繋いだこの手はそのままに −30
 昼前である。本日はロガ用の飲み物も持参した! 余が味見をして選んだのだが、ロガの口に合ってくれるだろうか?
「ロガ」
「ナイト様」
 余が訪問すると、ロガはシャバラと見知らぬ娘とともに老人を洗っておった。
 何でも水道の蛇口が外とはいえ付いている家は珍しいのだそうだ。大体皆、公共の水汲み場で水を汲んでくるのだという。
 ロガの家の外にある蛇口は、本来死刑囚の死体を洗い清めるためについているらしい。だが最近は滅多に使われていないので、別の用途で使っているのだという。何に使っているかまでは聞かなかったが。
「よぉ! 貴族さん!」
「シャバラであったな、久しいな」
「あんま久しぶりじゃねえよ。いっつも買いにくるじゃねえか」
「そう言うかも知れぬな。ロガ、何をしておるのだ?」
「ミネスのおじいちゃんを洗ってるんです」
「ミネス……とは、その娘のことか」
「はい」
 三人で老人を洗っておった。大きな洗面器に水を入れて。
 自分で身体を洗うのも不自由な老人……まあ、余も似たようなものだな。自分自身で身体を洗ったことはないから。
「そうか。我輩は手を出せぬが、仕事終わり次第食事にしよう」
 余は持ってきた料理と飲み物を置いてその場に腰を下ろした。
「ロガ、もう終ってもいいぜ。貴族様を待たせておくわけにいかねえし。それにもう終わりだからな。なあ、ミネス」
「うん……もういいよ」
「え、でも……」
「よい。こうやってロガが仕事している姿を見るのも一興。我輩のことなど気にせずに仕事を続けるがよい」
「はい。ナイト様がそういってるから、最後までね」
 老人の身体を洗いながら、話をしているロガと娘。
 シャバラは老人の身体を動かし支えているのが仕事のようだ。三人とも手馴れておるな。
「解った。それにしても、本当に……気が長いんだな、あんた。貴族は大らかだって聞いた時は “うそだろ?” って思ったけど、あんた見てると偉い貴族はそうなんだろうな、って思う」
 老人を抑えつつ、シャバラが話しかけたきた。余は大らかというよりは、抜けているようなものだが……。それに偉いには偉いのだが……その……偉くなろうと努力したわけでもなく。
 なし崩し? というやつだ。
「我輩は偉いというよりは、生まれが良いだけだ。位の高い職に就ける家柄に生まれついただけであって、人間としてはそれ程偉くは……その老人、震えておるがどうした?」
「寒いのか? じいさん」
「おじいちゃん? どうしたの?」
 暖かい日差しが降り注いでおるが、老人にはこたえるのだろう。
 老人は余のほうを見ている。焦点の合わない目で。
「……だ……あ、あんた……あんた、死んだ……あんた……」
 なんだ? 余が……死んだ?
「桶から出す! 早く拭こう!」
「うん!」
「どうしたの、おじい……」
 老人は、大声で叫んだ。

「ザロナティオン大帝!」

 ザロナティオン? 確かに彼の子孫ではあるが……どうやって老人は余を見分けたのだ? 顔も半分隠れておるし、外見的に似ている所などほぼないのだが。
 ザロナティオンは典型的なロヴィニア容姿であって、余のシュスター容姿とは肌色以外は逆のようなものなのだが? はて?
「どうしたの、おじいちゃん! その人もう居ない人でしょ!」
「そうだよ、ミネスのおじいちゃん! この人はナイト様で、その凄い声上げた人じゃないよ!」
「落ち着けよじいさん!」
 老人は細い体で大暴れしておる。それにしても何故老人は余をザロナティオンの子孫だと? 貴族にはわからぬ何かがはみ出しておるのであろうか?
「我輩が喋ると混乱するようなので、しばし黙っておる。落ち着けて連れて行くが良い」
「ごめんなさい! ごめんなさい! 許してください!」
 ミネ……なんとか言う娘が土下座して謝る。
 余に頭を下げているよりかは、老人をどうにかした方が良いのではないだろうか? そうは思っても口を開けば老人が暴れるし……どうしたものやら。
「後で私も一緒に謝りますから!」
 ロガと娘は震える老人の身体を拭いて、布で包みあのシートに乗せて家へと運んでいった。
 服などは家で着せることにしたらしい。
 余に向かって “ロガ達にとっては意味不明” な事を叫ぶ老人を、一刻でも早く遠ざけようということらしい。
 残ったシャバラは桶? というものを拭きながら余と話す。
「あのじいさん、悪いじいさんじゃねえんだけどよ……昔っから変な事言うんだ。“わしゃ、お袋の腹の中でザロナティオンの声を聞いた” って。じいさん帝星生まれなんだけど、帝星で腹の中にいた頃、ザロナティオンって皇帝が死んだんだってさ。その時、俺達は知らねえけど凄い声上げて死んだって。じいさん、腹の中に居た時にその声聞いたって言い張るんだ」
 ああ……そういう事か。
 ザロナティオンの没後から百年と少し、老人が生きていても寿命的には驚くことではない。だが、それ以外の理由で驚くことがある。
 帝星生まれの奴隷がザロナティオンの断末魔を聞いて生きていたとは……良く生き延びたものだ。
「嘘ではないだろう」
「何が?」
 拭いては布をまわして水を落し(”絞る”というらしい、後で知った)再び桶を拭く。
「帝王ザロナティオン、第三十二代皇帝ザロナティオンは人とは思えぬ断末魔を上げて息絶えたそうだ。その断末魔、帝星を包み死者数万人を数えた」
「な、何で? 声上げただけだろ? 宮殿っておっきいんだろ?」
 帝星生まれで百歳以上は滅多にいない。
 戦争のせいもあるが、ザロナティオンの最期が関係する。
「人とは思えぬ断末魔とはその事だ。その断末魔、四日間に渡り途切れることなく、あまりの音に耳に刃物をさして聞こえなくなるようにした者もおれば、身篭っていた者は次々と流産、精神の弱いものは心臓が止まった。逃げられる者は宇宙に逃げ、彼の死を看取ったのは宮殿に残ったビシュミエラ、三十三代皇帝となった女唯一人。生前その叫び声で敵を無力化し、発狂させ暗黒時代を終決させた男の最後の叫びは凄まじかった。それから考えれば、あの老人が腹の中で聞いたというのも、それを覚えている事もおかしいことでは無いだろう。それにしても、あのザロナティオンに声が似ておるとは初めて言われた」
 余の言葉を聞いて、シャバラは手を止め困ったような顔で頭を下げた。
「あの、悪いじいさんじゃないんで……かなりボケてるし、なあ」
 余が気分でも悪くしたと思ったようだ。
「気分は悪くは無い。むしろ帝王に似ていると言われ、誇らしくすら思う」
 これでもザロナティオン唯一人の直系と言われておるのだ、気分が悪くなる筈がない。色々あった男ではあるが、尊敬に値する。
 それに引き換え余は……
「そんなもんか?」
「ああ。帝王に似ていると言われて嫌だと思う子孫……貴族はおらぬよ。ロガが戻ってきたな」
 息を切らせ戻ってきたロガも、必死に謝る。
「ナイト様! あの! ミネスのおじいちゃんのこと」
「気にするな。ザロナティオンに似ている声と言われて不快に思う事などない。むしろあの老人が母体で聞き、恐怖すら覚えた事に対し謝罪したいくらいだ」
 あれで宇宙に逃げられなかった胎児は殆ど死亡したと報告されている。
「……なんでナイト様が?」
「いや! そういう気持ちだ! 貴族として! そのまあ! 貴族として! そ、それに初めて言われた! ザロナティオンというのは咆吼、いわゆる叫びは地を這うような声であったが、普通の話し声は非常に甲高かった。だから我輩、言われた事はなかった」
 アレは声が似ておると有名だ、ザウディンダルの友人にして帝国騎士のガルディゼロ侯爵キュラティンセオイランサ。
 あのケシュマリスタ系容貌の男は、声は甲高くザロナティオンに似ている。あのキュラティンセオイランサを観て余はケシュマリスタの容姿を知っている。ガルディゼロ侯爵は何でも度を超えたナルシストらしく、余に会わせても絶対に安全なのだそうだ。
「やっぱじいさんボケてるんだな。甲高い声って言えば最近来た警察に、変に声が甲高い男がいたよな。あの声聞いてもじいさん “ザロナティオン、ザロナティオン” って呟くし……あの警察の声とあんたの声似てねえような……似てんのか?」
「似てないよ! あの警察さんの声とナイト様の声は」
 その警官がどれ程声が高いかは知らぬが、ガルディゼロ侯爵には及ぶまい。
 侯爵は産声の段階で、周囲にいた医者と母親の鼓膜を破った程だと聞く。
「だよな。じゃ、ロガ俺も仕事に戻るわ。で、ミネスには気にしなくて良いって言っておいていいか?」
「無論。何を気にする事がある」
「じゃあな」
 そう言うとシャバラは桶を持って帰っていった。
 食事していかぬのか? と尋ねたら『仕事があるから』とのこと。皆忙しいのだな。
「お待たせして、ごめんなさい」
「いやいや、仕事をしているロガも中々良かった。お前の大切な生活の糧を得る為の仕事、それを中断させるような事はせぬ。ずっと待っておるから、気にせずに仕事をするが良……い……」
 それは良いのだが、余が……今度は小刻みに震え出さずにはいられない。
「ナイトオリバルド様……あの……どうしたんですか?」
「…………」
 ここに来る前に試飲したのが今になって! 今だからこそかっ! 尿意よ! 何も今!! 余を襲わなくとも良いではないか!
 た、多分間に合わない! 間に合った所で余はこの服の脱ぎ方を知らぬ! 普通の皇帝服の脱ぎ方もわからぬ……そんな事はどうでもよい! に、に……二度もロガの目の前で失禁してたまるか!
「ロッ! ロガ! 本日は突如! 用事ができたようだ!」
「ナイトオリバルド様?」
「また明日来るゆえ! 一人で食べておいてくれえぇ!! さらばだ」
 男性は女性よりも我慢が効くはずだ!
「いるか! タバイ!」
「はいっ! ここにおります!」
「余を抱えつつ、振動を最小限にして最大速度で走れ!」
 そんな事できるのかどうかは知らぬが、命じてみた。
「御意! 御意と申しつつ、このような事を口にするのは失礼でございますが! どうなさいました!」
「出発前に取った水分により、に……にょっ!! いっ!」
「この場でなさっても」
「嫌だ!」
 自分一人でトイレに行けるようになっておくべきであった!
 タバイの移動艇は直ぐ上空にある余の戦艦ダーク=ダーマの側壁を砲撃で破り進入、そして突進!
「陛下! 失礼ながら服を切らせていただきます!」
「……」

 くぉぉぉ! クチヲヒライタラデル! マチガイナク! モハヤヒトトシテ! サイゴノトリデヲ! シシュサセテクレ!

 余の声にならなき大絶叫! この叫び、ザロナティオンにも届こうぞ! 

「はぁはぁ……暫く此処で横になっておる。本日は良くやったタバイ、以下兵士達……」
「ありがたきお言葉」
 正直タバイは偉大だとおもう。
 こんな余に、真面目な顔で頭を下げていられるのだから。
「後の事は任せたタバイ……もう少ししてから帝星に戻ると、デウデシオンに報告しておいてくれ」
 漆黒の女神ダーク=ダーマも悪かったな……宇宙軍隊全てを指揮する者が搭乗する偉大なる戦艦、それをトイレに行きたいが為だけに外壁破壊して悪かった。
「御意」

 我が二十三年分の忍耐力を今日全て使い果たした。だが、悔いはない。むしろ、余は誇らしく胸を張りたい。尿意に屈しなかった己を。


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