帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[35]

 ―― 俺とそいつ、どっちが大切なんだよ! ――

 雰囲気の良いバーと言われるのは何故か薄暗い。そして殺風景ではいけないが、ごちゃごちゃしていてもいけない。
 グラスやテーブル、椅子だけではなく壁にまで ”風情” が必要だ。そう、たとえ開店半年であっても、長い年月を経た風情がなくてはならない。
 空気は大自然で一杯ではいけない、上質の空気清浄機で森林浴効果がプラスされているような物は使用してはいけない。その効果があったとしても使用してはならないのだ。
 あくまでも室内に ”独特” な空気が残らなくてはならず、その空気は両手を広げて深呼吸するような類ではいけない。
 薄暗いカウンター席。そこで行って良いのは上品に酒を嗜み、そして肩を落とすこと。
 幸せ一杯の人は座ってはいけない、マスターは基本渋くなくてはいけない。
 顔はどうであっても良いが、声がよく、話し方が良く、含蓄を含んでいなくてはいけない。全てを見通したような雰囲気を持っていなくてはならない。過去大企業に勤めていたとか、裏社会のボスと顔見知りだとかいうオプションがあれば尚良い。

 今それら、厳しい基準をクリアしたバーのカウンター席に、失恋したんだろうなと思われる青年が項垂れていた。
 最初に注文したカクテルは彼の好きな物。それを一気に飲み干して、もう一杯注文する。

「彼女が好きだったんだ」

 マスターは彼の話に耳を傾けた。

※ ※ ※ ※ ※


 サウダライト帝に最も愛された正妃は帝后グラディウス。これに関して異義を唱えるものはない。
 サウダライト帝は女好きだった事もあり、皇帝時代は後宮に一万人ほどの愛妾を抱えて、退位後は十名ほどを入れ替えながら囲っていた。
 そんな彼の愛妾の中でもっとも気に入られていたのは、退位後にも連れて行かれることとなった愛妾は ”レルラルキス・エリナディ・ミュハーハ・ラハス” で一致している。
 彼女がサウダライト帝に気に入られた大きな要因、それは、
「レルラルキスさん! お勉強教えて!」
「もちろん良いわよ。モルミ……グレス陛下」
 帝后と仲が良かったことにある。
「陛下要らない。グレスで良いよ、グレスが良いよ。あてしはグレスが大好きだ」

※ ※ ※ ※ ※


 子供の頃、レルラルキスは一度だけペットを飼ったことがある。

「動物を飼いたい!」
 そう言った彼女と共に両親と兄弟姉妹と共に近所の個人動物病院へと向かった。(帝国では動物販売は原則として禁止。ペットなどは個人経営の動物病院や、国が管理している所へと出向いて譲り受ける)
「犬や猫は今いないそうよ。どうしたの? レルラルキス」
 レルラルキスは病院に向かう途中「犬とか猫がいいなあ。両方欲しいかも」と騒いで居たので、残念がっているだろうと母親は声をかけたのだが、
「お母さん。あの子に決めた!」
 娘が指さしたのはロボン種ハムスター。
「それで良いの? 猫とか犬とかじゃなくて?」
 茶色の毛と必死に餌を持って食べる姿が愛らしい、ちっちゃい生物。
「あの子がいいの! ご飯食べてる姿が、もぎもぎしてて! 可愛い!」

 レルラルキス、十二歳。初夏の出会い。

 ハムスターは「モルミント」と名付けられ、レルラルキスとその家族に愛された。
 当然のことだがハムスターの寿命は短く、レルラルキスが十五歳の夏、永遠の別れが訪れた。ペットの埋葬地である惑星に備えられている専用コロニー(ペットは地上に埋めることは禁止されている)へと向かい弔った。

「モルミント。いつか、何時か生まれ変わって、人間に生まれ変わってお話できたら、お友達になれたらいいなあ」
 
 レルラルキスはモルミントの冥福と、出来る事なら再会を ”皇帝” に祈った。当時の皇帝はシャイランサバルト帝である。

 レルラルキスはその後、生き物を飼うことはなかった。別れが哀しくて飼わないのではなく優秀だった彼女はその後特進に特進を重ね、その先での研究などが忙しくなってきた為に飼う余裕がなかった。
 忙しさの中、モルミントのことを忘れかけていた彼女はある日突然思い出す出来事が起きた。
 彼女がモルミントの冥福を祈った皇帝シャイランサバルトの崩御。

―― モルミントがまた幸せになれますように ――

 そして同時期に届いた同窓会の知らせ。崩御前に発送されたものであった。今回彼女の元に届いたのは十三歳の頃の同級生。同い年の子と机を並べていた頃のものだ。
 丁度良く彼女は少しばかり時間が空いたので、同窓会に出席した。
「久しぶり」
「久しぶり、レルラルキス。一級奨学継続、頑張ってるみたいだね」
 懐かしい面々の中に十三歳の時に付き合った同級生の彼氏がいた。
 彼氏といっても深い仲どころかキスすらせずに別れた相手で、レルラルキスの頭からすっかりと消え去って……はいなかった。 
 ある一つの出来事で彼は彼女に 《不快な印象》 を残している。
 その印象とは、その日彼女の家族は全員、様々な用事で自宅には帰ってこられず、彼女が一人で留守番をすることになっていた。
 十三歳の彼女は留守番くらいは平気だったのだが、その日の朝、モルミントが体調を崩しており、登校前に動物病院へと立ち寄り、診察と一時預かりを依頼した。
 誰でもそうだが「モルミント大丈夫かな……大丈夫かな」ペットの容態が非常に気になっていた。
 病院の方に連絡を入れると「連れて帰っても大丈夫だよ」と言われ胸を撫で下ろした彼女。早く無事な姿を見たくて仕方がなかった。
 そんな彼女に対して、彼は夜遅くまで一緒にいようと言ってきた。
 もちろん彼女はしっかりと理由を述べて断るも、彼は引かず、そして彼は言った。
「俺とそいつ、どっちが大切なんだよ!」
 あまりにも愚かな問い。
「あんたなんかと、モルミント比べろっての! モルミントの方が大事に決まってるじゃないの! 馬鹿じゃない! それに、体調崩しているペットよりも遊びを優先しろってどういう事! 優しさの欠片もない男ね! もう連絡してこないでよ!」

 彼はふられた。話相手になった彼の友人は、あまり彼に同情しなかった。

「ペットが具合悪い時にそんな事言ったら……殴られなくて済んで良かったほうだぞ。ペットがらみでそんな事言ったら、殺人未遂もあるくらいだ。そうだよ、入れ込みようが違うんだから」
 話相手になった友人は、モルミントが一時預かりされていた病院の息子だ。

「久しぶり、レルラルキス」
 不快な印象を残している彼に声をかけられた彼女は、昔のことだとそれらを水に流して微笑み、近況を尋ねた。
 彼は今、惑星でも名の知れた会社に勤めて、中堅にすらなっていた。
「俺達さ二十五歳だろ」
「そうね」
「あのさ……結婚してほしいんだが」
 彼は彼なりに反省し、あの日以来 ”モルミントを越える男になるべく” 己を磨いた。
 勿論モルモントがハムスターなのは知っている。友人や知人に 《お前、ハムスターと張り合って情けなくないか?》 と言われることもあったが、とにかく彼は頑張った。
 だが……
「え? あ、無理よ。私愛妾になるから。二ヶ月後には陛下の愛妾として大宮殿の後宮にいるからね」
「……」

 同級生達は大声を上げてレルラルキスの栄達を喜ぶ。

「すごい! じゃあ、この惑星で選ばれた一人ってレルラルキスだったんだ!」
「大学はどうなるの?」
「帝国大学編入試験も合格したわよ」
「やったね! 愛妾で帝国大学の研究員だったら、一生研究生活送れるね!」

 友人達に祝福されているレルラルキスを見ながら彼は肩を落とした。

※ ※ ※ ※ ※


 レルラルキスは五人兄弟の真ん中。兄が二人に、妹と弟がいる。
 両親共々、絵に描いたような貧乏下級貴族だったが、子供達は大切に育てられた。全員成績は良く、全員奨学金を受けて学校へと通っていた。
 奨学金は学校内の成績だけで受けることのできる物と、試験を受けて合格して受けるものの二種類がある。前者は学費免除で、卒業後に返却しなくてはならないが、後者は原則返却はない。
 後者の試験は五段階に分けられ、一級試験を通過した場合は学費や生活費、その他の税金まで全て賄って、かつ返却せずに済む。
 だがこれには大きな制限があり 《支配星系移動》 は不可能になる。進学や就職の全てを奨学金を貰った支配星系内で行わなくてはならない。
 その王国や、皇帝直轄領において優秀な人材が別の星系へと出て行かないようにするための囲い込み的な面が強いとも言える。
 これから自由になるためには、今まで受けた奨学金を利子を含めた、一般的には「受け取った総額の四倍」と言われる金額を一括返却する必要がある。
「良かったね、姉さん。これで教授の所でまた学べるよ」
 荷物のまとめを手伝ってくれている妹は、姉が愛妾になろうとした理由を知っていた。レルラルキスの恩師で、研究室を持っていた教授が帝星大学に引き抜かれた。
 教授は下級貴族ではあったが、裕福な出だったので制限がなく、帝国で最も設備が整っている大学から声をかけられてたので引き抜かれ、レルラルキスの居る大学から去った。
 どうしても教授の下で学びたいレルラルキスだが、貧乏貴族の娘が奨学金を一括で返却するのは無理。
 『ごめんね、姉さん。私も一級ならお金に余裕があったんだけど』(妹は後者の三級奨学生)
 『ねえちゃんごめんよ。俺ももう少し頭が良かったら、姉さんが好きな学校に移動できる手助け出来たのに』(弟は後者の二級奨学生)
 『済まないなあ。生活がぎりぎりで。使える貯金を弟と合わせてみたが全く足りない』(長男は独立しており、妻子あり)
 『貯蓄下手でごめんな』(次男は自営業を始めたばかりで、自分の資金繰りだけで精一杯)

「良いわよ! そんなにしてくれなくても! 父さんも、母さんも! 老後の資金に手付けたら怒るからね!」

 特にレルラルキスは優秀で、奨学金を受けた年齢が低かったため、受け取っている金額も相当。
 ここで諦める筈だったのだが 《愛妾探し》 が来たことを知り、勝負をかけた。レルラルキスは目を見張る程の美しさではないが、貧相や醜いとは程遠いことを自ら否定しない。
 顔とスタイルがある程度で、成績も優秀なら最終選考で ”どちらを選ぶか?” となった時、選ばれる確率が高いことも調べた。

 容姿で勝負にならない相手など彼女にはどうでもよく、おそらく自分と競い合うだろうという女性数名に目を付けて、彼女達の来歴をあたった。その中で自分が最も「世間的に優秀」だったので、期待を持って待機した。
 レルラルキスの読みは見事に的中して、無事に愛妾の資格を得て、そのまま「帝国大学に編入試験を受けたい」と申し出たのだ。
 その間に職員達はレルラルキスの奨学金を支度金の一部から捻出、一括返却した。

※ ※ ※ ※ ※


 愛妾に名乗りを上げる者達は借金を抱えているものが多い。借金を抱えているから愛妾に名乗りを上げるともいえるのだが。
 レルラルキスが言った「賢い方が選ばれる」原理は、国としては 《国家の財源を用いて個人の借金を完済し自由にしてやる》 のだから、その際に使用した税金が国に戻ってくる方が良い。
 悪徳高利貸し業者に支払い彼等の資金になるくらいなら、次の成績優秀者に回された方が国家として利益がある。
 よって美貌が多少劣っている程度なら、成績優秀者の方を選ぶのだ。
 

※ ※ ※ ※ ※


 全てが身軽になったレルラルキスは、収納棚の奥に大事にしまっていた箱を取り出して開く。中には 《ハムスター専用車輪》
 よく走り、何故かよく転んだモルミントが使った、古びたその車輪。
「これ、どうしようかなあ」
 レルラルキスは目を閉じて、車輪に乗って走っていたモルミントを思い出す。今でも鮮明に脳裏に描け、音まで耳の奥に戻って来る。
「持って行きなさい」
「父さん」
「生活環境が大きく変わるんだ。ホームシックにかかるかもしれないからね。その時、この車輪の音が特効薬になるはずだ」

 父の言葉に頷き、レルラルキスは一般の荷物ではなく「手荷物」として車輪を鞄に入れて帝星へと向かった。

 ―― 私のこと、見守っていてね! モルミント! あっ! でも生まれ変わってたら、見守らなくて良いからね! ――

※ ※ ※ ※ ※


「そうですか」
 マスターは注文されたカクテルを彼に差し出す。
「……」
「陛下の愛妾に選ばれるような女性を想えた事、それは幸せですよ」

 雰囲気の良いバーに来た客は綺麗に去らなくてはいけない。
 鼻水を垂らしたり、グラスを倒して酒を零したりしてはいけない。長時間居座ってもいけない、短時間過ぎてもだめだ。
 それらの時間を上手く計らなくてはならない。だからマスターに話かける際にも、要点をまとめて話す必要がある。
 マスターの答えを貰ったら飲んだことのない一杯を飲み干し、代金より少し多めの金を置いて去るべきだろう。このような場合はもちろんカード支払いではなくコインで支払うべきであり、確りと用意しておくべきなのだ。コインを取り出す時に床に落とすなどあってはならない。
 足の長いスツールから降りるときは、優雅に降りねばならない。段差に躓くようなまねをしてはいけない。雰囲気の良いバーは病院の床とは違い、躓かない作りにはなっていない。

 酒を飲んだ後でこれらを完遂するのは中々に難しい。華麗に去ることが出来る者は自らを弁えていて出世するのかもしれない。

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