繋いだこの手はそのままに −62
 ん……心地よいな。
 この腕の中にある、柔らかさと硬さを持った温かい物体……物体?
 目を開くと、余の腕の中には恥ずかしそうに胸を手で覆っているロガ。
「お、おはようございま……す」
 おお! 朝まで抱きしめて寝ていることが出来たようだ! 良かった良かった。
「あ、ああ……おはよう」
 だが、余が抱きしめていたので、腕の中から逃れられなかったようだ。
「えっと、その……ロガ」
「はい」
「具合は悪くないか?」
 先ずはこれを確認せねばな。
「悪くありません」
 そうか! ならば良かった。だが、詫びておかねばな。……顔が近過ぎて恥ずかしいような、手放すのが惜しいような。
「まず、起きるか」
「は、はい」
 ロガにシーツを被せて、余も腰の辺りに枕を置いて隠して、
「昨晩は済まぬ。無理矢理酒を飲ませたので、急性アルコール中毒にさせてしまった」
 そうそう、思い出した。
 急性アルコール中毒という言葉があるのだ。
「え?」
「強い酒を飲ませすぎたようで、危険性に気付かないで……その……もう一度、キスしても良いか」
 急性アルコール中毒に関してそれ程詳しくは無いので……だが話の繋がりおかしくないか? だが、その! キスしたいのだ!
「……」
「いや、その! 深いのではなく、その軽く唇に触れるだけで。いや! 唇が嫌なら額に、額が嫌ならば手に、手が嫌ならば尻に! いや! 尻は無し!」
 尻はまずかろう、尻は。
 いや、確かにいつかはしてみたいな。まだ成熟していないその尻……ではなくて! 最初は掌あたりが妥当であっただろうに。いや、その……だ、だが……
「どこでも……」
 全身をほんのりと桜色に染めて、消え入るような声でロガがそう言ってくれた。
 ありがとう! ロガ!
 よ、よし! 肩を掴んでゆっくりと傍に近づけるようにして……ちょ、ちょっと触れたぞ。この状態からどうやって余は戻れば良いのだ?
 まずい! 掌に汗がにじんできた。
 このまま勢いで押し倒した方が、流れ的には良い様な気がするが、そんな事をする気はない。だが、軽いキスして離れるタイミングがわからない。ちょっとだけ薄目を開けてロガをみると…… “ギュッ” と目を閉じて頬を真っ赤にしておる。
 可愛いらしいな……ではなくて! いや! 可愛らしいのは事実だ。……だから! そうではなくて! こ、この軽く触れている唇を離すタイミングを誰か! 誰か教えてくれ! あ、あれだ! あれ! 誰か “突込み” というのを入れてくれ!
 まあ、余の性格からして突っ込まれたこと自体気付かなさそうではあるが。あ、あれ? そう言えばボーデン卿は? ボーデン卿であらば余に突っ込みというか、噛み付いて引き剥がしてくれるはず! ど、どこにおるのだ! ボーデン卿!
 誰かの足音が聞こえる! 頼む!
「おい、ロガ!」
「シャ! シャバラ!」
「……あ、悪ぃ」
 むしろ助かったぞ、シャバラ。
 良きタイミングで唇を離す事ができた……出来たのだが、シャバラは余とロガを二三度見比べて、
「なあんだ、そういう事か」
 どいうコト……ああ! 余が裸でロガも裸でキスしておった!
 こ、これは! この鈍い余でもどのように勘違いされたか解る! 訂正せねば! だが? どうやって?
「ち、違うもん!」
 ロガの声に、手を振って、
「誰にも言わねえから安心しろって。ポーリンの世話しに来ねえからどうしたのかと思って来てみたら、邪魔したな。ポーリンのところの片付けは俺がやっておくから、気にするなよ。じゃあなロガ、ナイト」
 それだけ言うと、シャバラは立ち去った。
 勘違いしている以上、この場に居座ることも出来まいが、せめて言い訳くらいは聞いて欲しかった。
「……」
 そうは言ったところで、うまい言い訳など出来ぬのだが。
「……勘違いされてしまったようだな」
「……」
「あのな、ロガ。その、今回は勘違いだったが……酒で意識朦朧としていない時に……。本当は昨日眠っているロガにも触れたかったのだが、卑怯な気がしてな。いや! 確かに触れてはおったが……今度、ゆっくりと触れても良いか」
 すぐ寝てしまったけれども、今度は! 今度こそは!
「私で……よろしければ……」
 う、うぁぁぁ! 嬉しいぞ! 今度は触れても良いと、本人から許可をもらった! どうしようか? か、顔が! 顔が! “にやける” だけではなく、そ、その……
「あ、あの! ロガ。朝から使って悪いが、管理区に我輩の服を取りに行って来てくれぬか?」
「は……はい。いってきます!」
 急いで服を着て出て行ったロガを見送った後、何が恥ずかしいのかは解らないが、恥ずかしくて顔を覆ってベッドの上を転がっていたら落ちた。少しばかり痛かったが、地面の上も転がらせてもらった。

何なのだろう、この気持ち。これが幸福感というものだろうか?

 この恥ずかしさと、高揚感。身体の置き場が無いようなドキドキした……やはり帝星に連れて行ってからの方が良いであろうか。そちらの方が……
「バウ」
「おお、ボーデン卿。何か?」
 何処におったボーデン卿よ。
 な、何かその……呆れられているようだが……それも仕方ないか。
 全裸で地面の上を転がっておったのだから、呆れもするであろう。余をチラリと見た後、ボーデン卿は入り口そばにある箱の傍に立ち、吠えた。
 一応股間を隠して立ち上がりそこまで行くと、銀河帝国皇帝の紋が入った箱が。生体照合部分に掌を乗せると、箱が開き、
「余の着衣か!」
 中に着衣が。
 ……当然だろうなあ。余は気は回らぬが、他の者達は気が回るわけだから……昨晩の時点で着衣がなくなっているのを知っているアレ達が、着替えを用意していかない訳がない。
 ロガよ、余計な手間をかけさせて済まない。帰ってきたら謝るので……服を着ることにしようか。
 年頃の娘の家に、全裸の男が股間を手で覆っているのは非常に良くないだろうからな。
 えーと……まずは自分で口を濯いで顔を洗って……その後服を着て……せめてロガが帰ってくる頃には全裸でいる事がないように努力せよシュスターシュスターク! 銀河帝国皇帝の名にかけて!


「ぬぉぉ! パンツはズボンをはく前に穿くものであったな! どうりで、配置場所が……そんな事を言っている場合ではない! 最初からやり直しせねば!」
「バウ[銀河帝国に幸あれ]」
「おおっ! 頑張るぞ! ボーデン卿よ!」


 何とか服を一人で着ることが出来た! 物凄い消耗であったが。まだロガは戻ってこぬな……そうだ!
「ポーリンとやらの所に行って、本日のこと謝罪してこよう!」
 ロガが寝過ごした理由は余にある。
 ポーリンとやらは足が不自由であり、ロガが来るのを待っていたはずだ。
 確か肉屋の向かいに住んでいるとキャッセルが言っておったし、ロガが戻ってくる為にはその道を通るから行き違いになることもなかろう。家に入る前に、シャバラにロガが来たら知らせてくれと頼めば良いであろうし。
「ボーデン卿よ、我輩はポーリンなる奴隷の家に行って来る。その間、家の守りは任せ……」
 ボーデン卿が食事を入れる容器の前に座り込こみ、強く床を叩くようにシッポを振り始めた。お、怒っておるのか……いや、これは!
「申し訳ないことをしたな。気付かなくて、本当に申し訳なかった」
 少々こぼしたが、水と食事を容器に入れてボーデン卿に差し出す。
 卿の家に邪魔しておきながら、朝食の用意を忘れて誠に申し訳ない。不甲斐なき、そして気が利かぬ余を許せボーデン卿。
「それでは行って来る」
 ポーリンの家に向かいながら、これからの事を考えてみた。余はあまり異性に対し感情を抱く事はない……ので、ロガを手放したらとても不安だ。
なんと申すか、ロガ以外を抱く自分の姿が脳裏に描けぬ。皇帝として異性に触れたことはあるが、さほど……いや! 相手をしてくれた異性達はどれも皆、魅力的であった! だが、ロガでなくては駄目だ。
 今までは異性に対し、曖昧なイメージで接してきたが、今はロガという形が出来上がってしまい……しまい……待て、シュスタークよ!
 デウデシオンは皇帝の正妃を欲し、それはロガでも良いと言ってくれはしたが『ロガ一人だけでいい』とは言ってはおらぬ!
 そもそも、この皇族が一人しかおらぬ状態の時、妃一人は……。皇帝が女性であれば許されるが、男性皇帝である以上、四人の正妃を迎えて皇族をもう少し増やさねば! 皇族が一人では、その……息苦しくなることも多いのでな。
 皆に大事にされ過ぎている自覚はある。いや、出てきた。それと共に≪息苦しい≫というのも理解できるようになってきた。
 よくビーレウストに『息苦しくありませんか』といわれていた。その時は曖昧に笑って返していたのだが、今ならばその意味が解る。そしてこの息苦しさが、余を大切に扱っている証拠であることも。
 勿論『余』というのは『シュスターク』の事であって、『ナイトオリバルド』のことではない事くらいは理解しておるし、それに不満などない。
 だが、ロガはシュスタークの正妃の一人ではなく、ナイトオリバルドの妻としたい。だが、ナイトオリバルドの妻は正妃でなければならぬ。
 これは、どうすれば兼ね合いがつくのであろう?
 ……解ってはいるのだが……その、ロガ一人だけを正妃にすれば、余の感情は全て丸く収まる。だが、支配者としてはそう言えぬ。
「よぉ! ナイト!」
「お、おお、シャバラ。今朝は済まぬことをしたな」
「全然。それよりもさ、ロガのことどうする気だよ。やり捨て?」
 やり捨てって何だ?
 だが≪ロガ≫を≪捨てる≫とは漠然とながらも気分が悪いので、
「そんな事はせぬが、家に戻って……その……ロガについては今日戻ってその……」
 捨てるつもりはないことだけは、はっきりと言っておこう。
 宮殿に連れて行けそうになった事をデウデシオンに告げて、その後に他の正妃候補がいるのかどうかを聞いて……等等。考えながら答えていると、シャバラは大きくため息をついて、
「なんでロガもこんな弱腰の男がいいんだか。ま、確かに顔は良かったけどな。あんた、なんで顔隠してんだよ。すげえ、いい男じゃねえか」
 し、しまった! 寝起きだったので仮面を装着していなかった! 顔がばれてしまった!!
「い、いや、あの……こ、この向かいにポーリンとやらがおるのであったな! 今朝、ロガが来られなかった原因である我輩が謝罪しようと思って! その、ロガがここを通りかかったら教えてくれ! で、ではな! シャバ……!」
 喉を強打した……
「落ち着けよ。目の前より下にドアの上の部分があるの解るだろうが」
 戸をあけて勢い良く入ろうとしたのだが、扉が小さかった。否! 余が大きいのだな! 奴隷に比べて。
「ご、ゴゲ……こ、今度から気をつゲル」
 ロガの家の戸には慣れたのだが、ここは初めてなのでついつい激突を。痛いが、ここの家の壁壊れはせぬであろうか? 
「邪魔をするぞ、ポーリンとやら」
 部屋の中は……少々臭いが鼻につく。
 この臭い、前にロガについて公共のトイレに向かった際に嗅いだものと同じだな。ああ、そうか! 足が不自由だから公共のトイレまで行くことができぬので、ここで済ませておるのだな! 義足はそれほど高いのであろうか? 今日の詫びとして義足を与えようか。そうすれば、もっと自由に動けるであろう。
 部屋の中にいたのは、足のない胴体だけの男。
「我輩の名は……」
 足はないが、この男の上半身を見た事がある。
「ポーリンとやら、顔を見せてくれぬか?」
「……」
 何だ? このざわつきは! 
 手入れされていないがこの黒髪。だがこの首から肩、そして腕にかけてのライン……帝国軍代理総帥に杖を授ける時にいつも見ている者ではないか。
『何時も済まぬな』
 そう思いながら、余の変わりに前線へと赴いてくれる筆頭上級元帥……一人しかいない、余と容姿が良く似ている……
 顔を上げた “足のない奴隷ポーリン” とは、
「……タウト……ライバ……」
 頭を上げた “足のない奴隷” 
「陛下、このような所においでになられるとは……」
 困ったような笑い顔を作り、すぐにタウトライバは頭を床につけた。
「何故お前がここに居るのだ、それも足を……足が……いや、言わなくても良い」

 解っておっただろう、シュスタークよ。

 自分が動けば、周囲が苦労することくらい。それを余に気取らせぬようにするのに、
「……式典の最中、背が高くなったように感じたのは足の調節のせいか」
 足を切り落とす者もでることくらい。
「……はい、ですが、これは決して陛下の……」
「余の為だと認めろ!」
「御意。出来れば気付かれたくはありませんでしたが」
余は異父兄の足を切らせた。
 これ以上、長居するわけにはいくまい。余が動かねば、他の者にもっと負担がかかるであろうから、
「タウトライバ」
「はい」
 覚悟を決めて話そう。
 ロガは大切だ、だが異父兄弟も大切だ。
「近いうちにロガに全てを打ち明け、受け入れてもらえたならば帝星に連れてゆく。出来る限り迅速に行動するつもりだ……それまでは、ここで足を失った奴隷として過ごせ……お前達……余に……」
「陛下、我々庶子は陛下がいなければ死んでおりました。我等を先代皇帝の庶子と認めてくださったのは陛下……陛下には決して解りますまいが私生児の頃の生活と、庶子となり公爵位まで授かった後の生活は全く違うものです。全ての兄弟に公爵位をくださり兄弟と認めてくださった恩に比べれば、この足どころか命も惜しくはありません」
「タウトライバ」

 余が皇帝であればお前達がある程度の自由を持って生きられるというのであれば、余は皇帝でいることに息苦しさを感じても、それを投げ出すつもりはない。そのくらいしか、してやれる事が無いからでもあるのだが。


novels' index next  back  home
Copyright © Rikudou Iori. All rights reserved.