帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[15]
− フィラメンティアングス公爵殿下! 戦闘が行われています! −
この報告を受けた時、キーレンクレイカイムは「何を言われたのか理解できない」状態に陥った。結婚後の髪型を見せにきた妹王女イレスルキュランは軍人ではないから仕方ないとしても、軍人であり国王より王国軍を預かる総帥が、
「何言ってるんだ?」
椅子から腰を浮かせる有り様。
だが誰もキーレンクレイカイムの態度に眉をひそめたりはしない。何せ戦闘など滅多に遭遇するものではなく、今回の ”イレスルキュラン王女のお嫁入り” に従った総員の中にも遭遇した者が1%もいるかどうか? といった状態。
十六代皇帝の御代に皇妃ジオ、軍妃として名高い平民出の正妃の指揮により「対抗者」はほぼ全て排除され、彼女の息子である十七代皇帝が残党を完全に制圧して以降、帝国では大規模軍事行動はほぼ行われていない。
二十五才前に艦隊を指揮し、敵を討たなければ ”その権利” を失うと言われている軍事国家の帝国だが、現在は実際の戦闘など不可能なので、死刑囚を艦に詰めてそれを撃つように命じ完遂しただけで、終生艦隊指揮の権利を得るのが普通だった。
キーレンクレイカイムもそれを経て王国軍の総帥の座に収まった。
「進軍方向の宇宙空間で、艦隊が砲撃をかわし、戦闘機も多数出撃している模様です……」
報告する方もかなり頼りなく、自分自身でも信じられないといった空気を隠せないまま ”記録にある戦闘” とよく似た状況を伝えたのだ。
「盗賊団と警察の交戦じゃなくて?」
イレスルキュランも ”戦闘” という言葉が、今ひとつはっきりと認識できない。
「まあいい。画面に映し出せ。そして、一応主砲にエネルギー充填して、念のためにバリア機能も立ち上げておけ」
”面倒だなあ” と思いつつも、キーレンクレイカイムは隣に立っている細身で、形の良い胸の妹王女を見てから ”正妃となる妹王女を無事に、期間内に帝星に連れて行く” それを最優先するべきだと、覚悟を決め総帥らしく指示を出す。
モニターに映し出されたのは皇太子紋が描かれた旗艦と、緑一色に金で ”ケシュマリスタ王” の紋様が描かれた旗艦が、誰の目にもはっきりと解った。
「皇太子艦隊とマルティルディ艦隊……何をしているのだ? 戦闘? 戦闘なのか?」
盗賊団と警察の逮捕くらいしか想像できなかったイレスルキュランは、映し出された映像に ”やっと” 驚くことが出来た。
「……」
青みを帯びている黒髪の、やや長めの前髪に垂れ目が隠れているキーレンクレイカイム。平素は無害を装っている垂れ目は、露骨なまでに欲と利害と危険を見せていた。
彼は状況から瞬時に判断を下し、自らが取るべき行動を命じた。
「全戦闘用艦、皇太子艦隊の無人艦隊へ一斉射撃の用意」
無人艦隊とはいえ ”皇太子の艦隊” に攻撃を加えろといったキーレンクレイカイムの言動に驚かない者はいなかったが、
「どうした? 聞こえなかったのか! 早く用意しろ」
キーレンクレイカイムは命令を訂正するどころか、早くしろと強く命じる。
周囲の浮き足だった空気を感じたイレスルキュランは ”ここは自分が兄に尋ねる場面だ” と直ぐに理解して、仰々しく大声を上げて話しかける。
「兄上。何故、皇太子艦隊に攻撃するのですか?」
艦隊にいるイレスルキュラン以外の全ての者は ”ロヴィニア王国軍” に属する。その軍人が、指揮官の意図を ”全く理解出来ません” と言うわけにはいかない。
「皇太子艦隊であったならば、攻撃しても平気だからだ」
だが、イレスルキュランは全く軍事には疎いので、気兼ねせずに聞くことが出来る。
「皇太子艦隊で ”あったならば” ? どういう意味ですか」
「マルティルディ艦隊は、まず本物だろう。足を引っ張ってる左翼にイデールマイスラ艦隊が見える」
キーレンクレイカイムは、布陣など知らない妹王女の為にポインターで指し示す。
「イデールマイスラは兄上よりも余程軍事に強い男では?」
「それは後で説明する。皇太子艦隊に攻撃する理由は、敵対しているのがマルティルディとイデールマイスラの艦隊、要するケスヴァーンターン公爵艦隊であるなら、皇太子艦隊は絶対に ”あいつ” が指揮している筈だ」
「ガルベージュス公爵」
イレスルキュランは自分でその名を口にして、兄の意図に気付いた。
周囲の者達も、キーレンクレイカイムの言わんとしていること、そしてこの行動の意味が大まかに理解できた。
「そうだ。ガルベージュスが指揮していたら、私が命じるこの攻撃などでは壊滅することはない。もしも攻撃して、皇太子艦隊が潰走せざるを得ない状態になった場合、それは皇太子艦隊と認めるわけにはいかない。陛下が皇太子にあのガルベージュスを与えなかったと考えた場合……解るだろう?」
そこまで聞けば、イレスルキュランも全てを理解した。”皇太子艦隊にガルベージュスはいない” ことを。
「あの相性の悪い夫婦仲最悪の、未来のケスヴァーンターン公爵夫妻軍に下手な攻撃を加えると後々問題になるが、皇太子軍ならばガルベージュスがいるから ”問題にならない” と言う訳だ。そうだな、間違って攻撃したとしても、ガルベージュスなら上手く取りはからってくれるだろう。マルティルディの場合は、これ幸いと私達を殺しにかかるな」
ロヴィニア王国軍の ”イレスルキュラン王女のお嫁入り” という平和な空気は、一転して戦闘へ参加に張り詰める。
「それで、兄上。イデールマイスラが足を引っ張ってる理由というのは?」
皇太子艦隊に攻撃する理由を周囲に聞かせる為に通らせた声とは反対に、小声で尋ねてくる妹王女に、画面から視線を外さずキーレンクレイカイムは状況からの推察を語った。
「恐らく次の皇帝はマルティルディだ。皇太子が何らかの理由で排除が決定したのだろう。四王家が陛下の御前で行う合同演習で、三王家を叩きのめし続けている用兵家マルティルディ相手に、帝国軍筆頭副司令官ガルベージュスも、帝国軍参謀長官カロニシア公爵デルシ=デベルシュも貸さないって事は、帝国軍総帥であらせられる陛下の御心もマルティルディに向いているとみて間違い無い」
帝国軍とケシュマリスタ軍の演習は、デルシ=デベルシュを参謀に置いた皇帝が指揮した場合でも引き分けが限界。
皇太子の場合、一人で指揮をすると惨敗ばかり。
唯一辛勝ながら勝利を収めることができているのが、ガルベージュス。勿論全て勝利を収めているわけではなく、統計的には五回勝負で ”二勝二敗一引き分け” といった所。
それでも皇太子一人で指揮をするよりは、勝算が確実にある。
「だろうね」
今死の床にある皇帝が息子よりもガルベージュスを好むのは、軍事国家を軍事国家として維持する能力が全宇宙で最も高いところにあり、皇太子もそれは認めていた。
「此処にいる私達には解らないが、マルティルディと共に艦隊を率いているイデールマイスラは知っている。あの男は、あれでも帝国士官学校で同期、ガルベージュスと才を競った程の軍略の名手だ」
「競ったけど、全部負けてたよね」
「それは言ってやるな、イレスルキュラン。少なくとも私や皇太子よりも上だ。あの男があそこまで無様な戦いをするということは、あの男は勝ちたくない。あの男にとって、皇太子が負けると何が起こる?」
兄王子に見つめられたイレスルキュランは ”この状況から導き出される” 答えを言うしかなかった。
「妻であるマルティルディが皇帝の座に就く」
「そうだ。そうなると、マルティルディはあの男以外にも、三人の夫を迎えることになる。士官学校時代非公式ながら唯一ガルベージュスに ”勝利した男” に対し、あの男は何と騒いでいた?」
ガルベージュスに非公式ながら勝利した男とは、マルティルディの直属の部下イネス公爵家の次男・ギュネ子爵ザイオンレヴィ。
ザイオンレヴィは、ベル公爵に ”妻の愛人だ” と騒ぎ立てられ、今でも彼にそのように言われている。
「嫉妬? まさか、そんな下らない理由で? 軍人としての実績を重ねられる場面で、こんな醜態をさらしているというのか?」
皇帝の正妃の一人となるためにやってきたイレスルキュランは、呆れ果てた。
「間違い無いだろう……用意できたか! よし……とは言う物の、私も実戦で一斉射撃を命じるの初めてなんだよなあ。あっはっはっはっはっー!」
平和な世の艦隊指揮官は、かなり余裕で適当だった。
「撃てば当たるんでしょ? 命じるだけでいいんでしょ? それに人の乗ってない艦を狙い撃つんだから、大丈夫じゃない。さあ、兄上。どーん! と、一発!」
青みを帯びた髪を乱し、右側のマントを掴み前に投げるようにして、
「撃て!」
キーレンクレイカイムはかなり美しく、華麗に攻撃を命じることが出来た。
※ ※ ※ ※ ※
「キーレンクレイカイムが撃ったのか?」
予想外の方角からの主砲斉射を浴びた皇太子艦隊は、壊滅状態になった。最早戦闘不可能となった艦隊は、次々と ”投降” を申し出る。
「あの男、事態を知らないはずなのに……」
イデールマイスラは呟き脱力しながら、司令席に体を落とすようにして座る。キーレンクレイカイムが言った通り、本来の実力ならば皇太子艦隊など容易に沈めることが出来たが ”ひっかかり” があり、イデールマイスラは本来の力が出せなかった。
ほとんどの者は、夫婦仲が悪いと言われているマルティルディとイデールマイスラなので ”非協力的なのだろう” や ”皇太子相手ということで本気になれないのだろう” と解釈していたが、真実はキーレンクレイカイムの推察が最も近い。
夫婦で別の艦に搭乗している、艦隊の総指揮官マルティルディも驚いた。
「キーレンクレイカイムね。まだ情報は届いていないだろうから、自己判断で撃ったのか。やるじゃないか。よし、皇太子の旗艦に乗り移る際に、同行しろと伝えろ」
マルティルディからの連絡を受けたキーレンクレイカイムからは ”妹王女も同行させていいか? 正妃の身の安全を確保するのが任務だから” という返信がなされただけで、事態の詳細を求めるような言葉は一切なかった。
「さすがロヴィニア……そう言えばキーレンクレイカイムとイレスルキュランは……」
《二度……だから余計に ”あれ” が愛おしかったな》
皇帝の言葉と、次に自分が放った、
《ふ〜ん。でも陛下は二個でしょ? 僕は陛下の十倍だよ》
この言葉を聞いた時にマルティルディの視界の端にはいった ”二人の実姉イダ” の表情の変化。
それらを交え脳裏に描かれる帝国の球体のような家系図にマルティルディは思う所があった。
「これは、面白いかもしれないね」
イデールマイスラの失態は、
「皇太子の旗艦乗組員全員殺害で相殺か。良いところだろうな」
それを持って補われた。
妹王女を伴って皇太子の旗艦に乗り込んだキーレンクレイカイムは、力無く銃をぶら下げているイデールマイスラを見たが、声をかけることはしなかった。
「行くよ」
マルティルディの号令に妹王女をマルティルディの直ぐ後を歩かせ、キーレンクレイカイムはその後ろをついてゆき、少し遅れてイデールマイスラが付いてきた。
「キーレンクレイカイム! 貴様!」
先行したイデールマイスラによって身柄を確保されていた、二人の生存者、皇太子と皇太子妃。そのうちの一人、皇太子妃が突然攻撃をしかけてきたキーレンクレイカイムに向かって怒鳴りつけた。
「なんだ? キュルティンメリュゼ」
「幾らマルティルディから貰った!」
キーレンクレイカイムが攻撃してきたのは、マルティルディに買収されたからだろうと判断した皇太子妃だが、答えは淡々として冷酷だった。
「知りたければ金を払え、キュルティンメリュゼ」
キーレンクレイカイムはこの事態がどうして起きたのか知らない。状況もなにもかも、全く解らないが、間違ってはいない事は確信していた。
「煩いなあ」
正気を失いつつある、叔母のキュルティンメリュゼの髪をマルティルディは鷲掴み、床に向かって投げつけた。
鈍い音と共に壁にヒビが入り、重力に従って床に落ちた彼女は、体内の穴のいたる所から血を流し始めた。
「殺すのか?」
イレスルキュランは ”ライバルになるはずだったケシュマリスタ出の皇太子妃” を見つめながら、彼女の生殺与奪権を完全に掌握している 《ケシュマリスタ王女》 に尋ねる。
「もちろんさ。皇太子はね、何時も一緒で仲の良い皇太子妃と、旅行中に不慮の事故で亡くなられて、その報告を受けた病に伏している陛下は病状を悪化させて、お亡くなりになるって 《僕が決めた》 の」
子を身籠もらせることが出来なくなっていた皇太子は、気付かれないようにするために、皇太子妃以外の女に手を伸ばさなかった。
それは保身であり、皇太子妃は ”自分が愛されていないこと” に気付いてはいたが、裏に潜むものまでは深く考えなかった。
「なるほど。確かに、何時も一緒だったもんな。皇太子殿下、残念ですよ。折角貴方のお妃になりに来たというのに。嫁の行き先かえなけりゃなあ」
イレスルキュランは特に残念そうでなければ、悲痛さもなく、簡単に ”さようなら” を告げた。
「心配する必要は無いよ、イレスルキュラン。君の嫁ぎ先は、僕が決めるから」
「最悪だ! マルティルディ、お前が決めるなんて、ロクでもない相手だろうが!」
「そうだね。でも、君は逆らえない。解るよね」
イレスルキュランは ”不服そう” な表情こそ作ったが、否定をすることはなかった。マルティルディが皇帝になってしまえば、イレスルキュランには拒否する手立てはない。
キーレンクレイカイムは ”可哀相に……” そう妹に対してそうは思ったが、それ以上に自分が可哀相な立場になることを認識して、内心で溜息をついた。
マルティルディが皇帝の座に就くとなると、王太子よりも親王大公としての立場が前面に出てくる。
そうなれば親王大公と結婚するよう現皇帝から命じられているキーレンクレイカイムは、ロヴィニア出の正配偶者とならなくてはならない。”ちょっと気位の高い親王大公” を妃に迎えるつもりだったキーレンクレイカイムだが、宇宙最高権力者の配偶者の一人にならねばならないらしい事実を前に、運命の無常さを感じつつ ”それはそれで楽しまないとな” 若干の野心を込めて苦笑いの表情を作った。
「マルティルディ!」
「何だよ? ルベルテルセス」
「艦隊戦ではなく! 一対一で貴様に勝負を!」
「勝てると思ってるの? まあ、良いや。拘束解いてやれよ、イデールマイスラ。最後くらい、希望を叶えてやるよ」
マルティルディに言われたイデールマイスラは、自分で縛した皇太子を自らの手で解く。立ち上がった皇太子に向けて、キーレンクレイカイムが床の上を滑らせるように剣を渡した。その剣を掴んだ皇太子は、鞘を捨てて構える。
「かかって来いよ、ルベルテルセス」
軍服もケシュマリスタ正装と同じく、緑と白が多様されている。縁取りが金ではなく黒が使用されており、マントの襟の高さが非常に特徴的だった。
身長を超えるマントの長さと、踝まである上衣は豪華だが、膝まであるマルティルディの黄金の髪の艶やかさの前には、無地と同じくらいにしか感じられない程に地味に見える。
不敵に腕を組み、腰に差している持ち手の細工が美しい、レイピアにすら手をかけようとはしない。
皇太子が ”突き” の構えをした時、部屋の右側にうねる風が起こり、その風を感じた時、皇太子は自らの胸から ”白いもの” が突きだしているのが見えた。
剣は手から落ち、空になった手で、体から突き出ているその白いものを掴むが動かない。
背後から皇太子を襲ったそれは、
「来るのが遅いから、僕から仕掛けたよ」
マルティルディの長い着衣の裾から ”出て” いた。
「これが部分限定異形というヤツか……背骨?」
初めて見たイレスルキュランは、その長い白い節のあるものを凝視した。
「そうだよ」
「部分異形限定異形・脊柱骨尾変異体ってやつか。本物は初めて見たぞ」
キーレンクレイカイムは自分の後ろを通り過ぎていった、白骨の尾を横目で見て体を硬直させながら ”王族軍人” として習った特異体の、本物を凝視する。
その間にも刺された皇太子は上へと持ち上げられてゆく。
「良いこと教えてあげようか、ルベルテルセス。僕はさ、今君を貫いているこの尾を最大に伸ばすと、この旗艦を縦に引き裂く事ができるんだよ」
白い骨の尾は ”ずるずる” とマルティルディの着衣の中から這いだし続けて、床どころか空間をも埋め尽くさんばかり。
蠢く白骨の尾の下に消えた皇太子妃と、それを見ていて恐怖を感じて倒れそうになったイレスルキュランの肩を抱き、キーレンクレイカイムは自分に引き寄せた。
自分に引き寄せたところで何ができるわけでもないが、キーレンクレイカイム自身、足下どころか太股の辺りまで這い回る白骨の尾に恐怖を感じて、一人で立っていることが出来なかった。
「ねえ? 勝てると思ったの? ルベルテルセス、この僕に。 ”完全なる太陽の破壊者” である僕に。”悠久なる地球の継承者” であるべき僕に」
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