帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[29]
「ああ! おねいさん、偉い貴族様なんだ!」
「一応は貴族よ。でもそんなに偉くはないからね」

 グラディウスとそのような会話をしたエンディラン侯爵だが、実際のところは上級貴族としての地位は非常に高い。
 皇位継承権は所持してはいないが、皇帝となった男の息子との婚約を破棄する必要がない程の地位を持っている。

 さすがに ”孵らずの王家” なる隠された異称を持つカロラティアン伯爵には及ばないが、侯爵の実家は十指にはいるケシュマリスタ名家であることは誰も意義を唱えない。
 ケシュマリスタ属の 《名家》 とは、開祖が 《完全人造》 であることが条件である。人造の中でも、特に人間の性質が少ない者が取り上げられた。

 ―― 孵らずの王家 ――

 カロラティアン伯爵家の隠された名 ”孵らずの王家”
 その異称の通り副王伯爵の祖は、哺乳類のように母体で成長せず、卵から孵化する型をとる卵生人造人間であった。

 だがカロラティアン伯爵は存在している。そう卵は孵った。

 ”当時” 孵っていなかったのだ。カロラティアン伯爵の卵を孵したのは ”孵化した王家” であるケシュマリスタ。
 ケシュマリスタ王家とカロラティアン伯爵家、元は同じ分類保管棚にあった卵であった。

※ ※ ※ ※ ※


 侯爵から聞いた事もないメーカーのアイスを用意するよう命じられた部下は、無事に19:42、主たる侯爵に届けることができた。
 子供でありながら仕事をしているグラディウスの夕食は早く、就寝時間も早い。
 夕食後に届いたそれを持ち侯爵は急いでグラディウスの元へと向かった。勿論眠っていたら明日にしようと考えもしたが本日の夕食の時に、
「これから私がデザートのアイス持って行くから、今日は食堂でのデザートな無しにしてもらえるかしら?」
「うん! ジュラスの持って来てくれるデザート楽しみだなあ」
 自らそう言い、喜んでくれたグラディウスの表情を思い出して走った。
 下働き区画の管理者である ”未来の義妹予定” のビデルセウス公爵に叱られようとも知ったことではない! と走りデザートを届ける。
「お、起きてる? グラディウス」
「ふゅうー起きてるよ、ジュラス」
 ベッドの上で眠い目を擦って待っていたグラディウスに、
「こ、これ!」
 初めて好きな子に贈り物をする時のように、ドキドキしながら侯爵はアイスの詰め合わせボックスを差し出した。ちなみに侯爵は今まで特に好きな相手はいない。
 主のマルティルディに香油を差し出すとき「気に入って頂けるかしら」と押し潰されそうな不安には遭遇しているが、こんな楽しく不安になるのは初めてだった。
 箱を見たグラディウスは ”とろん” と、眠りに落ちる闇夜になりそうな瞳であったが、侯爵が差し出してくれた箱を見て明るさを取り戻し、闇夜は藍色に輝き両手を振りながら喜びを露わにして叫ぶ。
「デザート! デザート!」
 その叫び声に同室の三人、リニアとクロチェル、そしてディレータは少々驚いたが、箱の大きさとその中身に自分達も驚いた。
「このメーカーの全種類と、あと期間限定で直ぐに手に入るのを用意させてみたの。食べてくれるかしら? グラディウス……あっ!」
「どうしたの? ジュラス」
 ここまで来て侯爵は現在の時間に気付いた。既に20:00は過ぎている。美容を気にする少女が菓子を食べるには向かない時間だ。
 人造人間の侯爵は過食程度で体型が崩れることはないが、人間は多大な努力を払わなくてはならないことを知っているし、実行している人間が多数いることも愛妾区画の女達の食生活を見て知っている。
「うれしい! これがデザートなんだね!」
「あの、無理して今食べなくてもいいのよ? ダイエットとかしてるなら、明日でも……」
「ダイエト? ってなぁに?」

 ”この子……グラディウス、可愛いなあ”

 その後侯爵はグラディウス達の部屋へと入り、四人と共にアイスを食べた。
 特にグラディウス、十六歳のクロチェル、十八歳のディレータは大はしゃぎで、
「これ一口食べさせて!」
「はい、どうぞ!」
「私のも食べる? 美味しいよ」
「うん! もらう! あっ、美味しい!」
 一口食べる事に歓声が上がる。クロチェルやディレータも、グラディウスほどではないが貧しい家の娘で、早くから自活することを考えてお金の無駄遣いなどせずに生きていた。
 そのため目の前に広げられた、色取り取りのアイスを前にして非常に興奮したのだ。
 メーカーから全種類取り寄せたアイスは、今夜だけでは全て食べきることはできないので、冷蔵庫に何とか押し込んで、
「明日もみんなで食べようね」
「朝食べようね!」
「うん! 明日の朝楽しみ!」
 三人は歓声を上げる。
 それを見ている侯爵、表面は上級貴族の雰囲気を保ちながら、内心は、
”可愛い! 持って帰る! 絶対持ち帰る! 欲しいぃ!”
 彼女達以上にはしゃいでいた。
「本当にご馳走になりまして」
 リニアは丁重に挨拶した。
 彼女だけは侯爵が上級貴族であることに、一目で気付いた。それはリニアが凄いのではなく、むしろ気付かない三人の方が 《すごい》 のだが、下働きにはそんな子たちが多くいた。
「気にしなくて良いわ。グラディウス、早く寝るのよ」
「うん! ありがとね! ジュラス」
 廊下で元気に侯爵の姿が見えなくなるまで見送ったあと、そのままベッドに入ろうとしたグラディウスを、リニアは ”もう一度歯を磨くよう” 促し、背を押しながら洗面所へと付いていった。

 そのまま部屋へと戻った侯爵は部下に約束していた以上の賞与を与え、ベッドに転がり枕を抱き締めて今日の出来事を思い出しては、他者が聞いたら少々怖い ”奇妙な忍び笑い” をしながら夜を過ごすことに。

※ ※ ※ ※ ※


「明日午後休みね」

 寵妃である筈の侯爵が下働きの区画をうろついている理由は、裏側から下働きの仕事を監視する役割をマルティルディより与えられているためだ。
 正式ではないので侯爵が直接罰することはできないが、報告は完全採用される。余程信頼されていない限り与えられない権限。
 侯爵がこの仕事と権限を与えられた理由は、彼女自身がマルティルディに好かれていることと、有能であること。そしてもう一つ、名家の出でありながら顔が殆ど知られていない事にある。
 皇帝が公爵時代に儲けた息子の婚約者で、当人自身も名家の跡取りとなれば、その顔は一般階級にも広く知れ渡って普通なのだが、彼女は日の光を浴びる事が出来ない体質で長年ヴェールでその姿を隠していた。
 今でも公の場に出る時は隠していることの方が多く、彼女の容姿を知る人は少ない。もっとも彼女が姿を見せていたとしても、この役に就いていた可能性も捨てきれない。

 彼女の容姿は、未来の夫(予定)のザイオンレヴィ同様、伝統的な容姿なので彼女本来の容姿という物ではないからだ。

 グラディウスの明日午後の仕事が無くなった事を知った侯爵は、夕食の時に休みであることを教えて、午後一緒に遊びに行こうと持ちかけて良い返事を貰えた。
 その後部屋まで送り届けて、
「じゃあ、明日ね。グラディウス」
「うん、ジュラス」
 互いに軽く頬にキスをし合って別れる。
 手を振って別れ帰途についていた侯爵は、あることを思いつき走り出した。侯爵は上級貴族としては足が速いわけではないが、人間とは比べものにならない程のスピードは出せる。
 その速さで下働きの管理者が居る部屋へと直進して、ノックも挨拶もそこそこに飛び込んだ。
「クライネルロテア! 欲しいんだけど! ……どうしたの? 疲れ切った顔して」
 ビデルセウス公爵クライネルロテア。
 現皇帝の娘であり、侯爵の婚約者シルバレーデ公爵ザイオンレヴィの双子の妹。
 このビデルセウス公爵とシルバレーデ公爵は男女の双子で、全く顔が違う。人間の男女の双子の場合はそれもあるだろうが、人造人間の場合は似ている事の方が多い。

「まあ、その、顔はな。気にするなとは言わないが、ほらロラウミティエル(ビデルセウス公爵の婚約者)は気に入っていると言ってたと聞いたと、部下が言っていたらしいと小耳に挟んだ」

 又聞きの又聞き、真価の程が怪しいそんな慰めの言葉で、まだ皇帝になる前のサウダライトが必死に娘を慰めた程、彼女は普通の顔をしている。
 普通の人から見た場合は美しいが、顔の美醜基準がもっとも厳しいケシュマリスタ、その名門でビデルセウス公爵の顔は ”可哀相に” と言われるくらいに美しさも華やかさもない。顔の作りは悪くはないが、とにかく地味で華やかさに欠ける、それが彼女の特徴でもあるのだが。
 彼女の目の前にいる侯爵は、女皇三祖のプロレターシャと良く似ており、彼女の特徴的な華やかさを彼女も持ち合わせている。
 侯爵がリニアなど多くの下級貴族から見て ”上流階級の庶子” と判断されているのは、この顔の作りからに他ならない。
 彼女の双子の兄も女皇三祖のデセネアそのもので、儚さと優美さがある。
 髭を生やして男の雰囲気を保っている、彼女の父サウダライト帝皇帝だが、それでも彼女と並んだ場合、父皇帝の方が美女風の雰囲気のある顔立ちなのは一目瞭然。
 そして主であり最高権力者、自分の双子の兄を気に入っている王太子マルティルディはケシュマリスタで最も美しい。

 救いといえば、前述の婚約者ロラウミティエルが本当に彼女を気に入っており、華やかさや派手さが無くても良いと言っていることだろう。
 救いがないと言えば、前述の婚約者ロラウミティエルが女皇三祖のダーク=ダーマの生き写したる迫力のある美しさを持っていると言うことだろう。

(女皇三祖:二代皇帝デセネア・三代皇帝ダーク=ダーマ・四代皇帝プロレターシャ。いずれも女性。二代は初代皇帝と初代皇后との間に産まれた娘。三代、四代は二代皇帝と初代エヴェドリット王との間に誕生した娘)

「何でもない。ちょっとカード作って……」
「カード? なんの? そんなことどうでも良いわ! あのね、私下働きで欲しい子がいるの! 貰っても良い?」
 言いながら侯爵は端末にグラディウスを映し出し、
「この子」
 笑顔で ”頂戴!” と指さした。
 この時の侯爵の頭の中には、邸で仲良く姉妹のように暮らす姿を思い浮かべたのだが、
「その子は絶対に駄目……」
「どうして!」
 あっさりと否定されてしまった。
「私としても連れて行って欲しいけれど、後数日早ければ……無理よねえ。来て直ぐだもの」
 溜息をつきながら彼女は向かい側に座る。
 ちょうど侯爵がグラディウス達とアイスを食べてはしゃいでいた時に、彼女は父でもあるサウダライト帝と共に 《田舎出身の娘》 を見ていた。
 サウダライト帝はグラディウスを田舎のカテゴリーに押し込んでいいの? 
 そう悩むほどにグラディウスに興味を持ち、他の同じような境遇の娘も似たような行動をとるのかを知りたく彼女を伴い見て回ったのだ。
「どうだったの?」
「その子、グラディウス・オベラのような子は一人も居なかった」
「そうでしょうね」
 グラディウスと同室のクロチェルやディレータも割合田舎の出だが、グラディウスほどの強烈さはない。
「かなり見て回って ”あの子だけ特別か” そう言って、ますます気に入ってしまって。明日の午後、仕事に付かなくても良い予定というのも知って、大急ぎでカード作って明日の午後……」
「明日の午後は私が先に約束したわよ。……あの……おっさんってもしかして?」
 グラディウスは言われた通りに内緒にしているのだが、会話をしていると名前が偶に零れてしまい、大急ぎで口に手を当てて「今の聞かなかったことにして、ジュラス」と叫ぶ。
 ”その姿も可愛いな” と思っていたのだが侯爵は衝撃を受けた。
「そう、陛下。なんでもマルティルディ殿下に許可をいただいたとか、許可待ちだとか……どうしたの?」
「なんですって! 私急用ができたから! 失礼するわ!」
 来た時と同じように去ってゆく侯爵。
「急用って……この子のこと以外ないでしょうに」
 足音に被さるように彼女は呟いた。


 侯爵は大急ぎでマルティルディの元へと向かい、一縷の望みを託しグラディウスの事を尋ねてみるも時既に遅し。
「ああ、ダグリオライゼが言ってた子供ね。うん、許可した。面白そうだからね。ダグリオライゼを遊ぶ新しいアイテムが欲しかったんだ。へえ、君もお気に入りなんだ、ザイオンレヴィの報告じゃあ普通の子供だって聞いたけど、なんか興味沸いたな。明日にでも僕も見てみるよ」
 何時も通りの表情に口調、そして何時も通りの残酷さを感じさせる 《愉しい時》 の笑顔を前に、
「失礼しました……」
 引き下がるしかなかった。
 元々グラディウスを取り合う相手が皇帝なので引き下がるしかないのだが。

「僕は君の皇帝相手でも、簡単に引き下がらないところは大好きだよ。でもその子供はダグリオライゼにやるよ」


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