帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[06]
「ぼきっ! と言ったぞ、ぼきっ! と。大丈夫か?」
 親子の縁を一方的に切った息子ザイオンレヴィは、瑠璃の館の惨状に青ざめた。
 館は修復する必要があり、ザナデウはジュラスが急いで治療器に入れてくれたお陰で九死に一生を得たものの、まだ完全回復にはほど遠い状態。
 火傷の治療を終えたジュラスとザイオンレヴィは会い、直後に平手打ち。
「貴方なんか! 貴方なんか! グレスがぁ!」
「少しは力加減しないか。君の手首折れただろうがロメ……ジュラス」
 ジュラスも結構な力がある。
 だがザイオンレヴィはその力をまともに受け止めても平気な体を持っている。顔や全体の雰囲気は繊細で弱そうで儚げだが、中身は頑丈なので、力と力がぶつかり合った時、強い方が勝つ。
 即ちザイオンレヴィは無傷で、ジュラスは手首の骨折。
「煩い! 貴方がマルティルディ殿下に正しい年齢を知らせなかったからこんな事になったのよぉ! 殿下も ”十三歳って知ってたら、止めてたよ” 言われたのよ」
 ジュラスは両手首を奇妙に ”ぷらぷら” させながら、ザイオンレヴィを怒鳴り付ける。怒鳴られている方は、
”マルティルディ殿下のそのお言葉に関しては……本当かどうかは解らないけど、否定するわけにもいかないし、正確な年齢を報告しなかったのは、確かに僕の落ち度だ”
 無言のまま責めを受けながら、無言のまま次の暴力はかわすべきだろうと考えていた。ジュラスがザイオンレヴィを蹴ったら、足が壊れてしまう。
 怒鳴り続けるジュラスと、黙っているザイオンレヴィの傍で、内臓の修復を助ける液体(パインキャロット味)を飲みながら、力無く椅子の背もたれに体を預けていたザナデウ。
 ”明日の朝まで責められてたら、まあ……収まるんじゃないか” そんな事を考えながら、同じ 《十五歳と勘違いしていた者同士》 として脇でジュラスの怒りをザイオンレヴィと一緒に黙って聞いて過ごそうとしていたザナデウだったが、
「おいっ! 二人とも痴話喧嘩止めろ!」
 その決意を捨てて声を上げて立ち上がる。
「痴話喧嘩じゃない!」
「なわけ無いでしょう!」
 二人の非難など気にせずに、窓の外を指さす。
「帝国軍総司令長官がお出でになったぞ!」
 ザナデウの言葉に二人は大窓に近寄り、窓に手をあてて顔を近づけて視線を向ける。
 瑠璃の館の正面通路は、白と金と銀、そして黒で彩られた帝国軍将校の正装を身につけた者達がずらりと道の両脇に並び、その中心を一人の男が大股に、そして風をも味方に付けたかのような優雅さで歩き 《こちら》 へと向かってきた。
「ガルベージュス!」
 現皇帝の御代において ”帝国軍人” の代名詞ともなっているガルベージュス公爵。私人としてはザイオンレヴィを 《”きょうてき” と書いて ”とも”》 と読み、ジュラスを 《愛しき姫君》 と叫んで憚らず、ザナデウは視界に入らない男。
 そんな男だが公人としては直系の途絶えたシュスター朝の皇王族会議において 《皇帝》 に推そうと誰かが話題に上げて、かなり具体的なところまで話が進んだほどの人物である。
「皇帝の第一子、未来の皇太子候補。帝国軍を代理で預かっていると自認し公言している男だ。正式な後継者候補を身籠もっている相手に挨拶をしに来てもおかしくはない」
 だが彼は皇帝の座に就くことを拒否し、自らはあくまでも一軍人であるという姿勢を崩さなかった。
 彼を皇帝の座に就けようとした皇王族が、ジュラスを皇后に迎える事ができるぞと囁いたものの、自称 《愛に生き愛に死ぬ帝国軍人》 他人から見てもそうとしか思えない男は、与えられる事を拒み、これが逆の決定打となった。
 三人は急いで玄関へと向かい 《公人》 として訪れた、帝国軍総司令長官と顔を合わせる。四人が顔を合わせると同時に緊張を孕んだ空気が流れ、その緊張感を保ったままガルベージュスは、
「ザイオンレヴィ、エディルキュレセ、帝后殿下は何処に?」
 警備担当者に命じるように尋ねた。
「ガルベージュス……まだ帝后と決まった訳では」
 あまりにもはっきりとグラディウスを 《帝后殿下》 と言い切ったガルベージュスに、ザイオンレヴィは ”ガルベージュスらしい” そう思いつつ言い返す。
「アディヅレインディン公爵殿下のお心だ」
 帝国軍の総司令長官にして、マルティルディに唯一意見する男に迷いはない。
 この場にいる三人は、マルティルディから報告を受けた際に明確な意志表示を 《ガルベージュスが求めた》 ことを感じ取った。
 同時にマルティルディもこの男の意見を求めていたのだろうと、ザイオンレヴィは感じた。
 ガルベージュスはマルティルディの夫であるベル公爵と知己であり、容姿が瓜二つである。容姿に手を加えた結果、同じ姿形で生まれてくる者が多い皇族・王族。
 その中でガルベージュスとベル公爵イデールマイスラは 《初代皇帝》 の姿に近かった。瞳の色が左右逆である以外は、同じといっても過言ではない。
 だが、この二人は容易に見分けがつく。
 もちろん、テルロバールノル王子でありケシュマリスタ王太子婿の着衣と帝国軍総司令長官の着衣は違うが、それでなくとも二人の見分けは誰にでもつく。
 内面が全く違うのだ。
 同じ軍人であり、同じ容姿でありながら、違うのだ。

− この男がマルティルディ殿下の夫であったなら…… −

 ザイオンレヴィは、マルティルディを唯一幸せに出来たであろう男を正面から見つめる。
 硬直した時間を動かしたのはグラディウスの警備責任者でる、ザナデウ。
「帝后には、一時的に避難していただいた。避難場所は長官閣下の管理下の巴旦杏の塔前の家に。小間使いのリニアと、ルサ男爵……ではなくリグライザル伯爵を付けて」
 それを聞き、
「了解した」
 マントを翻し、再び風が優雅さを倍増させている男は館を立ち去り、扉は開かれたまま将校が二名、剣を抜いて室内に向かって立っている。
「禁足か」
 立っている二人の顔を見て、ザイオンレヴィとザナデウは首を振る。
「すぐに解除されるだろう。部屋に戻るか」
 その後ジュラスは手首の治療を終えて、二人の居る部屋へと戻ると、虚脱状態で椅子に崩れて座っていた。
「治ったか」
 部屋へ戻ってきたジュラスにザナデウが声をかけて、
「ええ」
 ジュラスも椅子に腰掛けて、窓の外を眺める。
「何か動きはあった?」
「まだ無い」
 周囲を取り囲んだ将校に動きはなく、室内は再び虚脱状態に陥る。
 しばらくの無言のあと、
「……仕事しているときは、割と普通だよな」
 ザイオンレヴィは口を開いた。
「いや、滞在時間が短かったから普通に見えただけだろ」
 ザナデウが言い返し、
「あの男に慣れすぎてるのよ、私達」
 ジュラスもザナデウに同意した。

 主語がないのは、せめてもの 《何か》 であった。《何か》 が 《何》 であるのか、三人には解らなかったが

※ ※ ※ ※ ※


「付いてくるか? 驢馬よ。私の愛馬そのものの瞳を持つ驢馬よ」

※ ※ ※ ※ ※


 グラディウスはリュバリエリュシュスに自分とリニアの妊娠を告げ、
「おめでとう! グレス」
「ありがと、エリュシ様!」
「そして、おめでとうと言っても良いかしら? リニア」
「ありがたき幸せ」
 祝福の言葉を貰い、もはやこれ以上は望むものはない程に幸せだった。
 そんな幸せなグラディウスの警備についているルサは、微かな足音を聞き取り、グラディウスから見えない場所へと向かい、銃を抜き敵を探す。
 これらの事に慣れていないルサは、
「何者だ?」
 その影に向かい声を荒げ、声を向けられた方は冷静に言い返す。
「賊は名乗りはせぬだろう」
 その言葉を聞き終えた時、ルサは銃身を握られていることに気付いた。銃攻撃の重要部分であるエネルギー基盤を抜き、飛び退いて空いている方の手を柄にかけようとした。
「っ!」
 だがそこには剣はなく、
「なかなか良い動きだ」
 いつの間にか上空に放り投げられていた剣が大地に突き刺さる。
「ガルベージュス公爵閣下!」
「私は敵ではない。私は陛下に忠実であり、軍人としての責務を全うせねばならぬ」
 ルサは膝をついて頭を下げ、ガルベージュスの言葉を聞く。
 そして遂にグレスは ”それ” と対面する。
「誰?」
「これはこれは、ザウデード侯爵殿下」
 ザウデード侯爵はグラディウスの爵位だが、当人は何時も通り何を言われているのか全く理解できない。
「? 誰? あてしはグラディウス・オベラ! グレスって呼んでね! お兄さんのお名前は?」


「お初にお目にかかります。わたくし帝国軍総司令長官プランセデウカ・ガルベージュス……」

 ガルベージュス公爵が暑苦しいと言われる第一段階を、グラディウスも ”体感” する。


「わたくし帝国軍総司令長官プランセデウカ・ガルベージュス・ロウディルヴェルンダイム=ロディルヴィレンダイス・サーフィルディレイオンザイラヴォディルシュルトスバイアムル=サールデルラインザルムシュロルセルハイロミュロデアムルス・アディリアキュランドムベルハインザクレシュラインドルエリア=エイリディアキュランドルハイザンクレアエリアドムスベルドア・ベルレーヌ・ドイルディルウス・ダーシュベルディオンズ・フォウメルオルデキキッシュレス・オウゼンバランドルゲーヌ・シダヌス・フォルベルドル・シャダイウレムド・サーベランド・ベルゲセムロディ・アシュランドム・セテビア・オルデンザイ・アデルメージェ・サイボオルデオ・エディバイナム・シャイドルゼンガ・キューリハイ・オデルガイドナムス・セボリアンゲーゼ・アドラハイム・サイブローデンガにございます。お見知りおきいただけると光栄です」


 彼、ガルベージュス公爵は名前がやたらと長いのだ。
ロウディルヴェルンダイム=ロディルヴィレンダイス・サーフィルディレイオンザイラヴォディルシュルトスバイアムル=サールデルラインザルムシュロルセルハイロミュロデアムルス・アディリアキュランドムベルハインザクレシュラインドルエリア=エイリディアキュランドルハイザンクレアエリアドムスベルドア
 以上が名前。リスカートーフォン王家と双璧公爵家双方の血を全て引いていることを、容赦なく表す名である。

 彼は自らの名を名乗るときは必ずこのフルネームを名乗る上に、正式名である所持惑星名まで、その全てを惜しみなく名乗る。
ドイルディルウス・ダーシュベルディオンズ・フォウメルオルデキキッシュレス・オウゼンバランドルゲーヌ・シダヌス・フォルベルドル・シャダイウレムド・サーベランド・ベルゲセムロディ・アシュランドム・セテビア・オルデンザイ・アデルメージェ・サイボオルデオ・エディバイナム・シャイドルゼンガ・キューリハイ・オデルガイドナムス・セボリアンゲーゼ・アドラハイム・サイブローデンガ
 二十一惑星。これ全てと、それを有する宇宙空間を持ってガルベージュス領と言う。

 彼の会話は随所にこれが混じるのだ。
 先代皇帝はこの ”くどい” 男を、実の息子であった皇太子よりも気に入っており、当の皇太子も嫌ってはいなかった。
 前者の二人はもう存在せず、現在最大権力を所持しているマルティルディが ”鬱陶しい” と言おうが止めようとしないので、理論的にも現実的にも軍略的にも気象学にも止めるのは不可能。
 銀河帝国軍の総武力を持って、彼は自らの正式名称を語り続ける。

「ごめん、あてし全然覚えられなかった。お名前だよね?」

 殆どの人は一回聞いただけ、一度見ただけでは覚える事が出来ない。
 悪いことに彼の薫陶が行き届いているせいで、帝国軍の将校は皆 《尊敬し敬愛するガルベージュス公爵閣下》 に倣い、長い名前とその所持惑星を名乗りまくる。
「名前はロウディルヴェルンダイム=ロディルヴィレンダイス・サーフィルディレイオンザイラヴォディルシュルトスバイアムル=サールデルラインザルムシュロルセルハイロミュロデアムルス・アディリアキュランドムベルハインザクレシュラインドルエリア=エイリディアキュランドルハイザンクレアエリアドムスベルドアでございます」
「全然覚えられないや」

 覚えられなくて普通だが、自分が馬鹿で覚えられないのだとグラディウスは勘違いしてしまった。

「わたくしの名を覚えようとする必要はございません」
「覚えたいなあ! でも覚えられるかなあ? あてし馬鹿だから」
「覚えてくださるという意志だけでも幸せでございます。プランセデウカ・ガルベージュス・ロウディルヴェルンダイム=ロディルヴィレンダイス・サーフィルディレイオンザイラヴォディルシュルトスバイアムル=サールデルラインザルムシュロルセルハイロミュロデアムルス・アディリアキュランドムベルハインザクレシュラインドルエリア=エイリディアキュランドルハイザンクレアエリアドムスベルドア・ベルレーヌ・ドイルディルウス・ダーシュベルディオンズ・フォウメルオルデキキッシュレス・オウゼンバランドルゲーヌ・シダヌス・フォルベルドル・シャダイウレムド・サーベランド・ベルゲセムロディ・アシュランドム・セテビア・オルデンザイ・アデルメージェ・サイボオルデオ・エディバイナム・シャイドルゼンガ・キューリハイ・オデルガイドナムス・セボリアンゲーゼ・アドラハイム・サイブローデンガ。ザウデード侯爵殿下のお心遣いに、胸を震わせ感動しきりにございます」
「お兄さん凄いね! あてしだったら、自分の名前覚えられないや! すごい! すごい!」
「ザウデード侯爵殿下のお褒めにあずかる事が出来るとは。わたくしは、この名で二十三年生きておりますので、いつの間にか覚えてしまいました」

 彼は一歳でこの名を正確に連呼していた。
 目覚めの発声に、両親への挨拶に、朝食の合図に、そして出かける前の声かけに、生活の全てにおいて、彼はこれである。
 これは全て両親の教育の賜物。彼にこの教育を施した両親は元気に健在で、帝国軍に属している。
 要するに息子の部下だ。

 その時の周囲の状況は、
「……」
 リニアは呆然としていた。
 下級貴族にこれほど名の長い人はいない。もし存在したとしても、此処まで名乗ることはないだろうし、慣れたとしても高頻度で ”噛む” だろうと。
 だが帝国軍上級士官学校を ”軍妃の再来” と言われる程の優秀な成績で卒業した男は、自らの名を噛んだことは一度もない。
「……」
 ルサは彼の名は知っていたが、彼がこれほどまでにくどい……ではなく、暑苦しい男だとは知らなかったので、やはり呆然としていた。
「……」
 リュバリエリュシュスは以前、塔の前に家を建てに来た時、ザイオンレヴィとザナデウと会話していた彼を見ていたので 《今回は》 驚かなかった。
 もちろん、初めて見た時は驚いた。だが共に作業をしていたザナデウとザイオンレヴィが普通に接していたので 《塔の外では普通なのだ》 と勘違いしていた。

 勘違いしているほうが幸せなのは、言うまでもない。

「あのさ、ロ……ロウ……」
 だがグラディウスだけは、初めてだがあまり怯んでいない。
 グラディウスにしてみれば、ガルベージュス公爵の名前もサウダライトの本名(ダグリオライゼ・バルティヒュー・サルビアルオンス)も長さ的な違いはあまり感じていなかった。

 グラディウスとしてはどちらも長すぎて、覚えられない。その一点しか理解できていないので。

「ロウディルヴェルンダイム=ロディルヴィレンダイス・サーフィルディレイオンザイラヴォディルシュルトスバイアムル=サールデルラインザルムシュロルセルハイロミュロデアムルス・アディリアキュランドムベルハインザクレシュラインドルエリア=エイリディアキュランドルハイザンクレアエリアドムスベルドアにございます、ザウデード侯爵殿下」

【ここで皆様にお知らせです】
 彼、ガルベージュス公爵はこの先ずっとフルネームをグラディウスに語り続けますが、物語としては邪魔なので、彼が正式名称(全名前+全惑星名)を言っている際は 《エリア》 と略し、全名前だけを言っている場合は 《ローデ》 とさせていただきます。何卒ご了承ください。
 ついでに 《皇帝眼》 というのは[右:蒼][左:緑]のことを指します。
 正配置とも言われ、瞳は色が濃い程良いとされます。色には等級25段階あり、+は等級2〜13、−は14〜25のいずれかに分類される。
 これは 《人造人間の瞳だけ》 に行われる分類です。人間の瞳はこれに入りません。
【お知らせおわり】

 仲良く会話をして、ガルベージュスは、
「それではまた」
 グレスに礼をして立ち去った。
「うん! ガルジュースさん! またね! ガルジュースさん!」
 ちょっと間違っているのだが、グラディウスとしてはかなり 《正式名称に近い》 名前で彼を呼ぶ事ができるようになっていた。
 両手で ”ばいばい” をするグラディウスに 《ガルジュースさん!》 は何度も立ち止まり振り返って、グラディウスと同じように両手を振って ”ばいばい” を返し去っていった。
「楽しいお兄さんだったね! リニア小母さん!」
「そ、そうねえ……」

 驢馬は黙って草を食んでいる。



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