姿のヨルハ公爵は、子爵から「ベル公爵とリュティト伯爵を蹴散らしてからガルベージュス公爵と戦ってください。我がリュティト伯爵を受け持つので」と説明をうけて、戦える相手が増えたと興奮して喜び感謝までする。見た目はアレで性質もアレなヨルハ公爵だが、感謝の言葉は忘れない礼儀正しい一面もある。
「説得は……」
 ”そんなことはしてない”子爵は訂正しようとしたのだが、
「そうだ、ヨルハ公爵よ。ケーリッヒリラ子爵が説得してくれたのだ。私とだけ戦っても面白くはなかろうと。その説得があの頑固な王子まで動かしたのだ! さすが貴殿が友にと見込んだだけのことはある! 友情とは良いものだな、ヨルハ公爵!」
「そうだとも! 我とシクの仲はそうだ!」
「……」
 子爵は”どんな仲だ”などという突っ込みを、己の心中で入れることすら諦めた。そして勝手に説得されたことになったイデールマイスラだが、ここでも黙っていた。
 だが前回とは違い、事前に話を聞いてはいなかったが、沈黙せざるをえなかった。
 彼のマルティルディに対しての蟠りは大きく、単純に認めることができない。マルティルディに関係することを、自分から申し出たとは公表したくないという心理が働いたのだ。
 ここで「儂が自ら名乗りでたのじゃ!」と叫ぶかどうかを確認したかったガルベージュス公爵は黙って聞いているイデールマイスラを見て、

”まだまだ時間がかかるようです、陛下”
”そうか”
”陛下。なぜこれほど相性の悪いアルカルターヴァとケシュマリスタの結婚を許可なさったのですか?”
”お前の母であるアーディランも賛成していたであろう”
”はい”
”お前には説明しておこうか、ガルベージュス。余はケシュマリスタに、あのマルティルディに肩入れした。皇帝としてはあるまじきことだが、女として肩入れしたのだ。その代償がお前だ、ガルベージュス”
”陛下の代償とは、恐れ多い”
”余はイデールマイスラのことなど、何一つ考えてはおらんかった。三年ほど前のアルカルターヴァと、今は故人となったマルティルディの父との諍いを諫めた際に、そのことに気付いてな。その理由だが、皇太子の皇后をルグリラドに決めたことと同じだ”
”陛下……まさか”

 《少しでも近付いてくれること》を願いつつ、いつの間にか用意されていた壇と、王者が座るような椅子へと近付き腰を下ろす。
 ギャラリーの一人となっているイヴィロディーグは無表情のまま大騒ぎを見守り、その隣には腰布一枚の栄誉ある正装で、酒を持参でやって来たゾフィアーネ大公が控えていた。
 全学年の大半がギャラリーとなり、寮からは寮母やら執事たちまでやって来て、学内からは総長に次ぐ立場の事務局長まで混ざっている始末。
「ヨルハめ。戦闘服があれほど似合わないとは、エヴェドリットとして致命的だな」
 同室で同属のエルエデスが呆れきった口調で”そう”評し、
「うわーケシュマリスタも戦闘服似合わないけど、ヨルハ公爵のほうがもっと似合わないなあ」
 戦闘服がもっとも似合わない一族とされるケシュマリスタに属するジベルボート伯爵も”そう”呟くほどに、ヨルハ公爵に戦闘服は似合っていなかった。
 戦闘服はアシュ=アリラシュの傭兵団で採用されていたものなので、子孫である彼は似合うはずなのだが、誰が見ても似合っていない。その似合わなさは目をそむけたくなるレベル。彼の容姿自体それほど見ていたいと思わせるものではないことも若干は関係している所もある。

 ちなみにケーリッヒリラ子爵は人体調理部の部室を訪問する際に、戦闘服で訪問したため着換える必要はない。

「では我もデスサイズを取りに行ってくる」
 ガルベージュス公爵相手ならば殴り合いだが、イデールマイスラを相手にするなら武器が必要だろうと部屋へ戻ろうとしたヨルハ公爵に、
「ガルベージュス公爵がこれを」
 エシュゼオーン大公がデスサイズを差し出す。ヨルハ公爵からの視線を受けて、
「わたくしの物でよければどうぞ」

ロウディルヴェルンダイム=ロディルヴィレンダイス・サーフィルディレイオンザイラヴォディルシュルトスバイアムル=サールデルラインザルムシュロルセルハイロミュロデアムルス・アディリアキュランドムベルハインザクレシュラインドルエリア=エイリディアキュランドルハイザンクレアエリアドムスベルドア

 ガルベージュス公爵は名に三つのカランログを持つ。名だけ見ればエヴェドリット寄りで、
「ありがたく借りるよ、親戚殿」
 ガルベージュス公爵にはヨルハ公爵家の血は流れていないが、ヨルハ公爵”は”血が繋がっている。
「使ってもらえて嬉しいですよ、ヨルハ公爵。強き三つのリスカートーフォンの紋刻まれしデスサイズも喜ぶことでしょう」
 ガルベージュス公爵はあくまでも「皇王族」なので、エヴェドリット特有の武器を使うことはないが、血統上《所持していなければならない》立場にあるので所持している。そのデスサイズは現在は自室には置いておらず、エシュゼオーン大公が預かっていた。
 武器を構えた四名が二対二で睨み合う。
 審判はおらず号令をかける者もいない。ただ両者タイミングを見計らう。
 戦いを動かしたのは、希望したヨルハ公爵。彼が最初に動いた。
 デスサイズを真横にしてイデールマイスラに斬りかかる。それを合図に子爵も動き”イデールマイスラ”に背後から斬りかかった。
「!」
 メディオンは自分に攻撃してくるものとばかり思っていた子爵が、イデールマイスラに背後から斬りかかったことに驚き、僅かばかり硬直してからすぐに乱闘に混ざった。
 歓声を上げているギャラリーを背にして、特等席とも言えるすぐ傍でイヴィロディーグが元々硬直している表情を更に強張らせる。
「……」
「ヒレイディシャ男爵、卑怯などとは思ってはいけませんよ」
「……解っておる、ゾフィアーネ大公」
 テルロバールノル勢から見れば子爵の行動は卑怯だが、
「妥当だな」
 エヴェドリット勢のエルエデスあたりが見ると、子爵の動きは理に適っていた。
 子爵は本気でイデールマイスラに攻撃を仕掛けているのではない。メディオンを焦らせるために、イデールマイスラを使っているだけのこと。
 メディオンもすぐにその事は理解したが、彼女を焦らせるのに充分過ぎるほど、子爵はイデールマイスラに際どい攻撃を仕掛けていた。
 ヨルハ公爵の攻撃に防戦一方で、その上子爵の攻撃からも己の身を守る必要があるイデールマイスラ。
「……」
 無言のままとにかく攻撃を”受け止め”続けた。
「受け止めては駄目です。かわさなければ」
「……」
 ゾフィアーネ大公の言葉はイヴィロディーグも解っていたが、打開策などない。ヨルハ公爵の攻撃を受け止められるイデールマイスラの身体能力は確かに《同程度》ではあるが、才能は同程度ではないことが誰の目にも明か。
「私にもヨルハ公爵の攻撃連携止める自信はありません。ガルベージュス公爵以外で止められるとしたら……あそこで戦いを食い入るように見ている同室のケディンベシュアム公爵くらいのものでしょう」
 ヨルハ公爵の強さは攻撃の連携にある。
 彼は手足で行える攻撃のすべてを自在に操り、それらを流れるように繰り出し続ける。相手か自分が死ぬまで、延々と攻撃が続くのだ。それも決して単調にはならず、一人に対して同じ連携の攻撃は一度だけ。別に己に課しているものではなく、連携が次から次へと沸き上がり、体は思った通りに寸分違わず動き続ける。
 一撃一撃の重さも異なり、重くあれば軽くなり、体の動きからは想像も出来ないような衝撃を与えてきたりと、なまじ動きを目で追えてしまえるイデールマイスラは”動き”その物にも翻弄される。
「公爵殿下にはなにが足りないのじゃ、ゾフィアーネ大公」
 イヴィロディーグはこの後、戦いに負けて怒りを抑えきれないであろうイデールマイスラに、忠告をするために尋ねる。忠告などすれば怒りが増すだけだが、冷静になったときに役立つであろうと。
「才能です」
「……」
「わざわざ不興を買いにいくのがテルロバールノルの流儀ですか?」
「そうじゃ」
「ではお答えしましょう。ベル公爵殿下に足りないものは戦いです。要するに経験不足です。貴方がたは王子を大事にし過ぎです。エヴェドリットは極端ですが、地に這わせ砂で唇を切り頬全体に擦り傷を負わせることくらいはするべきですね」
「儂の強さでは無理じゃ。意識よりも能力が公爵殿下に及ばぬ」
 イヴィロディーグの強さもメディオンと同等ほどで、身体能力その物は《他王家と婚姻を結んでいる王族》には及ばない。
 同属同士で結婚するのが基本なので、他属の能力が混ざることは稀。
 その唯一の例外が王族。
 逆に皇王族は混血が最も多い。皇王族同士で結婚させる場合でも、王家同士の血が混ざるように考えられている。
「能力的にはそうでしょうね。ですがご安心ください、ガルベージュス公爵閣下が教えてくれます。その前に、ヨルハ公爵が叩き込んでくれそうですが」
 ヨルハ公爵がイデールマイスラを蹴り床に倒して、デスサイズの刃を首筋傍に突き刺し”動くな”と、あの特徴的な目で告げてからガルベージュス公爵のほうを向く。
 メディオンと交戦していた子爵はそれを見て、デスサイズをガルベージュス公爵に向けて投げた。回転してゆくデスサイズがガルベージュス公爵の座っていた椅子を切り裂く。その壊れた椅子とデスサイズの前で《いつの間にか》二人は向かいあっていた。

※ ※ ※ ※ ※


 イデールマイスラを囮につかってメディオンを焦らせていたケーリッヒリラ子爵は武器を失ったのだが、
「……」
―― 攻め辛いよな
 メディオンは”構えた”子爵を前に攻撃の手が止まった。
 子爵は殴るのは嫌いだが、出来ないわけではない。相手の考えることを知るのが嫌だから触れたくはないが、戦わねば死ぬとしたら躊躇わずに素手で殴りかかる。
―― ここで止まるってことは、メディオンは……怖がってるってとこか
 この戦いの前に、子爵の能力を確認してきたメディオンは触れられることを恐れた。死を恐れないのであれば攻撃の手を休める必要はない。総じてプライドの高い一族に属する彼女は、やはりプライドが高く、だが戦いには向いていない。
 内心を”戦いを恐れている自分”を知られたくはないと動きが止まる。
―― それでも倒れたベル公爵を守ってるあたり立派だけど……
 イヴィロディーグが倒れているイデールマイスラの傍に近寄り、戦いの場から引き離そうとしているのを知って彼女は立ちはだかって”は”いた。
 子爵は彼女に向かって走り、振り下ろされるハルバードを半身でかわしてそのまま走り続け、イデールマイスラを助け起こしているイヴィロディーグの鼻先にあるヨルハ公爵が残していったデスサイズの柄を掴み、突き刺した刃を抜いて自分の肩を軸にして、大きく半円を描きメディオンの顎に先端を当てる。
「殺し合いじゃないから、これで終わりだ」
―― 終わらないだろうけどなあ……
 メディオンも自分の戦い方では、子爵に傷一つ付けられないことは解った。
 子爵は彼女の攻撃をすべてかわしつつ前進し、そして攻撃をしかけてきて、彼女はその攻撃をすべて受け止めてしまっていた。
「なにが終わりじゃ……」
 《答え》を予測していた子爵は彼女の襟を掴み「ガルベージュス! ガルベージュス!」と叫ぶギャラリーへと放り投げ、伸ばされた手によって彼女は引き込まれ姿が消えた。
「終わっておいた方がいいって。あとは頼みます、エシュゼオーン大公」
 メディオンを戦いの場から引き離したのはエシュゼオーン大公で、また戻ろうとした彼女を抱きかかえてギャラリーの最も外側へと行く。
「離せ!」
「もう前座は終わりです。邪魔だから離れてください」

 聞こえてくる「ガルベージュス」のコールと、ヨルハ公爵の高笑い。

「黙って見ているのなら此処に残りますが」
「儂が暴れても、お前の腕から逃れられるとは思えんが」
「そうですね。でも無駄な体力は使いたくはないので。黙って見ますか? 全く参考にはならない達人同士の戦いを。純粋に楽しめるともいいますけれど」
「貴様ほどの実力があってもか?」
「もちろん。あの二人は戦いにおいて”計測できない部分”が私などとは桁違いですから」
 エシュゼオーン大公の横顔には卑屈さなどは一切感じられず、
「降ろしてくれ。儂も観たい」
 メディオンは体から力を抜き、それを受けてエシュゼオーン大公は床に降ろした。メディオンはさきほどまで自分が居た場所にまだ《いる》子爵を観て、
「ケーリッヒリラと儂の才能の差か……」
「聞けば教えてもらえると思いますよ。リュティト伯爵になにが足りないのか? ケーリッヒリラ子爵はそれらの分析は上手でしょう」
「そうじゃ……な」

―― 救出屋デルヴィアルス、策士ナザールの子孫か。その名の通りじゃ

 癖のない栗色の髪と、苦笑を浮かべ手招きしてくれたゾフィアーネ大公の方を向き、メディオンに背を向ける形になった子爵の後ろ姿。

 貴族間では同属以外との結婚は忌避されていた時代、それがリュティト伯爵メディオンが生きていた時代


|| BACK || NEXT || INDEX ||
Copyright © Iori Rikudou All rights reserved.