ケーリッヒリラ子爵が同属の元へ交渉に向かっているのは、誰の目にも明かであった。なにせ子爵、肩にエヴェドリット特有の武器《デスサイズ》を乗せて歩いているのだ。
部室棟の廊下を歩き、書かれている名前を確認しつつ、子爵が消えた先は《人体調理部》
見送った大半の者たちは「入部でもするのかな」と考えた。
「邪魔をする、ヨルハ公爵。我はケーリッヒリラ、フレディル侯爵家第二子エディルキュレセ=エディルレゼ。話があってやってきた」
デスサイズを担いでの訪問など、普通は穏便ではなく争いになりそうだが、彼らの間では特に問題はない。
「おお! 注文しにきてくれたのか!」
マジパンで死体を再現しているヨルハ公爵が振り返る。
彼の容姿は独特で、クレヨンで隈取りしたような目、頬が痩けて顔色は絵の具でも塗ったかのように青白く、唇は乾いて紫色。
着衣に隠れていない首は骨と皮ばかりで、全身も似たようなもの。髪はたしかにエヴェドリット特有の黒で触れると柔らかいものなのだが、艶がなく手入れが行き届いていないようにしか見えない。実際はそんなことはないのだが。
とても強そうには見えないのだが、見えないだけで異常に強い。
「ちがう!」
「では入部希望か! お前なら解ってくれると思っていた! このしゅみ! おう!」
黙らせようと子爵は彼の背後に回り込み、デスサイズの柄部分で尻の割れ目を軽く突いた。”軽く”と言ってもあくまでも彼らの範囲で、普通の人ならば串刺しになっているところ。
「黙って話を聞いてもらおうか。あのな、エンディラン侯爵は死体菓子は嫌だそうだ。お前の所以外は有り触れた菓子……超菓子部は若干違うが、見た目がグロテスクではないので手綱を握ればなんとかなるが、お前は無理だろう? 死体菓子以外を作るのは。だから今回は外れてもらいたい」
「ケーリッヒリラ子爵」
子爵はヨルハ公爵作成中の菓子に近付き、
「見事なものだと思うし、この為に爵位を勝ち取ったのだからこれ以外は作れんだろう? だがエヴェドリット以外には、これは向かんよ」
常人ならば一目で逃げ出すレベルの菓子を褒める。
「……」
「尊敬はするよ。我はこれが趣味でな」
子爵は自作の硝子細工を差し出す。ヨルハ公爵は手を伸ばし、
「触っていいのか?」
「もちろん」
許可を貰って手にとった。
「半流体硝子に花を閉じ込めたものか」
「我は子どもの頃からペロシュレティンカンターラ・ヌビアに憧れていてな。実家では良い顔をされなかった”くち”だ」
子爵はヨルハ公爵が両親や兄弟、その他の者達を皆殺しにして公爵位を取ったことは知っていたが、理由その物は知らなかった。
理由を知っている人たちが、ほぼ皆殺しにされてしまった為、判明しなかったのだ。
「だがお前は両親を殺害してはいないだろう」
今回説得するにあたり、人体調理部がなにを作っているか? を調べ、資料としてガルベージュス公爵から書類を渡され爵位を得るまでの経緯を知った。
「我の両親は狡猾……ではなく、賢いのかどうかは解らんが、良い顔はしないが作品を壊すことは一度もしなかった。小遣いで材料を買って作成している分には。それにこれを趣味とすることだけは認めていた。これを仕事にしたいというと……だが、壊さない」
ヨルハ公爵の両親は、彼の力作死体菓子を叩き壊してしまったのだ。
食べられたのならば彼も諦めたが、壊して捨てられたことに怒り両親を殺害。ヨルハ公爵を継ぐ兄がいたが、
―― 公爵になれば自由だ! 自由だ! ――
気付き兄を殺害し、妹たちも殺害。そして文句を言いそうな縁者を殺して、
―― これで好きに死体菓子が作れる ――
大喜びで叙爵してもらおうと、主家であるバーローズ公爵家へと向かった。理由を聞いたバーローズ公爵は若干《頭痛い》とは思った物の、単身で家族と郎党を殺しきった実力を認め彼が継ぐことを許した。
「苦手なものは苦手なのだそうだ。解ってくれるか?」
「それならば仕方ないな。送ろうと思っていた見本菓子があるのだが、食べてくれるか?」
棚から取り出したのは、骨が所々見えている手首から上の部分。
「手を作るのは難しくないのか」
親指を千切り口に入れる。
―― 味は良いな……これで普通のマジパン細工だったら出せるのに……
ローズヒップティーをシンプルなカップに淹れて出してくれる。その鮮やかな色と独特の味を楽しんでいると、
「お前が我のこだわりを尊重してくれたのだから、我もエンディラン侯爵の意志を尊重しよう。それはもう良いとして」
―― 話題の切り替えはや……
話題がさっくりと流れていた。
「入部しないか?」
「入部勧誘は禁止だろ」
「そうなんだが、お前の手先の器用さに惚れた! お前がいれば、どんな大作だって作れる気がする! そうさ! そうさ! そうさ! 我と一緒にあの地獄を!」
「落ちつけ、な、ヨルハ公爵。我は残念ながら、ヨルハ公爵ほど成績が良くないので、そんな余裕がないのだ」
「勉強なら我が教えてやるぞ」
ヨルハ公爵は《こんな感じ》だが成績はかなり良く、特に白兵戦に関してはならば今期入学生の中でもガルベージュス公爵に次ぎ、在学生のなかでもトップクラス。
エヴェドリットの名門貴族一家惨殺を容易く成し遂げる程の男として、存在感をはっきりと示していた。
逆に彼はこれ程強いので、両親が《マジパン死体菓子作って一生過ごす》というのを許せなかったところもある。
―― 我の実力でも両親が許さんのだ。ヨルハくらいになると、親の期待も一入だったろうな
「勉強のことは、まあ……」
「我とお前の仲じゃないか、シク」
「なんでいきなり”シク”」
「名前を短くして呼ぶのって友達らしくていいじゃないか! なによりも短い名前は呼びやすくていい! なあ、シク」
エディルキュレセ=エディルレゼ・シクシゼム・ヴァートスドヤード。
貴族と言えども侯爵家第二子で、突然の訪問にも関わらずフルネームを覚えているあたりにヨルハ公爵が貴族として有能なのは明かだが、彼は容姿が容姿なので”病弱そう”以外に見えることはあまりない。
「なにも第二名でなくとも、第一名のエディで」
「我のことはヴァレンと呼んでくれ」
「名前伸びてるだろうが。普通に第一名のゼフ=ゼキのどちらかで良いだろ? なんでわざわざ第二名のヴァレンタランス=ヒヴィトリアンスを略する必要は……」
「せっかく仲良くなったんだから名前を略して呼び合うのだ!」
―― 何時の間に、そんなに仲良くなった? 我とヨルハ。むしろヨルハでいいだろ?
「落ちつけヨルハ公爵。我をシクと呼ぶのは構わんよ。それでヴァレンと呼べばいいのか?」
疑問に思えど細かい事は気にしないのがエヴェドリット。
もっとも”これ”には二種類あり、本当に気にしないタイプと、気にしたら前に進めないので気にしないようにするタイプで、ヨルハ公爵は前者でケーリッヒリラ子爵は後者にあたる。この気にしない組み合わせは傍から見ていると、非常に相性がよい。前者にとっても最良のパートナーに感じられる。割を食うのは後者だけ……とも言う。
「そうだ! そして殴り合おう」
―― 思考回路がエヴェドリット過ぎる……さすがアシュ=アリラシュの子孫
この思考の飛び具合にも慣れているケーリッヒリラ子爵は、
「すまん。我は人に触れるのが苦手でな。ロターヌ=エターナ能力所持なのだ、履歴にも書いている。武器を使った物ならば良いのだが、実際の殴り合いは苦手でな」
床に置いていたデスサイズを持ち、柄を手のひらで”ぽんぽん”と叩く。
「そうか、それは大変だな。気持ちの赴くままに人を殴れぬとは」
エヴェドリットにとっては大問題だと、ヨルハ公爵は色合いの悪い顔の眉間に皺を寄せて頷く。ケーリッヒリラ子爵のことを心から心配してくれているのだが、基準がおかしいので傍から見ていると異常以外のなにものでもない。
「という訳で、殴り合いはでき……」
「ではガルベージュス公爵と殴り合いをする! いこう!」
「………」
ヨルハ公爵は今回の菓子依頼の停止に、皇帝が絡んでいることは想像できた。厳格な規律を易々と動かすことが出来るのは、この帝国には皇帝しかおらず、学生内で皇帝の命令を受け取るのはガルベージュス公爵だけ。皇帝が関わっているのならば、ガルベージュス公爵は必ず動くと。
”どうして殴り合いをしようと思ったのか?”それは愚問である。好機を手に入れたら、機会があったら戦うのが彼らの本懐。
ケーリッヒリラ子爵は仕方なしにヨルハ公爵に着換えてから修練所に来るよう言い、部屋へと戻り経緯を説明した。
「構いませんよ。そのくらいのこと。それにしてもよく説得してくださいましたね」
菓子依頼断念の条件として決闘を申し込まれるのは困るが、引き受けてから戦うのはガルベージュス公爵が描いていた最良の結果でもある。
理由があって戦うと死ぬまで戦うことになる可能性もあるので、ガルベージュス公爵はそれを避けたかったのだ。
「いえいえ」
同属の性質と、ガルベージュス公爵の意図を理解していたケーリッヒリラ子爵は《次ぎに起こる騒ぎ》に微妙な気持ちではあったが、最後までは付き合おうと決めていた。
部屋にはイデールマイスラとメディオンもおり、話を聞いて顔を見合わせ、
「ガルベージュス」
「なんですか? イデールマイスラ」
「儂が代わりに戦おうではないか。理由が理由であろう」
根源である自分が《やる》と申し出た。
「無理でしょう」
「だが儂とマルティルディの面会が発端じゃ」
本を正せばそうなのだが、最初からイデールマイスラに依頼しなかったのは、様々な問題があった為でもある。
「貴方では勝ち目はありませんよ、イデールマイスラ。エヴェドリットと身体能力的に同程度の場合、勝ち目は皆無です」
ヨルハ公爵とイデールマイスラの身体能力はほぼ同じと表示されているが《天賦の才》は表示されない。それは人々が噂し広まるもの。
「……」
ヨルハ公爵の強さはイデールマイスラもメディオンも知るところ。
「それを身をもって知りたいというのでしたら、わたくしが最終決戦の大将として立ちはだかることを条件に戦ってみてもいいですよ。言っておきますが、これは正々堂々騎士の勝負ではありません。ただの戦闘です」
イデールマイスラがメディオンの部屋へと行き戦いの準備をしている最中、ガルベージュス公爵は一人で戦う準備を始める。
ケーリッヒリラ子爵が手伝おうとしたのだが制され、代わりにと命令が下された。
「一人でできます。ケーリッヒリラ子爵、貴方はヨルハ公爵につきなさい」
「畏まりました……」
「リュティト伯爵に”身の程”を教えてやりなさい。ひいては彼女の為になります。主を守るために必要なことです」
リュティト伯爵メディオン、彼女の身体能力は《数値》ではケーリッヒリラ子爵とほぼ同じ。
「……畏まりました」
騎士の規範に則った戦い方であれば、ケーリッヒリラ子爵に勝ち目はないが、普通の戦闘であれば彼女に勝ち目はない。
彼女は卒業後、イデールマイスラの姉で次代皇后となるルグリラド王女の側近になることが決定している。だからこそ彼女には己の実力を知り、皇帝の后を守るために、なにが足りないのか? 教える必要があった。
廊下でイヴィロディーグも合流したイデールマイスラたちと共に、皇王族たちが取り囲んでいる修練所へと向かう。
テルロバールノル勢はハルバード、
「イヴィロディーグは参戦できませんよ」
「解っている。それはそうと、お前は武器を持たんのか? ガルベージュス」
そしてケーリッヒリラ子爵は、先程ヨルハ公爵を突いたデスサイズ。
ガルベージュス公爵は武器を持たず、
「もちろんですとも、イデールマイスラ。わたくし武器は要りません。なにせヨルハ公爵の希望は殴り合いですから。ああ、駄目ですよイデールマイスラ。彼は生体完全破壊が可能ですから、武器を使わないなど。迂闊に触れないように。彼も貴方たち相手の時は少しは手加減してくれるでしょう」
無手のままヨルハ公爵の元へ。
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