帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[26]
「嘘でも言ってあげないもん!」

「知らない、会ったことないから知らない。そんな人はどうでもイイの……でもね、でもね……」

「憎い程の色男だな、キーレンクレイカイム」

※ ※ ※ ※ ※


 キーレンクレイカイムは北の城館で記録映像を追って日々を過ごしていた。
 先代皇帝は ”ランカ” の成長記録を楽しみにしていた事もあり、生まれてから死ぬまでの五年間、一秒たりとも逃されることなく撮影され、記録として残されていた。
 先代皇帝の元に送られた映像は、先代皇帝の死後、デルシ=デベルシュが片付けており全く残っていない。
 改築、増築などが全く施されていない北の城館を駆け回る立体映像の子供二人。それの二人の後を付いて歩くキーレンクレイカイム。
 偶に周囲を見回すと、微笑んでいる母王妃や、若き日のデルシ=デベルシュ、そして ”ランカ” を優しく見つめている先代皇帝の姿なども見ることが出来た。
 ”病弱” と言い聞かされて育てられていたキーレンクレイカイムだが、今のキーレンクレイカイムからみても、元気そのものだった。
 鳥を見ては走り出し、雲を追いかけると言っては走り、虹を捕まえるのだと叫んで城館の最上階の窓から飛び出そうとしてみたり。
「なんつー馬鹿な子供だ」
 自分の姿を見て、思わず呟いてしまった程だった。
 その都度キーレンクレイカイムを引き留めるのがランカ。
 ランカは両性具有がそうであるように、体が弱く走るキーレンクレイカイムに付いてはこられない。
「カムイ! 待ってよ、カムイ」
「早く来いよ、ランカ」
「カムイ! そんなに走っちゃ駄目って言ってるでしょ! 私が、こんなに苦しいんだから、カムイは後でもっと苦しくなっちゃうから、もう走らないの!」
 なによりランカもキーレンクレイカイムが病弱だと教えられていた。そして自分が体が弱いことは教えられてはいなかった。
「ランカ、大丈夫か」
「大丈夫。ランカは熱出ても平気。カムイは体が弱いから、ランカと違って熱とか出たら大変だから。ランカが治るまで、良い子にしてるんだよ。そうじゃないと、カムイは危ないことばっかりするから」
「ああ、ランカが治るまで一緒にいるよ。一緒にいても良いって」
「そう。じゃ、カムイはランカの手を握ってね」
「うん」

 だが、ランカは自分が早くに死ぬことは理解していた。死が身近に存在していたランカと、全く存在しなかったキーレンクレイカイムでは、感覚が大きく違った。

 薬を注入されて眠りに落ちる自分。そのまま棺に収められる。仮死状態であったのは、体が冷たくてはランカが恐れる為。
 周囲には誰もいないが、部屋は色取り取りに飾られていた。ランカがよく画用紙に描いていて結婚式の図を再現したもの。
 窓は花環と白と空色のリボンで飾られ、純白の絨毯が敷かれ、棺の蓋の上にはランカが好きだった白い蒲公英の花束に、一緒に映っている写真の数々。
 棺に収められた自分を見下ろしているキーレンクレイカイムは、背後から聞こえてくる泣き声の方を向くことができなかった。

「駄目!」
 キーレンクレイカイムを殺害することに気付いたランカが、訪れていた母である先代皇帝の膝にしがみつき叫び声を上げていた。
 死が近付いているランカの声は、喋り方は子供その物であったが、どこか子供とは一線をかくしていた。
 一緒に遊んでいた声とは全く違い、何よりも真摯であった。
「いや! いや! ランカはいや! いやぁぁ! ランカのカムイは、元気になるんだ! ランカが病気を持っていって、カムイは元気になるんだぁ! いやあああ! カムイ!」
「ランカよ……」
 キーレンクレイカイムが聞いたことのない先代皇帝の ”困惑した弱い女の声” が耳に届く。
「嫌いになっちゃうんだからね! 嫌いになっちゃうからね! いいの? ランカが嫌いになっても! 良いの? ランカはエシャンテルクお母様のこと大嫌いになっちゃうからね! ランカに嫌われてもいいの?」
「ランカ、そんな事を言うな。余はお前にそんなことを言われると……」
 根負けどころか、先代皇帝は直ぐに諦めた。
「約束する。お前が眠りについたら、必ずキーレンクレイカイムを棺から出す。なあ、デルシ」
「はい」
「あのね……今までありがとう。大好きだよ、デルシおばさん。そしてエシャンテルクお母様。でもランカが一番好きなのはカムイだからね!」
「一度くらい、嘘でも ”お母様が一番好き” とは言ってくれないか。お前は一度たりとも、この母が一番とは言ってくれなんだ」
 ”言ってやれよ” とキーレンクレイカイムは振り返らないまま思ったが、
「嘘でも言ってあげないもん!」
 キーレンクレイカイムは肩をふるわせて笑いながら泣いた。そして申し訳なくて、振り返ることが出来なかった。
「憎い程の色男だな、キーレンクレイカイム」
 デルシ=デベルシュの笑いを含んだ声。
「頑固だなあ。そういう所は、父親似なのか」
 優しげだが寂しそうな先代皇帝の声に振り返るどころか、キーレンクレイカイムは体が硬直していった。
「知らない、会ったことないから、そんな人知らない。そんな人はどうでもイイの……でもね、でもね……ランカ、もう一回皇帝の子供として生まれてきてあげるから! 今度は ”ちゃんとした、普通の皇女” として生まれ変わってくるよ。だから皇女親王大公をキーレンクレイカイムのお嫁さんにしてね! その子は私だからね、綺麗な花嫁衣装も用意してね! 約束だよ、エシャンテルクお母様……泣かないでよ、エシャンテルクお母様」

 ”ちゃとした、普通の皇女” 

 子供は残酷だというが、まさにランカは残酷その物の言葉を母親である先代皇帝に投げつけた。自分自身も普通の皇女として生まれてきたかったであろうが、それを言われた産んでしまった先代皇帝は傷ついた。だが傷つけられる事も先代皇帝にとっては喜びであった。
 もう傷つけられる事すら無くなってしまうのだ。
「用意してやる、用意してやる。それは盛大な式を挙げてやろう。恐らくお前の祖母になってしまうだろうが、お前が戻ってくるのを楽しみに待っておる」
 棺で眠っている幼い頃の幸せそうな《自分》に降り注ぐ己の涙、それは体をすり抜けてゆき、床にシミを作る。
 そして立体映像がキーレンクレイカイムの体をすり抜けた。
 すり抜けた先代皇帝は、抱きかかえていたランカをゆっくりと棺に降ろして 《自分》 の隣に置いた。
 背後から近寄ってきたデルシ=デベルシュがキーレンクレイカイムの顔を動かし、ランカの方を向ける。
「カムイ、カムイ。格好良くなってね、カムイ。ランカは格好良いカムイが好き! でも、格好悪くなっても好きだから安心してね。一緒に苔数えてあげるから。えっとね、カムイ……カムイ……大好き」


―― カムイなにしてるの?
―― 苔数えてる
―― なんで?
―― 話しかけるな! 数え間違う
―― ……もう! 私も一緒にかぞえてあげるよ

 ”あんな事してないで、もっと一緒に遊べば良かったなあ……”


 ランカは眠るように目を閉じ、目を閉じている《自分》の周囲に沈黙が押し寄せ、そして自分の背後から嗚咽が聞こえた。
 自分の半身をすり抜けていったデルシ=デベルシュがランカの首に手を伸ばし、触れて首を振る。同時に響く泣き声に、やっとの思いで振り返る。
 ただの映像で、もう存在しない先代皇帝。
 彼女は泣き叫ぶが、デルシ=デベルシュは近付いてくる気配はない。何故慰めないのだろうかと、その姿をキーレンクレイカイムが捜すと棺から《自分》を取り出していた。
 デルシ=デベルシュは部屋からでてゆき《自分》をどこかに置いてから戻って来て、また泣いている先代皇帝を無視して、今度は棺の中のランカの位置を変える。
 大きすぎる棺の中心に真っ直ぐに寝かせ、指を組ませてやる。まだ死後硬直が起こってはいない体は柔らかく、小さな指は直ぐに組まれた。
 そこまでしてから、デルシ=デベルシュは目を閉じて一度深呼吸をしてやっと先代皇帝の元へと近付き、泣き崩れている ”彼女” を慰める。
「泣かれよ。死んだのは両性具有、今此処にいる貴女は皇帝ではない、ただの母親だ」
 泣き続ける先代皇帝に、優しく声をかけ続ける。
「良かったではないか。ランカは貴女に子を失って泣く時間をくれた。そんな物必要は無いと言う者もいるだろうが……ああ、あの子の分も泣くが良い。今この時、貴女はただの女だ」
 皇太子ルベルテルセスがマルティルディに殺害されたと聞かされても、その前に ”殺害されると解っていても” 取り乱すこと一つ無かったとキーレンクレイカイムは聞かされた。
 その態度に泣いている先代皇帝が、本当に皇帝であったことを思い知る。

―― ランカ、もう帰ってご飯食べようよ
―― 駄目! 数えるの! カムイ! あと少しなんだから!
―― だって……
―― 一度決めたことは、絶対にやり遂げるの!
―― 解ったよ

 ”あの時、ちょっと……いや、かなり頑固な子だと思ったな”

※ ※ ※ ※ ※ 


 映像を中断してあまり欲しいとは思わない食事を取りながら、キーレンクレイカイムは溜息をついて、老執事を呼び ”あること” を尋ねた。
「はい、フィラメンティアングス公爵殿下の推理通りです」
「そうか」
 尋ねたのは ”棺から出された後も、暫くは仮死状態に置かれていたのではないか” 
 自分自身の事だが、他人事のように尋ね、他人事のように事実にキーレンクレイカイムは頷いた。
 あの時点で自分が棺から出され、直ぐに仮死状態から脱するように処置されていれば、記憶がおかしくなることはない。
「父上のことだ。そのまま殺して葬儀をも行うつもりだったのだろう」
「はい。殺害しようとしましたが、カロニシア公爵殿下に気付かれて、シャイランサバルト帝に厳命を下されて思い止まれました」
「厳命ってのは、葬儀終了までの料金は支払うから止めろと言うものかな?」
「そうだと、故王妃殿下よりお聞きしました」
「なるほどね。……なあ……」
「はい?」
「お前が見た五年間、ランカは幸せそうであったか?」
 老執事は僅かに表情を緩めて、
「私は彼の御方様よりもずっと長く生きておりますが、あれ程まで優雅に美しく、満足した表情では死ねないでしょう」
 頭を下げた。
「そうか……」

 食後キーレンクレイカイムは自らの手で椅子を運び、ランカの棺映像の前に座った。防腐処理を施さたランカは一人眠り続けていた。
 前髪が少し乱れていたので思わず手を伸ばしたキーレンクレイカイムだが、当然触れることは出来ない。
 手を引っ込めて腕を組み、再びその表情を見つめる。
「五年間の完全映像が残ってるから、全てを見終えるには五年かかる。そこからゆっくりと、もう一度みたい場面を見直して……そうやっている間に時は過ぎて行くだろう。焦らなくて良い、ゆっくりと楽しんでから還ってこい」

 キーレンクレイカイムは暫くの間、ロヴィニア王城に篭もって映像を見続ける予定だったのだが、姉王より 《大至急バゼーハイナンの愛妾区画に入り込み グラディウス・オベラ という娘を見て、同じようなのを捜してこい》 との命令が下り、予定を変更することになった。

 急いで旗艦に乗り込み、帝星を目指すこととなったキーレンクレイカイムは、前回突然 ”戦闘” に巻き込まれて面倒だったので ”戦闘経験のある参謀” を副官として置き、もしもに備えた。
「全く。姉上はゆっくり懐古してろと言ったのに……アルカルターヴァとリスカートーフォンが何処まで頑張るかが問題だが……なんとか、ぎりぎりで間に合うだろうな。寵妃になってしまったら忍び込むのに苦労……無理だな、こりゃ。寵妃になったら無理だ」
 寵妃になっても忍び込んで確かめようとしたのだが、侍女頭の所に 《寵妃 エンディラン侯爵ロメララーララーラ》 の名を見て、即座に諦めた。
 彼女がいるということは、彼女につられてガルベージュスがうろつき、その周囲には ”ガルベージュス公爵閣下の純愛を応援する会” という名の近衛兵集団(非番の際にボランティアで参加・参加率100%)が必ず控えている。この集団に愛妾区画をうろついて五人も妊娠させたキーレンクレイカイムが見つかったら、一溜まりもない。
「アルカルターヴァ公爵殿下の頑張りに期待するべきでしょうな」
 副官の笑いに、キーレンクレイカイムも笑いで答える。
「そうだなあ」
 何事も無ければ余裕で帝星に到着して 《グラディウス・オベラ》 と遭遇することが出来る筈だったが、
「フィラメンティアングス公爵殿下、救援信号を受診いたしました」
「どこからの信号だ?」
 キーレンクレイカイムは 《彼》 が存在した場所へと向かい、その機会を一時的ながら失う事となる。もちろん、キーレンクレイカイムは自分が 《彼》 と遭遇したことは知らない。
 何故なら、彼は父親の性を名乗っていたので 《オベラ》 ではなかった為だ。彼の父違いの妹は 《グラディウス・オベラ》 と言う。
「H−M−502158から、第一次救援信号が」
 副官と顔を見合わせる。 
「ヒルメニウム鉱山採掘惑星の一つですね。この鉱山で第一次となると、惑星崩壊も間近でしょう」
「行路を変えて、救出へと向かう。急げ!」
 キーレンクレイカイムは ”ほぼ救出不可能であることを知りながらも” 進路を変えた。

 エルターズ28星の職業斡旋所に悲報が届くのは、これから七日後のことである。


|| BACK || NEXT || INDEX ||
Copyright © Iori Rikudou All rights reserved.