帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[32]
 ―― ペロシュレティンカンターラ【人名】 ――
 
 硝子や使い物にならない屑天然石など安価な材料でアクセサリーを造っていた人物。
 下働き区画で露天を開き、そこで軍妃(この当時は皇帝の傍には仕えておらず、皇妹の護衛だった)と知り合う。
 軍妃がペロシュレティンカンターラの作品を気に入り、それらは非常に似合っていた。
 ペロシュレティンカンターラも、造った全ての作品が軍妃に似合い、軍妃以上に似合う人はいない事実に驚いていた。

 軍妃が皇帝に気に入られてからも付き合いは続く。
 軍妃のためにアクセサリーを造るようになるが、材料は変わらず硝子や屑天然石、よくて大量生産の人口宝石。高級な天然宝石に手を出す事はなかった。
 オードストレヴ帝もペロシュレティンカンターラの人となりと作品を非常に気に入ったが、ペロシュレティンカンターラは皇帝には五作品しか作らなかった。
 理由は「オードストレヴ帝はジオほどのインスピレーションを与えてくれないのが悪い」
 軍妃亡き後、愛用していた年代物のカッティング機で己の両腕を肘下から切り落とし大宮殿を去る。
 その後の消息は不明。
 バーローズデレヴィン宇宙港で、子供に自作のヘアピンをプレゼントしたのが確認された最後。

 消息が今もって完全に不明なため、宇宙各地にペロシュレティンカンターラの終の棲家がそこにあった、この街に現れたと言われている、目撃した、家に招いたと祖父母が言っていた、助言してもらって作ったのがあの建物で……等、様々な証言がある。

 軍妃が伝説となったのと同様にペロシュレティンカンターラも伝説となった。もしもこのことを本人が知ったら、なんと言うかは……誰もがわかるだろう。口癖だったあの言葉で……

※ ※ ※ ※ ※


 子爵は下働き区画にいる時は ”ザナデウ” の名で、奴隷であると周囲に言っていた。もちろん周囲の者達は子爵が純粋な奴隷だとは思っていなかった。
 上級貴族である子爵は当然ながら左右の瞳の色が違う。
 それだけで奴隷ではないことは一目瞭然なのだが、一目瞭然であるからこそ、誰もが「何か理由があるんだろう」と深く触れることはなかった。
 奴隷だと言っていた子爵本人も、信じられているとは思っていなかったが、誰も深く追求してこないだろうと考えてのこと。
 子爵は見る人がみれば、一目でエヴェドリット系上級貴族だと解る顔立ちをしている。
 子爵はデルヴィアルス公爵家の初代当主の、瞳の色以外は生き写し。ちなみにこの公爵家は父親の実家。
 だが世間一般的には有名ではない。これは子爵の一族だけではなく、エヴェドリット属全体に言える。
 テルロバールノル属やロヴィニア属にも言えることではあるが。
 帝国で最も「一族の顔」が知られているのは、やはり皇帝。
 歴代皇帝の容姿は広く知られている。
 それに次ぐのがケシュマリスタ属。
 ケシュマリスタの上級貴族は、皇帝と一族と重なる部分が多いので帝国中に知れている顔立ちの貴族が多い。

 そのケシュマリスタに属する名門ウリピネノルフォルダル公爵家だが「ケシュマリスタ王家」とも「皇帝の一族」とも婚姻関係は一切ない。
 だが公爵家の跡取りである”ジュラス”の顔立ちは第四代皇帝プロレターシャに瓜二つ。
 初代皇帝とケシュマリスタ出の初代皇后、そして二代皇帝とエヴェドリット王の血しか引いていない皇帝と、全く関係のない”ジュラス”がなぜ瓜二つなのか?
 それは公爵家が「孵らずの王家」ことカロラティアン伯爵家と婚姻を結んだところにある。
 伯爵家がケシュマリスタで数少ない軍門と言われるのは、歴代の婚姻を軍人である皇帝の血に連なるものを選んで入れたことが大きい。
 手のくわえられた同じ基礎に、似たような結婚を繰り返せば、似たような容姿になるのは当然のことだろう。
 結果として容姿の系譜が似通ってしまった。
 そのため伯爵家と婚姻を結ぶと、皇帝の容姿が強く出てくることがある。


 ”ジュラス”とシルバレーデ公爵はどちらも歴代皇帝の顔立ちではあるが至る歴史は違い、だが根本は同じであった。


「綺麗な人だったな。お前の所に来たプロレターシャ帝風の顔立ちのお客」
 子爵はテレシターヌに店番をしてもらっていた礼として、店じまいしてから夕食を奢った、もちろん酒も込みで。
「そうだなーまあ目の保養だよなあー」
 ”顔はねー” と内心でもそれ以上はなにも紡がない。
 というのも、何を言って良いのか解らないのだ。子爵は侯爵のことをかなり個人的なことまで知ってはいるが、感想の持ちようがないのだ。
 綺麗なのは認めるし、性格は悪いが手の付けようが無い程に悪いわけでもない。
 侯爵当人が様々な苦労をしているのは知っているが、その苦労に関して感想があるかと言われれば「なるようにしかならないだろうな」くらいのもの。
 ガルベージュス公爵を選ぶのか? シルバレーデ公爵を選ぶのか? どちらかを選び夫にするとき、それは侯爵の意志ではなくマルティルディの決定である。主の意見に従うことは貴族の常識であり、それは美徳とされる以上、本当になるようにしかならない。
 なまじ侯爵のことを知っているので余計に何も言えないのだ。
 料理に舌鼓をうち、美味い酒にほろ酔いになったところで、
「急用が出来て帰るのか、残念だな」
 二人は別れの挨拶をすることになった。
「俺も残念だよ」
 子爵はジベルボード伯爵にこれ以上迷惑はかけられないと一度大宮殿から去ることに決めた。
 子爵としては領地の統治に関しても見て回りたいと考えていた時期なので、ちょうど良い機会だろうと。
 ”次は……ロメララーララーラに頼むか。あれなら、クレウに頼むよりもずっと気が楽……怖いけどな”
 侯爵本人に知られたらどうなるか解らないような事を考えながら酒を飲み、テレシターヌに別れを告げた。
「元気でやれよ、ザナデウ」
「おう! そっちもな」
 遠離るテレシターヌを見送り、向こうから自分の姿が見えなくなったのを確認して、
「さて……エンディランが呼び出した店に向かうとするか」
 子爵は「ケーリッヒリラ子爵として」エンディラン侯爵との約束の場所へと向かった。

※ ※ ※ ※ ※


「愛妾紹介者になるのか?」
「何で私がグラディウスを紹介……厚化粧の無様な負け犬が聞き耳を立てているわ」
「夕食まだでしょう。個室で食事をしながら話しましょう」
「解った」
 先程テレシターヌに奢ったのは、食事に数えずに子爵は頷き侯爵の後に付いて店へと入った。
 二人はお互いの立場を確認するためにも、食事をしていた。
 そして最後に、
「絶対に貴方は選ばないから、安心して頂戴。ケーリッヒリラ子爵」
「そりゃあ、ありがたい」
 二人は真剣な眼差しで、言葉遣いは軽いが両者の心の内は ”宣誓” にも近いものであった。
 少しの沈黙の後、侯爵は拗ねた子供のような喋り方で呟いた。
「本当に可哀相な男ね、ケーリッヒリラ」
 侯爵は子爵が結婚しない理由を知っている。

 理由を当人は隠してはいるが、それほど必死でもなかった。もちろん子爵の両親も理由を知っているが、それを結婚しない理由と認めてくれない。

「自分でもそう思う」
「でも貴方も悪いのよ。総監の話が出る前に、心の底から貴方を慕っている女性を見つけ出せば良かったのよ。あの頃はまだ、数も少なかったでしょう。今は砂漠で一粒の砂金を捜し出すような状態になってしまったでしょう」
「ああ」
 子爵は ”ロターヌ=エターナ” という、超能力に分類される能力を持っている。この能力は相手に直接触れると、その相手が考えていることや思っていることが解るもの。
 触られる方も恐ろしいが、触る方も恐ろしい。
 自分に好意的だなと思った相手に触れて観たら、内心は全く逆であったということも社会では珍しくはない。
 子爵は ”この能力” を持っていたせいで人間不信や対人恐怖症になることはなかったが、恋愛に関しては夢も希望も魑魅魍魎と大差無しにはなった。
「でも貴方の場合は使いこなせているから、余計ね」
「使いこなせないと、自分が困るからだ」
 先程グラディウスと一緒にいた侯爵に”触れられ”て「今日……で……時に待っているわ」と告げられた。
 使いこなせているというのは「今日……で……時に待っているわ」の 《……》 の部分。
 侯爵は時間や場所を数字ではなく 《映像》 で送り、子爵はそれを解読した。
 ”ロターヌ=エターナ” の能力にも様々あり、文字だけの本のような情報のみ収集可能、音声だけの収集可能など 《それしか》 出来ない場合もあるが、子爵は全てを受け取ることができる。
 全てを理解できるクラスのロターヌ=エターナは、特筆する必要もないことだが、非常に重宝される。
 能力を持っている方にしてみれば、使いこなせないと 《自分が何処に居るのか? 相手が何を実際言っているのか? 自分が見ているものは、本当か?》 の境が曖昧になるので厄介この上ない。
「ああ、そうだ。ジベルボード伯爵の事なんだが……」
 帝星を出る用意が完了したとの報告を受け、子爵と侯爵は店を後に、二人で空港へと向かった。
 食事に誘った以上、見送るのは貴族としての礼儀でもある。
 下働き区画の通路七つ分の広さの、飾り立てられた通路を通りながら、子爵は「クレウに便宜はらってやってくれ」とジベルボード伯爵よりも地位も権力もある《未来》のウリピネノルフォルダル公爵に依頼する。
「解ったわ。カロラティアン伯爵家に御を売るのは悪くないし。それにしても口の硬い男よねえ。私にすら貴方の存在を教えないんだから」
「知らせてくれるなって依頼したからな……全く関係無いが、愛してるって伝えられたこと……まだないのか?」
 ”何故聞いてしまったのだろう?”
 思わす口から出た言葉に、子爵は自分自身を罵るも、一度口から出てしまった言葉はどうにもできない。 
「あるわけないでしょう。……貴方も良く知っているんじゃなくて?」
 侯爵も立ち止まり ”なに馬鹿な事言っているのよ” と子爵を見上げる。

 子爵は半歩侯爵から離れ、その姿にマルティルディを重ねた。

 子爵の持つ ”ロターヌ=エターナ” という能力とは反対の能力、相手に自らの意志を伝える事の出来る能力を ”エターナ=ロターヌ” という。
 侯爵の婚約者であるザイオンレヴィは ”エターナ=ロターヌ” の能力を所持している。
 侯爵はその事を婚約者本人ではなく、マルティルディから教えられた。
 婚約して十年近くになるザイオンレヴィだが、侯爵に「正直な気持ち」を伝えた事は一度もない。
 特にこの「二年」彼の父親が皇帝になってからの二年で、彼の感情は大きく変わった。
 不意に漏れる彼の感情を知った侯爵は、今まで自分が感じていた感情と共に納得し、その納得が 《彼の婚約者であり続ける事》 を選ばせもした。
「ザイオンレヴィが私のことを好きだなんて言ったら……私は生きてないわよ」
「だろな」
 マルティルディが侯爵が婚約者であることを許しているのは、彼が侯爵を愛していないからに他ならない。
 彼の中において一瞬でも侯爵がマルティルディの存在を越したら、侯爵はこの世で最も残酷に殺害される。
 それは横暴ではなく当然のこと。

 この宇宙の支配者が「そう決めた」それ以外の言葉は必要無く、支配者の意志に異義を唱える自由も権利もない。

「私はザイオンレヴィの婚約者に選ぶ立場で、最もマルティルディ様に似ていたから。美しさでは足元にも及ばないけれども」
 侯爵は雰囲気が若干ながらマルティルディに似ている。それはマルティルディ ”が” 認めていた。

 シルバレーデ公爵は侯爵を好きにはなっていない。

 それはマルティルディにとって好ましかったが、半面腹立たしくもあった。
 マルティルディにとって侯爵は自分の代わり。
 広大な箱庭を支配する主は、お気に入りの人形 ”シルバレーデ公爵ザイオンレヴィ” に自分によく似た人形 ”エンディラン侯爵” をあてがった。
 箱庭の人形は主の意のままだが、操っている主には相反する感情がある。 自らの代理であり自らを重ねている人形にも 《特別な感情》 を抱かせたいという欲求。
 だが本来の 《自分以外に感情を向けるな》 という欲求も強く、箱庭の人形は上手く動かない。
 マルティルディは十五歳の時、ザイオンレヴィに対し 《婚約者を賭けて勝負してこい。勝ち以外認めない》 命じた。
 自分を重ねた侯爵の為に必死となるザイオンレヴィ。

 その感情を本当は誰に向けて欲しかったのか?

 宇宙全てを箱庭とする権力を持つマルティルディは、箱庭の人形だけにはなれなかった。彼女が人形になったとき、箱庭は永遠に静止してしまう。

 ―― じゃあ、今日僕と逃げるよ。さあ、僕の手を引いて、何処かへ連れて行くんだ ――

 二人は無言で歩き出した。
 どちらもしっかりと歩いているつもりだが、どこかぼうっとして、広い通路だというのに、反対側から歩いてきた人にぶつかってしまうくらいに。
 子爵はぶつかった人物の顔に見覚えはなかったが、ぶつかった失礼を詫びた。相手も寛大に許してはくれた。
 その相手を立ち止まり見送る。
 通路でぶつかった場合に、ぶつかった方が見送るのは礼儀作法の一つであった。
 もちろん無視してもいいし、急いでいたらしなくても良いが。
「ロメ……じゃなくてエンディラン侯爵」
「なに?」
「大至急、我の逃走を手伝ってくれないか? 今ぶつかった奴、実家から派遣された奴だ。他にも空港で捕まえるように待機しているとさ。我の能力までは教えられていなかったらしい」
「いいわ。こっちに来なさい。私もおかしいと思ったのよねえ、なんでエヴェドリット系の貴族が帝星の通常宇宙港をうろついているのかって。貴方でもない限り、エヴェドリット属がこんな所にいるのおかしいものね」

 侯爵は部下に連絡を入れて、宇宙船と航路の確保を大至急命じた。当主には決してなれない役職のない子爵と、大貴族の当主が確定している王の側近では、それらの確保に必要な時間は全く違う。

 ケシュマリスタ属が使用する宇宙船港に二人が到着したときには、すでに用意は調っており、子爵はギリギリの所で両親から放たれた、追っ手と言うよりは 《刺客》 と表現した方が正しそうな者達から逃れることができた。
 宇宙船足をかけた時、子爵はここまで用意して見送ってくれた侯爵に振り返る。
「あのな……あの褐色の肌の子供」
「グラディウスのこと?」
「ああ。その子供……触れた時に心が読めたんだが」
 言おうか言うまいかを悩んでいたのだが、折角だから教えていこうと立ち止まった。
「勝手に読まないでよ!」
「違う。普通の人間なら、あの程度の接触じゃあ読めない。普通なら……な」
 人の考えていることが解るといっても、それ程簡単に解るわけでもない。人間は何も考えていないつもりでも何かを考えているのと同じように、他者に全く壁を作っていないつもりであっても、壁は存在する。
「どういう事?」
「信じるかどうかは別だが、あの時あの子供は表層から深層まで、すべてが ”ジュラスと一緒で嬉しい” しかなかった……驚いたよ。信じる信じないはお前の自由だが」
 子爵は人の考えていることを感じ取ることが出来るが、それは形のないものなので、信用してもらえないことも多い。
 結局言葉にならないことや、表面に見えて齟齬がなければ、処罰しないのが世界の大勢。
 正しいこととは子爵も思うが、結局は無視されてしまう能力に寂しさも感じていた。
「嬉しい事言ってくれるじゃないの。この宇宙船プレゼントしてあげる」
「嘘だとは思わないんだ」
 だから全面的に信用されるとは思わなかったのだが、
「もちろん。だってもぎ……グラディウスのこと信用してるもの」
「そうか」
 この時の侯爵は全てを信じてくれた。

※ ※ ※ ※ ※


 後々の話になるのだが、サウダライト帝がグラディウスに性行為を行っていた事実に子爵が気付かなかった理由は、初めての出会いで 《丸見えの深層》 になることを理解した子爵が配慮して、これ以降出来る限りグラディウスに触れないようにしつつ、触れる際も集中して「遮断」していた為である。

 ちなみに子爵「帝后の考えを無断で読まなかった」ということで評価が益々高くなり、様々な問題に直面することになりもしたが。

※ ※ ※ ※ ※


 子爵を見送った侯爵が部屋へと戻る途中で、
「エンディラン侯爵閣下」
「ジベルボード、どうしたの?」
 息を切らせて走ってくる伯爵と会い、彼が差し出した手紙を読んで握り締める。
「巫山戯るな……あのアマ! あ、失礼したわねジベルボード。貴方を使ってごめんなさいね、父には後で涙も涸れ果てる程度のお返ししておくから、それで許してね。やあねえ、これから貴方がこんな雑事を引き受けなくても良いようにカロラティアン伯爵に言っておくし、マルティルディ殿下にもご報告しておくわ!」

 ”涙が涸れ果てる……いや、あの……”

 ケシュマリスタ女の真髄や真骨頂の ”ほぼ全て知っている” 彼は、恐怖に鳥肌が立ち心臓を握り締められたような痛みを感じたが沈黙を貫いた。
 何せ彼はケシュマリスタ女の ”真の恐ろしさ” のほぼ全てを知っている。だから沈黙以外を選ぶことは死を意味するのを理解している。


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