繋いだこの手はそのままに −26
 料理を持ち、真面目な顔(マスクで半分は隠れておるが)でロガの元へと向かった。
 余を見つけたロガは、不思議そうに余の頭上を指差した。
「ナイトオリバルド様、帽子ですか?」
「そうだ」
 そう、余は本日料理を片手に持ち、もう片方で頭上の帽子を押さえつつ来たのだ! 帽子を被るのは人生で初めてだ!
 髪の毛をどうしても短く維持したい貴族が被るものだ。短くしておるものは滅多におらぬがな。あの人に触られるのが何よりも嫌いなデウデシオンであっても、鎖骨の辺りまでは伸ばしておる。
 鎖骨辺りまで髪があれば帽子は被らずとも良いし、その長さであれば自分で洗えるのだとか。
 ……余程、人に触れられるのが嫌いなのであろうなあ。幼少期、そうとは知らずに触りまくった余を許せ、デウデシオン。
 デウデシオンへの謝罪は後で本人に対してするとして、今は全力を持ってロガである。
 余は押さえておった帽子を勢い良く外した!
「? ……?」
 取るのではない、外すのだ!
 余の行為を見てロガは明らかに硬直しておる……さあ、シュスターク! 続けよ!
「埃、付いておらぬか?」
 余は本日帽子の中に “埃” を詰め込んで参った!
「い、いっぱい付いてます」
 この埃は『埃になる為』に作成された、いわば埃のエキスパート! 雑多な菌などは含まれておらぬ、純粋なる埃!
「取ってくれぬか」
「はい」
 ロガの前で膝をついて、頭についておる埃を手で取ってもらう。
「全部、取れました」
 埃は帽子の中に集めさせ、余はロガを見上げるようにしながら、皆に言うように言われた言葉を口に……あれ? 何と言えばよいと言われていた? そもそも膝を付くという行為はなかったぞ!
 いや、その……ロガが埃を取り辛そうであったので、その……そんな事よりも! ニュアンス的に上手く……上手く言えた試しはないが!
「その、なんだ。我輩の髪にも埃はつくわけで、気にする事ではないぞ」
「あ……はい!」

 再びロガの笑顔を見る事が出来た! 何とか成功したらしい! 感謝しておるぞ、皆! 考えてもらった事は忘れてしまったが!

 その後、食事をした。
 今日は買い食いは無しの方向で。いや、毎日同じ物を出すわけにはいかないとデウデシオンに言われ、食べ歩きの練習できなかったのだ。また今度食べに行こうとロガに告げ、「はい」と元気な良い返事が返ってくる。
 さて……
「ちょっと出かけてきます」
「何処に行くのだ?」
「ト、トイレに」
「家の中ではないのか?」
「トイレは自分の家には無いです」
 そうなのか? 普通家にはトイレや風呂、キッチンにクローゼットにセキュリティシステム、ちょっと大きめであれば噴水や宇宙空港に人工衛星くらいは付いているのではないか? 後者は無くとも、国家で整えている住宅には前者は標準装備されておる筈。
 最低限度の設備しかされておらぬ住宅ですらそうなのに……
「興味があるので、付いて行っても良いか?」
 興味というか、何と言えばいい? 安全面? とかそう言った問題が気になる。何が気になるのかは解らぬ……漠然と改良せねばならぬ気持ちになるのだ。具体案は出てこぬが。
「はい」
 こうして余はロガと話をしつつ、公共トイレに向かった。
 奴隷の場合、個人の居住区には備え付けられておらぬのだと。風呂もまたしかり……大変であるな。ロガの同居人であるゾイは、官舎に入った際専用のトイレと風呂があることに感動したそうだ。むしろゾイとやらは、それが欲しくて官舎に入れる役所に勤めることにしたらしい。
「貴族のお家は、トイレあるんですよね」
「まあ、結構ある」
 余専用のトイレはバゼーハイナンに七十万室ほど存在する。部屋数が十億を越える宮殿ゆえに、そうなってしまうのだが。ロガの外部の公共トイレに向かうのと同じような物だが、余は移動の際には天井もあるし寒くもなければ、警備兵も相当数おる。
「億劫ではないか?」
 一々外を、移動して公共の場に向かうのは大変のような気がするのだが。
「慣れてるから平気ですよ」
「そうか……」
 ちょっと離れた所からトイレに向かうロガを見守っておった。
 あまり傍に余がいては困るであろうし、余も困る。変な人と思われたら……思われていない……であろうな……。もう思われているかも……あ、あれ?
 思われてはおらぬであろう……恐らく。
 そんな余の短い葛藤の間にロガは戻ってきた。
 急かしたわけではないのだが、ロガは慌てるように戻ってきた。何故か周囲の者も順番を変わっておった……余が気になるのであろうか?
 男女兼用だと聞いたので、離れた場所に余がおってもおかしくはないと思うのだが。貴族風で仮面をつけた(木彫りにニス光沢・高名な彫刻家の彫刻が施されている)男が立っていると、ロガにトイレを譲りたくなるのであるのか?
 今度からは付いて来たりはせぬから、そう警戒するな……違和感があるのであろうか?
 その後再び帰途に付く。
「早く戻らないと雨降りそうですから」
「あめ? ……突然降るのか?」
「さっきから雨雲が出てきたから。多分直ぐ止むと思うけど、もしかしたら長続きして下水とかあふれてきたら困るけど。さっき混んでたのは、雨降りそうだったから。だから、みんなトイレに来てたんです」
「? あ、そうなのか? そ、そうか、雨は突然降るのか……その、な、帝星は気象も制御されておるから、突然雨が降ったりはしないのだ」
 帝星の雨は降雨予定表によって、何日何時に降るか解るようになっておる。行事予定用に半年間の降水予定表は出来上がっており、それの配布許可を出すのが余の仕事だ。
 皆、それを見ながら予定を立てる筈だが……
「すごいですねえ」
 気象制御は極々普通の事だと思ったのだが、違うのか?
 それにしても制御されておらぬ状況で、空を見て気象を判断できるとは凄い事ではないか? 昔の物語に出てくる人間のようだ!
「みんながナイトオリバルド様を濡らしたらいけないからって、順番変わってくれたんですよ」
「……そうなのか、迷惑をかけたな」
 何と言おうか……余の大事な奴隷達よ! 知らないであろうが、主である余の事を気遣ってくれてありがとう!
 お前達のことは何時も気にかけておるぞ! 出来る限りのことはしてやりたいが、取り敢えず……何をすれば良いのであろうか? そんな事を考えておったら、雨が降り出した。
「あの……雨宿りしませんか? 雨漏りもするから雨宿りにならないかも知れないけど、外よりはちょっとはマシだと。帰られちゃうならいいんですけど」
 どう考えても帰った方が良いであろうな。
 だが……
「では上がらせてもらおう」
 まだ帰りたくはないので、雨宿りさせてもらう事にしよう。
「ボーデン卿よ、上がらせてもらうぞ! ほう! これは風雅だな」
 家の中は外だった、床がない。
「中庭風の作りの家だったのか。宮殿にもある、屋根だけかけた場所がな」
「そうなんですか……宮殿って、あの皇帝陛下が住んでる所ですよね」
「色々な貴族が出入りするから、見たことある者も多い筈だ」
「あの、こっちの方に」
 ロガの家は、多数の雨漏りがあった。
 上を見上げれば天井の隙間から空が望める。
「変なところにベッドあるのは、寝るとこだけは雨漏りしない場所にしてるから。良かったら座ってくださ……ボーデン! 先にナイトオリバルド様が座ってから!」
 小さなベッドだけは雨漏りから逃れるように置かれておった。
 ボーデン卿は慣れた足取りで、ベッドに乗ると余など気にせずに眠る体勢に入った……と思ったら、突如頭を上げて此方側を見た! なんと言うか、この隙の無い視線! まさに漢!(雄犬であるから当然なのだが)
 もしかして、余はボーデン卿に見張られておるであろうか? 不逞の輩に認定?! あ、怪しいか? いや、卿よ! 余は! な、何もせぬぞ! ロガには何もせぬぞ!
「余は! 身命に誓って!」
 右手を掲げ宣誓したら、
「どうしたんですか? ナイトオリバルド様」
ロガが驚いてしまった。突然だったものな、悪い。
「いや、ちょっと」
 余はロガのベッドに腰をかけた。


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