繋いだこの手はそのままに −61
一足先に到着したキュラとザウディンダルは、墓から飛び出した。
地下通路を通り、上の墓石をゆっくりと避けて……などしている暇などないと、そこから墓石割って跳びあがり、地面に轟音を立てて着地しシュスタークの元へと駆け寄る。
「陛下」
「ど、どうした! あ、あの、何もロガにしてはおらぬぞ」
『むしろしてください!』
心中二人は同時に叫んだが、心中の叫びなので同時になった事など二人とも知らない。そして言われた方も知る事はない。
「陛下、落ち着いてくださいね。あのですね、ロガは酒を摂取すると意識が混濁する体質だと、たった今判明いたしました」
腕の中で “くたっ” となっているロガを見て、再び顔を上げてオロオロし始めるシュスターク。正確には酒を摂取ではなく『高濃度のアルコール』だが、この状況でそれを説明している暇はない。
「落ち着いてくださいね、陛下。ザウディンダル、中に入って水持ってきな」
「解った」
ザウディンダルが家の中に入ると当時に、キュラは自分のマントを外しロガにかけて、
「少しばかり体温が低下しますので。陛下、ご安心ください。今すぐに薬を持ってエーダリロクが参りますから。それさえ飲ませれば何の問題もありません」
シュスタークを宥めつつ、さりげなくロガの首筋に触れて脈をはかる。
『ま、このくらいなら平気だね』
「そ、そうなのか。大丈夫なのだろうか?」
「急性アルコール……ともかく今のロガは寒さを感じているはずですから、陛下が抱きしめて暖めてあげてください」
キュラに言われて、首をガクガクと縦に振りやたらと不器用にロガを抱きかかえなおす皇帝を前に、
『これがこの方の良い所なんだけど……良い所、ロガって子に全然見せられないのが残念だね』
思いながら眺めていた。
「水持って来た……水をお持ちしましたが、如何なさいますか?」
「如何とは?」
「えーと、その娘は意識が無いので水を飲ませるとなると……口移しになりますから、我々が行うのは不適切ですし、できれば陛下に」
ザウディンダルにそう言われたシュスタークは二人を見た後に、コップを受け取り、
「飲みやすいように頭を固定させていただきます。陛下は先ほど、酒を飲ませたのと同じ要領で口に含ませてやってください」
キュラが補助につく。
「口を少し濯いだほうがいいだろうか?」
「その方が宜しいかと。今、受け皿を」
ザウディンダルがそう言っている傍で、口に含んだ水を勢い良く『下品』や『行儀が悪い』を超えた音を立てて濯ぎ、地面には吐き捨てた皇帝に、誰でも簡単に解るロガに対する愛情を目の当たりにしつつ、その行動に驚いてもいた。
「水を含んだ後のコップをお預かりしますので」
「頼む、ザウディンダル。では、キュラ」
水を口に入れて、ロガの口に含ませる。
意識があれば『飲んでくれる』が意識がないこの状況では、全てを飲み込ませることはできない。ロガの口の端を水が伝い落ちてゆく。
「零れたな」
「気にしなくて結構ですよ。もうすぐ、エーダリロクが作った薬が届きます。それもこうやって陛下が飲ませてください。そのためにも、今はお水で練習をお願いします」
言われたシュスタークは、何時に無く真面目な顔をして必死に口に水を含ませる、それが四度繰り返された時、
「陛下! お持ちいたしました!」
轟音と共に漆黒の黒髪が、大親友の銀髪を抱えて墓場から飛びあがり、その大親友をシュスタークに向かって投げつけた。勿論シュスタークに直接投げつけたわけではなく、足元5m程手前に。地面に激突したら、大親友ことエーダリロクでもただでは済まないので、受身を取りつつ転がって陛下に薬の入っているボトルを差し出す。
その一連の行動に無駄があるのか無いのかはよく解らないが、
「陛下、これを口移しで三回でいいですので飲ませてください」
「解った。感謝する、エーダリロク」
大親友に地面に投げつけられて、土にまみれた皇帝の従兄は “いえいえ” と言いつつ、水薬の入ったボトルのキャップを自ら空けその蓋に適量を入れて差し出す。
それを練習の甲斐あってか、上手に飲ませたシュスタークに、全員が小さな拍手を送り、
「では部屋に移りましょう。……陛下? どうなさいました」
さあ、抱きかかえてきてくださいませ! と扉を開けて全員が誘導しようとしたのだが、シュスタークには動く気配がない。ロガの体重は42kgほど、シュスタークの腕力を持ってすれば片手で軽く抱きかかえられる。
「身体が硬直して動かぬ」
身体能力では簡単であっても、精神的緊張がそれを上回ったようで硬直したまま、喜劇役者のような動きを繰り返しては、シュスターク本人もかなり困っていた。
「あ、では僕がロガを室内に移します。君達が陛下の緊張を解してくれよ」
そう言ってキュラはロガを抱きかかえ、室内へつれてゆく。
すっかり立ち上がれないで困っているシュスタークを前に、
「緊張を解す薬でも取りに行って来るか」
「それよりも、酒の方が……」
その時、一人待機していたカルニスタミアは、自分がその場に向かわなかった事を心底後悔した
「陛下、御免!」
“皇帝を見たら殴りかかれ” を家訓にするエヴェドリット王家の酒嫌いは、勢い良く踏み込むと手のひらを開いた状態で、シュスタークの腹に下から衝撃を入れた。舞い上がったシュスタークの驚いた顔と、
「正面から押すと、後ろ側にある家壊れるからな」
「そういう問題かよ! ビーレウスト」
殴って大満足のビーレウストと、突っ込みを入れているエーダリロク。
その傍で、落下地点で受け止める準備をしているザウディンダル。
「陛下! 暴れないで! そのまま落下してくれぇ!」
ここでシュスタークを受け止めないと、兄である帝国宰相に叱られるだけでは済まない……それ以前に、兄であるデウデシオンの血管が切れる。この段階で既に限界まで切れているに違いない血管を、これ以上ブッチブッチに断絶させるわけにはいかないと、必死に腕を出してシュスタークに声をかける。
「お……おお……」
素直なシュスタークはそれに従って、受身一つ取らずに落下していった。そう、頭から垂直に突き刺さるように落下。
それを突き刺したら一大事だと抱きとめようとしたザウディンダルは、シュスタークが地上に突き刺さる寸前で胴体を抱きしめて止めた。
「さすが、ザウディス男の子だな」
ビーレウストのからかいの言葉がかかる。
「お前なあ」
文句の一つも言いたいのだが、
「ほら、ザウディンダル。陛下を降ろして差し上げないと」
「あ、済みません陛下」
「もう、動いてもよいか? ザウディンダル」
ザウディンダルに『暴れないで!』と言われたのを忠実に守り、黙って逆さ状態で待っていた。
「も、もちろんでございます」
急いでシュスタークを降ろして、
「お怪我はないですか?」
尋ねる。
「無論ないぞ。良くやってくれた、ザウディンダルよ。おお! そしてビーレウスト、緊張が解けたようだ。エーダリロク、立ち上がるのに手を貸してくれぬか」
良く言えば大らか、悪く言えば『言い表す言葉が無い』シュスタークは、エーダリロクの手を借りて立ち上がり、ザウディンダルに感謝の言葉を述べて、
「顔よりも、痛くないものだな」
ビーレウストに、常人ではありえない言葉をかけてロガが横になっている家へと入っていった。
「そりゃまあ、加減しましたからなあ。貴方様は “肉体的な痛み” が一定量を越えると “変貌する” と専らの評判ですので」
ビーレウストはそう呟くと、最後にロガの家へと入っていった。
ロガの家は小さい。家族三人とゾイ、そしてボーデンの四人と一匹で暮らしていた家だが2mを越える男が五人も入ってくると、狭いなどというものではない。
「陛下、まずはロガの服を脱がせてください。全裸にしてやってください」
キュラはベッドにロガを寝かせ、殴られて緊張を解かれて入ってきたシュスタークに指示を出す。
「え? 何を?」
「我々はこの後帰りますので。まだ意識が混濁しているロガがトイレに行きたいと言ったりしたら、陛下が補助してあげなければなりません。その場合、服を脱がせてから、というのはできないでしょう? ですので最初から脱がせておいた方が間違いがありません」
誰よりも[間違い]を望まれている男シュスタークだが
「そ、そうだな……その……余は全裸にさせられなさそうなので、ガルディゼロに任せる」
王者の度量で、出来ない事は出来る相手に嫉妬も警戒もなしに預ける事も出来る男でもあった。
自らの限界を即座に見極め、最善の結果を出してくれるだろう相手を信頼し全権を委託。政治はそれでも良いが、
「陛下、ちょっとはお手伝いしてくださいよ。僕が腰を浮かせますから陛下が下着を……」
「無理! 無理! むりぃ! そっ! そうだ! ビーレウストは女性経験が豊富であったな! この通りだ! 頼む、ロガの下着を脱がせてやってくれ!」
好きな女の下着、邪まな気持ちが無くとも別の男に依頼するのは、どう考えても間違いだ。
家臣がロガに対して異心を抱くことなど全く想像もしていない男は、潤んだ瞳で【女の服を脱がせるのが上手らしい男】に頼むが、
「陛下。男なら女の服くらい本能で脱がせられます。頑張ってください」
皇帝を殴る事は教育されていても、皇帝の未来の正妃のパンツ引き剥がす事は家訓にない男は、それを断った。甥であるリスカートーフォン公爵も、皇帝を殴ったところまではフォローできても、未来の正妃の下着をひん剥いたら叔父をフォローすることは不可能だ。
援護する場所が違うんじゃないのか? と思わなくもないが、それがエヴェドリット王家。
その脇で、キュラが次々と服を脱がせてブランケットで胸などを隠し、
「さあ、陛下! 聖域をお願いします」
声をかけられて整った顔をこれ以上ないほどに崩し、情けなさそうな表情を浮かべて下着に手をかけた。
結局、ロガの身体を支えているキュラや腰の辺りに手を入れて浮かせて補助したビーレウストなどのおかげで、シュスタークは簡単に脱がせることが出来たが。
一度もそちらを見ないまま
シュスタークのガードの固さにキュラは苦笑しながらロガにブランケットと毛布をかけて、その脇でエーダリロクが部屋の中を直接窺えるように[隙間]を開けてカーテンを閉じる。隙間は当然、この先『起こって欲しいこと』を目視で確認するためだ。
彼等は帝国の大義の為に覗きをせねばならない。
こんな事に大義など掲げたくは無いと思いつつも、仕事である以上彼等には拒否することはできない。もっとも彼等にしてみれば『拒否したくなるくらい陛下のソレ見てみたいもんだ!』なるのが本音なのだが。
「ん……」
そんな帝国の大義の ”知らぬ間に被害者” になっているロガは、薬が効いたのかすっかりと呼吸も落ち着き肌の色からも、熱が冷めはじめているのが解った。
「どうした? ロガ」
シュスタークが声をかけると、
「寒い……あと、喉、渇いた……」
家族か知り合いかと勘違いしている、寝言に近い言葉をロガは呟く。
「待っておれ、今直ぐに水を持ってくるゆえにな!」
そこにシュスタークがいるという事は理解していなかった。だが、そこにいたシュスタークは急いで備え付けられた蛇口の前に赴いた。
此処から水が出る事を、ロガの家に通ってシュスタークは知った。蛇口についているレバーを倒せば水が出てくることも知っている。だが、水量調整は出来なかった。
コップに水を入れるのに、いきなり最大量を出してしまい、水をかぶって驚いて水を止める。
『あ〜俺達がやった方が早いけど』
『これは手出ししては駄目だろうな』
『そうだな』
『皇帝陛下、初めて水を汲む……ね』
四人は水を被った皇帝を黙って眺めながら、近寄ることも手を貸すこともしなかった。
「うまく水の量が調節できぬ……ん……んーロガが待っておるのだ! 早くしろ」
全く水を汲めない[皇帝]だが、その後姿は手伝う事を拒否していること、彼等にもわかった。シュスタークは出来ないことは直ぐに家臣に命じる。その皇帝が「水を持て」とは言わなかった。
[皇帝]は疑う余地もなく[ロガの為]に[自らの手で]水を汲んで飲ませてやりたいのだ。
『ああ、もう貴方様という御方は』
『好きなんだろうなあ』
あまりにも解りやすい皇帝の態度に、彼等はそれを黙って眺めていた。
ただ、その姿を眺める表情に『笑顔』は既に浮かばない。そこに眠っている奴隷娘が『正妃』であることを、彼等は身命に刻み込んだ。世間的にはまだ『正妃』ではなくとも、正妃として扱う域に達した相手に彼等は最大の敬意を表す。
「お、遅くなった」
既に意識を手放しているロガのもとへ、コップ一杯の水を汲むのに頭から水を被ったシュスタークが近づく。
「陛下、失礼いたします」
四人各自がシュスタークの服を四方から引っ張り、服を裂いて裸にする。
「陛下、濡れたまま触れば寒がるでしょうから、服を処分させていただきます」
「洋服は後で我々が用意しておきますので、本日はロガを抱きしめて暖めつつお休みください」
「アルコールの方は完全に中和されていますから、心配いりませんよ」
「それでは」
彼等は素っ裸に剥いた皇帝をその場に残し、頭を下げて去った。
「わ、解った。手間をかけさせたな」
シュスタークはロガの身体を起こし、何とか水を口に含ませた後、自らも横になりロガを抱きしめつつ……
「ちょっ! 寝ちゃったよ! 陛下!」
あっさりと寝てしまった。
シュスタークにしてみれば、家臣達が[もう大丈夫ですよ]と告げた言葉を完全に信用しているので、心の底から安堵しロガを抱きしめたら気が緩んで寝てしまったのだ。
「ありえねえ……」
好意を持った相手と自分が全裸で一つのベッドに入っているのに、寝息を立てている皇帝を前に、
「これが帝国で最も高貴な御方か……見事ってか、少しは劣情を」
四人は敗北感を覚えた。どんな種類の敗北なのかは言い表せないが、確かにそれは敗北だった。
「すげえ、唯ひたすらスゲエとしか言いようがねえ」
呆けている四人の傍で、既に外に出ていたボーデンが一鳴きして頭を下げる。
「何か、犬にも呆れられているような気が……」
おそらくボーデンも気を利かせて外に出てくれたのだ。≪あの≫シュスタークだ、室内にボーデンがいればロガに何も出来ないのは確実ゆえに。
だが、その犬の心遣いよりも彼等の皇帝は上をいっていた。
キュラは、ここで騒いでいても仕方ないと、
「陛下の明日の洋服を取りに戻るか。あと君の寝床用のクッションも持ってきておくねボーデン。ま、入り口の見張りよろしく。折角気を利かせて部屋から出てくれたってのに申し訳ないね」
用事と報告を済ませてとっとと休もうと、見張りのビーレウストを残して三人で管理区画へと戻っていった。
「たいした陛下だと思うだろ、手前も」
「バウ」
Copyright © Rikudou Iori. All rights reserved.