帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[19]
 [皇帝に現イネス公爵]
 議場に居た十二名のうち、十一名はこの事態を阻止したいと考えていたが、阻止の方法などに関しては連携を取る事はできなかった。
 マルティルディを説得するべきか? それともイネス公爵を殺害するべきか? もしくはマルティルディを殺害し別の皇帝とケシュマリスタ王太子を立てるべきか。
 その他幾種類もの方法はあるが、どの方法をとるかなど調整を図る余裕もなく、話し合いは平行線。
 ”脅し” など利かないマルティルディ相手に、怒鳴り付けるのは得策ではないが、話が受け入れられない者達は徐々に激高してゆく。
「ねえ、君達は何を言っているんだい?」
 その激高が頂点に達する一歩手前で、マルティルディは威圧の微笑みと共に、嘲笑しながら会議を打ち切る。
「何……だと。貴様が勝手にイネス公爵を皇帝の座に添えるなどと!」
「君達はなんで僕に向かって、皇帝に関する会議なんて持ちかけてるんだい?」
「……」
「ねえ、皇帝に関しては合議制じゃないよ。王や皇帝の親族で話合って皇帝を決めるなんて、聞いた事ないね。帝国の全ては合議なんて関係ないよ。権力のある者に従う、違うのかい? 何故君達は怒っているんだい? 君達は知っているんだよ。僕の意見に従うしかないことを。自分達に僕の決定を阻止する力がないことを。だから腹を立てて、でも認められないから、こうやって無駄に時間を過ごして ”やれることはやった” と後で自分を慰めるために頑張ってるんだ。皇帝のためでも、帝国のためでもない。自分の無力と対面するのが怖いんだ」
 長い髪を指先で玩びながら、マルティルディはそう言って目を細める。
 その場に表立った味方など誰一人おらず、一人だけ中立であるガルベージュス公爵は無言を貫き通している。


 誰一人イネス公爵ダグリオライゼを皇帝にする事に同意していないが、誰一人としてマルティルディを止める事は出来ない。


 宇宙をその掌中に収めつつあるマルティルディは、
「明日にでも神殿にダグリオライゼを登録してくるよ」
 言い残して会議場を後にして部屋へと戻っていった。大宮殿のケスヴァーンターン一族の滞在する区画。
 今その区画にいるのはマルティルディと「事態が収束するまで、部屋に篭もって愛人の整理や、テールヒュベルディへの爵位譲渡用の書類でも用意しろよ」言われたイネス公爵だけ。

「見張っても無駄なのにね。僕を誰だと思っているのかな」

 勝手に登録されてはならないと、マルティルディの部屋の周囲を取り囲む有象無象を見下ろして、次に考えていた事を実行に移す。

※ ※ ※ ※ ※


 白を基調とする大宮殿は美しくもあり、冷たさをも感じさせる。
 天井に描かれている絵画を間近で見たのは初めてだと彼は思った。それ以上は考えてくはなかった。
 自分の首が切れて飛ばされている事実から目を背けようと瞼を閉じる。その瞼が再度開かれることは、当然ながら無かった。彼の頭部は床に落下して受ける衝撃と痛みから開放されたとも言える。
 マルティルディの考えを変えることは不可能と解ったが、手をこまねくつもりなど無い者達結託して ”弱い方” を襲うことを考えた。
 皇帝に選ばれたイネス公爵ダグリオライゼを処分してしまえば、マルティルディは考え直すだろうと。マルティルディの部屋を見張っている者達から、部屋から出た気配はないことを確かめながら、排除するべき相手の居る部屋へと続くホールを通り過ぎた時、最後尾を歩いていた男の首が何者かによって斬りはじき飛ばされた。
 飛び上がりそして先頭を歩く者の前に落ちて、床の上を転がる。
 イネス公爵を殺害しようと武装してきた者達は、何が起こったのかと辺りを見回すと、そこには、
「サズラニックス!」
 自分で首を落とした相手の体を脇にかかえて立っている、エヴェドリットの狂王子が何時も通りに首を奇妙なリズムで動かし、口から涎を垂らしながら彼等を見つめていた。
 呆然としている彼等に、首を失った仲間の体を放り投げて、気を取られている隙に斬りかかる。
 ダグリオライゼを殺害しに向かった者達は、軍人ではあるが抜きん出た身体能力を持った者達ではなかった。
 ダグリオライゼが弱く誰でも殺害できるということもあるが、明かに殺害に向かうような人選では、見つかった時に言い訳が出来ないと判断したためである。
 帝星周辺警備についている息子のザイオンレヴィが警備に回されていれば、もう少し強い者を送っただろうが、彼は周辺警備に付いたままの状態。”暗殺” としては妥当な判断であった。


 暗殺に向かった者達がダグリオライゼの警備担当者に、注意するべき者がいなかった。彼等が掴んだ情報では……


「サズラニックス!」
 部屋からいなくなったサズラニックスを追ってきたデルシ=デベルシュは、転がっていた頭の一つを踏みつぶしながら大声を上げる。
 声に反応したが、何時ものように動きを止めることはなく、剣を構えてデルシ=デベルシュに向かって突進してきた。
 浅い血溜まりの中でしばしの応戦の後に、デルシ=デベルシュはサズラニックスを取り押さえた。
「サズラニックスが立入を制限される場所にいることはおかしくはないが、貴様等はなぜケスヴァーンターンの支配区域にいるのだ? 何の用事だ」
「デルシ=デベルシュ……」
 デルシ=デベルシュがサズラニックスを取り押さえた時には、五体が揃っている者は一人も居なく、彼女の深紅の髪によく似た色の液体の中に、縮こまっているものばかりであった。
「イネスの殺害を企んだのか」
「貴様とて!」
 腕を失った男が血の沼から立ち上がろうとして、バランスを崩した上に足を滑らせて転がる。
「我は関わらんよ。このことは誰にも報告はせぬ、よって貴様等も上手く対処しろ。それにしても、マルティルディ相手に出し抜けると思ったのか」
 必死に逃れようとするサズラニックスを捕まえている己の腕に、もっと力を込める。
「……」
「お前達に策や行動など筒抜けであろうよ。サズラニックス、どうした?」
 肩を捩り抑え付けられている甥が、デルシ=デベルシュの手に触れながら顔を向けると、口を開いた。

「……」

 デルシ=デベルシュは縛めを放ち、自らの手で扉を開き去る甥を見送る。振り返ることなく去っていった甥と入れ違いに現れたのは、ガルベージュス公爵。
「ガルベージュス」
 彼の顔を見て喜色に染まった怪我人達は、その喜色を浮かべたまま首が飛び、最初の男のように転がり落ちる。
 ダグリオライゼを殺害しにきた者達は、何が起こったのか解らないまま完全に生命機能を破壊された。
 静けさを取り戻したその場は赤黒く染まり、大宮殿は本来の白さも、ケスヴァーンターンの緑なども何処にもなくなってしまった。
 その屍が転がるホールで、デルシ=デベルシュとガルベージュスは向かい合った。
「我になにか?」
「はい。非常に重要なことが」
「重要か。そうだ、話を聞く前に。先程、お前の所に両親から連絡がったそうだな。両親はケシュマリスタ王城アーチバーデで、そして虚飾の館 ”は” 元気にしているか?」
「わたしの両親は何時も元気ですよ。そしてお元気でいらっしゃいます」

※ ※ ※ ※ ※


皇帝にはなって欲しくない
王で、ケシュマリスタ王であって欲しい

嫉妬で死んでしまう
狂うのではなく、死んでしまう


※ ※ ※ ※ ※


 大宮殿のアルカルターヴァ区画にある館の一つにベル公爵はいた。
 ベル公爵は使用人を全員下がらせて、服も脱がずにベッドに倒れ込み、自分の黒い髪を指で摘んでは放すを繰り返し、溜息を重ねていたが、突如響いたノックにそれを飲み込む。
「会って話をしよう、イデールマイスラ」
 勝手に入り込んできたキーレンクレイカイムが声を掛けてくる。
「……」
 体は瞬時に反応して立ち上がり、ノックされた扉の方を向いたが、それ以上動くことがイデールマイスラには出来なかった。
「具合なんて悪くないだろう。昼間にサズラニックスと大喧嘩したお前がさ」
「……」
「口もきけない程に疲れてるのか?」
 聞こえてくる声に労いや心配などはなく、だが嘲笑も侮蔑もない。感情がないというわけでもなく、意志を伝えるためのみの声。繰り返されるノック音の隙間を縫い、届く声にゆっくりと歩み出し、扉に手をかけようとしたがイデールマイスラは躊躇った。
 ”会って何を話すのか” を考えると、憂鬱になる。イデールマイスラもキーレンクレイカイムの意図に気付いている。自分を激高させることを、わざと言っていることくら、気付いてはいる。その背後に妻であるマルティルディがいることも、解っていた。
 全て解っているのだが、イデールマイスラにはどうする事も出来なかった。自分が知って悩んでいることをも知っている美しい妻の姿を脳裏に描く都度、嫉妬が沸き上がってくる。

− なぜ認められないのだ! ここに存在しているのに! この子はマルティルディ殿下がお一人で孕まれた子か!

「残念だね」
 扉の向こう側にいるキーレンクレイカイムが驚きの声を上げて、体を動かした音が聞こえる。
「マルティルディ!」
 その名は聞かなくても、イデールマイスラも解っていた。
「……」
 扉に伸ばしていた手を力無くぶらさげるようにして、項垂れるしかない。
「具合悪いんだ。じゃあ黙って寝てなよ。行こう、キーレンクレイカイム」
「ま、イデールマイスラには振られたし、ありがたくお誘いに乗らせてもらおうか、マルティルディ」
 遠離ってゆく足音に立ち尽し、二人の気配が全く無くなったあと、扉に額を付けて拒否するように左右に動かす。
「まだ儂の友人でいてくれるお前の期待に応えるためにも、何よりも自分自身のためにも……」
 イデールマイスラは重たそうに首を上げて、椅子に腰掛けガルベージュス公爵の両親から届いた手紙を画面に開く。

「姉上によく似ているな。儂の双子の姉上だものなあ、似ていて当然だ……ふふ……可愛いな……なんで、あの時……あんな事……」

 画面に映し出される映像を、指先で何度も撫でながらずっとその映像を眺めていた。


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