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「兄上、兄(あに)さんお話ください」
 何をしたいのかは良く解からぬが、アグスティンは余とメセアを会話させようとしておる。昔から訳の解からない事をする弟ではあった。ただ、不快なことをする弟ではなかった、今もまた……な。
 ダンドローバー領の主星までは一日で到着できる。
 主星の城ではなく空き地に
「いやあ、此処まで本格的にやらされるとは思ってませんでした」
 ダンドローバーはテントを張っている。
 簡易型のモノではなく、杭を地中に打ち込み、かなりの衝撃にも耐える軍用の物。頑丈な銃撃戦地区でも使用される国軍の指定品。
「何かあったらマズイですからねえ」
 ガンガンと杭を打ち込む脇で、特殊機材を運び込むハーフポート。
「私が皇后陛下をお守りしますから」
「お前、皇后陛下しか守らないだろ? アーロン」
「はい、当然です。ダンドローバー公」
 言いながら二人でテントを張っている。アグスティンとキサ、それと召使代わりなのかリタとかいう女と共に、
「ちゃんと設計図見て積んでよ! アグスティン!」
「キ、キサ! 大公様に」
「気にしないでください、おかあさん」
 確かに許可はしたが、報告はされておらん。だが何にせよ、仲良く薪を積み上げている。皇后はと言えば
「久しぶりですわ、ファドルとお料理作るの」
「そうですねえ」
「学校の方は良いの」
「はい、大丈夫です」
 料理の下準備をしている。随分と料理は上手なようだ……ただ、見てはいられぬ。
 間違って指などを切ったりしたら……直ぐに治療は可能であるし危なっかしくもないが、そもそもあれは皇后であって料理人ではない。それを口にした所で、受け入れられぬ事も解かるが苛々する。
 だが……黙って好きなようにさせはおく、この先も人前には出さぬのであるから。その様を見つめていると、側に寄ってきたメセアが
「仕方ねえから話すか? カハヌ」
 肩に手を置いた。
「ラディスラーオと呼べ」
 肩に置かれた手は払う気にはならなかったが。
「そりゃ失礼した」
 二人でその騒ぎから遠ざかり、近くの湖畔で直接座り持ってきた茶を口にする。当然無言だ。四十年近くも全く違う所で生活してきた相手に、何を話したらいいものか。別に語り合いたいと思った事など一度も無い相手に対して。
「陛下」
 メセアは光が反射する眩しい湖面を見つめたまま、視線を合わせずに口を開く。
「何だ」
「キーリスト・キスハイア」
 人名……前置きも何もなく、視線すら合わす事なく語られたその名。
 二十年近く前に尋ねた人物の「名」であろう。
「知らぬな、そんな男」
 無様に死んだ男の名を告げられて、私も湖面を見つめる。
「それで良いんじゃないんですか」
 メセアの言う通りそれで良いのであろう。あの頃何を知りたかったのかは、今となっては曖昧だ。
 別に親が誰であろうと、最早関係のない事だ。余は皇后の夫である、この国の名をたった一人継ぐ娘の夫である、それだけだ。
 湖面を見つめるも、その風情とやらを感じる事は出来ない。余裕という全てを置き去りにしてきた人生だ、こんな物を見て何かに思えるような優雅さも持ち合わせてはいない。
「皇帝陛下って、こういう場面で詩を喋ったりするもんじゃないのか」
「詩を吟じるような趣味はない。趣味自体持ち合わせておらぬ……仕事をするだけで精一杯だ。勝手にインバルトボルグから奪い取った仕事ではあるが」
 上手く立ち回れるが、何時も限界すれすれだ。もう少し人を信用すれば楽なのかもしれないが、生憎余は人を信頼できるような性格ではないのでな。
「インバルトが言ってたぞ、銀河大帝国の有名な皇帝陛下とかって仕事の他にも趣味がたくさんあったって」
「インバルト?」
「まあ、インバルトだ。“名前が長いのでどうぞ省略してください”と。カミラと呼ぶわけにもいかないからインバルト。マズイか?」
「罰する程ではないが、言う時には気をつけろ」
「解かりました、皇帝陛下」
 インバルト、な……。名前自体呼びかけた事がないし、呼びかける際は大体『皇后』であるから、そのような事を感じた事はないが。
「余は有名な大帝国の名君達には遠く及ばない。インバルトの正当な証とも言える大帝国皇帝サフォントも、宮中に水路を作り今の我々のように水面を眺めてその風情を楽しんだという記述があるが、余にはそのような余裕はない。統治者として、文民として名高い皇帝サフォントだが、かの軍閥の大王ゼンガルセンも終ぞ簒奪が敵わなかった程の軍人でもある。基本的な能力の違いであろう、それが趣味などを楽しめるかどうかの余裕に繋がる。あのアーロンにしてやられる程度では、とてもその余裕はない」
 サフォント帝でなければ皇位を簒奪できたであろうと今でも言われている、リスカートーフォン公爵ゼンガルセン=シェバイアス。軍閥公爵家で大王と呼ばれた男を力で押さえつけたという。策略だけではなく、武力をも使いこなせた皇帝……か。
「少なくとも、皇后の事をインバルトって呼ぶくらいの余裕は今あるだろ」
 何も答えずに、ただ黙っていた。

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