帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[11]
 サウダライトが十三個目の真珠を飲んだ所で、
「飽きた」
 マルティルディは腹を殴るのも飽きたと、その場にいた全員に背を向けて海を望む。沈む夕日にその色を変えた海を望むマルティルディの後ろ姿は美しく、サウダライトは黒い真珠を喉に詰まらせた。

 美しい後ろ姿を見なくとも喉に詰まらせていたのだが。

「ダグリオライゼ」
「ごべぇえ……ごぇ……は、はい、マルティルディ殿下」
 キーレンクレイカイムが背後から抱き込み、鳩尾の辺りを押し上げる方法をとってくれた事で、無事に吐き出したサウダライトはすぐに返事をする。
「僕、お腹空いた」
 サウダライトは嫌な予感はしたが、彼に拒否する権利はない。
「何を用意すればよろし……」

「あんこう」

 何処までも続く黄昏の空と、深い海とマルティルディ、で 《あんこう》
「は、はい……どのような ”あんこう” 料理をお望みで……」
「調理方法は鍋。でさあ、君が自ら獲れ。深海に潜ってその手でつかみ取って僕に献上しろよ。それ以外は認めない。僕はお腹が空いたから、早く獲れよ」
 そう言ってマルティルディは再び海に飛び込む。
 振り返るサウダライトに、王女二人と王子一人は 《王族らしい手の振り方》 で ”行ってこい” と無言で圧力をかける。
 陸で圧力、海で水圧。どこにいても圧せられている男・サウダライト。彼はそれにもめげずに海に飛び込む。
「見事な下僕人生じゃな」
「あれで良いだろうけどなあ」
 二人が沈んだ海を見つめながら正妃二人は頷き、重大事項を話はじめた。
「ところで、ルグリラド」
「何じゃ? イレスルキュラン」
「あのなあ。お前か私 ”第一子” を産んだ方が ”帝后” になる筈だったの覚えているか」
「そう言えばそうじゃったな」
 二人の后殿下のうち、第一子を産んだ方が ”帝后” 産まなかった方が ”皇妃” の座につく事が決まっていたのだが、
「私としては、もぎもぎに帝后をくれてやるのは構わんが、お前はどうする?」
 第一子を身籠もったのは、正妃王女ではなく平民寵妃。
「テルロバールノル王女としては、もぎもぎに帝后の座を易々と譲ってやることは出来ぬが、儂としてはくれてやっても構わぬ。別にあの変態傍系皇帝の帝后など、切望するものでもなし。だが王女としてはそうも言っては居られぬし、儂は王女であるからして易々とは譲らぬ」
 ”睫のおきちゃきちゃま!” 言いながら手を振るグラディウスを思い浮かべながら、ルグリラドは目を瞑る。
 父であるテルロバールノル王ほどではないが、ルグリラドもテルロバールノル王女。
 矜持を何よりも重要視し、地位を重んじる一族の王女代表でもあるルグリラドは、簡単に帝后の地位をくれてやるわけにはいかない。ある程度の抵抗を見せる事も必要だった。

 ”睫のおきちゃきちゃま! あてしのこと、今度からグレスって呼んでね! エリュシ様がね! エリュシ様がね!”

「お前らしいな、ルグリラド。では私が先に ”帝妃” の座を取る。帝后と皇妃で争ってくれ」
 ロヴィニアにとっては、皇帝の後継者を作ることが重要であり、地位など些細なこと。
 簡単に割り切ることの出来ない一族に属するルグリラドは、夕日に背を向けて
「……そうか……よし! 儂はあんこう鍋の道具を調達しに戻る」
 拷問を続行するために歩き出した。
「手伝おう」
 背後をキーレンクレイカイムが追う。
 イレスルキュランは一人、夕日に染まる海原……ではなく、モニターに映っている、深海で七転八倒しているサウダライトを見つめながら笑うことにした。
「馬鹿な男だ」
 その傍にいる絶対的な 《異形》 のマルティルディを見て思う事があった。それは ”人造人間の定義と消失” について。
 四王家と皇室は人間と人造の部分の割合は、各々の王家により違うと 《されている》
 テルロバールノル王家が最も人間部分が多く ”人間4:人造6”。
 最も多いと言っても、半分以上は ”人造人間” である。
 次いでイレスルキュランの属するロヴィニア王家が ”人間3:人造7”。シュスター皇家は ”人間2:人造8” で、エヴェドリット王家は ”人間1:人造9”。ケシュマリスタ王家は ”人間0:人造10” とされている。
 これらは 《開祖とそれから五代目まで》 の比率で、現在は随分と変わってきているが、誰も訂正しようとはしない。
 王族として生まれたイレスルキュランも生まれた時からこれらについて教えられる。特に重要なのは 《核》
 人間とは全く違い、これが破壊されると死亡してしまう 《核》
 だがこの 《核》 も様々な違いがあり、一括りにはできない。今、深海を漂い必死にあんこうを追いかけているサウダライトと、それを見て楽しんでいるマルティルディは両者とも 《脊椎》 に 《核》 が存在する、。
 脊椎に複数の核が存在するのは ”ケスヴァーンターン” そのもの。
 そしてこの脊椎の核こそが、帝国の謎に絡んでくる。

『……となります。何かご質問は?』
 幼い頃、これらの特徴を教えてくれた一族の教師に、イレスルキュランは尋ねた。
『その溶解液はどのように作られているのだ?』
 王族の血に連なる者ではあったが、その教師は答えることはできず、今は亡き父親であるロヴィニア王も答えることは出来なかった。

 《溶解液の作り方を知っているのは、ケシュマリスタのみ。あいつらが作り、補充している》

 溶解液は元々、脊椎核を溶かす為に使用されたもの。何故 ”それ” が必要だったのか? 成長し、人造の極みであるマルティルディの力を直接見た時、イレスルキュランは理解した。
 普通の物質では 《あれ》 は破壊しきれないことを。
 そして他王家は知らない ”何か” が存在することも。
 正妃となり姉王と ”これから” について話し合って居た時、不意に現れたマルティルディが二人に放った言葉。

− 両性具有「を」隔離するって、可笑しいと思わないかい? −

 開祖の両性具有そのままの容姿を持つマルティルディ。その笑みが意味するものは?

「何が……あっ! 兄上とルグリラドを二人きりにしちゃ駄目だったんだ!」
 イレスルキュランは大急ぎで鍋の用意を始めている筈のルグリラドの元へと向かった。サウダライトは、今だあんこうを捕れてはいない。

※ ※ ※ ※ ※


 妹であるイレスルキュランが 《駄目》 と叫んだ理由は簡単で、
「持って来たぞ。何処に置けばいいんだ?」
「そこに。儂は使用説明書を読むから、貴様は好きにしていろキーレンクレイカイム」
「ああ、好きにさせて貰う」
 キーレンクレイカイムは一度夜這いすると決めたら、何が何でも夜這いをするという ”信念” の持ち主。
 その男が唯一完遂出来なかった相手こそ、ルグリラド。
 皇帝の正妃となったルグリラドに夜這えば、死刑はほぼ確実だが 《夜這いで死刑になるのなら本望!》 という考えなので、虎視眈々と狙っている。
 ちなみにルグリラドを夜這い相手に決めたのは、同じ王族で腕力なども似たり寄ったり、そしてルグリラドの方が若干立場が強い(元々皇帝の正妃が確定していた)なので。
 キーレンクレイカイムは自分よりも立場が弱く、力で劣り、権力のない相手には夜這いをしないことに決めている。そこまで決めておくのなら、最初から夜這いなどしなければ良いような気もするのだが、そこは 《男のロマン》 だと言い切っている。
 そんな彼にとって、今まさに千載一遇のチャンスが訪れた。
 行為に移行しやすいように着衣を乱し、真剣に拷問道具の取扱説明書を読み込むルグリラドの背後に回り、長く艶やかで瑞々しい黒髪を指に絡めて、もう片方の手で肩を掴もうとした時、
「何をしているのだ? キーレンクレイカイム」
「うあ! デルシ=デベルシュ!」
 いつの間にか戻って来たデルシ=デベルシュに声をかけられて、弾かれたようにその場を離れた。
 乱れた着衣のキーレンクレイカイムを見下ろしながら、
「見なかったことにしておいてやろう」
 年長者の余裕で通り過ぎる。
「ありがとうございます」
「それで、アレはなんだ?」
 兄王を嬲ってバラバラにして、復元して戻って来たら部屋にサウダライトは居なく、大きなボウルのような物が置かれていたので気になった。
「あれはルグリラドの実家に伝わる、五右衛門 ”鍋” という物らしい。正しい使い方は今確認中」
 自分の解る範囲の説明をしながら、何事も無かったかのように着衣を整える。
「兄上! おっ! デルシ、戻っていたのか。そしてルグリラド……何もなかったようだな」
 遅れて戻って来たイレスルキュランが、その大きな胸を撫で下ろす。
 必死に読んでいるルグリラドから少し離れた場所に座り、茶を持ってこさせ、自分が居ない間に ”イネスの小僧” がどんな目に遭ったのかをロヴィニアの兄妹から聞き、闇に染まり始めた空を見上げた。
「よおし! 出汁じゃ! 出汁!」
 同時に使用方法を理解したらしいルグリラドが立ち上がり、控えの間に突進してゆき召使い達に大量のブイヨンを持って来るように命じた。
「何事だ? ルグリラド」
「この半円形の物体を油で満たし、そこに後ろ手に縛った男を置いて出汁を完成させるのじゃ! その出汁で具材を煮込み食べる、それが地球時代から伝わる拷問、五右衛門鍋!」

(伝承途中でかなり間違ったものと思われます・神殿)

「後ろ手に縛った男って、サウダライトの事か? 変態に感染したらどうするんだよ」
 野菜の下準備まで命じているルグリラドに 《親父出汁あんこう鍋》 は食わない方が良いと注意するキーレンクレイカイムと、
「潔癖症のお前は、サウダライト出汁の料理なんて食えないだろう? ルグリラド」
 イレスルキュランに無理を指摘される。
「ぐっ! ……た、確かに食えぬが、食えぬが……」
 顔を真っ赤にし ”悔しさ” を表すルグリラドに、
「どうしても鍋にしたいのであれば、するがよい。我が全て食い尽くしてやろう。”出汁ごと” 食い尽くしてやっても良いぞ」
 同族食いの一族に属するデルシ=デベルシュが、からかう様に声をかける。
「だ、出汁は取るが……んー。儂としては第一子もできたのじゃから、傍系皇帝がどうなろうとも知らんが、知らぬが……」

 おっさん! おっさん! べちょ! ……おっさん! 見て見て!

「もぎもぎが悲しむと思えば、貴様に食って良いとは言えぬ」
 脳裏を過ぎる ”どすどす” としたグラディウスの笑顔に、悔しさに苦悩も混じり顔色が悪くなって行く。
「それでは、出汁を取っている姿を見ながら別の鍋でもしようではないか」

 五右衛門 ”鍋” に入ることは決定事項となったサウダライト。

 そんな会話が行われている頃、海中ではサウダライトがやっと60kg程のあんこうを捕らえた。
「よくやったね! じゃあ行くよ!」
 再びマルティルディと共に急浮上を ”食らい” 今度は意志を失った。サウダライトの腕から逃れかけたあんこうを、マルティルディが 《異形の一部》 で突き刺し、海面に躍り出る。
 闇夜に染まり始めた海に、黄金の光にも似た髪が舞い、串刺しあんこうと、内臓が再度縮んで弾けた中年皇帝がそれを彩る。

 彩りになったかどうかは不明であるが。



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