ジルニオン王とファドルの家を訪問した後、私は一人で館におりました。
リタが何かと世話を焼いてくれます。
「玄関の方が騒がしいですね。観てきます」
誰かがおいでになったのでしょう。直ぐにリタは戻ってきて
「エヴェドリットの大元帥が皇后陛下にお会いしたいと。メセアとモジャルト大公様も一緒ですけど、どうしますか?」
かの王に似ているようで似ていない、あの大元帥閣下ですか。かの王の次に権力を持っていると言われている方ですね。当然断ることはできません。
「ご案内……いいえ、私がお迎えに上がりましょう」
この国は征服されたのですから、此方からお迎えに上がる必要があるでしょう。ヴェールを取り、素顔で出迎えます。
「エヴェドリット王国ベルライハ公爵エバカイン=エバタイユ。インバルトボルグ殿にお話があります、宜しいでしょうか? 王女」
赤と白と黒と金を使った軍服の中でも最高の称号を持つそれは、派手ではありますが全く下品になっていません。さすがこの方達を飾る為に作られた服ですわね。
「私は皇后です。王女ではございません」
昔の呼び名は王女ですが。
「訳がありまして王女と呼ばせていただきます」
私は応接室に招き、上座を勧めましたが断られました。
「そこに貴女がお座りください」
まさか……とは思うのですが。この大元帥は淡いピンク色の箱を持っています。中身も見えます、白い秋桜。シュスター家の花、帝国の花である白い秋桜。
『……それ一輪持ちて貴方に跪き……』
エターナ・ケシュマリスタがシュスター・ベルレーに差し出した一輪の秋桜。それは愛していると、永遠に貴方と共に歩きたいとの証。
大元帥は箱をテーブルに置き一輪だけ花を取り出し、美しく結い上げているその髪を解かれました。さぁ……と髪の流れる音の後、黄昏色と言われる髪が大元帥を包み込みます。そして座っている私に跪き一輪の白い秋桜を。
「王女よ、このベルライハと結婚してくださいませんでしょうか」
目の前に差し出された白い秋桜。まるで物語の中のお姫様のようですわ。白い秋桜、黄昏、四大公爵家、物語の中にあった人が目の前に現れ求婚してくる。
男性の”独身主義”をあらわす結われた髪を解かれて。正装までして支配した国の皇后に膝を付かれて。
私に求婚するのでこの方は『皇后』とは呼ばず『王女』と呼んだのですね……
私は陛下から求婚された事は無かったと思います。人前で結婚宣言もした事はありません、無論挙式も何もしておりません。いわば事実婚のような物だけですが……
『妻はついて来るものであろうが』
「私は皇帝陛下のお傍に仕える者です。貴方の求婚を受ける立場にはありません」
それでも私はあの方の妻です。一度だけですが、陛下はそのように言ってくださいましたもの。
「お受けしてはくださいませんか?」
式に憧れなかったわけではありません。
ですが、私にはもう必要ないのです。
「お受けできません」
大元帥は立ち上がり、私の顔を覗き込むようにして続けます。
「私は長い進軍の中、貴女以外の者とも肌を重ねる事もあるでしょう。貴女を置き去りにして戦いに赴く事もあるでしょう。その点においては不実な夫です。そしてまた、今貴女に求婚している事も愛情から出た事ではありません、それは隠しようもない信実です。貴女は私との結婚を拒むのは正当です」
真直ぐと私を見る大元帥の眼差しは穏やかです。
この方は嘘を付かれていません。長い戦いの中そのような事もあるでしょう、そしてこの求婚が何か別の理由がある事も解かります。
「その私が貴女に重ねて求婚する以上、私は私である事を捨てましょう。……私は我が血に叛きます。貴女が私の妻となってくださるのでしたら、私は戦死せずに貴女の元へ必ず帰るとお約束いたします。王女よ、私を生かしてはくださいませんか?」
散華を最高とする一族の王に次ぐ貴方が、私にそこまで言って下さいますか。
この方は私が求婚を受ければ、本当に帰って来て下さるに違いありません。
この方の手を取れば、私は愛されないでも大切にはしていただけるでしょうね……今までも何不自由ない生活でしたが、それ以上のことをさせてくださるのでしょうね。
真直ぐと私を見つめる目の美しい事。殺戮の王家と謳われ、本人自身多数の人を殺してきた方の瞳とは到底思えません。
「貴方は貴方の血を全うしてください。私が私の血を全うするように」
ですが、断らせていただきます
目蓋を閉じられて微笑まれた大元帥は、ゆっくりと私から離れて
「貴女がそのように言ってくださるのでしたら、私は私の血を全ういたしましょう」
手に持っていた秋桜をテーブルの上に置かれました。
「ですが私も諦めの悪い男です。花は散しません。貴女が考えを変えてくださると信じて待ちます。いいえ、待たせてください」
そう言って白い秋桜を一輪テーブルに乗せたまま、箱を抱えて館を後になされました。本来求婚を受けてもらえなければ、花は散されるのです。
「どうしても受けないのか」
メセアの言葉に私は頷きました。
「はい。私は……アグスティン」
「何?」
「大元帥閣下に花を届けてください。夕顔を、白と赤の夕顔を調達してお届けしてください……それで諦めてくださるでしょう」
彼等の花を送り届ける。それは拒絶です、結婚に対しての頑ななまでの拒絶だと。
彼等が帝星を攻め落とすまでの二日間で私はそれを学び取りました。決闘も拒絶も全て。一人きりになった部屋で、私は頂いた秋桜を持ちながら
「死にたくはありませんが、陛下のお傍を離れるのは嫌なのです」
『 ……道で立ち止まるな、目立つ。唯でさえお前の髪の色は目立って仕方ない。こい』
あの時陛下が差し出してくれた手を、私はとりました。それだけで満足です
私は秋桜を散し目蓋を閉じて……泣くのはこれが最後です。お父様、お母様に会えると思えば、死ぬのも怖くはない、悲しくはないと思っておりましたが。
「皇后陛下」
「リタ? どうしました」
「逃げるんだったら、皆頑張りますよ」
「……」
「メセアから聞きました。皇后陛下、民衆を盾にするのを嫌ったって。だから、その民衆も皇后陛下を盾にして生き延びたいわけじゃなくて……だから、逃げて失敗しても、皆で……上手く言えないんですけれど、死にたくないなら死ななくていいんですよ! 皇后陛下!」
……あの日の事ですか。まだエヴェドリット軍との戦端が開いていない時、陛下が逃げよと命じた時の事。
*
私を呼びに来たリドリーに理由を尋ねると、言葉少なに“逃げて欲しい”と告げられました。リドリーが、私に対して直接的な意見を述べる筈がありませんので、この意見は陛下のご意見なのでしょうね。
陛下のお部屋に向かう途中、足音しか響かない廊下で私は尋ねました。
「逃げた方がいいのかしら?」
「はい。それを陛下もお望みですので」
「言葉を変えましょう。グラショウ、逃げられると思っているのですか? 正直に答えなさい」
「……無理かと。エヴェドリットは他のいかなる王家も認めないでしょう。かつてのライバル達は別として」
そう、ケシュマリスタ、ロヴィニア、テルロバールノル以外の王家は“王家”として認めはしません。
「そうです。ジルニオン王からしてみれば、我々は僭主でしょう。僭主の血を最も濃く引く私を討たない訳がありません」
そしてそれ以外の者が『王』と名乗ればそれを『僭主』と言い、頑ななまでに拒みます。
「最善を尽くします」
「リドリーが最善を尽くした所で、私は逃げ切れはしないでしょう。貴方が私を逃がしきれるのならば、貴方はジルニオン王を抑え、倒す事が出来るという事です。違いますか?」
「いかにも……逃げてはくださいませぬ……」
「リドリー。陛下を宜しく頼みますよ。私は良い皇后ではありませんでしたが、貴方は良き家臣です。私は皇后でいる事は出来ませぬが、貴方は陛下の家臣でいる事が可能でしょう」
私だけ征服者に謝罪をすれば済むことでしょう。陛下は私の代わりにこの国を治めていたとすれば……有能な人間が大好きだと聞きました、ジルニオン王という人物は。
「皇后陛下?」
「私は血筋以外何も持ち合わせてはおりません。ですが、陛下は才長けていらっしゃいますから、ジルニオンは殺しはしないでしょう。私だけが処刑されれば済む事です」
「それを陛下がお望みになると、お思いで?」
「ラディスラーオ陛下ではありません。私が、皇后インバルトボルグが望んでいることなのです。私は良いのです、この国の終焉とともに滅びても。他の者は私の中に強く流れる“この血”が作り上げたこの国とともに滅びる必要は無いのです。この国と命運をともに出来るのは私だけ、私だけの権利ですわ」
「皇后陛下」
「陛下を宜しく頼みますよ。……それと、気が向いたらファドルも。まさかダンドローバー公が死地に赴くとは思ってもいませんでしたわ。ヴァルカ総督は説得しても聞き入れては下さらないと思っておりましたが、まさかダンドローバー公まで。ですがあの二人が逝くのならば、皇后一人くらい逝かねば『格好』が付きません」
「貴方を逃がす事も、守る事もできぬ男に陛下の御身を任せて……安心して死ねるのですか?」
「少なくとも私よりは、貴方の方が役に立つでしょう」
私は陛下の何も知りませんけれど、貴方は陛下を良くご存知です。それだけで、貴方には価値はあるでしょう。
陛下のお部屋に到着しますと、挨拶も終わらぬうちに『逃げろ』と命ぜられました。
同行してくださるのはメセアだそうです……敵が帝星制圧時に暴動を引き起こし、その隙に逃げろとの事です。途中までアーロンを付け、既に占領されているアスカータ共和国からエヴェドリット王国に入って生活しろとの事。
あの王は自分で征服に出るのが忙しく国に戻ってくる可能性は少ない、それとあの国には元の帝国貴族が多数存在するので、髪の毛も誤魔化しがきくとの事ですが……確かに提示された物を見れば、逃げられそうな気はいたします。そしてメセアと共にでしたら、潜伏も可能かと思いますが……
「例え勅命であっても聞く気はありません」
「インバルト」
「陛下は私を差し出すべきです。民の安全と、貴方自身の為に」
ですが“私”を逃がす為に暴動を起こす案を唯々諾々と飲むわけには参りません。
「貴様をあの王に差し出すつもりはない」
「いいえ! 私を差し出すのは皇帝として取るべき正しい道です。その行為を誰も責めはいたしません」
死ぬのは嫌ではありますが、他の人が……顔も知りませんが、いいえ顔も名も何も知らないからこそ、私に直接係わり合いの無い市民が巻き込まれるのはもっと嫌です。私は直接的に人々に何かをした事は一度もありません。病院や兵士を慰問したこともなければ、慈善事業に関わった事も。
暴動を起こせば間違いなく、それらの人々が巻き添えになります。私は今まで何もしてあげる事が出来なかった人々を盾に生き延びるのは、納得できません。
「責められるに決まっているだろうが! 保身の為に皇后の命を差し出したとなれば。お前は解かっていない! お前が生き延びて余が処刑されれば誰も文句は言わぬ。だが逆は誰一人許さぬ!」
「……私が」
「何だ」
「私が許しますもの」
「お前が……許した所で、なんの足しにもならん!」
「何の足しにもならぬ女でしたら、差し出されればよろしいのです!」
「待ってくれ。皇后陛下を説得する為に俺を呼んだんだろ? なあ?」
「そうだったな、メセア。後は任せた」
そう言われて陛下は去って行きました。
*
あの時の言葉ですか。
言った本人がすっかりと忘れてましたわ。
「リタ、手を」
おずおずと差し出された手を握ると
「皇后陛下! こんなガサガサの手を触ったら傷つきますよ!」
「死にたくはありませんが、皆を巻き添えにするのも嫌なのです。この皇后の我儘を聞いてくれますか」
リタは頭を下げて上目遣いに、そして頷きました。
「それともう一つお願いが」
「お願いだなんて! 何でも命じてください!」
私が泣いていた事は、秘密にしておいてください。
陛下にも、侵略者であるかの王にも、そしてメセアにも。
「私と貴女だけの秘密ですよ、リタ」