帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[28]
 エンディラン侯爵ロメララーララーラ。
 寵妃リストのこの名があったことに、人々は驚きはしなかったが、不思議には感じた。それ以上に厄介な事が起こるだろうなと確信した。

 彼女は現ウリピネノルフォルダル公爵の元正妻との間に生まれた一人娘であり、ケシュマリスタ王代理で帝国最大権力を所持しているマルティルディが 《認めた》 公爵家の跡取りであった。
 彼女の両親は離婚している。
 父親である公爵が正妻と同程度の家柄と血筋で、娘と同い年の侯女に入れあげ離婚を申し出た。
 母親は「私に一切接触しないように」という条項を盛り込み、慰謝料をもらい離婚した。
 母親があっさりと離婚した背景には、その頃に既にエンディラン侯爵はマルティルディによって後継者と認められていたことが大きい。
 公爵は愛人の侯女が妊娠したために、急いで結婚し侯女の子にもウリピネノルフォルダル公爵の権利を与えようとしたのだが、マルティルディが許可しなかった。
 また娘である、いや娘で ”あった” エンディラン侯爵は権利を拒否しないことを、これもまたマルティルディの前で宣言する。
 後継者の廃嫡などは通常当主の意志が尊重されるが、王の代理が認定したものは覆すことはできない。
 本人の辞退は認められており公爵は実の娘に期待し願ったが、公爵の希望はあっさりと無視された。
 そうしている間にエンディラン侯爵にとって「異母弟」が誕生するも「私生児」扱い。
 公爵がどれ程「認知させて欲しい」と申し出てもマルティルディが許可を出さず私生児のまま。
 異母弟が誕生した頃は先代皇帝の御代であり、取りなしを依頼しようと、様々な伝手を頼り、やっとの思いで意見を述べるも先帝は「余とケシュマリスタ王家との関係を悪化させるのが目的か?」と一蹴。
 そんな問題が何一つ解決していないというのに侯女は再び公爵の子を身籠もる。
 公爵はマルティルディに最も近い娘を説得してもらおうと、前妻に連絡を入れるが、離婚条件に一切の接触を取らないことを明記していたので、空に懇願は消えた。
 エンディラン侯爵はその知らせを後宮の寵妃の住む邸の一つで聞き、妊娠報告のあとに続く情けないとしか言いようのない「取りなし依頼」を鼻で笑い焼き捨てるように命じ、彼女は邸を出て何時も通っている下働き区画のへと向かった。

 これら一連の騒動は公爵の遠縁で、エンディラン侯爵の婚約者シルバレーデ公爵の知人でもあるケーリッヒリラ子爵の耳にも届いていた。

※ ※ ※ ※ ※


 エンディラン侯爵はある日の夕方、廊下で ”もさっ” とした物を発見した。
 その ”もさっ” とした物が人間であることに直ぐに気付いたが、なぜ廊下で ”もさっ” と丸くなって落ちているのか全く理解できなかった。
「あの……大丈夫? どこか痛いの?」
 体調不良を気遣うように声を掛けるが、声を掛けている侯爵自身 ”体調不良じゃなさそう……” と思った。
 だがそれ以外の理由で廊下で丸まっている理由がどうしても彼女には見当たらなかった。
「いたくない。しょくどー」
 背中を軽く叩かれて初めて自分に掛けられた声だと気付き、顔を上げた少女の名はグラディウス・オベラ。
 夕食を取るために食堂に向かう途中、標識を 《見つけられず》 迷ってしまい、空腹にも嘖まれて、寂しくなって廊下で ”しょんぼり” としており、その ”しょんぼり” が侯爵の目には ”もさっ” と映ったと言うわけだ。
「朝食の時はどうやって食堂に?」
「部屋のおねいさんたちといっしょ」
「昼食の時は?」
「掃除のみんなといっしょ。そのあと一緒に仕事した人が、仕事終わったら一人で行っちゃって。あてし着替えるの遅いから……ひょうしきっての見つけるのも苦手」
 必死に話しているグラディウスの腹からは空腹を訴える音が鳴り響く。
「じゃ、一緒に行こうか!」
「連れて行ってくれるの! おねいさん!」
 微笑んだ侯爵の優しげな表情に、一瞬空腹も忘れてグラディウスも笑う。
「さあ、いらっしゃい」
 連れて行こうと手を差し伸べると、
「ああ! おねいさん、偉い貴族様なんだ!」
 グラディウスは手袋を見て大声を上げ、腹も負けじと大きく鳴る。侯爵は自らの薄紫の手袋を一度見てから視線を上げて、
「一応は貴族よ。でもそんなに偉くはないからね」
 あまり気にしないでね! と言いつつ、グラディウスの手を握り歩くように促し、グラディウスはもさもさと侯爵に手を引かれて歩き出した。

 侯爵は下働きの食堂が何処にあるのか? どのようにして食べるのかは知っていたが、直接足を運んだ事はなく、食堂で食べようと思ったことなど一度もない。自らをグルメとは言わないが、口が肥えてはいるだろうと彼女は思っており、それは事実でもある。
 当然下働きの食事は口に合わないのだが、
「……」
 彼女は今グラディウスと向かい合い食事をしている。正確に表現するなら、食べているのはグラディウスだけで、侯爵の手は止まっている状態。
 ”おねいさん! いっしょに食べようよ!” そう言われて、思わず頷いてしまったのだ。彼女の手を止めさせているのは、グラディウスの食事姿。
 普通に食べている筈なのに ”もぎもぎ” っとしているのだ。
 初めて見るその姿に見惚れてしまい、食事を運ぶ手が疎かになる。偶に気付いたグラディウスが頬を膨らませたまま彼女の顔を窺うと正気に戻り、急いで口へと運ぶ。
 そんな事を繰り返し楽しく食事を終えたグラディウスと侯爵。
「ジュラスもアイス!」
「ありがとう」
 自分の本当の名前を教えるわけにはいかないので、偽名として ”ジュラス” と教えた。
「デザートってのがあるんだ!」
 グラディウスは気付いておらず侯爵が勧めて初めて気付き、元気に頷いて嬉しそうに食べている。
「あてしアイス大好きなの。あのね初めて食べたのはね……」
 食べ終えてから侯爵はグラディウスを部屋まで連れていった。
「ちょっと待っててね!」
 ”明日の夕食も一緒にね” と誘われて、喜びに顔を紅潮させたグラディウスは「待ってね! 待ってね!」そう言いながら、鞄を漁り、
「あった! これだ!」
 安っぽい三角に似た形の物を持って侯爵の元へと戻って来る。
「これがね、あてしが初めて食べたアイスのケース!」
 グラディウスが差し出したのは、ピラデレイスが買ってくれたアイスのコーン部分を挿すケース。
「ここにお店の名前書いてるんだって! なんてお店なのかな? 前に聞いたけど忘れちゃったんだ!」
「書いてるんだって……って」
「あてし読めないから」
 ピラデレイスが買ってくれたのは、グラディウスの住んで居る惑星の、名の知られていないチェーン店の物。発展している地区に住んでる侯爵には当然馴染みもなく聞いたこともない。
「すごっく美味しかったの!」
「そうなの」

 侯爵はグラディウスに見送られ邸へと急いで帰り、端末で店の名前を調べ、
「このチェーン店のアイスを、大急ぎで私の元へと運びなさい」
 命じられた方は当然ながら「送料の方が高くつく」と考えるも、貴族とはそんな事は気にしないことも良く知っているので、
「畏まりました。許されるのは何日後まででしょうか?」
「明日の20:00まで。それより早ければ賞与は出すわ」
「はい」
 主の命は絶対と頭を下げ、大至急手配を開始した。


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