帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[37]
皇帝の配偶者となり次代皇帝の片親となる。その片方の外戚は数々の特権を得る。様々な特権の中でも代理管理領から増額される収入は魅力だ。
帝国全支配領域を十とすると、皇帝が支配しているのが八割で残りの二割を王国が所持している。
この二割を四王が分割している。これが王国直轄領。
皇帝は所持している八割の内の二割を四分割し、皇帝代理として四王に統治させている。書類では八対二の支配割合だが、実際は六対四となっている。
この直轄領は皇帝から直接管理人が送り込まれ(大体が皇王族)王の支配を監視する。この直轄領の税金は五対五。皇帝は五割のうち一割を管理人の給与に充て、王は五割で統治に必要な設備などを整える。
実際王の手元に残るのは二割程度だが、帝国側から王に税金を徴収することはないので忠誠を表す意味でも、しっかりと統治している。
ちなみに純支配区域(直轄領)では王にも税金はかかる。
その代理支配領だが、皇太子の実母、または実父の属する王家の場合、皇帝から二割増額される。
皇帝の手元に二割、管理人に一割、王には四割で支配区域に還元されるのが三割といった形となる。
これは皇太子の片親の属する王家が支配する代理管理領全てにおいて実行されるため、その金額は莫大。
外戚王となると負担が増えるが、相応の見返りもある。このように言われる所以の一つがこの増額でもある。
現在歴史上ただ一人の平民出皇妃ジオ。彼女の夫が今でも賢帝と名高いオードストレヴ。
「平民なんて正妃にしても、なんら僕に利点がないんだよね」
彼はジオを正妃に迎えるべく、己の全能力を使い非の打ち所がない法を制定した。
明記された皇室法典であるために、マルティルディでも動かしようがない。
「いっそ法改定でもして、僕に有利になるようにしちゃおうかなあ」
頬杖をつき、不細工なグラディウスの映像を指で弾きながら、別画面の法律をも眺める。
「法改正、されるのですか?」
帝国法の改正の難しさをザイオンレヴィも知っている。
”これ” に触れるとなると一生物であることを。
「どうかな。ダグリオライゼは僕の言う事聞くけど、僕に有利な法改正をするとなると皇王族が黙ってないだろうしね。逆に言うとさ、あいつらを黙らせるには王女正妃や僕の家臣の娘正妃よりも、平民正妃のほうが効果的なんだよね」
だがザイオンレヴィは平民正妃が効果的であることは知らなかった。
マルティルディが弾いた画面に目を通し、
「ああ、なるほど。管理人の賞与が増えるのですか」
何を言いたいのかを理解した。
「そういうこと。王の収入を減らさず、皇帝直属の家臣の収入が増えるって形態だったんだ。オードストレヴの時代には適している、そしてこの先も ”通常の皇帝” なら問題ないけどね。ダグリオライゼは僕の部下だろ」
オードストレヴ帝の時代の皇王族は皇帝の家臣であったが、サウダライト帝の時代は皇王族は皇帝の家臣とはなっていない。
サウダライト帝はあくまでもマルティルディの家臣であって、皇王族とマルティルディは対立とまではいかないが、全く別の部分に属する。
「……」
ザイオンレヴィは ”ガルベージュスに依頼するべきでしょうか?” と声が出かかったが、飲み込んだ。
ガルベージュス公爵が万能薬であることは誰もが理解しているが、彼と交渉できる能力をザイオンレヴィは持っていない。ガルベージュス公爵に対して交渉できるのはマルティルディくらいのもの。マルティルディ自身気付いていることを語ったところで解決にはならない。
「無駄なこと言わないあたり、君は僕のお気に入りだよ、ザイオンレヴィ」
「ありがたき幸せ」
「部屋から出ろ」
「御意。……あの、何かありましたら呼び立ててください。直ぐに参りますので」
「君は僕が呼び立てたら直ぐ来るのは当然さ。君は僕の下僕だろ?」
「はい」
ザイオンレヴィが小さなマルティルディの執務室から出た後、石造りの壁と刳り貫かれた小さな窓に視線を向ける。
マルティルディの執務室は小さい。
未だ国王ではないという理由で国王の執務室を使おうとしない。マルティルディが執務に使う部屋は非常に小さく、机に必要最低現の物しか置かれていない。誰に意見を聞くわけでもなく、誰の意見にも耳を貸さない。そして誰も意見など述べない、だから自分一人が好きなように 《決断を下せる》 だけの広さで良いのだ。
大宮殿のケシュマリスタ区画の王の邸、その大食堂傍にある小さな石造りの物置だった場所。
”机はこれで良いのですか? マルティルディ殿下”
”はい。椅子を運び込みました”
”これだけで良いのですか?”
王太子であった父が死亡し、王太孫であった己が繰り上がった。その時にザイオンレヴィ一人に掃除をさせ荷物を運ばせた。
”鍵はいかがなさいますか?”
「君が門番をしていればいいだけだ」
ザイオンレヴィは大食堂の椅子に腰掛け、窓越しにマルティルディの執務室を見つめて、そして見つめ続けている。
「シルバレーデ公爵閣下、どうぞ」
「ああ」
差し出されたグラスを口に運びながら、マルティルディが呼ぶのをザイオンレヴィは待っていた。
マルティルディが最初にグラディウスを正妃にしようとしたのは、他の王家に特権を与えたくなかった事が大きい。
自らの支配下にあるサウダライト帝、そして何の権力もない平民。
マルティルディに良いよう動かすのには、これ以上の存在はなかった。
「ガルベージュス……か」
軍事国家の軍隊を実質支配しているガルベージュス公爵、帝国の指針の全てを決定しているマルティルディ。両者が手を組み帝国を支配している。歪ではあるが、結果は悪くない。
この支配を続けるためにも、他王家の存在は排除する必要がある。
―― カロラティアン伯爵より通信。面会要請です
定期的に寄越される面会要請に、マルティルディは何時も通りの表情で答えてやることにした。
カロラティアン伯爵はマルティルディが帝国に居る際、ケシュマリスタ王領をベル公爵と共に管理している。もちろん副王とベル公爵の仲は悪く、互いに足を引っ張り合うような状態だが、基本的なことはマルティルディが全てを決めているので支配に滞りはない。
「なんの用かな? サルヴェチュローゼン」
―― 貴方様に名を呼んでいただきたく
「そうなの? じゃあ、もう切って良い?」
―― アディヅレインディン公爵殿下
「ねえ、サルヴェチュローゼン。僕に忠誠を見せろよ」
―― は? あの……足りませんか?
「全く足りないね。副王妃を差し出しただけだろ」
―― ラウフィメフライヌではなく貴方様に従ったのは、忠誠とは取っていただけませんか?
「君はさラウフィメフライヌ王と僕のパパを計りにかけて、僕のパパを取っただけじゃないか。僕のパパに忠誠を表すために僕に従っただけだ」
―― 足りませぬか?
副王サルヴェチュローゼンは ”足りませぬか?” と言いつつ、足りていないことは理解した。マルティルディが 《アディヅレインディン公爵に従った証を立てろ》 言っていることを。では何をもって忠誠の証とするべきか?
マルティルディが何を欲しているのか? 何食わぬ表情を崩さぬよう、声から不安が気取られぬよう副王は視線を合わせたまま問いかける。
「ああ、足りない」
―― このサルヴェチュローゼン、貴方様に命じられたならサウダライト帝をも殺しましょう。ベル公爵をも殺害しましょう。ガルベージュス公爵にも立ち向かいます
「裏切れるかい?」
―― 貴方様以外であれば、誰でも裏切りましょう。このサルヴェチュローゼン、貴方様の忠実なる僕
「気が向いたら、誰かを裏切れって言ってやるよ。気が向かなかったらそれまでだけど。じゃあね」
マルティルディはそう言い、一方的に会話を遮断した。遮断された方は膝をついて頭を抱える。
マルティルディが何かを望んでいることは理解できたが、それが全く理解できなかった。これは家臣としては致命的、特にマルティルディのように気分で人を殺害する主相手にしては一族の存亡に関わる。
「ダグリオライゼ……いや、ガルベージュス公爵か! 誰か、ガルベージュス公爵に連絡を取れ!」
武門の副王は急いで帝国の軍事を支配している司令官に連絡を取ろうとしたが、
「マルティルディ殿下の元へ?」
「はい」
取れず終い。
「宜しい、下がれ……ダグリオライゼに連絡を入れて……いや、それよりもガルベージュスの両親か。それにしても誰を? ラウフィメフライヌの首をお望みなら、このサルヴェチュローゼン、何時でも切り落とし貴方様の元へと持参するというのに」
※ ※ ※ ※ ※
ザイオンレヴィは食堂の扉の一つが開いた音には振り返りはしなかったが、足音が響いた瞬間に振り返った。
軍人特有の行進を思わせる足音、そしてこの男のためにどこからから風が吹いているのではないか? 思いたくなる着衣や髪の動き。
「”きょうてき” と書いて ”とも” と呼ぶ。わたくしの永遠のライバル、ザイオンレヴィよ」
「ガルベージュス……どう考えてもお前と私じゃあライバルもなにも」
「お前はわたくしに勝ったただ一人の男!」
「いや、それは! お前がロメララーララーラに見惚れてしまったからであって! 通常状態だったら私は負けていた!」
「いや! 勝ちは勝ちだ! そして負けは負けだ! 勝負をしているときに恋に落ちてしまうなど! わたくしは己の未熟さを痛感する、それと同時にわたくしの愛しい姫君に対する!」
「ガ、ガルベージュス。マルティルディ様に用事があってここに来たんじゃないのか?」
マルティルディの小さな執務部屋を訪問する際には、どうしても大食堂を通り抜ける必要がある。
ただ……が……するのを……は……れない……その際……を使用しているからだ。当然……い。……は……だが
「ああ、そうだ。アディヅレインディン公爵殿下にと、陛下より下賜されたオレンジジュースを持って来たのだが」
「グラスは二つで良いか?」
ザイオンレヴィは立ち上がり、窓の直ぐ下にあるテーブルに並べられた空のグラスが並ぶ場所へと近付き、カッティングが全く違う二つのグラスをトレイへと載せて差し出した。
「感謝する。やはりお前はわたくしの!」
「いや! 違う! 絶対違うって! ライバルってのは実力が拮抗している時に使うべきだ! ゾフィアーネやエシュゼオーンに使ってくれ」
ザイオンレヴィは心底そう思っているのだが、トレイを受け取りマルティルディの執務部屋へと向かおうとしている、何故かマントの動きが無駄に格好良いガルベージュス公爵は振り返り、
「あの二人はわたくしのライバルではない。お前こそがライバルなのだよ、ザイオンレヴィ。アディヅレインディン公爵殿下と共に在りながら、共に在ることの出来ない存在であるお前こそが、わたくしのライバルとなり得るのだよ」
それだけ言って去っていった。
一人になったザイオンレヴィは、初めて答えが返ってきた事に驚き、そして言葉を反芻し、
「全く意味が解らない」
首を振る。首を振りながらざらつく感触に胸の辺りに手を置き、服を握り締めた。
そして執務部屋へと消えたガルベージュス公爵を見て、その思いが強くなる。強くなった自分に驚き急いで手を離し見つめた掌は震えていた。
「何故? 何故震える。何故震えているのだ?」
※ ※ ※ ※ ※
「失礼します」
「僕は君なんかに用事はないけど」
副王との会話を一方的に終えたマルティルディの元に現れたガルベージュス公爵。
「オレンジジュースをどうぞ」
「君さ、僕の話聞こうとしないよね」
「まあ、お飲み下さい」
差し出されたグラスを受け取り、マルティルディは机に腰掛けてその男は床に座る。
「美味しいですね」
「そうだね。それで、君は何の用だい?」
マルティルディと男は話す事は多数ある。
唯一話題に出ないのはエンディラン侯爵のことくらい。男はマルティルディに侯爵を欲しいと言ったことはなく、マルティルディは男に欲しいか? と尋ねたことはない。
それは問う物でも請う物でもない。
動き出したら変わる存在だからこそ、直接は触れない。
エンディラン侯爵だけに触れても、何も動きはしないのだ。
「わたくしの知己ベル公爵が、今年のアディヅレインディン公爵殿下のお誕生日会はどうしたらいいか聞いてくれと」
誕生日の話にマルティルディの表情が曇る。年齢云々ではなく、この目の前にいる男が去年用意した自分への誕生日プレゼントは 《とある子供の映像記録》 だった。
映像を一目みて画面を叩き壊したマルティルディに、男は頭を下げ無言で立ち去った。
マルティルディが十七歳の時に産んだ子供は、もうじき四歳になろうとしている。
「帰らないし、祝いも要らない。王太子のお祝いなんてする必要無いだろ? 国王のお誕生日でも祝ってやればいい。あの生ける屍を、死の望む王が迎える誕生日を祝ってやるだけでいいのさ」
「では帰還しないと伝えておきます」
マルティルディの言葉など聞いていないかのように男は返し、立ち上がりマルティルディのグラスにジュースを注ぐ。
「それだけか?」
「リュバリエリュシュス・アグディスティス・ロタナエルはあと五年弱ほどで亡くなるそうですね。次の献上用両性具有、イデールサウセラ・アグディスティス・エタナエルを収める時期は五年後でよろしいですか?」
「男王をあと五年、もうじき残り四年だけど、生かしておくの?」
「貴方がそれを望んでおられるのでしょう」
「だってダグリオライゼは人殺せないもん」
「貴方が殺せばよろしい」
「僕は皇帝じゃないから入れないもん」
「嘘つき」
「……っ!」
「失礼いたしました」
マルティルディの手からグラスを奪い男はトレイを持ち、執務部屋を去ろうとした。
「待てよ、ガルベージュス」
「はい」
「あのさ、僕が平民を正妃にして皇太子を産ませようとしたら、君はどうする?」
「貴方のお望みのままに」
「君は躊躇いもしないんだね」
「何を躊躇えばよろしいのですか? わたくしの躊躇いにより貴方の心が穏やかになる? そんな事はないでしょう。貴方がわたくしに望む物、それは判断。重すぎる判断を一人で下すのは辛いものです。わたくしが貴方の立場でしたら、同じように聞くでしょう」
「本当にむかつく男だ。行けよ」
「太陽の破壊者よ。貴方にとって、その平民は ”最後の少女” の代わりですか?」
ガルベージュス公爵は答えを聞くつもりはなく、そのまま部屋を後にした。
マルティルディは部屋から出てくる気配も声もなく、大食堂にはザイオンレヴィの姿もない。
誰もいない大食堂の長テーブル。その上座にある椅子の隣に立ち、全体を見渡す。《王がもてなし用に使う部屋》 である大食堂。ラウフィメフライヌ王が孫であった前王太子、故エリュカディレイスのクーデターにより力を失って以来使われていない部屋は、手入れは行き届いているが寒々しかった。
「エシュゼオーン、ゾフィアーネ。居るか」
「はい、ガルベージュス公爵閣下。エシュゼオーンはここに」
「ゾフィアーネもここに」
大食堂の扉の向こう側にいた二人は、その場に膝をつき返事をする。
「愛妾区画の陛下のお気に入りと、その周辺を警戒せよ。王達に情報が流れぬように細工せよ」
「畏まりました、閣下」
「お任せ下さいませ、閣下」
結果、王達は「グラディウス・オベラ」に関する詳細を手に入れることが出来なかった。
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