帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[31]
呼び出された人目に付かない建物の一角で、子爵は両親から派遣されてきた相手と話を始めた。
「閣……」
「しっ! ザナデウだ! あいつから聞いてきただろうが」
「申し訳ございません。手短に申し上げますと……」
内容は予想通り。
最近ずっと言われている「帝国軍のエヴェドリット方面の総監の地位を受け取れ」と「見合いして婚約者を決めろ」と言うもの。
暮れゆく夕日が眩しいような素振りで眉間に皺を寄せながら、子爵は話を流して聞いていた。
―― 帝国軍将校として准将まで上り、定年する際に少将となり軍人生活を終えられたら最高だ。実際は大佐止まりで、定年で准将くらいが現実的だろう ――
これが子爵の帝国軍人としての人生の設計図であり 《当時の状況》 としては間違いはなかった。
《当時の状況》 とは皇帝が軍人で、帝国軍を己の軍として全てを支配していた場合のことだ。
だが急遽立てられた皇帝は軍人からはほど遠く、軍事国家の膨大な軍隊を 《次期皇帝》 の呼び声もあったガルベージュス公爵が担当することになった。
皇帝支配と総司令官の代理支配では、異なることが様々ある。
その中に「総司令長官に任命されたエヴェドリット領の総監」なる地位も含まれる。
様々な地位が必要な理由は割愛するが、この地位は「佐官」があてられることになっている。
帝国軍として派遣される武力が王家の領地に居座る。その場合注意するべきことは大きく三つ。
一つはその王領に属する貴族
二つめは総司令長官がその人となりを知っている
三つめは佐官であること
駐留する部隊が将官派遣では多すぎ、尉官派遣では少なすぎる。よって佐官が妥当。将官に佐官相当の艦隊を率いらせるわけにもいかず、尉官では上級士官学校卒ではない可能性もあり、部下が総監の命令を事をきかない場合もある。
子爵はエヴェドリット王族に直接縁はないが、名家であることは誰も異義を唱えない。
私人としてはほとんど関係無い総司令長官と子爵だが、上級士官学校においてガルベージュス公爵に最も近かったエヴェドリット属は子爵。他にも数名エヴェドリット属の生徒はいたが、総監には向いていない性格。
そして三番目の佐官。
子爵の人生設計(軍人としてVer.)からもわかるように、帝国軍将官の壁は厚い。建前では奴隷でも上級士官学校を卒業してさえいれば元帥になれると明記されているが、無理なのは誰もが知っている。
元帥など余程有能な皇族や皇王族や王族でもない限り、手が届くものではない。そもそも皇族であろうとも無能であれば、子爵の未来設計と同じ「退職で少将」である。
恐ろしい程に層が厚く、優秀な人材がひしめているのが帝国軍。
話を子爵に戻すと、一度も留年せずに上級士官学校を卒業すると「上級士官候補生」なる地位に就く。これは少佐相当で、この階級で二年過ごしてから正式な「少佐」となる。
卒業して二年はとっくに経過している子爵は現在「少佐」。
優秀な同期はそろそろ試験をうけて中佐を目指すが、子爵は特に出世に興味はないので、無試験でも年数が経つと階級が上がってしまうのを残念に思いつつ階級社会に飲み込まれながら、そのままにしている。
この見事なまでに「エヴェドリット」「総司令長官の元付き人っぽかった」「少佐」と三拍子揃った子爵。
ここまで総監に向いている男も珍しい。
そして以前、ガルベージュス公爵から打診されたのだが、子爵は「いやー」と断った。
もちろん本当に「いやー」と言った訳ではなく正式に断ったのだが、打診があった事と、勝手に辞退したことが子爵の両親に知られ騒ぎになった。
これほど総監に向いている男が総監の地位に就いていなければ、両親も怪訝に思い調べて事実を知るのは当然のことだが。
その「総司令長官に任命されたエヴェドリット領の総監」は現在空位である。
適任者が見つからないということで、皇后が正妃のもつ軍の何割かを割いて代理で行っていた。
そのため両親は今すぐにでも総監の地位を貰いに行けと騒いでいる。
ただ息子の子爵には強く出ることのできる両親や一族だが、直接ガルベージュス公爵に交渉することは出来ないでいた。
さすがにガルベージュス公爵相手では恐ろしく、自分達から声をかけることは躊躇っていた。
怖いもの知らずのエヴェドリット属。何にでも噛みついたと言われるサラ・フレディルの子孫でも怖いらしい。
ちなみに「噛みついた」は比喩ではなく、本当に「噛みついていた」のだ、サラ・フレディル。
”ルベルテルセス皇太子殿下が事故に遭われるとは……はあ、まことに勝手ではありますが、お亡くなりになられたこと怨みます”
下手に地位が転がってきて両親が煩わしい子爵は、今後の身の振り方をどうするか考えながら、下働きの区画で ”子供の頃から憧れていた” 自分で作ったアクセサリーを販売する事をしていた。
”クレウに迷惑かけたなあ。ここまで取り次がないでくれてありがとう”
子爵がここで働く手筈を整えてくれたのは、上級士官学校の同期ジベルボード伯爵クレッシェッテンバティウ。
子爵が働きたいと言った経緯は解っているので、相当な地位の人が出て来るまで伯爵は下働き区画に両親からの使者を通さなかったのだが、伯爵でも折れるくらいの人物が出てきてしまった……ということだ。
”クレウにお礼でもするか”
目の前の話を全く聞かずに等と考えていると、店番をしてくれているテレシターヌから連絡がはいった。
「……ちょっと待て」
延々と話続けていた使者を遮り通話をする。
「どうした? テレシターヌ」
(お客だよ。早く戻って来い、なんか貴族様っぽいよ。いや、多分貴族様。プロレターシャ帝風のお顔立ちの人が召使い連れてきてるぞ)
「今すぐ戻る」
通信を切った子爵は ”またな” と言ってその場を立ち去った。もちろん ”またな” 等は嘘で、出来る限り顔を会わせない方向だ。
ジベルボード伯爵クレッシェッテンバティウ。
伯爵は現在下働き区画の責任者ビデルセウス公爵の部下である。
ケシュマリスタ属で帝国上級士官学校に入学した、数少ない一人であった。伯爵はある人物の付き人として試験を受けて合格した。そのある人物とはシルバレーデ公爵ザイオンレヴィ。
帝国上級士官学校を受ける王家配下の貴族は少ないが 《合格しなかったら殺す》 と言われて帝国上級士官学校に入学した王家支配下の貴族は二人だけ。
一人は子爵、もう一人はシルバレーデ公爵。
シルバレーデ公爵の場合は 《殺す》 だけではなく 《レイプさせてから殺すよ》 という恐ろしい言葉を、支配者である王太子から直接言われていた。
「マルティルディ殿下は絶対にするよ。うん、絶対に……三歳の時、初めて会った時から言われたからさ……」
「ギュネ子爵……」
疲れ切った遠い目をした当時十二歳で ”ギュネ子爵” であった彼を前に子爵は掛ける言葉がなかった。
当のシルバレーデ公爵も声を掛けられても困るだろうし、子爵は二十二歳になった今でも彼に掛ける言葉など見当たらない。
そもそも彼に掛ける言葉など、子爵だけではなく誰も持ってはいない。
彼の人生は完全にマルティルディの 《もの》 で、そこに彼本人の意志や権利など一切存在しない。
彼の人生の全てはマルティルディの物。そしてマルティルディの物であるからこそ、彼には切っても切り離せない相手がいる。
それがベル公爵イデールマイスラ。
ベル公爵は十二歳で同い年のマルティルディと結婚し、直後に帝国上級士官学校に入学した。
ベル公爵の人生がこのルートを辿った経緯は、このようになっている。
マルティルディは当時のケシュマリスタ王太子のただ一人の王女。
当時の王太子エリュカディレイスは体が弱く、子供はもう望めないということで、マルティルディが唯一の跡取り。妊娠に弱いケシュマリスタでは特に珍しくもないことではあった。
娘の夫、未来の王婿の教育には当然エリュカディレイスも口を出す。
「テルロバールノル王国の士官学校出など無意味だ。甘やかして、誰もが傅いて終わりだろう。君(テルロバールノル王)の息子は、僕の娘に傅くことを習えばいい。それだけで充分だよ。それ以上は望まないよ、無能な君の息子だし」
元々不仲な両王家、不穏な緊張感が生まれるのは容易い。
「儂の息子が無能じゃと? 貴様の異形娘なんぞ、途中変態を起こして二目と見られない哀れな姿になるのが ”おち” じゃ」
だが何時ものことなので、当時の皇帝シャイランサバルトも慣れたもの。
「イデールマイスラはその才能を結婚前に見せる必要がある故に、帝国上級士官学校を卒業するがよい。その際の学友として……そうだ、ガルベージュス公爵をつけてやろう。マルティルディは余の前で異形から戻れることを実証せよ。それがマルティルディを王太孫としての認定の最低条件だ」
軍事国家で文句なく有能と言われるには、上級士官学校を卒業することが近道であり、後ろ指をさされない絶対。
なにより当時の皇帝の秘蔵品とされていたガルベージュス公爵を、わざわざ三年も遅らせて入学させ王子に付けてやると言われてはテルロバールノル王も引き下がるしかない。
「異形制御方法のノウハウを教えて下さるのですか?」
「余の親友はエヴェドリットのカロニシア公爵だ。孫に異形が生まれた場合を考えて、習った。今だ孫皇子にも……孫皇女にも出会えぬがな」
四年前に息を引き取った ”ランカ” を一人思い出しながら皇帝は話しかける。
「申し訳ありませんね。子供を産まない僕の実妹で」
「それは ”また” の機会に話そう」
「ですが陛下。太陽の破壊者はその制御方法、完全に残ってはいないと……」
「エリュカディレイス」
「はい。なんですか?」
「ロターヌの真髄、そなたに教えてやろう」
「ロターヌの?」
「そうだ。マルティルディが両性具有を産んだらどうなるか、を。この身をもって知っている余が教えてやろう。エターナも知らず、ベルレーも知らなかった事を」
「……」
「謎など興味はないか。ではもう一つの条件と選ばせてやろう。そなたが祖父であるラウフィメフライヌ王に対して使った ”あれ”。そなた亡きあとに ”あれ” がマルティルディに牙を剥かぬよう監視してやろうか。どちらが良い? エリュカディレイス」
「両方」
「よろしい。その代わり、これ以上テルロバールノルを挑発するなよ」
「御意」
《真実》 と 《己亡き後の王女の治世安定》 を前にしてエリュカディレイスも引き下がった。
こうしてベル公爵、ガルベージュス公爵、そして当時サーヴィレイ公爵だったマルティルディの人生が決まったのだが、
「嫌だ。面白くない」
マルティルディが納得しなかった。
特にベル公爵が自分と共に王国軍を指揮するという事が、非常に嫌で仕方なかった。
九歳の時には 《あと三年もあるのだ、帝国上級士官学校に余裕で合格するだろうな》 という評判を耳にして益々腹が立つ。
そんな時のことだった。
「マルティルディ殿下」
「何だよザイオンレヴィ」
哀れな子羊、あるいは飛んで火に入る夏の虫、としか言い表しようがないシルバレーデ公爵。
「父から言われたのですが、あのー僕見合いに行ってきます」
「はあ?」
「婚約者がいないと駄目だということで。妹も婚約するためには、まず兄である僕が……」
苛々していたマルティルディの機嫌は、一気に最低ラインを越えた。
そして何故自分がこんなにもシルバレーデ公爵の婚約話で腹が立ったのか? それに気付いてしまったマルティルディは全ての沸点を越えて、
「そうかよ。まあいいよ、許してやるよ。君が見合いすること」
「ありがとうございま……す……」
既に怒られ慣れしていた九歳のシルバレーデ公爵が後退りするくらいに怒りを露わにして、許可を与えることとなる。
「その代わりさあ」
「は、はい……」
「君、軍人になれ。それも帝国上級士官学校の」
「え?」
「返事は?」
「は、はい!」
こうして人生を決められたシルバレーデ公爵(ギュネ子爵)ザイオンレヴィ。
彼の人生が ”この方面” に向いたことで、ケシュマリスタ属で数少ない軍人の家系であるカロラティアン伯爵こと副王家の当主も動かなくてはならない。
「未来の主のお気に入りに素っ気ない態度を取る訳にもいくまい。ギュネ子爵が王国軍で重用される可能性が高いしな……」
”高いしな……” に続くのは「ベル公爵に対する嫌がらせも兼ねて」だが、そこは口を噤んだ。
人造人間の一族ケシュマリスタを下に見る傾向の高い、選民意識の塊テルロバールノル王家の王子は歓迎したくもない……という意識は、ケシュマリスタ側の多くの貴族が持っていたので、副王の考えが珍しいわけではない。
副王は代々部下の家系で、幼いころに両親を亡くして副王が後ろ盾となって育てていたジベルボード伯爵クレッシェッテンバティウを大至急 《帝国上級士官学校入学》 用に仕立て上げることを決めた。
大恩のある副王からの命令。
その上、未来の国王のためと言われてジベルボード伯爵は大喜びで勉強し、見事に帝国上級士官学校に入学を果たす。
入学時の得点は、元々軍人家系で乗り気だったジベルボード伯爵の方がシルバレーデ公爵よりも高かった。そして卒業の時も……
ともかくシルバレーデ公爵と子爵は 《ベル公爵とガルベージュス公爵》 の関係で知り合い、寮でも部屋を行き来する仲になる。
子爵がシルバレーデ公爵の部屋を訪れるということは、当然同室の伯爵とも顔見知りになった。
ちなみにジベルボード伯爵はこの縁で現在ビデルセウス公爵直属の部下として下働き区画の警備を一手に担当しており、非常に有意義で満ち足りた生活をしている。
その伯爵に子爵は露天商としての許可を貰った。
ビデルセウス公爵であれば決して子爵に許可は与えない。彼女はそういった所に融通がきかない。
”カロラティアン伯爵家側から攻めてくるとは、まったく……”
副王家が軍人家系である以上、軍人の多い子爵の実家は辿ればなんとか関係が繋がる。
伯爵は大恩のある副王家の遠戚相手では拒否はできずに、子爵に ”取り次いでしまった” という訳だった。
「お客を待たせしまったようだな。悪かった」
店に戻った子爵は見ていてくれたテレシターヌに片目を瞑って感謝を表し、客を見て ”げっ……なんでエンディラン……” と内心呟いた。
それは侯爵も同じ事であったが。
”なんで、ケーリッヒリラが?”
「お店の人だ! あのね! あてし、これとこれが欲しいから、あのね!」
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