帝星に到着したイダ王は、マルティルディより ”平民の愛妾を寵妃にしたいから、承諾しろよ” という、とても面会申し込みには見えない申し出を受け取り眉間に皺を寄せた。
連絡を運んできた者は、他の二王が怒り出したのを見ていたのでイダ王も怒り出すだろうと身構えていたのだが、
「了承したと伝えるが良い。時間も場所も書かれている通りにしてやろうではないか」
不快さを表していた表情は直ぐに消え去り、完全な無表情のまま申し出を受けるとサインして、背を向け歩き去り早急に予定を調整し、面談の場へと向かった。
マルティルディよりも先に到着したイダ王は、自分が領地に戻っている間に現れた 《グラディウス・オベラ》 という愛妾について調べさせた事柄に目を通す。
それに関する資料は極端に少なく、ほとんど手に入らなかったと言っても良い程だった。
下働き区画にいた期間は少なく、キーレンクレイカイムが帰還するのと入れ違いに愛妾となり、そして今 《寵妃》 として推されている。
手元にある情報。それは褐色の肌と藍色の瞳を持つ少女という事だけ。
※ ※ ※ ※ ※
サウダライトが即位すると同時にデルシ=デベルシュ、イレスルキュラン、ルグリラドは正妃の座についた。即位式典は行われたが、成婚式に関しては誰も望まなかったばかりか、ルグリラドが強硬の拒否したので行われなかった。
非支配者階級の者達も、先代皇帝が亡くなってすぐなので今は慎み、皇帝に慶事、要するに皇太子が誕生したら行われるのだろうと考えて、特に不思議には感じなかった。
支配される者達は、限りなく好意的な解釈をしてくれたと言っても過言ではない。
徹底的に皇帝の正妃の座を拒否しているルグリラド。
ルグリラドは元々実弟の妻を好いてはいなかったが、不仲でもなかった。”不仲になるほど、両者近寄ったことがない” というのが正しい表現だろう。
そんなルグリラドとマルティルディの不仲になった理由は、皇帝の座に就かなかった暫定皇太子、要するに ”任務放棄” が原因。
ルグリラドは《家臣》として傍系皇帝を認めず同衾を拒否し、一方で安定のために《王女》として正妃になるしかないことを理解していた。
それを促すことになるのか、頑なに拒否したくなるのかは解らないが、父王達は王家の責任として必死に説得し、皇帝にも頭を下げさせて納得させるように必死に動いていた。
「ルグリラドがあの状態のうちに、皇太子作っておくべきでしょうね」
体質的な問題からデルシ=デベルシュが皇太子を産む可能性は限りなく低く、ルグリラドが拒否している今がチャンスとばかりにイレスルキュランは目を輝かせる。
そんな頼りがいのある実妹に、イダ王は 《王》 らしくない言葉をかけた。
「どこかに好きな男とか、もしくは適当な色男を見繕って処女をくれてやってきても良いぞ。欲しいのがいたら、幾らでも金で買ってきてやる」
実妹王女が処女なのは、イダ王が誰よりも良く知っている。
死亡したが直系皇帝の生まれながらの皇太子にくれてやるのは惜しくはなかったのだが、傍系から皇帝の座に付けられた男に 《妹王女の処女》 をくれてやるのは、何となく惜しく感じた。
だがイレスルキュラン本人にとっては、三十四歳で死んだ皇太子ルベルテルセスも、三十八歳のサウダライトも然程違いはなく、相手が皇帝である以上、皇帝の子を身籠もった方が勝ちという、揺るぎない大前提を前に好き嫌いやプライドなどは無用と切り捨てていた。
「別に、皇太子も傍系皇帝もあんま変わらないから良い。金払って処女捨てるくらいなら、処女料金と言って、元イネスに金払わせた方がマシ」
頭の良い方の第二王女は、割り切るのも早い。もう一人の実妹、テルロバールノル王太子の妃になることが決定している第三王女は ”こう” は行かないだろうと思いながら、
「すこし待て」
ある事柄から、実妹を制止する必要があった。
イレスルキュランよりも合理的であり、妹王女の背を押す立場にあるはずの姉王イダの発言に、妹王女は驚いた。
「何か問題でも。やはりルグリラドと足並み揃えた方がいいですか?」
「ルグリラドはこの際良い。問題なのはお前に ”皇族” が生まれるかという事だ」
「皇族? それは……どのような意味でしょうか?」
「ルベルテルセスは私達の叔父の子であり、母は私達の片親違いではあるが伯母であった。そしてこれから説明するが……」
イダ王は《母王妃》に関して、キーレンクレイカイムに話したことと同じ事柄を、妹王女にも話して聞かせた。
「なるほど」
イダ王の真意を理解して、妹王女は頷く。
「私としては、お前が後宮に君臨してくれた方がありがたい。傍系皇帝の血筋の皇太子であれば、背後につく王の権力が絶大だ。普通は外戚が大きな権力を持つが、今回は傍系皇帝の主筋であるマルティルディ……」
「僕のこと呼んだかい?」
突然の声に二人は椅子から腰を浮かせて、声がした方を振り返る。
「なんだよ、呼ばれたから返事したのに」
「マルティルディ……」
驚いている妹王女の前に立ち、イダ王はマルティルディを睨み返す。
「両性具有の出産についてのお話だったね。そうだ! 良いこと教えてあげるよ」
―― 両性具有「を」隔離するって、可笑しいと思わないかい? ――
微笑みながら語ったその言葉に、イダ王は硬直した。マルティルディが言いたいことは解ったが 《それがもたらす真実》 はイダ王には解らなかった。
謎だけ投げつけて満足し去ったマルティルディ。その花の香りが残る部屋でイダ王は妹王女に避妊を命じる。
「今しばらくの間は、後継者は産まない方向で調整するように。ロヴィニア系の親王大公は、残り一人の座にロヴィニア傍系を押し込んで産ませる。お前に万が一のことがあると困るからな。問題が解決できないわけではないだろうから……まあ、ルグリラドを理由に少し寝所に入るのを控えろ」
「解りました」
※ ※ ※ ※ ※
「僕を待っていてくれたのかい」
イダ王よりも遅れてきた ”呼び出した側であり、王太子” のマルティルディは、悪いなどと全く思っていないような態度で椅子に座り向かい合う。
人払いをし暫く視線を交わした後、イダ王が話しかけた。
「寵妃のサインはしてやろう。だが条件がある」
「なんだい? 金額の調整かな?」
これが残酷な王太子として影で密やかに言われている王太子とは思えない程、柔らかな笑顔をつくる。
「金額ではない」
「ロヴィニアが金じゃないなんて、珍しいね」
「両性具有が隔離される理由、いいや ”真の両性具有を隔離しない理由” 教えて貰おうか。それが条件だ。それ以外では、決してサインしない」
グラディウス・オベラ
履歴に下働き、学歴は空欄。まっ白に近い書類を前に、イダ王はマルティルディとは対照的な、存在感と肉欲を感じさせる唇を開き、話続ける。
「お前は知っているのだろう、マルティルディ。他に知っていそうなのは、先代皇帝の親友デルシ=デベルシュ、そしてもう一人はガルベージュス。お前を含めた三人の中で、お前がもっとも語ってくれそうだからな」
「僕は口が軽いって事?」
「デルシ=デベルシュは今は亡き先代皇帝への忠誠心から、決して口を開かない。そしてガルベージュス、あの男はデルシ=デベルシュよりも厄介だ。あの男の忠誠と忠義、その全ては帝国にある。だがマルティルディ、お前には忠誠心はない。当然だ、お前は忠誠を誓わせる側であって、誓う側に立ったことは一度もないからだ。お前は自由だ、語ろうと考え語っても、誰も咎めることはない。そこがお前の強さであり、弱さでもある」
デルシ=デベルシュの先代皇帝の遺志に対する忠誠、ガルベージュスの帝国に対する姿勢、それらの前には金銭が通用しないことは誰にでも解ることだった。
「なるほどね。僕が弱いか強いかはどうでもイイや。じゃあ、サインしてくれよ。そしたら教えてあげるよ。先にサインしたら、君が危惧しているイレスルキュランの 《両性具有を身籠もる確率》 も一緒に教えてあげる。後回しにすると、それは教えてあげない」
イダ王はサインをした。
一種の賭けでもあったが、マルティルディは満足げにして語り出した。淀みなく語られる事実。それはマルティルディに都合の良い話ではあったが、否定することも出来なかった。
「何で両性具有を隔離するかっていうとね……」
※ ※ ※ ※ ※
無機質な作業所。大昔の溶鉱炉のような内部を通り抜け、溶解液の上に架かっている橋を進み、その先端部分でマルティルディは止まり振り返る。
「両性具有 ”が” 隔離される ”真” の理由を教えてやるよ」
「え……」
「知りたいとか知りたくないとかは関係無い。君は知って死ぬんだ。無知なまま死ぬなんて許さない。この大宮殿に住み、無知なまま死んで良いのは、あの子だけだ」
両性具有よ人類よ全知よ無知よ、かくありて、死を乗り越えて不滅となる。ここに両性具有、在り。それは何のためなのか? 答えられる者はただ一人。両性具有と……を共にした……
「マルティルディ殿下、貴方は何故それを知っているのですか? それが正しいかどうか、我には解りませんが……あ、貴方はまさか……」
語られた事が 《真実》 であるかどうか、リュバリエリュシュスには解らない。だが、語られた事が正しかったとするならば、それは 《マルティルディが両性具有を産んだ》 に他ならない。
※ ※ ※ ※ ※
「納得できたかな? 女性の妊娠のリスクに対する代償というのが、これなのさ」
イダ王は頷き、最後にイレスルキュランが両性具有を身籠もる確率と、それによって死亡する確率を聞き出し立ち去ろうとした。
「ねえ、イダ。君は産まないのかい? この世界においでよ」
背後にかけられた甘美な言葉。決してイダ王がその世界へと足を踏み入れないことを知りながら、臆病を嘲笑う声。
「遠慮しておこう。私は俗世で金勘定しているだけで良い。その世界に私の居場所などない。選ばれたモノだけが辿り着ければ良い世界だ」
「そうかい、残念だね」
「最後に一つだけ。この情報と引き替えに、平民を寵妃にするというのは、割りがあわないのではないか? どう考えても、これほどの重大情報、それも帝国の根幹部分といっても過言ではない ”最重要情報” と引き替えにする程の娘ではない」
「そうだね。じゃあ元を取るためにも、この子が産んだ皇子か皇女を皇太子にしちゃおうかな」
イダ王は振り返り、今だ座っているマルティルディを見た。
その後マルティルディは去り、イダ王は一人取り残された部屋で、大きく息を吐き出した。
「異形と一対一で会話するのは……恐ろしいものだな。さて、キーレンクレイカイムを呼んで、寵妃を用意させるか」
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