帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[36]
 大学から住んでいる「大宮殿」の一角へと戻る。
「今日の夕食は、どれを選ぼうかな」
 すっかりと通い慣れた道と、歩き慣れた廊下。
 愛妾として大宮殿に住んで二年目にはいったある日のこと。

「レルラルキス」
「シャナ? どうしたの」
「聞いた?」
「主語も言わないで ”聞いた” って尋ねられてもね」
 同じ愛妾として後宮にはいった、私とは正反対の友人シャナ。私とは違って本気で愛妾をしているので、情報収集能力がとっても高い。
「あのね! 7095が1になったそうよ」
 愛妾は基本 《番号》 で処理される。
 私は2004。シャナは2105。愛妾になった順番で番号がふられる。
「1のカルヴィレシュは帰ったの?」
 番号で呼ばれるけれども、顔と本名を一致させるのは誰でもしている。ほら、一応ライバルだから、相手の情報は沢山持っておかないとね。陛下のお気に入りが現れて、その人に失礼な態度を取ったりしたら、身の破滅でしょ。
「違うわよ、番号交換。7095が1を欲しいって陛下におねだりしたとか」
「凄い人が来たようね」
 番号変更なんて滅多にないことだって聞かされたんだけど。
 これは、陛下の ”本命” 登場ということかしら?
「そうみたい。それで、気も狂う程に怒ってるみたいよカルヴィレシュ」
「怒った所でどうにもならないでしょうに。そんなカルヴィレシュはどうでも良いわ、新たな1が何者か、解ったことある?」
「興味あるでしょ」
 シャナとカフェで会話したものの、来てすぐの《1》がどんな子なのか? は解らなかった。
 昨日、昼食の時だけ食堂に訪れたらしく、その時に見かけた人達の証言によると「がっしりとした体型の子供」で「ばさばさの白髪」で「褐色の肌」そして、
「訛りが強くて、何を言っているのか聞き取りづらい」
 極度の訛り。
 独特のアクセントがあるテルロバールノル語に、更に地方色が混じっているとか。
「今日は食堂で見ることできるかしら?」
「どうだろう? 昨日も朝食と夕食は陛下と一緒で食堂に来なかったし、今夜も陛下が渡られたそうよ。だから明日の朝は自室で取るでしょうから、無理じゃないかしら」
「昼は大学だから、見る機会がないわ」
 ”代わりに見て、細かく教えてあげるから!” シャナはそう言って去っていった。

 朝食と夕食は愛妾区画で取るけれども、昼食は大学の私は会える機会は低そう。
「でも先は長いから、会える機会はあるでしょう」
 私は部屋に戻って専門書を開き、ある程度のところで切り上げてベッドにはいった。
 明かりを消す前に机の上にある車輪を見て、少しだけ幸せな気持ちになって目を閉じる。
 翌朝、やはり会うことは出来なかった。
 陛下と共に朝食を取っているらしい。どんな子なんだろう? 凄く可愛い……というわけではないらしい。
 嫉妬とかじゃなくて、顔をみた人達が「……」となっていたので。可愛いと嫉妬で「可愛くない」と言う人がいるけれども、その子は「……」なんだとか。
「それでね、レルラルキス。フィラメンティアングス公爵殿下に引き取られた5495、無事に男の子産んだそうよ」
「へえ。そうなんだシャナ」
「フィラメンティアングス公爵殿下、息子はあまり好きじゃないらしくて、もう見向きもされないとか」
 遠く離れたロヴィニア本星付近での出来事まで……情報収集ってこういう事をいうのね。恐れ入るわ。

 その後、情報は貰った。
 本当に特別扱いされているらしく、最初に説明係として付いてくださる「男爵さま」がずっと配置されてるとか。
 普通は一週間程度で説明を終えていなくなってしまうのだけれども。
 小間使いは一人だけれども、小間使い……リニア・セルヒ・イーデルラ・マドウという三十二歳の女性らしいんだけど、彼女の扱いも特別で、陛下も名前を覚えているとか。
 普通は小間使いの名なんて覚えることはないし、愛妾だって番号だけで、よほど気に入っていなければ名前なんて。
「なんかさ、噂じゃあ寵妃になるんじゃないかって」
「凄い子がきたのね」
「顔もスタイルも普通……くらいなんだけどなあ」
 シャナはすこし迷った。
 うん、みんなその子のことを言うとき戸惑う。ほら、陛下のお気に入りには悪口言えないじゃない。
 だからみんなお世辞つかうじゃない……でも、その子に関しては「普通」以上の表現をすると「嫌味」になっちゃうような子なんだって。
 本当にどんな子なんだろう、グラディウス・オベラって。

※ ※ ※ ※ ※


 ある日、早めに大宮殿に戻ってきたら……出会ったの。
―― ルサお兄さん。これなに? ――
 恐らく ”そのように発音” した筈よ。実際に私が聞き取れたのは 《ルサにいちゃ、こいなん?》 のような感じだったけれど。噂のテルロバールノル訛りでしょう。
 ルサ男爵さま、なる世話係が付いている陛下のお気に入り愛妾グラディウス・オベラ。
 真っ直ぐに見ても良いんだけれど、思わず壁に隠れて見てしまった。
 そして声が上がったわ。

 モルミントだ!

 椰子の実を両手で持って、首を傾げながら男爵さまに尋ねているその姿。
 生まれ変わったのね!
「えっと、少々お待ちください。私も初めて見ましたので」
 その褐色の肌が思い起こさせるあの茶色の毛。
「食べもん?」
 椰子の実を持つ姿が種を持っている姿に重なるわ。
「そうでしょうね。この区画にあるということは……えーと本日のフルーツメニューは」
 一目で椰子って解るじゃない! 解るじゃない!
「かてぇなあ。くりみてぇだ」
 モル……じゃなくてグラディウスちゃんは! 良いじゃない! 勝手に ”ちゃん付け” したって! グラディウスちゃんは椰子の実を持って、男爵さまと一緒に端末画面の見守って、見守って……
「えーと。ちょっとお待ち下さいね」
 何で見つからないの? どうして解らないの? 食べたことないの? 男爵さま!
 その隣で椰子の実を抱えてお尻を振りながら ”なんだろ、なんだろ” と言っている。
 可愛い! なに? お昼食堂に通うと、毎日のようにこの子を見る事が出来るの?
 ちょっと、大学休みたくなった。
 一年くらい休学しても惜しくはないかもしれない!
 それよりも、男爵さまは見つけられないみたいね。ずっとお尻をふっているグラディウスちゃんを見ていても私としては良いけれど、やっぱり早く食べたいでしょうからと、壁から一歩出て声をかけてみた。
「それは椰子の実ですよ」
 男爵さまは振り返ったけれど、グラディウスちゃんは振り返らなかった。
「ありがとうございます」
「じゃっ!」
「あっ、お名前……」
 もう一度壁の影に隠れて半分に切られた椰子の実(飲料用の改良された) ”ちゅーちゅー” しているところを観察……
「うんまいよ。リニア小母さんにも持って帰ろ」
「は、はあ。まあ……規則では……グラディウス殿がお望みでしたら」
「今日、おっさん来るのかな? おっさんの分も持ってかえんだ!」
「それは必要かと。陛下がおいでになるという連絡は、まだありませんが」
「今日もおっさん来てくれるといいな!」
「あのー外に居る時は、そのおっさ……あああ……いいえ、何でもありません」
 どうもあの子、テルロバールノル語しか解らないみたいね。さっき声をかけた時は帝国語だったから、解らなかったのね。でも一応礼儀だから、皇王族の方には帝国語で話しかけるって。

 ところで…… ”おっさん” って誰のことかしら? グラディウスちゃんのおっさん? まさか……ねえ? シャナに聞いてみようかな。

※ ※ ※ ※ ※


 その頃 ”グラディウスちゃんのおっさん” ことサウダライト帝は仕事をしていた。
 サウダライト帝は一般的な仕事に関しては先帝よりも能力が高い。生まれながらの支配者ではなく、支配者に仕えていた男は書類を溜めて帰るという行為に罪悪感をおぼえるので、決裁などは遅らせることはない。
 先帝は生まれながらの支配者であったため、決裁が遅れることにより家臣が困るという図式が頭にはあっても実感したことがなく、些かゆっくりな部分もあった。ここら辺は完全に生まれ育ちが関係していると過言ではない。
 上の判断を待つという世界が存在せず、また必要のない存在でもあった。
 悪気があって遅らせているわけではなく、期間に間に合うように下されるので問題はないが、決裁を待つ時間はサウダライト帝の頃よりは長かったのは事実でもある。

「あ……」
「如何なさいました? 陛下」
「このサゼィラ侯爵家のイデルグレゼだが、本当に寵妃になるつもりなのか?」
「はい」
「マルティルディ様の許可も下りてるな……そうか」
 ”可哀相なことになるだろうなあ” そう呟きながら印を押して形式的な最終許可を出す。実際の最終許可はマルティルディが ”やれ” といった時点で下されているのだが、お飾りの皇帝は形式を遂行してゆく。

「陛下、今宵は?」
「今日もグラディウスの所へ」
「はい。本日は何を贈り物に選ばれますか?」
「今日は洋服を三着……いや一着でいいな。それと甘めなオレンジジュースを」
「ジュースですか? 報告によりますと、陛下に飲んでもらおうと椰子の実をお持ち帰りになったそうです」
「そうか。椰子の実か……」
 サウダライト帝は椰子の実は好きではないが、
「はい」
「では今日は洋服だけにしておこう。あと子供が喜ぶようなストローを数本用意しておけ」
 それらを否定せずに ”一つの椰子の実に二人でストローさして飲んだら、喜んでくれるかなあ” そんな事を考えていた。

「失礼します」
「どうした?」
「サゼィラ侯爵家イデルグレゼ殿が到着いたしました」
「たった今印をついたばかりなのだけどね」
「その……今度は此方に印をとの事です」
 入室したばかりの部下が差し出した書類は、寵妃五名と正妃三名の対面。
「あーもうそこまで話進んでたのか。可哀相な事になるかも知れないけど、マルティルディ様と正妃の皆様方の意向に背くわけにいかないしね」

 実務能力は高く、仕事は停滞しない。それは確かに 《ダグリオライゼ》 の美点だが、皇帝としての美点ではない。
 皇帝は皇帝であらねばならない。
 サウダライト帝は 《皇帝》 に求められる 《王を支配する》 能力は皆無だった。先帝はそれらの能力は兼ね備えていた。

 皇帝は調停し、支配し、そして安定をもたらす。
 
 職務の補佐官達はそれを感じたが、サウダライト帝の今までの人生、そしてマルティルディとの関係を考慮するとこれ以上を望むのは無理だと判断し納得もできた。

※ ※ ※ ※ ※


 グラディウスが愛妾区画でルサ男爵とリニア、そしてサウダライト帝と仲良く過ごして居た頃、エンディラン侯爵は寵妃として、またマルティルディの家臣として仕事をこなしていた。

―― 早く会いに行きたいなあ。元気にしているかしら、グラディウス ――

「到着したそうよ」
「馬鹿な女よねえ」
 元副王妃と共に父の愛人であるイデルグレゼを待ち構えていた。
「本当にね。私一人があの女の相手になるわけじゃないのに」
 侯爵は口元に手を持ってゆき笑う。
「本当にそうよ。ライバルを叩き潰してこそ寵妃。貴方とサシで勝負じゃないのにねえ。寵妃として私だって容赦しないし、ダーヴィレストやアランだって潰しにかかるわ」
 元副王妃も本気だ。
「あの二人、特に性格悪いものねえ」
 ダーヴィレストやアランも寵妃として後宮にはいった、ケシュマリスタ属の大貴族の娘。
「あら、貴方がそれを言うの? ロメララーララーラ」
「アランやダーヴィレスト、そしてフェルガーデに比べたら、私なんて小鳥のようなものよ」
「嫌ねえロメララーララーラ。私をあんな二人と一緒にしないで頂戴。……僕の方が、あの程度より数段性格悪いんだからさぁ。最終的には、あの二人もたたき出すよ、僕は」
「ごめんなさいね。君をあんな二人と比べちゃって、僕もさあ君に負けないように”いつも”に戻ることにするよ」

 二人は視線を合わせて、高笑いをする。

 イデルグレゼは侯爵に対する嫉妬でここに来るが、ここは侯爵と決闘する場所ではない。戻ることが決まっている元副王妃や、ザイオンレヴィと婚約したままの(マルティルディが許可しているので問題ない)侯爵以外は、本気で寵妃として頂点に立たなくてはならない場所だ。
 寵妃、準配偶者候補の頂点に立ち、そこから正配偶者として向かう。その先には既に正妃となっている三人の王女が 《格下の妃》 を追い出すべく待ち構えている。
 他王家の王女にしてみれば、ケシュマリスタ系の姫を全てを追い出して次に自王家の傍系筋の姫君を収めた方が良い。
 特に大量の ”傍系筋姫君” を持つロヴィニア王は、今か今かと手ぐすねを引いて待っており、姉王の期待に応えるべくイレスルキュランは寵妃を次々と叩きだしていた。
 ルグリラドは「ケシュマリスタ系貴族」など論外だとして、排除する手を緩めない。ケシュマリスタ系貴族を正妃にするくらいなら、自らの従姉妹である傍系筋を入れた方がまだ良いとの判断から。
 唯一「やさしい」デルシ=デベルシュだが、女の本質をここまで見抜ける女はいない。その彼女のお眼鏡に適ったものは、今のところ誰一人いない。
「何日持つかしらね?」
「さあ……でも ”壊れる前に” と直ぐに正妃方との対面は用意しておいたわ。マルティルディ殿下に頼んで」
「あら、怖い。この元副王妃の僕だって、二度と正妃様の前には出たくないというのに」
「私だって同じよ。殿下の恐ろしさとはまた別の恐怖。でもあの恐怖を味わって貰わないと。私達だけだなんて許せないわ。寵妃になるなら、絶対に体験して貰わないと」


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