繋いだこの手はそのままに − 236
「私はナイトオリバルド様のどちら側に立てばいいのでしょう?」
「臣民から観て……余はロガの右手を握る。だから右手が余の隣にあるように立てば良い」
「はい」

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 皇帝の私室。正配偶者たちの宮と繋がっている寝室は円で、入り口が八箇所ある。正配偶者の宮からの入り口が一つずつで計四箇所。残りの四つは、玉座に続くき、愛区画に通じており、王族専用と、皇帝の親族専用の出入り口が一つずつで計八箇所となる。
 王族専用の出入り口には皇帝と正配偶者の初夜を確認するために滞在する部屋があり、
「ここに王一同が集まり、夜が訪れたことは帝国の幸いである」
 帝国宰相も同席し、検分することになっていた。
「最後まで確認できるのかな? 帝国宰相」
 外戚王のランクレイマセルシュが人の悪い表情を作りデウデシオンを挑発する。
「ここまで来て騒ぐな、ランクレイマセルシュ。陛下の大事な時じゃ、すべてを慎め」
 カルニスタミアに”マスク・オブ・カルニスタミアは貴様ではないな!”と念押し確認をしたカレンティンシスが諫める。
「だが途中退席は失礼にあたるのも事実だ、カレンティンシス。駄目だと思うのならば、最初から席を外すべきであろう」
 ラティランクレンラセオの意見は至極尤もだが、それは優しさから出たものではない。
「皇后が来たようだな」
 確認用のモニターに、ハネストに手を引かれてやってきたロガが映ったのを確認し、ザセリアバは”黙れ”とばかりに大声を発した。
 全員が所定の位置に腰を下ろして、蝋燭の明かりで照らされた幻想的な部屋を進むロガに視線を向ける。
 《皇帝の私室》はこの日の為に内装を完全に新しいものにした。
 天井はドーム状で内側から外を見ることは出来るが、外側からはなにも見えない仕組みになっている。今回は気にされないように、天井の大部分からカーテンを幾重にも垂らし、その隙間から夜空がのぞき見られるようにしていた。
 床は水を満たし、放射線状の白い通路がかかっている状態。
 玉座へ向かう出入り口と王族専用の出入り口は向かい会う場所にあり、中心を貫く位置にあるので、その通路だけが通常の四倍ほどの広さで作られ、その中点に覆うものがなにもないベッドが置かれた。
 通路には一定間隔で筒に入れられた蝋燭が置かれ、僅かに揺れるように細工された水面が光り揺れ映している。
 ロガは王たちとデウデシオンが待機している場所から観ると、中点のベッドの右斜め上の位置から現れた。
 素足で下着を着けておらず、前開きの踝丈までで、七分袖の総レースガウンだけを纏って、素手のままハネストに手を預けてゆっくりと歩く。
 化粧一つもしておらず爪を塗ることもなく、アクセサリーも身に付けていない。
 対するハネストは軍服で《漆黒の女神》が甦ったと表現するに相応しい姿であった。
 体格では比べようもない二人だが、歩む雰囲気は似ていた。軍人であるハネストの歩き方と、小柄で素足のまま歩くロガは歩き方が全く違うのだが、その雰囲気は非常に良く似ていた。
 ベッドの前に辿り着いたロガの傍でハネストが膝を折り、台の代わりに自らの手を差し出す。ロガはそれに足を乗せてベッドへと移動して、枕の前に膝を崩して座り、ハネストがレースの裾を丁寧に広げ、一礼をして立ち去った。
 ロガは動かずに”じっと”シュスタークが来るまで待つ。待ち時間は五分。ロガがその時間を長く感じたのか? 短く感じたのか? それは誰にも解らない。
 ただシュスタークには非常に短く感じられた。
 ロガがベッドに向かう所から見つめていたシュスタークは、一時もロガから目を離さずその時を待ちわびながら、上手く言葉がまとまらぬまま、
「陛下。お時間です」
「わかった」
 合図を受けて開かれた扉からその先にいるロガを観て、炎の明かりに彩られた寝室をゆっくりと進む。
 輝きを帯びた黒髪、血が通っていないのではないかと思わせる白い肌。曲線を一切感じさせない顔。長い手足に、何時もは手袋で隠れている手が露わになり、形が整い磨かれて光沢のある爪。ロガと同じように素足で、だが一人でベッドまで歩み、待っていたロガの傍へと近付き、手を伸ばす。
 シュスタークの手に応えたロガの手首を掴み、軽く自分に引き寄せる。
 広げられていたレースの裾が広がり、炎が天井を覆うカーテンに曖昧な影を映した。
「……」
「……」
 腕の中にロガを収めてシュスタークは、金髪を見つめた。
 ケシュマリスタのような黄金ではなく、ただの普通の金髪。出会った頃から触れたいと願い、傍に置くことが叶ってからは毎日のように触れていた柔らかい、その髪を撫でてから体を少し離して声をかける。
「ロガ」
「はい、ナイトオリバルド様」
 シュスタークの声に視線を上げる。
 琥珀色の瞳に映る自分の表情に、シュスタークは思わず失笑しそうになった。己のあまりに酷い表情に。
 ロガのほうが緊張しているのだから緊張をほぐすように、そう考えていたのに果たせず。
「あまり見つめていると、緊張し過ぎてなにもできなくなってしまいそうだ」
「ナイトオリバルド様……」
 ロガの肩に置いた手に力を込めてからシュスタークは隣に座り、ロガも同じようにベッドに再度座り直した。
「ロガ。このような場面で言うのに相応しくはないことは重々承知だが、余はこれから行う行為にまったくと言って良いほど自信がない」
 控えている王たちやデウデシオン、皇后宮に戻りメーバリベユ侯爵と共に待機しているハネストたちが困惑するようなことをシュスタークは語り出した。
 ロガは一人首を傾げ、シュスタークの言葉を逃がさず聞こうとしている。
「まあ、その……ちょっと話がずれるのだが。ロガ、余は自分の体で一度も劣等感を覚えたことのない箇所がある。それはこの顔だ」
 ロガの右手首を掴み、自分の顔に触れさせる。
「はい。ナイトオリバルド様のお顔はお美しいです」
「これが美しいというのは説明した通り”偽り”だ。人造人間が植え付けた美なのだが、とにかく現在においては美しい正統な容姿」
「はい」
「それでな、このぼんくらというか機微に疎い余だが、二年間一緒にいてロガについて解ったことが幾つかある。その一つに、ロガは恥ずかしい時や悲しい時、うつむき加減になり右手で顔の右側を覆う癖があることだ」
「……」
 ロガはシュスタークに掴まれていた右腕を引いたが、シュスタークの手は離さない。
「それはロガの元の顔からきたもので、劣等感の根本でもあるのだろう。今はもう顔は治ったが、ロガの顔を隠す癖は直っていない」
 シュスタークは自由なほうの手でロガの髪を梳く。
「済みません……」
「謝らなくてもいいのだが。あのな……ロガ。余は先程言った通り、自信がない。最中に顔を隠されたら、その……な、あの……ロガがどう感じているか解らないのだ。表情以外の物で感じ取れる程、余裕もなさそうなので、出来る限り顔を隠して欲しくはない」
 緊張のあまり髪を梳いていた手が止まり、手首を握っている手に力がこもったことに気付き腕を自由にしたシュスターク。
「は……い」
 エダ公爵に”お上手です”と言われようが、どうしようが自信がないのだ。
 それとシュスタークが言いたかったのは”これ”だけではなく、この続きこそが最も言いたいこと。普段のシュスタークであれば、この辺りで疲れ切って頭を垂れて諦めてしまうのだが、今日この時ばかりはそうする訳にはいかない。
 シュスタークは汗ばんだ手を袖に拭い、小声になりそうになる自分を叱りつけ《皇帝》として玉座にある時と同じよう声を張り上げた。
「この先、色々なことがあるだろう。心ない言葉を投げつけられることもあれば、影で様々なことを言われる時もあるだろう。誰かの死に直面し、悲しい思いをすることもあるであろう。だが人前に出る時も、そうでない時も俯かないで欲しい。顔を隠さないで欲しい。余が皇帝として隣にいるから、何時もその面をまっすぐに全ての者に向けてやってくれ」
 そして先程離した右腕を再度掴み、自分の左手指を絡ませ、
「だが癖というのは中々治らないものだ。だから……」
 指を軽く折り、力を込める。ロガも同じように指を折り、力を込めて二人で握り合う。
「いつも”こうして”いよう。いかなる時もこうしていよう、この初めて迎える夜も。繋いだこの手はそのままに、ロガと共にこのナイトオリバルド、在り続けよう」
 指を絡め握りあったまま腕を外側へと軽く伸ばし、二人は目を閉じて口付けた。

―― 今この時を迎える時も、死するその時まで。あなたが傷ついた時も傍にる、だから俯かないでくれ、顔を隠さないでくれ。あなたは美しい、誰よりも ――

 柔らかな炎が水面に朧気な影を映し出す中、奴隷の少女は皇帝にその身を捧げ皇后となり、皇帝は奴隷の少女に命をかけて誓い一人の男となった。


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