繋いだこの手はそのままに −57
 風呂から出てきたロガはとても可愛らしい。
 なんとも柔らかそうで、そう! まるで茹でられたかのような……茹でる? 何かちょっと違うな。余に詩才がない事が悔やまれる。詩人である皇君に師事したというのに。
「とっても気持ちよかったです! ありがとうございました」
「いやいや。喜んでもらえてなによりだ。それと、風呂上りのロガは “ほわほわ” しておって良いな。とても良い香りだ」
 頭を掴んで髪の香りをかいでみる。
 なんか、とても……あ、頭皮まで顔と同じ状態なのだな。だから、爛れているほうの髪は若干ボリュームがないのか。
「あ、あの……ナイトオリバルド様」
「あ! すまんな」
 思わず固定してずっと見ておった。まあ、ロガの頭の天辺を見ているだけで幸せな気分になれるのだが。その後、ロガと共にキャッセルが届けてくれた夕食を取り、ロガと共に着替えを……手間隙かけさせて悪かったロガ。
 もう少しで一人で脱いで着ることができそうなのだが、二十四年間自分で着脱していなかった余には難しい。だが! 必ずや服を一人で脱ぎ着できるようになってみせる!
 後ろでロガが着替えておるので、直視するのも悪かろうと窓を開いて外を眺めることにした。
 すっかりと葉が生い茂った桜の木と蛙の鳴き声。
「ブレケケケケックス、コアックス、コアックス、ブレケケケケックス、コアックス、コアックス」
「どうしたんですか? ナイトオリバルド様! 何か喉に詰まるとか?」
 ロガが血相を変えて近寄ってきた。
「いや……あの……古代の詩のようなものを暗誦したのだが……へ、変であったか」
 アリストなんとかの喜劇「蛙」に出てくる蛙の鳴き声らしいのだが……
「ごめんなさい。そういうの知らなくて」
「あの……笑ってくれるかなあと思ったのだ。喜劇に使われていたものらしいから。だが、変に驚かせてしまって済まんな」
 何か恥ずかしい。
 今更失敗の一つや二つ、増えた所でどうという事もないような気もするのだが、やはり滑ると恥ずかしい。
「ロガ、随分と可愛らしいパジャマだな」
「あの、キャメルクラッチさんが届けてくれました」
 薄いピンク地にアイボリーのレースが使われているものだが、
「ズボンはないのか?」
 何故か上だけ。大きいシャツを着ているような感じだが?
「これ上だけだって聞いたんですけど」
「そうなのか。キャッセ……キャメルクラッチがそう申しておるのならば、そうなのだろう。さて、寝ようか」
 ベッドに横になり……横になり……ふ〜む、このまま黙って休んで良い物なのだろうか? 余、ぼんくらなれど皆が期待していることは何となく解る。解りはするのだが……まだ十五、六の娘にいきなりは良くないと思うのだ。
 成り行きで二人で一つのベッドに寝ておるが。
 そもそも、このベッドも余の方で無理矢理運び込んだものであり、本日の外泊も……いや! シュスターク! 偶には強く出るのだ!
「ロガ? まだ起きているか?」
「はい、起きてます」
「あのな……ロガ。手握って寝ても良いか?」
「は、はい」
 ロガの右手を軽く握る。ロガの指先は仕事をしているからであろう、硬くかさかさしておるが握っていて安心できる。
 そうしているうちに、ボーデン卿がベッドに乗ってきてロガに顔を向け、余に尻を! いやっ! その何も、手握っているだけであってそれ以上のことは、ちょっとはしようかな? と思ったが!
「!」
 放屁を食らった! ボーデン卿よ! そなた余の考えている事がわか……うわああ!
 だ、だが声を上げるわけにもいかぬ。ロガは寝てしまったようだし……いや、不埒なことを考えて申し訳ない。尻を余の顔に向けるのも許す、と申すか此処は卿のテリトリーであるからしていた仕方あるまいが、せめて屁だけは許してくれ。ボーデン卿よ! 許してくれぇぇ!
 三十七代続いた銀河帝国、その皇帝の中で犬の屁を食らったものは余だけであろう! うああああ!

『何時の間に、余は寝たのであろう』

 すっかりとロガから手を離して、背を向けて寝ておった。
 まだ朝早いようで、ロガの寝息が聞こえてきてボーデン卿は足元の方に移動。やはり余を警戒しての事であったか!
 ……あ……朝……朝ゆえにその、男性の生理的現象がっ! これがボーデン卿に見つかったら、屁をかけられるだけでは済まぬであろう! 決して淫らな事を考えているのではなく、男なら朝はたってしまうのだ!!
 ふーふーボーデン卿に見つからないようにせねば……うぉぉ! ボーデン卿が足元で動いた! ひぃぃ! 決して! 決して!! 何もしておらぬからして! そ、その……そうだ! ベッドから降りればよいのだ!
 ロガを起こさないようにそっとベッドから降りて……降りた所で、何をすれば良いのであろうか? ロガの寝顔を見ているのは幸せだが……ベッドの上から此方を睨むボーデン卿の鋭い目つきが。
 解った! あい解った!
 ロガには近寄らぬ! 無防備に寝ておる乙女に、この胡乱なる余が近付くのは度し難いのであろう。解るぞ、ボーデン卿よ。余も父となっていてもおかしくはない年……いや、ディブレシアと同じ道を辿っておればロガくらいの娘がいてもおかしくはない……ちょっとおかしいが、想像できる範囲内である。あまり想像はしたくはないが……。
 ともかく自分の娘に余のような口から泡を吹いて失禁して、仮面と鬘を装着して、何も仕事をしていない人のようにふらふらとしている男が近付けば……余であっても許さん! 銀河帝国皇帝としてではなく、父として許せんわ!
 ぐぉぉぉ! ボーデン卿の気持ちが痛いほどよく解った! はあ、だが泡も失禁も取り返すことができない事実、仮面と鬘もどうしても必要、なればせめて仕事くらいしようではないか!
 そうだ、朝食をトレイに並べてみよう。
 昨晩キャッセルが持って来た食事は、夕食と夜食と朝食があった。結局夜食は食べなかったが後でシャバラやロレンに渡せば良かろう。さて、朝食だが、何時も余が朝食に使っておるプラチナに金の取手がついたシンプルなものと、それに敷かれているレースも入っていた。それらを何時も受け取っているようにして皿にビスケットと、切れているテリーヌと、それと器にはいった形になっているサラダと、適温に保たれておるスープ。スープは皿に移すべきであろうが、余にそれが可能であろうか?
 失敗を恐れるのはいかんと思うが、此処で失敗しては朝食のメニューが一つ減る。余は宮殿に戻ればすぐに取れるが、ロガは。
 格好は悪いかも知れぬが、この入れ物のままトレイに乗せよう。それと、後はデザート……。
「ナイトオリバルド様」
「おっ! ロガ。もしかして煩くて起こしてしまったか?」
 余としては注意深く準備しておったつもりなのだが、何分余なのでな。
「いいえ。あのっ!」
「朝食の準備をしておった。正確に申せば、朝食の準備をしているつもりであった……だがな。このトレイごとベッドの運び、朝食を取ろう」
「あのっ!」
 顔の前で手を合わせて、微笑んでくれた。
「どうした? ロガ」
「とっても嬉しいです! 朝起きた時にご飯が出来てるって!」
「そ、そうか?」
 そういう物なのか? 余は用意されているのが当たり前だから、そんな気持ちになった事はないが……そうなのか。
「用意してくれてありがとうございます!」
「喜んでくれるのならば、毎朝用意するぞ」

 偶に用意してくれるだけで良いそうだ。偶に準備してもらった方が、有難味があるのだと。その後は二人でベッドの上で食事をして、余は宮殿へと戻ることにした。

 ロガの家から出て上空に向かって手を振ると、それが合図となる。
 管理区から誰かが移動艇に乗って来てくれるであろう。いつもの離着陸場所で待っておると、
「お、お早いお戻りで」
 ザウディンダルがかなり慌てた様子でとても驚いた表情を浮かべて来た。
「朝から済まぬな」
「それは全く構わないのですが。あの、昨晩はいかがなさいましたか?」
「ロガとか? 一緒に寝たぞ。手を繋いでな」
 まあ、それ以上のことはボーデン卿の目が黒いうちは不可能のような気がする。いや、ボーデン卿に認めてもらえるような男になれば良いのであろうが、それもまた苦難の道よ。
「手を繋いだ……だけですか?」
「気がついたら朝になっておったから、朝食を一緒に食べた」
 そう言うと、ザウディンダルは肩をがっくりと落とし、
「宮殿にお連れいたします」
 声もすっかりと落ち込んでしまった。


何か、悪い事でもしたのであろうか……


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