帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[02]
 人類は少し進歩し、ある一定の場所において肥満を嫌った。肥満どころか、すこしのふくよかさまで否定する。
 女性に対し、太ったと聞くのは失礼とされた。
 それを知っていたから尋ねなかったわけではない。少しふっくらとしたマルティルディ殿下。気付いてはいたのだ。結婚して五年近くが過ぎて、妊娠しないわけがない。

※ ※ ※ ※ ※

 ベル公爵イデールマイスラ殿下は、テルロバールノル王族らしく気位が高く、王太子の婿としての責務を果たそうとする。
 それがかみ合わない。
 ”二人の体の相性は悪かったらしい” そんな噂話をしている召使いがいた。一人や二人ではない。
 もっともそんな噂をしていた召使い達は、気が付くと消えていた。マルティルディ殿下が殺害を命じたのであろう。
 何故僕に殺害を命じなかったのか、不思議でたまらない。
 僕は忠実なる下僕だというのに。
 マルティルディ殿下とイデールマイスラ殿下の御子は、多くの者が期待していた。
 イデールマイスラ殿下は期待を重圧と感じ、少しでも軽減したいとマルティルディ殿下に執拗なまでの性行為を求めたという。
 対するマルティルディ殿下は、異常に嫌った。
 ある日、まだイネス公爵だった父が執務机に肘を置き、額を乗せて困り果てていた。呼び出された僕は、何事ですかと尋ねると、イデールマイスラ殿下がベッドの上でマルティルディ殿下に重傷を負わされたと。
 イデールマイスラ殿下はかなり強い。
 だがマルティルディ殿下は……現帝国で最も強い。あのガルベージュスでも敵わない。
「という訳で、お前警備についてもらいたい」
「寝所の……ですよね。ですが、正直……どちらの意見を尊重したら良いのですか?」
 父は再び眉間に皺を寄せてうめき声をあげた。

 イデールマイスラ殿下は真面目な人で愛妾の一人もいないし、何処かに 《心の安らぎ》 のような女性が居る訳でもない。
 もちろん男性にも興味が無く……生まれた時から 《ケシュマリスタ王太子マルティルディの婿になる》 と育てられ、役割としてひたすらマルティルディ殿下を求める。

 マルティルディ殿下は拒否してはいけないのだ。

「イデールマイスラ殿下に協力して、マルティルディ殿下を抑えつけろ……と命じたとして、出来るか? お前」
 父はあれでも、かなり文官としては有能で、外交能力も高い。
「僕が抑えつけられるとも思えませんが、マルティルディ殿下の許可があるのでしたら、やりましょう。ですが本気で抑え込みたいのでしたら、ガルベージュスの協力も必要かと」
「ガルベージュス……なあ」
 マルティルディ殿下の横暴と、プライドを何よりも重んじるテルロバールノル王家の折り合いを付けさせる解決策を 《両者に納得させた》

 結局僕一人で、マルティルディ殿下を抑えることに決まった。抑え付けるのは僕一人だが、監視する者がついた。僕がマルティルディ殿下に性行為を……の警戒らしいが、触れるはずもないのに。
 僕はあの御方に触れる気持ちになれない。
 全裸の二人と一緒にベッドに入り、マルティルディ殿下の上半身を押さえつける。
 僕はマルティルディ殿下を抑えるのに精一杯で、終わった時はほっとした。やっと開放されると、転がるようにベッドから降りた。
 ベッドの上から憎悪の視線を感じ、仰ぎ見る。
 見下ろしていたのはイデールマイスラ殿下。

 あの日以来、僕はイデールマイスラ殿下に 《マルティルディ殿下の愛人》 と言われるようになった。
 それは噂になり、噂している者達が処分されることもなく、結果としてテルロバールノル王が折れた。
 ”マルティルディ殿下に対して、不名誉な根拠のない噂を立てた息子” に対する叱責。
 それで相殺して欲しいとの事だった。あの王家はやはり栄誉や矜持に拘る。
 ベッドでマルティルディ殿下を抑えつけたのはあれ一度きり。父に聞けば、あれを最後に二人は所を床を共にしていないという。
「何故?」
「色々なあ……まあ……ねえ」
 マルティルディ殿下が懐妊なされれば、盛大な祝いが開かれる筈だ。

 後継者であれば

 両性具有は母胎の 《核》 に絡みつく。胎内で確認された瞬間、最早堕ろすことはできない。両性具有を堕胎することは、母体の死に直結する。

 だから両性具有は生まれてくるのだ。殺されるために、閉じ込められるために。

―― なんだよ。久しぶりに見た僕の美しさに、声を失っているのかザイオンレヴィ
―― は、はい。相変わらずお美しく
―― ふん! 君に言われても嬉しくなんてないね!

 本当にお綺麗になられたと思ったのだが。
 ずっと綺麗なのだ。何時までも綺麗だ。
 顔を合わせる都度、美しくなる。ならば美の出発点である最初に出会った時はそれ程美しくなかったのか? そんなことはない。

 慣れないのだ。
 その美しさは慣れを許してくれない。
 見る度に心をかき乱し、視線を外すことを許してくれない。

―― 君はどうする?
―― 何がですか?
―― 僕が君に ”僕を連れて逃げてくれ” と言ったらどうする?
―― 想像できません
―― 想像力を働かせろよ
―― マルティルディ殿下が逃げると言うこと自体、想像がつきません
―― 想像つかないのかい? 本当に?
―― はい


―― じゃあ、今日僕と逃げるよ。さあ、僕の手を引いて、何処かへ連れて行くんだ ――


 僕は手を引いてマルティルディ殿下をギュネ子爵領内の無人惑星へと連れて行った。荒涼とした大地が広がるだけの惑星に。
 その大地にマルティルディ殿下はドームを作れと言われた。資材を補給してきて、命じられた通りにドームを作り、二人で夜空を眺める。
 命じられるがままに血液を差し出した。体の半分以上の血液を寄越せと言われたので差し出した。半分では足りないと言われ、お好きなようにと言って意識が途絶える。
 目覚めるとそこは邸で、何があったのかどころか、マルティルディ殿下と何処へ行っていたのかすら誰も尋ねてはこなかった。
 何時しか 《マルティルディ殿下の愛人》 なる噂は消えた。
 今では言っているのは、イデールマイスラ殿下だけ。

 あのドームはどうなったのだろうか? あの無人惑星はマルティルディ殿下の元へと返されてしまったので、僕はその後を知らない。

※ ※ ※ ※ ※

「……朝か」
 カーテンを開かせて日の光を眺める。
 ゆっくりと食事を取りながら、昨晩の父の様子とマルティルディ殿下のご様子の報告を受ける。
 父は寵妃と瑠璃の館ではなく ”別宅” で過ごしたと。何時もの事だ。
 マルティルディ殿下は、
「大宮殿のケシュマリスタ棟は大騒ぎだったようです」
 久しぶりに再会した ”夫” イデールマイスラ殿下とまた喧嘩になったそうだ。ガルベージュスが部隊を率いて調停する騒ぎになったとのこと。
「だろうな」
 それも何時もの事だ。
 目覚めた時に世界が激変するような事は、まず無いだろう。宇宙は平和だ。
 全てが平和では無かろうが、治安維持以外の目的で軍隊が派遣されることはない。その治安維持も、強盗などに対する威圧であって、それ以外のものではない。

 世界は麻痺して息苦しくなるほどに平和だ。この身を自らの爪でかきむしりたくなる程に、緩慢な空気が支配している。

 僕は何をするわけでもなく、黙って部屋で過ごしていた。
 何かをする気にはなれなかった。
「閣下。帝国軍総司令長官の名で、全将校への通達が」
 正午近くに執事が通信機を持って現れた。
 何事だろうか? 思いながら画面を開くと 《寵妃懐妊》 の文字。
 父が通う寵妃はただ一人。

《ほぇほぇでぃ様! お山に雪を取りに行く準備できたよ! あてし、頑張るよ! あてし! 雪大好き! 寒いけど大好き!》
《馬鹿が、寒くない格好していくんだよ》

 あの子供しかいない。
 白髪お下げで、褐色の肌をし、藍色の大きな瞳を持つ平民の少女。
 面倒が起こるなとは感じた。あと二三年くらい待てなかったのか? 父よ。とも思った。
 そもそも 《第一子》 を産んだ者が 《帝后》 となることは決まっていたではないか。王女を差し置いて、寵妃が帝后の座につくなんて……

 ”白鳥さん! あてしのこと、グレスって呼んでね! エリュシ様が、エリュシ様が!”
 ”グレス……ですね”
 ”うん! あてしのことグレス”

 マルティルディ殿下がお気に召しているから……努力するか。
 それにしてもあと一ヶ月で 《十六歳》 になるのだから、そこまで耐えて欲しかったものだ。やれやれ……イデールマイスラ殿下のいる大宮殿に向かうのは気が重いが、そんなこと言っていられないだろう。
 大宮殿に上がる準備をしていると、
「閣下!」
「どうした?」
 執事が血相を変えて部屋へと飛び込んで来た。聞かなくても解ることだが……
「マルティルディ王太子殿下から火急の知らせが」

 当然だろうな。僕は支度を調えて、大宮殿に上がり真っ直ぐマルティルディ殿下の元へと向かった。

 大宮殿は静まり返っていた。無理もない、皇太子候補が平民母を持つなど初めてだ。平民の産んだ子が皇帝になった例はただ一件、十七代ヴィオーヴ帝だけ。
 それも第一子で皇后の産んだ皇太子が死に 《繰り上がった》 形になった第二子だった。もちろん、ヴィオーヴ帝を排する動きはあったが、ヴィオーヴ帝自身が相当な実力者だったから無事に継承することが出来たのだが。
 ……寵妃の子に対する教育は重要だな。
「失礼します」
 そんな事を考えながら、マルティルディ殿下のいる部屋の扉を開かせて、膝をついて頭を下げる。
「ザイオンレヴィ」
「はい」
「跪け」
 もう跪いている形なのだが、こういう場合はこのままの体勢でマルティルディ殿下の鞭や足の届く範囲まで近寄れという事だ。
「御意」
 深緑色がベースで、豪華な刺繍が施された絨毯を膝を折り頭を下げた状態で進み、マルティルディ殿下の爪先前に鼻先を。
 ほっそりとした足をより一層細く見せる靴を前に、僕は蹴られることを覚悟しながらマルティルディ殿下を見つめる。
「僕さあ、ロメラーララーラから凄いこと聞いちゃったんだけど。教えてあげようか」
 細い鞭が頬に触れる。
「はい」
「あの子さ、あのグレスって子さあ、十三歳だって」

「はあ?」



|| BACK || NEXT || INDEX ||
Copyright © Iori Rikudou All rights reserved.