帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[33]
 手紙を握り締めて部屋へと戻った侯爵は、徹夜で様々な策を立てて、
「そっか……うん、あてしは平気だよ」
 まず翌朝グラディウスに「本日の夕食は一緒に食べられない。もしかしたら暫く会えないかもしれない」ことを告げた。
「私も本当は、一緒に食べたいの! でもね! でもねぇ……」
 ”グラディウスとの食事を優先しても……でも……” と徹夜で葛藤し続けた侯爵の表情は疲れている。
 疲れていても ”生活に疲れた” 雰囲気ではなく ”綺麗な人が心痛で” なので色気はある。その色気の奥にあるものは弱さではなくて強さ、その強さは殺意に続いていた。
「お仕事終わったら、一緒に食べようね」
「もちろん! 一緒に食べましょうね! それが楽しみで私これから、あの仕事を終わらせ……先ずは朝食を食べましょうね!」
「うん! あてし、待ってる」

 侯爵がグラディウスとの食事を断って処理しなくてはならない仕事。それは父親の愛人に関して。
 父親の愛人は、これも名家の出。
 侯爵の母親の実家と同格の侯女。彼女はこのたび無事に二人目の 《私生児》 を出産した。
 それはエンディラン侯爵には何の関係もないことだが……

 『そのくらいなら叶えてやってくれても良いだろう』

 非難を込めた恨みがましい手紙の一文を思い出しつつ、侯爵はマルティルディに正式な面会を求め許可された。
 マルティルディの目に触れる書類だけに使用される台紙に載せ、父からの手紙を差し出す侯爵。
 目を通したマルティルディは嗤った。
「君の父親、ウリピネノルフォルダルって頭は良いけど、本当に馬鹿だよね。その馬鹿さ加減も性質が悪くて笑えない類で、人をいらだたせる馬鹿だ。頭の良さが馬鹿を引き立ててるってのもあるよね」
 手紙の内容は 《愛人を寵妃に出来るよう、手筈を整えろ》 というもの。
 ウリピネノルフォルダル公爵の愛人は身分的にも、属する一門から見ても寵妃になることは可能だ。

 本人の性質を考慮すると、決して選ばれることはないのだが

 皇帝サウダライトの寵妃が選ばれた頃、彼女は妊娠していたので選ばれなかった。そして当時の彼女は、それ程 《寵妃》 の地位を欲しはしなかった。
 彼女はウリピネノルフォルダル公爵妃を目指し、息子を次のウリピネノルフォルダル公爵にするつもりだった。だが彼女が思っていた通りにはならず ”次のウリピネノルフォルダル公爵” の座を侯爵から奪えそうにもないことにやっと気付く。
 何よりも自分の産んだ子が侯爵に処分されるのは ”面白くない” それは母性愛などではなく、己のプライドだけの問題。
 自分の前に立ちはだかる侯爵に対し、彼女は一矢報いる方法を考える。
「それで、寵妃の座かい」
 愛人と正嫡では立場が違う。
 だがそれ以外の立場はほぼ同じだと彼女は 《自ら》 判断した。
「そのようです」
 だがその判断は大きく誤っている。彼女と侯爵では全く違う。
「馬鹿の愛人は馬鹿にしか務まらないということだね。それも、人をいらだたせる馬鹿しかね」
 同じ立場で自分の方が上手く立ち回れると彼女は考え、彼女に骨抜きになっている公爵に頼んだ。
「私も馬鹿にされたものです。自分の力で準候補にすらなれない女にライバル視されるとは」
「そうだね。馬鹿にされてるね。判断は君に任せるよ、ロメララーララーラ。君が次のウリピネノルフォルダル公爵の座に収まることは僕の意志だ。その僕の意志を無にするような行為や敵は ”君が” 排除するべきだよ。それに見合った権力を君は持っているはずだよ」
「御意」

 マルティルディからの命令を受けて、侯爵は父の愛人である侯女イデルグレゼを排除することにした。

 イデルグレゼと侯爵では大きな違いがある。侯女本人が気付いていない違い、それは侯爵が大貴族の次期当主であること。
 侯女も 《知ってはいる》 が、それがどのような意味を持つのかは理解できていない。次期当主であり、未来の国王の近侍と侯女で全てが違う。
 貴族は基本的に血筋や家柄が重要だが、その上に何を育てるかが重要であり、育ったものにより全てが大きく異なる。
「私が特別何かをしなくても、まあイデルグレゼ程度じゃあ……」
 侯爵は父からの手紙をマルティルディ専用の台紙から外し 《エンディラン侯爵》 の紋が象られた台紙にはさみ直して友人の邸を訪れた。
「久しぶりだね ロメララーララーラ」
「そうかしら? フェルガーデ」
 邸の主は侯爵と同じく寵妃として大宮殿後宮に住む、ケシュマリスタ属の名門エダ家の公女フェルガーデ。
 侯爵より四歳年上の離婚歴のある女性だ。
 彼女の離婚は寵妃になるための離婚で、元は親子ほども年の離れたカロラティアン伯爵と結婚しており、ジベルボード伯爵のことも良く知っている。
 そして伯爵にケシュマリスタ女の恐ろしさを、骨身に染みる程にした女性の一人でもあった。
 侯爵が差し出した台紙を開き、元副王妃は手紙を読む。
「良人が褒めていた貴方の母君を追い出して愛人に入れあげた結果がこれとは、全く困った人ね。むしろ貴方の母君を寵妃にした方が良いんじゃなくて?」
「嫌よ。自分の母親の再婚相手が陛下って嫌じゃない? 陛下というよりサウダライト。貴方だって先代副王妃がサウダライトと再婚したら嫌でしょう? 年齢から見てあり得ない話ではないから簡単に想像できるでしょうけど」
 現副王はサウダライト帝やエンディラン侯爵の父と同年代。
 その現副王の母親で、先代カロラティアン伯爵の妃は皇后デルシ=デベルシュの同年代にあたる。
「あ、嫌ね。良人も嫌でしょうね。それは駄目ね」
 手紙を読み終えたフェルガーデは表紙を閉じて手を乗せて、
「これ、回覧しても良いかしら?」
 ”これは面白そうね” と声を出さずに嗤った。
「どうぞ」
「ところで、アディヅレインディン公爵殿下のお心は?」
「次のウリピネノルフォルダル公爵は私以外にはないそうよ」
「そう。それは良かったわね」
 副王妃時代から使えている腹心の侍女に ”回覧よ” と台紙を渡す。侍女は無言で頷き、主の意志を完遂するべく部屋を出た。
「イデルグレゼが寵妃になるための用意、手伝ってあげるわ」
「ありがとう。一人だと面倒で」
「その代わりと言ってはなんだけど、今何か楽しい事をしているって聞いたんだけど。教えて頂戴」
「ああ、それね。それは……ちょっと可愛い子がいてね! 聞いて、聞いてグラディウスって言うんだけど!」

 元副王妃の部屋に回覧された台紙が戻って来るまで、侯爵はグラディウスの可愛らしさを大いに語った。
 その後台紙を受け取り、父と連絡を取り合って ”排除される為に此処に来る” 女を「受け入れてやる」と伝えた。
 部屋に一人になったフェルガーデの方は、
「良人に連絡を。大至急」
 侯爵から聞いた「グラディウス・オベラ」に対してどのような態度を取るべきかを良人に尋ねる事にした。
 フェルガーデはイデルグレゼとは逆で、カロラティアン伯爵家から依頼されここに来ていた。
 マルティルディが副王に「君の家からも寵妃出せよ」と命じたのだが、副王の周囲に年頃の娘がいなかった為に困り果て妃に「寵妃になってくれ」懇願した。
 重婚はできないので離婚し「エダ公爵家の姫でありカロラティアン伯爵家の忠誠でもあります」という形でマルティルディに差し出された。
 マルティルディはそれで許してやった。
 知り合いの妃を「寵妃として」受け取る形となったサウダライトは、
「後で必ず帰すから、身綺麗にして待機してきなさいよ、サルヴェチュローゼン(副王の名)」
 そのように告げるも、
「安心しろ、副王妃は空位のまま待機している。なに三、四年くらい独り身で困るような歳でもない。愛人抱えるのが大好きなお前でもあるまいし。そうそう愛妾は足りているか? 愛妾くらいしか楽しみはないだろうから、いつでも言え。そのくらいは協力してやるからな」
 笑って返された。
 フェルガーデは副王家に戻ることが決まっているので、サウダライトは手を出す事はない。
 彼女にとり副王家は戻るべき家なので、良いように取り計らう必要があった。
『玩具か。ダグリ……サウダライト帝は、アディヅレインディン公爵殿下のお気に召す玩具を見つけて来るのが得意だな』
 最も気に入っている玩具は彼の息子のシルバレーデ公爵なのは誰もが知っている。
「どうします? 私としては仲良くしてあげたいなと」
『お前が仲良く? 等と言うとは……いたぶると言うことか?』
「違います。ロメララーララーラの話を聞いていたら可愛らしくて。早く本物を観察したいなって」
 侯爵はそれは細かく説明したため、元副王妃フェルガーデは ”もぎもぎ” が気になって仕方なく、思わず口をついて出たが、
『……観察?』
 グラディウス・オベラというお気に入りの存在は解ったが ”それ” がどう動くか迄は聞いていなかった副王は今ひとつ理解できなかった。
「ええ! でも観察は言葉が悪かったかしら。飼育日記? ちょっと違うわね、成長記録?」
『そこは好きに、出来る限り虐めないような。サウダライト帝が気に入っているのなら……贈り物などを考えておくか。それとエンディラン侯爵の父親が……』
「イデルグレゼのことでしょう?」

 ―― お気に入りは ”要観察” で。イデルグレゼは叩き潰せ ――

※ ※ ※ ※ ※


 侯爵は嫌な仕事は早く終える事がモットーなので、必死に書類を用意し手筈を整えていた。
「ロメララーララーラ!」
 気に入らない仕事を必死にしているところに、婚約者ザイオンレヴィが飛び込んで来た。
「その名前で……」
 ”その名前で私を呼ばないように!” と言う前に、
「早まるな! 早まるんじゃないぞ! いくら下働きが殴られたからといって!」
 叫ぶ。
「……どういう事?」

 シルバレーデ公爵ザイオンレヴィ、彼は藪をつついて蛇……いやラミアーを出してしまった。

「し、知らなかったのか……なら良いや。邪魔したね、ロメララーララーラ」
 グラディウスが殴られたことを知った彼は ”ロメララーララーラが絶対報復攻撃にでる!” と急いで止めに来たのだ。
 まさか今日の夕食時に限って会う約束をしておらず、顔を腫らしていることを知らないとは考えもしなかった。
「ちょっと、退きなさいよ!」
「落ちつけ! 落ちつくんだ! 今の話は聞かなかったことにしてください! お願いいたします! お願いでございます!」
 何故か敬語になるザイオンレヴィ。
「誰のせいで落ち着かなくなったと思ってるのよ! 詳細を言いなさいよ!」
「後日! 後日!」
「今が後日よ! さあ、喋りなさい!」
 今にも部屋から飛び出しそうな侯爵を羽交い締めにして彼は本日の出来事を教える。
「あの女ね! あの女ぁ! ただじゃあおかないわよ! 放しなさい!」
 この時、彼は嘘をつかなかった。
 嘘をついたら後が怖いことを知っているので。だが正直に言っても、怖いことにはあまり変わりはない。
「落ちついてください! 落ちついてください! 少しだけ落ちついてくださいませ!」
 純粋な力なら比べる間でもなくザイオンレヴィのほうが上だが、貴族というはそれだけで片付くものでもない。
 侯爵に怪我をさせては問題があるし、その他諸々のことを考えて、出来る限り怪我しないように押さえ込むザイオンレヴィ。
 傍目で見ていると、両者激しく抱き締め合ってそのまま床に崩れ落ちて、抱き合ったまま転がる。転がると同時に着衣が乱れて、室内にある物に引っ掛かり次々と着衣が裂けて肌も露わになり、同じように互いの長髪が絡まり合い息も荒くなる。

 ”若いカップルって情熱的ですね”

 そのようにしか言いようのない状態。
 勿論両者、そんな気は全く無い。行為自体は両者でしたことはあるが、それは婚約者だからという前提の元で、好んでしているものでもない。
「落ちついてくださいませえぇ! ロメララーララーラらららら!」
「放しなさいよ! ザイオンレヴィ! 誰がロメララーララーラ”らららら”よ! ちょっと、何をする気!」
 これ以上強く抱き締めると侯爵の体が折れると気付いたシルバレーデ公爵は、最終手段に出た。
「落ち着いて! そ、そうだ! 今日は久しぶりにセックスしようか! だから、向かっちゃ駄目だって!」
 ”この状態に持ち込めば逃がさないで済む!” と混乱した状態で思い立ち、行動に移し始めたのだ。
 目的がどうとか、手段がどうとか、無理心中がどうとか、自爆がどうだとかいう言うレベルでは済まない混乱っぷり。
「馬鹿なこと言わないでよ!」
 微乳が露わになった侯爵だが、そんな事気にせずザイオンレヴィの口の両端に親指を突っ込み外側に引っ張り抵抗。
 ザイオンレヴィもセックスしたい訳ではないので、この状態で時間を稼げれば! と思い指に噛みついたりはせず。だが時間稼ぎと気付かれては困ると、手を伸ばしたり揉んだりその他様々……


「なんて事してくれたのよ!」
 第三者からみるとレズカップルの痴話喧嘩のようにも見えるが、片方は歴とした男。
「いや、御免。その……だって、ほらマルティルディ殿下がどうするかを決めるまではと思って」
 歴とした男のほうが、儚げなのは帝国では珍しいことではないが、面白くないと言う人がいるのも事実。
「私だってマルティルディ殿下のご意志を窺ってから行動に移したわよ! 馬鹿にしないで頂戴!」
 何で襲われた私よりも、襲ったコレ(ザイオンレヴィ)の方が憔悴してるのよぉ! 私が先に仕掛けたみたいじゃない! と益々ヒートアップする侯爵。
「いや、あのさ……だからさ……」

 目的や手段など、全てを見失った行為の代償は大きい。

 この後、ザイオンレヴィは侯爵の機嫌を直すために「イデルグレゼを叩きのめす際に、積極的に協力します」という約束をするハメになってしまった、血判付で。


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