帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[04]
 現リグライザル伯爵、元ルサ男爵は、床に崩れ落ちたケーリッヒリラ子爵を前に呆然としていた。
「あの……本当にご存じなかったのですか?」
「ご存じもなにも……」
 グラディウス・オベラが妊娠した。
 その喜ばしい報告を伝えた時のケーリッヒリラ子爵とエンディラン侯爵の対比、そしてそれから端を欲した大宮殿恐慌。

 何時もと同じと思われる出来事から始まった。

 グラディウスは 《エリュシ様の傍のおうち》 からサウダライトと共に戻って来て、その後皇帝は仕事へと向かった。
 グラディウスはにこにこしながら一緒に仕事をし休憩のに入った時、突然尋ねてきた。
「リニア小母さん。あのさ、妊娠ってどうやったら解るの? あてしも妊娠したらすぐに解る?」
 リニアは前の夫との間に子供がおり、一度妊娠出産を経験しているので、体調の変化に敏感だった。
 ルサとの行為のあと、ふとそれを感じて検査機を使うと異常な数値が出た。
 驚いたリニアにルサは 《市販の検査機では》 と、自分達の血統用の検査機を取り寄せて、妊娠の判定を行い判明した。
 グラディウスに聞かれたリニアは、
「そうね、グラディウスも覚えておいた方がいいわね」
 当然のことを考えて、部屋から検査機を持って来て使い方を説明。
 聞いているグラディウスの瞳が 《うずうず》 している事に気付いて、
「試しに使ってみるといいわ」
 グラディウスが試してみると妊娠が判明した。
 満面の笑みのグラディウスに、昨晩 《おっさんと仲良くした?》 と聞くと、
「うん!」
 答えたので、二人は納得してザナデウとジュラスに報告しにゆくことに。
「ジュラス! あてし、赤ん坊できた!」
 その瞬間のジュラスの硬直した表情。
 隣に立っていた ”おじ様” ことザナデウは苦笑いしながら、
「おめでとう。ちょっと早すぎる気もするが、仕方ないか」
 グラディウスの妊娠に祝福を述べた。
「お、おめでとう、グレス」
 震えて強張った声でとても祝福しているとは思えない声で、グラディウスに話しかけるジュラス。
 今にも倒れそうな彼女をザナデウは怪訝な表情で見た。
「どしたの? ジュラス? 具合悪いの」
「あ、ちょっと、ね。ヴェール被らないで日光の下に」
「大丈夫! ジュラス」
 グラディウスが心配して近付き、一生懸命両腕を伸ばしてジュラスの頬に触れようとする。
「だ、大丈夫よ。あのね、グレス。これからリニアと一緒に荷物をまとめて、エリュシ様の前のお家に行ってくれるかしら? あっ! 驢馬に乗っちゃ駄目よ? 連れて言っても良いけど、妊娠したら乗っちゃ駄目だからね。エリュシ様にも教えないとね。そして、本当におめでとう」
 ジュラスは必死に自分を奮い立たせ、そしてグラディウスを危険から遠ざける。
「解った!」
「リニア、グラディウスと一緒に数日滞在の準備を。準備が終わってもこの部屋へは近付かないで。ルサが戻るまで待ってなさい」
 危険とは、自分が大荒れすること。
「……はい」

 何事かと思ったリニアだが、余計なことは口にせず部屋を後にした。

 確認の意を含めてザナデウは指を折りながら、
「マルティルディ殿下と陛下にご報告と、その検査機を再度検査に回して……どうしたんだよ? ジュラス」
 しなくてはならない事を声に出す。
「ルサ! どういう事よ!」
 その脇で ”怒り狂った女性” その物になったジュラスが、ルサの肩を掴んで揺する。
「え……あ……はあ?」
 ルサは感情の起伏がないのと同時に、感情と対峙したことがない。最近は一生懸命さ、笑いや悲しみに対して触れることが増えて、ルサの感情が芽生えはじめたが ”怒り” はこれが初めてだった。
「落ちつけよ! ジュラス。何が言いたいのか、さっぱり解らないぞ」
 美しい顔が怒りに満ちた、だがルサはそれを理解することが出来ない。警備上、ルサと接する機会の多いザナデウは、困惑しているだろうとジュラスの腕を掴み開放するように力をこめる。
「グレスとサウダライトが何時性行為を!」
「……は? あの……私が存じているのは愛妾の頃から。リニアが聞いたところによると、下働き時代から……何か?」
 ルサは全く話が見えてこない。
 尋ねたジュラス本人は再び硬直し、腕から力が失われた。その隙にルサの肩を開放して、やりザナデウは苦笑したまま、
「手の早いお人だ」
 通信を繋いだ。

「あと一ヶ月待てば、十六歳だってのに」

「はあ? 閣下、ケーリッヒリラ子爵閣下。それは誰のことですか」
 ルサはザナデウの 《あと一ヶ月で十六歳》 という言葉に、言いしれぬ恐怖を感じた。もちろん ”恐怖” であると理解するのは何年も後の事だが、とにかく ”この当時” 何も無いルサですら感じるものがあった。
「ルリエ・オベラ殿の事だが? 誕生日違ったか? それとも間違って換算してたか」
「確かに寵妃殿はあと一ヶ月で誕生日ですが……迎える誕生日は十四歳です。今は十三歳……」
 ルサに施された教育は皇族や王族だけに関する物であり、それ以上のことを彼は知らない。皇族や王族は特殊措置で十二歳前後での婚姻もある。
 だから深く考えなかった。
 リニアは気にして尋ねてきたこともあったが、皇族関係の法律や ”十二歳からの婚姻” 事例を見せて納得させてしまっていた。
 ルサに悪意はない。むしろ、彼は自らに施された教育に忠実であった。
「十三歳? 今? 十三歳なのか!」
 ザナデウはルサに詰め寄り、無言の肯定である ”頷き” を観た後、いつの間にか床にへたり込んでいたジュラスに視線を移動させてしまい 《危険な視線》 に対峙することになった。
「ちょっと、ザナデウ! あんた、なんで十五歳なんて勘違いしてるのよ!」
「勘違いじゃない! ザイオンレヴィから渡された書類に!」
 ザナデウは報告よりも先に、ザイオンレヴィから回された書類に目を通す。
「ほらっ! この通り、ザイオンレヴィの署名も陛下の印も、なによりマルティルディ殿下の署名がある!」
「嘘よ! 違うわよ!」
 ジュラスは大声で否定して、自分が持っている 《下働き時代のグラディウスの書類写し》 を差し出す。
「どう見たって、今十三歳でしょうが!」
「……だ、だが……こっちが間違いじゃないの……か?」
「そんな訳ないでしょ! 通過書類が十三歳で、本人も十三歳って言ってるのに、なんで十五歳に固執するのよっ!」
「ザイオンレヴィが言ったんだぞ! それに、マルティルディ殿下の許可も!」
「ザイオンレヴィは何処でそんな間違……」
 ザイオンレヴィ、彼がグラディウスの年齢を聞く相手。
 それは父親の愛人をイネス公爵邸から叩き出した過去を持つ妹のクライネルロテアではなく、それらを理解して 《話題にするなよ》 と言える人物。
「……よし、落ちつけ。まず落ちつけ。ジュラス、いいか落ちつけ。館の医務室には年齢測定器も、妊娠測定器も全てある。必要なのは検体だ。我とジュラス、そしてルサ立ち会いのもと、ルリエ・オベラ殿から検体を提供してもらおう」
 三人はまだ荷物をまとめる途中だったグラディウスに、毛根から髪を抜かせてもらい、採血した。
「ルサ、反重力ソーサーは動かせるな。それに荷物を運び込め。搬入が終わったら、我等に声をかけろ」
 ザナデウとジュラスの二人は 《グラディウスの検体》 を検査機にかけた。

「ほらっ! 十三歳……なんか十二歳っぽいけど、十五歳じゃないでしょ!」
 二人の手持ちの情報だけでは誤差があるため正確に判断は下せなかったが、十五歳よりも下であることは、ザナデウもはっきりと解った。
「そうだな、十三歳な。だが、妊娠は事実だな。血中成分から判断して父親は間違い無くサウダライト帝だから、まずはマルティルディ殿下にご報告をし、そこからだ」
 マルティルディが 《堕ろせ》 と命じたらそれで終わりだ。そんな事は無いだろうとザナデウも思うのだが、勝手な判断は自身と一族を確実に滅ぼす。
「あの」
「ルサか」
「用意が整いました」
 ザナデウはルサに軍用反重力移動機の鍵を渡し、
「体調不良云々はリニアが気付くだろうから、お前は何時も通りに寵妃殿に接するように」
 平常心を保つように命じた。
「畏まりました」
 ルサは指示を出してやらないと動けない。以前のように何にも反応しないのならば良いのだが、最近は感情が出て来るようになったので余計に細かく指示を出す必要がある。
 礼をして退室する後ろ姿に、
「待て、ルサ!」
 ”体裁として” 必要だろうと呼び止めて、
「はい」
「銃と剣だ。あの一帯はガルベージュスが管理しているから万が一もないだろうが、平民の腹に皇太子候補はどれほど注意しても足りん。我も片付いたらすぐに向かうから、それまで任せたぞ」
 ザナデウ自ら使い方を教えた武器をルサに手渡す。普通なら投げて 《受け取れ!》 等言って渡す所だが、ルサの性質からすると、投げられたらそのまま黙って見ているだけで、床に落ちるのは確実。それを ”拾え” と命じるくらいなら、最初から手渡した方が良い。
「はい」
 受け取ったルサは、頷き ”皇王族伯爵の着衣には必ず付属している” 銃のホルダーにそれを差し込もうと必死に努力していた、
「ルサ、それは銃を収納する場所だ」
 剣を。
「申し訳ございません」
 無事に帯剣し、銃をホルダーに装着してルサは立ち去った。
「で、ジュラス。マルティルディ殿下は何処に?」
「……巴旦杏の塔から戻られる途中だとガルベージュスが」

 巴旦杏の塔から戻るマルティルディと、向かうグラディウス達一行は別のルートを通ったので鉢合わせすることはなかった。

 もしも鉢合わせをしてたら、サウダライトはこれから身に降りかかる大惨事から逃れられたかもしれない。
 あくまでも可能性の域ではあるが。



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