帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[20]
 イデールマイスラの館を出てから目的地を言いもせず、確かな足取りでマルティルディは歩き続ける。キーレンクレイカイムは途中に置かれていた袋を持つように指示を出されただけで、何処に向かうのかは教えてもらえなかった。
 やたらと厚い袋を担ぎ運びながら、ある程度進んだところで、キーレンクレイカイムが何処に向かうのかを尋ねると、
「神殿だよ」
 ”なんで当たり前のこと訊くんだい?” といった空気で返され、キーレンクレイカイムは黙って後に従った。神殿前の庭と呼ばれる部分に立つことが出来るのは王族と皇族(皇王族上位)のみ。その外側は警備されているが、完全無人化されている。
「それにしても良く出歩けたな。奴等、神殿情報の更新を恐れて、足止めしてるとばかり思ってた」
「見張ってるみたいだけどね。見張るしか出来ないよね。僕相手に足止めなんて出来るわけない」
 通過した事実は記録され、情報は皇帝に直接届けられる仕組みになっている。現在は皇帝が存在しないために届けられるのは、暫定皇太子のマルティルディの元。
 二人は難なく通り抜け、全く人気はないが扉の向こう側に数多くの 《自分達》 が存在する神殿を見上げる。
 マルティルディが扉に手を添える、軋む音と共に開かれる。
「待ってなよ」
「はい、畏まりました」
 キーレンクレイカイムは扉の中へと消えてゆくマルティルディを見送った後、袋を降ろしてから行儀悪く神殿前庭の床に座り、初めて大都市に出て来て、目的地へと向かうための案内を捜す人のように、上部をキョロキョロと見る。
 大宮殿の中ではもっとも簡素な作りの神殿前庭。
 彫刻もなければ絵画もなく、飾るものもなく、ただ無人の機械が見張り、掃除を行う。式典の前には作業用の人を入れ、今キーレンクレイカイムが座っている場所などにも、カーペットが敷かれるが普段は足音の響くそっけない床。
「聞かされた話じゃ、この床は溶解液のある部屋と同じ素材だって聞いたが……」
 人類史上最高額の建設費用を投じられた、豪華にして荘厳な大宮殿。細部のいたるところに、技巧の極と贅が散りばめられている。だが、それらはあくまでも真実に辿り着けないようにするための罠。大宮殿の真の姿は信じられないような科学力と、公にはできない事実を持ち、帝星と名付けられた惑星に白亜の偉容として存在している。
「マルティルディ、もう終わったのか?」
「そうだよ。簡単な事だもん」
 キーレンクレイカイムは立ち上がりマントの裾を直して、軽い礼をする。
 マルティルディが前庭から移動しようとしないので、世間話程度に話しかけた。もちろん話題は ”王族特有” のもので。
「神殿のあれは実際どうなんだ? 本当にあるのか」
「あるよ。眠ってるけれどね」
「夜だから寝てるのか? それともずっと眠ってるのか?」
「ずっとだよ、この大宮殿ができるよりずっと前から。あれが目覚めるのは、帝国が崩壊するとき。神殿に崩壊警報が鳴り響くと、あれが目覚めるのさ」
「目覚めたらどうなるんだ?」
「さあね」
 マルティルディの微笑みに、困り視線を外す。マルティルディの笑顔は作った物でも充分に蠱惑的で、吸い込まれそうになる。
「そう言えば、かなり落ち込んでるようだね、イデールマイスラ」
「まあ。サズラニックスと昨晩二人きりで会ったって聞いて、大暴れだ」
「あの狂王子と二人きりで会ったくらい、何だってんだろ」
「そうだな」
「そうだよね。さあ、おいで」
 キーレンクレイカイムは誰も居ないと思っていたのだが、神殿にはもう一人が存在していた。
「サズラニックス?」
 何時もの口が半開きで涎を垂らしているサズラニックスとは違い、口こそ開いたままだが口の端から涎が落ちることもなく、おかしな頭の動きもない。
 息を飲み、そのまま少しばかり呼吸を止めてしまったキーレンクレイカイムを、マルティルディは楽しそうに見つめる。
「大丈夫。従順だよ」
 マルティルディの手招きにゆっくりと近付いてくるサズラニックス。
 いくらマルティルディが従順だといっても、信用出来ないキーレンクレイカイムは徐々に後退る。
「どうするんだ?」
「殺すよ。彼も死ぬことを望んでいるからね。僕に勝負を挑んで、戦いたいそうだ。そうだろう? サズラニックス」
「ああ」
 キーレンクレイカイムが初めて聞いた彼の普通の声は、自分にとてもよく似ていた。
「喋れるのか?」
「ああ、マルティルディの ”瞳” が羽因子を偽装して、偶数となっているからな」
「へぇ……で、本当に戦うのか? マルティルディと。知ってるのか知らないのか解らないが、最強だぞ」
 犬歯を剥き出しにして、笑ったらしいがとても笑ったとは思えない表情に、キーレンクレイカイムは、王族らしく手を振り立ち去ることを決めた。
「私は邪魔だろうから帰るとしよう。この袋は置いていって……良いんだな。神殿扉前に置いておく」
 この二人が直接争う場にいて、生き延びられる自信はキーレンクレイカイムにはない。
「そうだね。ああ、そうだキーレンクレイカイム」
「?」
「僕が持っているのは ”男性の眼” だよ。じゃあね」
「永遠か……女なのに脊椎の中に男性な」

 部屋に戻ったキーレンクレイカイムは、テラスに出て大宮殿を見渡す。
「ブランデー。グラスを四つ……いや、五つだ。銘柄はシャイランサバルト帝が好んだもので」
「畏まりました」
 夜空に沈む巨大な建造物の中では、様々な思惑が蠢いているが、視界に映ることはない。
 トレイを幅の厚い手すり部分に乗せて、給仕を下がらせて全てのグラスに酒を注ぐ。一つを掴み口に僅かに含んで香りを楽しみ、飲んだ後に夜空に掲げた。
「この事態だから仕方ないとは言いませんし、何時もこんな感じのようですが……貴方の死を悼み忘れて申し訳ない、シャイランサバルト帝」
 誰もが皇帝の死を悼む時期だとされているのにも関わらず、ほとんどの者は悼んではいない。キーレンクレイカイム自身も、悼むという気持ちは少ない。
「死んでも哀しいとは感じないんですよね」
 置かれている一つのグラスに、自分のグラスを軽くあてて、隣のグラス口へと持ってゆく。
「私は母上が亡くなられた時も、父王が亡くなった時も特に哀しいとは思いませんでした」
 そのグラスに音を響かせて、隣のグラスにもぶつける。
「もう記憶にありませんが、死が身近だった自分は、自らの身近に死があった時、どう思って過ごしていたものか。こうして生きている今では、想像もつきません」
 夜空に幾つかの流れ星がかかり、それがグラスに注がれた液体に微かに映りこむ。
「今日これから死ぬ者も大勢いるでしょう。その中の一人に乾杯を」
 ”敗北” するであろう方を思い浮かべながら、最初の三つと同じ強さでグラスを触れさせると、衝撃を待っていたかのようにグラスが砕け散った。

「……マルティルディか」

 掌の上でグラスを回して、飲み干したあと手すりに置いて部屋へと戻った。

※ ※ ※ ※ ※


 明け切らぬ頃から神殿に、彼等、彼女等が集ったのはマルティルディが勝手に登録するのを恐れてのこと。何時もと変わらぬ、静謐な空間だけが存在する筈の前庭に、
「あれは……」
「サ……サズラニックス……なのか」
 死体が転がっているなどとは想像もしていなかった。
 連絡を受け取ったサズラニックスの親であるエヴェドリット王と、
「サズラニックスが殺されただと!」
「その様だな」
 昨晩、彼を ”逃してやった” 叔母であるデルシ=デベルシュ。王は報告に驚いたが、妹は当然ながら驚くことはない。だが王はその事に関しては、不審を感じることはなかった。
 デルシ=デベルシュが慌てることや、驚くことはまず持って無いことを、兄である王は良く知っているからだ。
「誰が殺したのだ!」
 息子が出歩いて人を殺すことに関して、王はある程度目を瞑っている。デルシ=デベルシュが多少目こぼしして、出歩かせていることも知っていた。
 彼は強く、殺害したとなると集団が相手か、 
「兄よ。誰が殺したかなど問うな」
「……」
 王である自分よりも強い妹が、絶対に敵わないとされている相手。
 大柄な妹王女に比べれば体の厚みは半分にも満たない細い体だが、秘める能力は 帝国史上 ”初” を冠している。
「我が遺体を引き取って処理しよう。葬儀も我が取り仕切る。清掃員の立入許可は後日申請でよいな」
「任せた」
 王はその後、急いで他の王達と共に ”神殿情報が更新されていないか” を確認しに向かった。
 情報が錯綜し、サズラニックスがどのような状態なのか? デルシ=デベルシュには解らなかったが、どのような状態の死体であっても、正面から受け止められる覚悟も経験もあるので、人を連れて特に気負わずに前庭へと向かった。
 前庭付近でそわそわとしていた皇王族の前で立ち止まり、
「清掃、お前達はここで待機していろ。お前達は立ち去れ。邪魔だ」
 それだけ言い、奥へと進むが血の匂いはしない。
 壁を飾る血のほぼ全ては弧を描き、直線を引いていた。その飾られた壁の下に、座るようにして息を引き取っているサズラニックス。
 胸骨が開かれ、内臓は四散し、脊椎は引き抜かれている。背筋が伸びているのは、開かれた胸骨の幾つかが折られ、それをピンの代わりにして壁に留められる為だ。
 血の匂いがしなかった理由は、内臓があった箇所から溢れ出している花びら。香りの強い大量の花びらにより、血の匂いと腐臭はほぼ隠されていた。
 うつむき加減になっているサズラニックスの顎を掴むと、首に緑の蔓が巻き付いている。
「お前の満足した表情に、この叔母も満足だよサズラニックス」
 蔓は ”朝顔” で、花は既に萎んでいた。
 サズラニックスが死ぬ前後には開いていたであろう、白い朝顔の花。

− 叔母君
− サズラニックス、どうした? 喋るとは知らなかったな
− 我は行く。あのケシュマリスタの王太子の元へ。だから放してくれ
− 我の縛めも解けぬお前が勝てるとは思えないが
− いい。我はこの背に眼を入れられた。勝てば返さずとも良いそうだ
− 負けるな
− だが行く
− 解った。あれは正面から戦ってくれるであろうよ。完全異形マルティルディ、初の完全なる太陽の破壊者。我も正面から戦ってみたい相手だ
− 感謝する。ここで縛めを解いてくれることだけではなく、今までの全てを
− 行け。そんな物は要らぬから、行け。キシャーレン公爵サズラニックス=サズラニアクス
− 死に行く我に名をくれ。カロニシア公爵デルシ=デベルシュ
− 非公式ながらくれてやろう。サズラニックス=デベルシュよ
− では行ってくる。デルシ=サズラニアクス叔母君

「さて、叔母と一緒に帰ろうか。エヴェドリット王国に」
 抱きかかえた甥から舞い落ちる血に染まった花びらを踏みながら 《デルシ=デベルシュ》 は神殿前庭を後にした。


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