帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[14]
「余に謁見して事態が全て、お前に良いように解決すると考えたのか? ルベルテルセス」
 ”公平を期す” ために、中立の立場に最も近い、ガルベージュス公爵が事態を皇帝に伝えると、病身であり死が眼前に迫っているとは思えない声で、玉座に就いている時と同じように息子ではなく ”皇太子” に話しかけた。
「は、母上!」
「母としてはお前にその様な 《変異》 が起こるように産んでしまったことは申し訳なく思い、これ程の重大事を隠すだけで、何の対応策も採らずに二十年近く放置しているという、無能に育て上げてしまったことは詫びるが、皇帝としては皇太子に失望したとしか言えんな」
 最後の直系皇帝となることが”確定”したシャイランサバルトの意識は鮮明で、精神は皇帝のままであった。
「三十四歳にもなった皇太子が、五十五歳の皇帝に助けを求めるとな? 相手はお前の娘といってもおかしくはない、十九歳になったばかりの王太子ぞ」
 必死に皇帝に縋ろうとする皇太子にいたマルティルディは立ち上がり、無許可でベッドの傍へと近寄る。
「時間はないんでしょ? 陛下」
「相変わらず容赦なく美しいな。その傲慢さも横暴さも全て美しさに変わる……皇太子に関しては、余が至らなかったとは言わん」
「それは僕も同意しますよ。三十過ぎた皇太子の教育云々なんて誰の責任でもないさ。ただ資質がなかっただけ。ま、陛下は資質があると僕は思うから、実父の方に問題あったんじゃないの? で、さ。僕は武力で皇太子を攻めるよ。攻め滅ぼすよ。それで良いだろ?」
 マルティルディの言葉に床に膝をついていた皇太子が立ち上がるが、ガルベージュス公爵に肩を抑えられる。
「放せ! ガルベージュス!」
「殿下が近付こうが近付くまいが、陛下のご決断は変わりません」
「マルティルディよ」
「何?」
「マルティルディ、余は皇帝なり。マルティルディ、そなたは 《ジオ》 を守るものなり」
 《ジオ》が何を指し示すのか解らない王族・皇族はいなかったが ”守るものなり” の件でほとんどの者が皇帝の真意は分からなかった。
 解ったのは、皇太子を抑えているガルベージュス公爵と、言われた当人であるマルティルディのみ。
「陛下はご存じで。まさか陛下まで……とは思いませんでしたよ」
「二度……だから余計に ”あれ” が愛おしかったな」
 マルティルディの影に隠れ、皇帝の視線は誰にも見えなかったが、視線を隠しているマルティルディは、皇帝が自分の薄い体越しに ”皇太子” を見ている事は理解した。
 同じくベッドの傍に立ち、全員を見下ろしている形になっているデルシ=デベルシュも。
「ふ〜ん。でも陛下は二個でしょ? 僕は陛下の十倍だよ」
「ああ……あまり足を運ぶ事はなかったが、とある両性具有はジオが好きでなあ」
 余は興味はないのだがと言いつつ、デルシ=デベルシュの方に視線を移す。
「……陛下、頭が確りしているのに死ぬってのは、辛いもんですね」
 到達地点は死だが、それに向かう苦痛の種類は個体の特質によるところが大きい 《人造人間》 皇帝の苦痛がどれ程のものなのか? 皇帝以外は知ることはできない。
「これはこれで良いものだ。さて、無駄話ばかりしていても駄目だな。マルティルディ、そなたに全てを任せよう。好きにするが良い。デルシ=デベルシュとガルベージュスは余の傍に残れ。ルベルテルセス、後は自らの力量で乗り越えろ」
「ですが! 陛下」
「血を分けた子ではあるが、帝国を維持する能力がなければ切り捨てる。たかが王太子相手に何もできぬ皇太子では先が思いやられる。他の王達に自らの能力を見せ、服従させるためにも、己一人で対処しろ。さて、余は寝る。余の眠りを守れ、デルシ=デベルシュ、ガルベージュス」
 皇太子は自分を抑え付けていた肩から手が離れるのを感じて、その手首に手を伸ばした。皇太子は ”軍人” だが、己の能力で ”正面から仕掛けてきた” マルティルディに勝てる自信はない。
 皇帝が呼び寄せた、二十歳を越えたばかりのガルベージュス公爵、帝国随一の用兵家にして将帥と言われる彼の力がどうしても必要。
 だが手は空振りに終わり、彼は既に皇帝の前に移動して膝をついていた。
「御意」
 ガルベージュス公爵と入れ替わるように、マルティルディが皇帝の傍を離れ、
「じゃあね」
 部屋を出て行く。
 王達はマルティルディに声をかける事はなく、そして皇太子に声をかけることもない。
 一人恐れ戦いている 《対戦相手の叔母》 にあたる妃の腕を引き、乱暴に立ち去るしかなかった。
 当事者である ”二人” が立ち去った後、傍観者であり審判者である王達が御前から下がる。
 ガルベージュスが使えない皇太子は、マルティルディとそれに従った夫であるイデールマイスラの両指揮官の前に勝ち目がないのは、誰の目にも明らかだった。

 ケシュマリスタ王太子、アディヅレインディン公爵マルティルディ。
 銀河帝国暫定皇太子、フィライア親王大公マルティルディ。
 ”一国の王の座” と ”唯一無二の皇帝の座” の両方に最も近く、どちらかを選べる立場にあり、帝国の頂点に座しつつある十九歳の王女。
 王達は誰もが二十三代皇帝はフィライア帝であると考えて 《婿》 となるべき王子の選別を行いながら、戦場を眺めていた。

※ ※ ※ ※ ※



− カムイ!
【カムイじゃない! カイムだ! キーレンクレイカイム!】
− カムイのお嫁さんがいいなあ
【お前は友達だろ? あのな……】

「フィラメンティアングス公爵殿下」
「……あ、ああ? なんだ?」
「ワインをお持ち致しました」
 部下に声を掛けられたフィラメンティアングス公爵キーレンクレイカイムは ”目覚めたような気分” になった。彼は眠っていたわけではない。
 部下の後ろにいる従卒が、軍人らしい姿勢で自分が持ってこいと命じたワインを載せたトレイを持って立っている。
 ワインを注がせながら、軍艦の艦橋にはつきものの ”前方宇宙空間を映し出す大画面と、それを囲う枠のように存在する、あらゆる部分を映し出している五十の小さな画面” を眺めた。
「白昼夢か……まあ良いか」
 先端に癖のある青みを帯びた黒髪を手でかきあげて足を組み、着心地が良くないのであまり好きではない軍服に視線を落とす。
 彼は今艦隊を率いている。彼が艦隊を率いている理由は、皇太子の正妃となる事が生まれた時から決定している妹王女イレスルキュランの警備とそれに伴う生活用品の輸送の全権責任者であるからだ。
 ”皇帝陛下のお見舞い” なる名目で帝星入りし、皇太子と同衾する事がきまっている妹王女を、姉のロヴィニア王イダに引き渡さなくてはならなかった。
 今の彼しか知らない者は容易には信じられないが、この男幼少期は体が弱く、王城の北の城館なる場所で外界とは隔離されて育てられた。
 ある程度の年齢に達すると、虚弱な体質から脱皮し、体を鍛える意味でロヴィニア王国の軍人になるように今は亡き父王に命じられた。
 身体的には ”並” だが、他人の弱点などを見破る能力に優れて、他人を容赦なく攻撃できる性格は、王国士官学校でのシミュレーションでは高い点数を叩きだし、生来の特性である実務能力の高さもあり、王国軍を姉王の代理で管理するのには文句のない総帥であった。
 家督を継ぐわけではなく、上に二人の実兄がいるので他王家に婿に行くわけでもなく、王国の総帥としてはまさに適役。
 上に二人の実兄が存在するが、彼にも名家の妃の ”あて” はある。ただ ”あて” はあるが、その ”あて” が現実にならないでいた。
 彼を気に入っている現皇帝シャイランサバルトから以前より 【余の孫親王大公をくれてやる】 その様に言われ、正式な契約となっているが、孫親王大公は生まれる気配がないのが原因であった。
 それまでの ”繋ぎ” として、また政略的な理由から妃を娶らされてはいるが、親王大公皇女が誕生した場合、直ぐに彼は離婚して結婚するように全てが整えられていた。
 軍事国家の帝国の親王大公を妃に持つ、国軍総帥。絵に描いたような、隙のない王子の人生とも言える。
 絵に描いたような状態が続いているのが、非常に残念なことではあるが。
「兄上!」
 そんな彼がワイングラスに手を伸ばすと同時に、入り口の扉が開いた音がして、軽い足音が舞い込んで来た。手をかけたまま、声のした方に振り返ると、アーモンド型の瞳と、ロヴィニア白銀髪が特徴的な妹が現れた。
「ほぉ、美しいではないか」
 ワインから手を離し ”素面” で妹を褒める。ロヴィニアの男たるもの、相手が誰であれ女相手であれば、とにかく褒める。
 キーレンクレイカイムが特に褒めているのは ”髪型”
「イレスルキュランもついに髪を結う年になったか」
 皇族(皇王族)王族、上級貴族の女性は結婚すると長い髪を結い上げるのが決まりで、妹王女は色々と試し結いをし、納得できたものを兄に見せにきたのだ。
「私に全てを任せると良い。元気な親王大公を、かぽん! かぽん! 産んで、一人を兄上に贈るから」
 目の前にいる十七歳になった妹王女が肩を鳴らしつつ ”かぽん! かぽん! 産む” と叫ぶのも、
「期待してるぞ」
 ロヴィニアでは割と有り触れた光景。
「期待していいぞ、兄上。帝星入りしてルベルテルセスと顔合わせの後の同衾で、しっかりと孕めるように排卵コントロールしてきた、もちろん体調も万全。一発必中確実だ」
 妹王女の隙無さに王家の発展を感じながら、二十歳以上年下のまだ見ぬ親王大公に思いを馳せてみたが、どう考えても赤子しか思い浮かばないので直ぐに考えることを止めた。
 兄と妹が王国の未来に関し、最も重要な話を笑いながらしている時に、それは始まる。

 正確には、すでに始まっていた。
 
「フィラメンティアングス公爵殿下! 戦闘が行われています!」


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