帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[30]
「はあ……」
 侯爵はマルティルディの元を辞し、来るときとは正反対の重い足取りで邸へ戻ろうとしていた。
 そこに現れたのがガルベージュス公爵。
「わたくしの愛しい姫君よ!」
 生まれた時から大宮殿の住人であり、帝国軍事を一手に握る男。
 侯爵を愛している喧しい総司令長官は、何時もと変わらぬ笑顔だ。
 朝にこの笑顔で、夜になってもこの笑顔。
 まるで顔に張り付いているかのような、きりりとした、そして隙なく笑顔。
「あ……ガルベージュス……」
 侯爵は ”現在の” シルバレーデ公爵のことは好きではなく、このガルベージュス公爵も男性としてあまり好きではない。
 前者は婚約した当時は可愛かったので気に入っていたのだが、成長したら予想外の方向に綺麗になってしまい、好みではなくなってしまった。
 侯爵は子供の頃から可愛い物が好きで、婚約者を決める際 ”一番可愛い男の子” を選んだ。
 選ばれた当時のシルバレーデ公爵は文句なしに可愛らしかったのだが、今や陽光幽けし月の如き美しさで、当時の可愛らしさはどこにも残っていない……時の流れとは無常というべきか。
 後者は生まれた時から凛々しかったのだが、それは侯爵にはあまり関係無い。後者とはなにより出会いが最悪すぎた。

 何時もなら後者は煩すぎて顔をしかめたり、さっさと通り過ぎるのだが、本日はグラディウスを何か変態っぽいエロくさい皇帝(実の娘の胸を見る目が嫌らしく感じた侯爵)に取り上げられたことがショックで、足早に立ち去る体力も表情を変える気力すら沸かない。
「なにか悩みでもおありでしたら! このわたくしが!」
 膝をついてどこからだしたのか解らないが薄紅色の秋桜を一輪さしだし 《騎士》 となる。
 その背後には公爵とは生まれた時から一緒で、帝星上級士官学校時代の同期でもある副官二名がおり、花を持たないだけでガルベージュス公爵と同じような姿勢をとる。
 少し離れた位置にやはり前述の三人と生まれた時から一緒で、士官学校の優等生である近衛の皇王族が取り囲む。
 彼等はガルベージュス公爵の挨拶が終わり八秒経過後一斉に踊り出す。二人の会話……基本的に公爵が一方的に話しかけるような形ではあるが、ともかく会話が終わるまで踊り続ける。

 明記しておかないと疑われそうになるが、帝国近衛兵は総司令長官の背後で踊りを踊るのが仕事ではない。

 落ち込んでいる時、他人に縋りたいと思う人は多い。
 侯爵もその例に漏れず、ガルベージュス公爵に事の次第を語った。特に隠されていることでもなく、口止めされていることでもないので語るのは問題ない。
 精神的に落ち込んでいようが判断間違いを犯さない、それが上級貴族としての最低限でもある。
 ただし非常に落ち込んでいた時なので、
「語ってくれてありがとう。わたくしの愛しい姫君よ」
 何時もなら邪険にするところなのだが、この時ばかりは手を握り締められても払いのけることなく、
「聞いて貰って少し落ち着いたわ。ありがとう、ガルベージュス」
 いつもではあり得ない空気の良さ。
 周囲にいる非番近衛兵達、すなわち ”ガルベージュス公爵閣下の純愛を応援する会” の皆様方も浮かれまくる。
 その後ガルベージュス公爵は帝国軍人の総責任者代理として、また侯爵を想う一人の男として、なにより皇王族の代表として紳士的に侯爵を邸まで送り届けた。
「忙しいところ、ありがとう。おやすみなさい、ガルベージュス」
「おやすみなさい、わたくしの愛しい姫君よ」
 挨拶をして侯爵の邸から遠離った後 ”紳士” が脱げた。
 ガルベージュス公爵を取り囲み全員で両膝を突いて空に拳を掲げて、無言ながら ”咆吼” を上げた。
 その場にいた全員にとってガルベージュス公爵の恋が一歩前進したと思い、喜びに満ちあふれたのだ。
 そして彼等の行動はより一層ヒートアップする。既に皇帝サウダライトどころか、マルティルディですら制御できない一団が暴走用エネルギーチャージ。
 それも初めてのエネルギーチャージ。十年ちかく一度もエネルギーを補給しなくても踊り狂い、応援し続けてきた彼等にとって、それは死ぬまで突っ走るのに足りるものであった。

「あいつら、どうやったら黙るんだよ。殺すっても帝国軍将校だから面倒だしさあ」
 マルティルディですら溜息混じりに、その集団を遠巻きに見つめるほどに。

「あの娘がグラディウス・オベラか」

 そんなエネルギー補充をした翌朝ガルベージュス公爵は一人、皇帝が興味を持ったグラディウスを自らの目で確認するため、下働きの区画へと向かった。
 この時ガルベージュス公爵は「もぎもぎ」しているグラディウスが、後にマルティルディの中で数年前に孵り、縛られながら存在している 《最後の少女》 を解き放つとは思いもしかなった。
 なによりも

―― ほぇほぇでぃ様が喜んでくれるの?
 198メートル 198メートル
―― はい。とても喜びますよ
 地表と私は何メートル離れている? 200メートルです
―― 解った! あてしここから飛び降りるよ! ほぇほぇでぃ様に喜んでもらうんだ!
 残り2メートル 貴方の身長は2メートル10センチ 手を伸ばせばいいだけです
―― おねがいします

 己自身[あの様な行動]に出るとは、思いもしなかった。

※ ※ ※ ※ ※


「テレシターヌ、店番頼んでいいか?」
「おう。任せておけ、ザナデウ。ビール二杯で引き受けてやるよ」
 ケーリッヒリラ子爵は下働き区画で顔なじみの露天商テレシターヌに店番を依頼しその場を離れた。
 呼び出された場所へと向かう途中、何度も溜息が出そうになったがそれらを飲み込み、嫌々だが店のこともあるので歩みを遅くすることも出来ず。
 ”早めに話を切り上げたいが……”
 ケーリッヒリラ子爵は欲が人より相当少ない。だが肉親である両親、兄弟は人並みよりも少々多い。この両者の開きが彼にとって苦痛だった。

 ”ガルベージュスが総司令長官に就任したのが痛すぎる。ルベルテルセス皇太子殿下がそのまま即位なさっていたら、両親もここまで煩く言わなかっただろうに……”

 エヴェドリットに属する名門フレディル侯爵家の第二子ケーリッヒリラ子爵エディルキュレセ。
 上級貴族として生きるしかないのは当人も納得していたが職業だけは選びたかった。
 第二子の自分は家督は継がなくても良く、正直なところ領地収入だけで自由気ままに生きていけるのだから仕事くらいは好きなものを選びたかったのだが、一族からは職業を軍人以外認めてもらえず、軍人になれと強制される日々。
 それも王国の上級士官学校を出ろと言われて彼は頭を抱えた。
 エヴェドリット属が入学する 《エヴェドリット王の士官学校》 は、指揮官を養育すると言うよりは 《人殺しを養成、もしくは人殺しが楽しい人はもっと楽しめるような空間を提供しますよ》 的な学校。
 人を殺すのに罪悪感はないが、好んで殺したいとも思わない、エヴェドリット的には 《異常児》 だった彼は、この士官学校に入学するのだけは、どうしても避けたかった。
 唯一の救いは親の権力や伝手で入学できる類の学校ではないので、試験場に押し込まれる前に逃げ切ることが出来れば入学を回避することができる。
 そして子爵は実行に移して本当に試験会場から逃げた。
 子爵はそのまま実家からも逃げ切るつもりだったのだが、当時十二歳だった彼は実家から派遣された部隊に見つかり、制圧される。
 捕獲ではなく制圧、そう表現するのが相応しい状態。
 両親は今回逃げ果せたことは 《褒めた》 よくぞ試験会場から逃げられたなと。だが進む道を選ばせてはくれない。
「来年試験を受け、合格しなければ殺す。受けたくないというのなら、今殺す」
 見事な脅しを前に、子爵は必死に逃げ道を捜し、
「あ、我は……我は帝国上級士官学校を目指したい! んだ……」
 どうしても通いたくはない自王家の士官学校ではなく、本当に軍を指揮する将校を育成する最難関を目指したいと口から出任せを小さな声で言ってみた。
 親は息子が逃げようとしている事は即座に理解したが、己の口から軍人になると出たことに譲歩する。
「よろしい。ならば来年の試験で確実に合格しろ。入学出来なかったら殺す。家庭教師を付けてやる」
 絶対入学するように命じて、上級士官学校で授業を受け持っていた退役軍人五名ほどを家庭教師として雇う。
 子爵は ”じゃあ死ぬ!” というタイプではなかったので(そうでは無かったので両親もこのような態度を取ったのだが)試験勉強を開始した。
 ただ宇宙最難関の試験を突破するのに「侯子の今の基礎学力では、準備期間が一年では足りない」と家庭教師が両親を諭し、二年の猶予期間を貰うことができ試験を通過することが出来た。
 子爵この時十四歳。
 余談ではあるがエヴェドリット系の士官学校は 《身体能力重視》 の為、試験を受けたが最後、子爵は確実に合格してしまう。
 実際試験会場から逃げた後に両親に届いた学長からの連絡には 《見事な脱走であった。次の試験を楽しみに待っている》 とあった。

―― 帝国上級士官学校時代は楽しかった

 無事に入学試験を通過して過ごした士官学校時代を思い返す度に、子爵は心の底からそう思えた。
 試験や実技はかなり難しく、追試ギリギリであったが精神的には楽だったのだ。 
 帝国上級士官学校は皇帝の支配下なので両親からの干渉を全く受けず、周囲は殆ど皇王族。
 皇王族は基本的に話が通じない、やたらと空気が読めないタイプが多いものの、悪人はほとんどおらず暴力をふるう輩もいなかった。
 特に同学年で入学したガルベージュス公爵のお陰で、彼等の意志は見事に統一されており楽に過ごせた。

 だがこのガルベージュス公爵が今になって、子爵にとって問題になってきた。

 上級士官学校は全員寮で生活する。
 原則二人一部屋だが、全員が上級貴族。とうぜん配置にも様々な配慮がなされる。
 特に身分の高い偉い人達の部屋の隣には、付き人のような立場の貴族が配置されるようになっていた。
 そこら辺は暗黙の了解なので子爵も部屋に入って直ぐ、両隣の名前を確認した。片側はかなり偉い皇王族で、今現在はガルベージュス公爵の副官をしている二人。そしてもう片側が、
「ガルベージュス公爵閣下とベル公爵殿下……」
 子爵はガルベージュス公爵の付き人として配置された。
 この公爵閣下と公爵殿下の部屋のもう一方の隣は、テルロバールノル属の大名門ローグ公爵家の第三子と、これもまた名門タカルフォス伯爵家(テルロバールノル副王の一人)の第二子。
 子爵が ”公爵閣下” の付き人であるのは疑いの余地がない。
「ガルベージュス公爵閣下に挨拶せねば」
 子爵は急いで部屋へと戻り制服に着替え、ガルベージュス公爵の部屋の前で待った。

 貴族の基本は《身分の低いものから高いものへ声をかけてはならない。身分の高いものから声を掛けてもらうまで正装し待つ》

 よって入寮から暫くの間は、廊下の前に制服を着用して直立不動で立っている貴族が多く見られ、子爵はその一人となったのだ。
 ガルベージュス公爵と子爵の初対面は最早記述する必要もない ”あの状態” 即ちガルベージュス公爵が自らの名を連呼することから始まる。
 呆気にとられる子爵をよそに、
「全く。困ったものだな」
 ガルベージュス公爵は呟く。

 結果を先に述べると、子爵は在学中、楽な付き人生活を送った。

 ガルベージュス公爵は入学に際し ”自らに付き人は必要無い” と明言しており、当時の皇帝シャイランサバルトが、その願いを聞き入れていた。
 理由はガルベージュス公爵が十五歳で入学したことにある。
 ガルベージュス公爵は未来のケシュマリスタ王婿ベル公爵が 《皇帝のとりなし》 により、帝国士官学校に入学することとなった。
 その関係でベル公爵と同学年になることを皇帝より命じられた。
 ”帝国平定のため入学を三年遅らせる。お前の性格であれば、黙って受け入れることは理解しておるが、褒美や代償もなしに命じては皇帝も疎まれる。お前は余から褒美を受け取る必要がある。理解したな? では「望みを叶えよう」ではないか”
 皇帝がそのように言ったため「わたくしには、皇王族の付き人は必要ございません」希望を出したのだ。
 皇帝は「よかろう」の一言で全てが決定し、ガルベージュス公爵は付き人なしの学校生活を送るつもりでいたのだが……
 皇帝の意見に意義を唱えるような者はいないが、余計な気を回す者は多数存在する。

―― わたくしには、皇王族の付き人は必要ございません ――

 ならば皇王族以外をと考えたお節介達がいた。
 そのお節介の中に《ある人の実弟》がいたのは、運命の悪戯としか言いようがない。
「そう言えば、私の兄が家庭教師をしているエヴェドリット属フレディル侯爵家の第二子エディルキュレセ=エディルレゼ。彼はエヴェドリットに属しているとは思えない程に穏やかな性格をしておると。帝国上級士官学校を目指して、ちょうど今年入学は確実だろうとも言っていたな」
 子爵の家庭教師の一人の実弟が名を出した。
「エヴェドリット属とな! ガルベージュス公爵閣下のご両親はどちらもエヴェドリット属。これは良い!」
 こうして子爵が候補の一人に上げられた。

―― あの人達には悪気はなかったんだ。そう悪気はなかった、栄誉だろうと必死になってくれたんだ……

 子爵の家庭教師を務めていた五人は、
「侯子は我慢強さがある。なにより跡取りではないので、傲慢さも少ない。付き人としてやっていけるはずだ」
「侯子は大人しく控え目な性格で、付き人として最適であろう」
 子爵を ”これでもか!” という程に推した。
 寮生活は一人部屋でガルベージュス公爵の付き人となることが決定した。家庭教師達は ”驚かせてやろう” と教えなかったという。
 喜ぶだろうと本気で考えていた彼等に、悪気はなかった。ただ思考回路が若干異なっているだけで。
「用事がある際は卿に頼むこともあるだろうが、原則的にわたくしは全て自らおこなう。わたくしは清掃や配膳の当番も楽しみにしてきたのだ」
 命じられたら子爵は拒否することはできない。
「はい」
 それでガルベージュス公爵はたまに付き人として ”使って” くれることもあり、推薦してくれた家庭教師達の顔を潰すことなく、子爵の立場を配慮してくれた。
 性格は異常なまでに暑苦しいが、仕事は生まれながらに出来る男だった。
「それに卿とて名家の出。付き人がおらずに困ることもあろう。その際は、わたくしに言ってくれ。わたくしが忙しい時は卿の隣のエシュゼオーンやゾフィアーネに声を掛けても良い。わたくしが言っておこう。いや言わなくとも理解しているはずだ」
「それは、少々……」
 エシュゼオーン ”大公” とゾフィアーネ ”大公” は、子爵のガルベージュス公爵側ではない部屋の二人で当然皇王族。

 もちろん子爵がこの三人に仕事を頼んだ事は一度もない。
 ちなみにエシュゼオーン大公とゾフィアーネ大公は現在ガルベージュス公爵の副官。”ガルベージュス公爵閣下の純愛を応援する会” の発起人でもある。


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