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 テーブルの上には先ほど届けられた鉢植えの白と赤の夕顔は、綺麗なその花を咲かせている。
 黄昏草とも言われるこの花が皇后の名で届けられた以上、インバルトボルグは考えを返ることはない。そしてジルニオンが決闘を形だけで済ませる事はない。
 私は届けられた鉢に咲く花を見ながら髪の毛を纏めなおそうとした……ら、窓の外に人影が。
「ジルニオン」
「よぉ! エバカイン」
 夜に五階の窓から侵入してくる人間などジルニオン以外には知らない。五階の窓からジルニオンが侵入してきたのは私の人生においても初めてだが。
「インバルトに求婚したんだって」
「インバルト? まさかこの国の皇后の事か?」
「そうだ。インバルトと一緒にダンドローバー公の想い人に会いに行って来た。その際“ジルニオンが呼び辛かったら、ジオでもいいぞ”って言ったら“でしたら私の事はインバルトと呼んでください”って言われたんでな」
「そうか……。確かにインバルトボルグに求婚はした。命令だっただろう」
 それよりもそんな所に行くなら一言報告してくれ。
 この国にはお前に勝てる相手はいないだろうが、遠隔護衛くらいさせてくれ。言った所で無駄ではあるが『やれやれ』と思いながら、髪を纏めようとしたら腕をつかまれる。
 この腕の掴み方、力の込め方……厄介だが、髪を結うことを諦めて向き直る。
「それにしても派手にふられたな、こりゃ」
 テーブルの上の夕顔の鉢を煙管で指す。
「当初の目的は達成できるのだから、構いはしない」
 秋桜を持っていって夕顔で返されたら、我々の仕来りでは終わり。
「征服した時点で目的は達成されているってのに、何でわざわざ求婚しに行った?」
 左腕をつかまれ、ギリギリと回される。
 当初は確かに処刑する予定であったが……私は甘い。どんな弱者であっても殺す事はできるのだが、相手の顔が見えると僅かに躊躇う。
 殺してしまうことには変わりないのだが、躊躇いは生まれる。そうだな、あの冷酷な小皇帝と同じで、ほんの少しだけ隙が出来る。
「痛覚があるのだが。元々求婚しろと言ったのはお前だろ」
 肘下半ばの義手と腕の設置面。半機械ではあるが半生体型でもあるそれは、痛覚がある。
「これ外すの相変らず大変だな。承認コード打ち込むのも面倒だしな」
「コード打ち込むのは面倒ではない」
 腕が引き抜かれた……腕が引き抜かれた痛みが当然襲ってくる。かなりの痛みだ……
「調整に回さなければならないだろうが」
「お姫様にふられたの慰めてやろうか?」
 私と共に在っても幸せにはならない、それを解っていて求婚する不実な男が正面から観るには辛いほどに……苦しい程に美しい姫だった。
 習慣に従って傍まで近寄り求婚したのだが、あの瞳は真直ぐにラディスラーオを見ていたよ。この国を占領してラディスラーオとインバルトボルグの関係を調査したが、不仲だとしか出てこなかったのだが……
「……そうだな」
 解からないものだ。
 あの娘は心の底からラディスラーオを信頼している、あの信頼が何の上に築かれたかは解からないが。他人から観れば私とジルニオンの関係も不可解だろうから、あの小皇帝夫妻の八年間の関係も他者には解からないものなのであろう。
「珍しいなぁ、エバカインが女にふられてショックを受けるなんてぁ」
 言いながら持っていた私の腕を握りつぶす。……分離していても一定の距離ならば痛覚反応があるから、非常に困る。骨が砕ける痛みが背筋を走って仕方ない。
「女に求婚を断れたのは初めてだ。前は婚約者が逃げただけで、求婚はしていない」
「そうだったな。来い、エバ」

*


 もう説得のしようが無い……去ったラディスラーオの後姿を見送った後
「カミラ」
「はい」
「逃げる気は無いか?」
「ありません」
 姫様のこの表情を見れば、説得は無理だってのは誰でも解かる。
「……そうか。アイツなあ、人に後ろ指さされるのが嫌いなんだ、それは解かってやってくれ」
「はい」
「この場合な、後ろ指さされるのは『皇后陛下をお守りできなかった』って言われる事で、それが嫌なんだよ」
「……ですが、逃げようとは思いません。私は陛下に好かれているとは思いませぬが……陛下に何よりも誰よりも嫌われようと私は逃げません。この国の幕引きをするのは私です」
 姫様、あんたは見事だ。
 惚れ惚れする程に。俺なんかが説得したって、考えが変わるはずもない。
「そうか。説得するって約束だから、ゆっくりと時間をかけるって事で宮殿に居座っていいか? 外じゃあ今は仕事もロクないないから。リタとキサも連れてきたから、小間使い代わりに使ってくれ」
「はい。……メセア、聞きたい事があるのです?」
「何ですか?」
「陛下は何故あれ程までにご自分を低く見られるのですか? 私からしてみれば、この国を統治し安定させている陛下の事を、惜しまぬ者がいないとはとても思えません」
「そうだな……なんでだろうな……」
 俺達はこの姫様に一生語る事はない。
 あいつが、ラディスラーオが全く皇族の血を引いていない男だという事を。伯爵の庶子でもなんでもない、唯の女の連れ子だという事を。あの男は最後まで拘った、自分が伯爵の庶子という事実に。
 父である筈の伯爵と母であるライザを殺した理由は。あの二人……伯爵の方は知らないが、とにかくあの二人は征服者が来た時に生きていれば、間違いなく敵に告げる。『ラディスラーオは伯爵家の子ではない』
 それで逃れようとするだろう、自分達は無関係だ勝手に僭主を名乗った関係ない男と見捨てて。その時に必ず皇后の耳にはいってしまうだろう。
 ラディスラーオが親を殺した理由”皇后に出生を知られたくはない”……ただそれだけだ。
 そんな理由で殺された事を哀れむべきか、子を簡単に売るだろうと信じられている事を悲しんでやるべきか、だがそれが事実だ。
 あんたは笑うんじゃないだろうか? あの極上の笑い声で。『そんな事、気にしませんよ』とか言ってくれるに違いない。みんなそれで良いと感じるが、一人だけ唯一人だけ、それが許せない男がいる。ラディスラーオ本人。
 居ない者として扱われ、その虐待と屈折した感情で皇帝の座まで獲った男が捨てなかった、顧みたくも無い生家。
 皇位を得て尚捨てなかった『伯爵の庶子』の名。あんたに解からないとは言わない、でもな……多分理解できないと思う。
 全てを殺して手に入れたあんたの前に立った時、アイツは『伯爵の庶子』の座を捨てられなくなった。
 由緒正しい生まれ、最後の王族である皇后。その夫が売春で生まれた父親もわからない子ですとは名乗れなかった……その気持ち解かるだろうか? 解からないよなあ、だから言えない。カハヌの場合、両親が解らなければまだ救われたんだろうが。
 誰もがその生まれではないと感じている、誰よりも本人が知っている。それでもあいつは『伯爵の庶子』という戸籍に縋った。
「メセアも悲しいでしょう?」
 ああ、悲しいな。ライザが少しでもカハヌを愛してくれていたならと。
 あんな女にガキの頃から淡い期待を持っていた俺の愚かさも、悲しいな。
「まあ、その……悲しいですね」
 せめて本当に伯爵家の庶子であれば、あいつはこれ程まで頑なな態度にはならなかったんだと思う、アグスティンが言うにはロクでもない親だと言っていたが、それでも伯爵の血を引いていれば、まだ良かった。
 インバルト様、あんたは本当に皇后陛下だ。今のやり取りを観ていても、そう感じるよ。
 そしてラディスラーオが言った通り、皇后を処刑させて生き延びれば……あいつは間違いなく殺されるよ、民衆に。ただな、アイツは殺されても良いんだよ。本人もそう思ってるけれど、罪状が気に食わない……我儘で仕方なくて悪いな。
 「売国奴」で殺されるのはゴメンなんだとさ。
 殺されるのは構わないが「売国」即ち「皇后を売った罪」で糾弾されたくないって。
 アイツは「国民」は売れても「皇后」だけは売れない……だから戦う。それが何なのかアイツは理解していない。
「そうですわよね。私とメセア、アスグティンそしてグラショウも悲しみますわよね。クラニスークやラニエも悲しむでしょうに」
 俺は目を閉じる。
 誰もそれを伝えないだろう、クラニスークもラニエも既にこの世には居ない事を。ラディスラーオが処刑してしまったことを。俺達はこの人に伝える事はない。

 俺は何度か説得を試みたが、皇后陛下の意思を変える事はできなかった。
 当然と言えば、当然だろうな。
 最後の最後まであの人は、この国の誰一人をも見捨てなかった。それはこの国に住む全ての者の誇りになり、栄誉となり……そして、糾弾される事なく終わってしまった”皇帝・ラディスラーオの罪”となった。

「それも叶わなくなって久しいな」
「あの人は当の昔に許してくれてたさ」
 ラディスラーオが全てと引き換えに守ろうとした「国」。結末は”栄光”だった……凡人の俺には、残酷な結果としか思えなかったが。
 それが”皇帝の勝利”である以上、俺達はそれを栄光と呼ぶしかない。

*


夕顔がしぼんだ後に目を覚ました。

 隣で煙管を吸っているジルニオンに、
「今日は?」
 枕に額を乗せたまま尋ねる。義手の接合面は信号を送る事をやめてしまっていて痛みはない、調整に時間がかかるな、痛覚レベルから調整しなければ。その前に武器装着か……後衛を守るのにどの武器にするか?
「ラベラント国立競技場で決闘する。古い建物だ、インバルトがそこで死ねば記念公園にでもさせてやればいい。その際に血が流れた部分の地面をごっそりと掘り返して持ち帰る」
「他は?」
「インバルトの前髪をラディスラーオが持っているそうだ。インバルト本人から聞いた。切れている部分をカウントしたが相当量だ、残していくと厄介だから取り上げる。抵抗される可能性があるから、機動装甲に搭乗して宮殿に照準を合わせておけ。インバルトの命と引き換えと言われれば黙って従うだろう」
 身体を引き起こし、ナイトテーブルに上がっている水をグラスに注いでを飲む。
「私からの報告は、メセアを問いただした所やはりラディスラーオは、皇后の縁戚である伯爵家の血を引いてはいない。父親はキーリスト・キスハイア。無縁だったので死体は処分されているが、変死故にデータは残っていた。それを比較した所合致した。ただ皇后は知らないから、知らないままにしておいて欲しいとの事だ」
 もう一杯グラスに注いだ後、ボトルごとジルニオンに渡す。
「そうか」
 直接それに口をつけて飲み干した。
 軍用物資なので味は普通だ。侵略した国にある、毒などを仕込まれている可能性のあるものなど口に含むことも無い。
「もう一つ。皇后にはラディスラーオが既に妾とその子を殺害した事を告げないで欲しいと懇願された。聞き入れても良い類だと判断し、私の一存で許可した」
 我々は結構地味な侵略者だよ。表面上はジルニオンや私が食べる物資などを積んで移動しているが、実際は一般兵と同じものを口にしている。その方が確実に安全で、尚且つ末端の物資の流れが読めるから、横流しなどに直ぐ反応できる。
 私達は別に豪華な食事がしたくて進軍しているわけでも、財宝が欲しくて進軍しているわけでもない。
 欲しい者はシュスターであり、四大公爵。欲しい物はかつての帝星から持ち出された物、それだけだ。それを人は財宝というのかも知れないが、我々にとってそれは財宝ではない。
「インバルトに知られないために、召使も最低限度以下にしてる訳か。エバが許可したんだ、俺も喋りはしねえよ。それにどうせ後一日半だ。一週間後には次の侵攻先に向かう、俺がアマナ王国でエバはカタハ連邦、競争しようじゃないか」
 男や女すら欲しいわけではない。
 ジルニオンは多少欲するだろうが、この男の性欲は征服欲の一部分でしかない。その征服欲が満たされている今、特に欲する事もないようで一人も連れ歩いていない。
「落ち合うのはサンベルハーラ国か。あそこは民主主義国家だったな」
 アマナ王国もカタハ連邦も欲しい「モノ」はない。早急に攻め落として、次の国に向かう。
 しぼんでしまった夕顔に視線をやり、あれを捨てるか持っていくか……私が此処で考えるのはそのくらい。
「あとでインバルトを機動装甲に乗せてやる。ま、乗りたいって言えばだけどな」
「警告だが、武器調整しつつカーサーの内音を拾っている。よって変な事は教えるな、美しい皇后陛下なのだから」
「エバに其処まで言ってもらえるなんて、妬けるねぇ」
「そうか? 機動装甲に同乗させる方が妬けると思うが? 何にせよ、ヴァレドシーアとサロゼリスのような事はしないように」

 煙管をふかしつつ笑ったジルニオンの顔は、嗜虐が色濃く出ていた。それが何に対して向いているのかは直ぐに解ったが……口にはしなかった。
 今更ながらラディスラーオに僅かな同情覚えつつも、明日の決闘に向けて作業を開始する。
 着地した機動装甲の操縦室(カーサー)に備え付けている武器パーツの一つ、通信収拾伝達機を左眼底制御ポートに埋め込むと、ジルニオンの機動装甲からの通信が拾えた。それは楽しそうに笑う皇后の声と、相変らずのジルニオンの笑い声。

「インバルトボルグ、さすがシュスターの末裔ですね……明日、我々が貴女を殺すその時まで、どうかお幸せに」

 鉢は持っていこう。花は枯れても鉢だけは持っていこう。
 インバルトボルグ皇后、私が生涯でただ一人求婚した女性。

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