繋いだこの手はそのままに − 235
「兄貴が許可してくれた。これで正式につき合うことができるな、キュラティンセオイランサ」
「なんでそんなに正面切ってくるかなあ、カルニスタミア。大体僕さあ……」
「儂は全てを受け止める自信はあるから、いくらでも過去をさらけ出して良いぞ」
過去の罪が逃げ道にならないとき、貴方は未来を歩まねばならない。
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帝后宮で控えていたナサニエルパウダと侍女たちに支度を調えてもらい、シュスタークが待つ私室へとロガは向かった。
「ロガ」
「ナイトオリバルド様」
「次の式典に向かおうか」
「はい!」
二人は元気よく手を繋ぎ、次ぎの式典へ会場へと帝国宰相デウデシオンと共に移動する。その後ろ姿を皇君とキャッセルは見送ってから「皇后宮」へと戻り、ラティランクレンラセオが通り抜けていったことを確認して、与えられた区画へ入りまとめていた荷物を開ける。
「皇君さま」
見覚えのある調度品を、同じ位置にキャッセルは戻してゆく。
「なんだね、キャッセル」
皇君は部屋に新しく用意させたコーヒーメーカーを使い、キャッセルと自分の分を淹れて”まあ座りなさい”と声をかけた。
差し出されたカップを受け取り、クッションに座り一口飲んでキャッセルは床に置かれたミルクを足す。
「皇君さまに会いに、此処に来てもいいですか?」
「もちろんだとも」
「それと皇君さま」
「なんだね?」
「私が死なないで狂ってしまったら、引き取ってくださいませんか?」
「それはお断りするよ。狂った君を引き取るのは、君の兄であるイグラストの権利だ」
「兄さんにあまり迷惑かけたくないのですが」
「我輩ならいいのかね」
「皇君さまなら悲しまないでしょう」
「どうだろうね。でもたしかにイグラストは悲しむであろうな、シダも大泣きするであろうね。でも我輩は引き取らんよ。毎日様子は見に行くけれどね」
―― 壊れた君が過去と同じ目に遭わないように
かつては守ってくれる力がなく暴行された子供は、強大な権力を手に入れたために、今度は復讐として狙われることとなる。
「毎日来るのは面倒ではありませんか?」
「そうだね。そうだけれども、そうしなくてはならないのだよ」
「何故?」
カップを両手で持ち”教えてください”と眼差しで縋り付くも、
「それは我輩にも解らない。解らないことばかりだよ」
答えはもらえなかった。
「皇君さま、変なこと言いますね」
キャッセルは”はぐらかされたのだろう”と受け取ったが、
「そうだね」
実際のところ、皇君にも解らない。だがそうしなくてはならない気がしているだけのことで、明確な物はなにもない。
そこに通い、幸せになった少年たちの姿を見ること。なにが手に入るわけでもないのに、得難いと思ってしまう自分に驚きつつ。
「まあいいや。皇君さま、お見舞いに来ても私が皇君さまのこと解らなくなったら、頭を撫でてくださいね」
「それは引き受けよう」
「…………」
そしてキャッセルは、まだ諦めていない気持ちを伝えようと皇君を見つめる。キャッセルの中にある僅かな感情は、兄を悲しませないようにと考えていた。
―― 兄を悲しませない ―― どうしてそう思うのか?
「駄目だよ、そんな目で見つめてもそれだけは同意できない。最後の時我輩は傍にはいない。その時傍にいるのはイグラストだ。それだけは譲れんのだよ。誰でもないキャッセル、君自身が望んでいることなのだ。今は解らずともその時が来たら解る」
戦死を免れ壊れてゆくキャッセルは、それを知る為に緩やかに壊れてゆくのだとも言える。死ぬ直前まで解らないその感情。
キャッセルはタバイを、兄弟たちを残して死ぬことを嘆く。それが最期に訪れる最初の感情。
「はい。それでは私は、皇君さまが死ぬ時、寂しくないように誰かに頼んでおきますね」
「ははは、それは大丈夫だよ、キャッセル。我輩が死ぬ時は、ラティランクレンラセオが来てくれるであろうよ」
「ケシュマリスタ王に見送られたいのですか?」
「いいや。ただ最後に言っておきたいことや、言わなくてはならないことがあるからね」
―― 君の父、我輩の兄を殺したよ。君のことだから解っていただろうけれどもね。告げておくよ。そう心が安らかになるために ――
「では今のうちに言っておいて、最期は楽しい人と過ごしましょうよ。なにも最期にケシュマリスタ王と二人きりにならなくても」
「考えておくよ、キャッセル。キャッセル……」
「はい、皇君さま」
―― 君は自分に暴行した人間が幸せになっても許せるかね?
「……」
「どうしました?」
―― 君は笑って”はい、気になりません”と言うね。言うことを知っているのに尋ねようとした我輩は卑怯だね。我輩の罪に幕を下ろしてしまってはならないな
「いや、なんでもない。というより、質問する内容を忘れてしまった。年を取ると物忘れが激しくなって困るよ」
皇君は飲み終えたカップをキャッセルに渡して、テーブルに戻すように指示する。
「良いじゃないですか、幸せでも。ずっと幸せでいましょうよ」
「簡単に言ってくれるね、キャッセル……でも、そうだね」
カップを置いたキャッセルは、出席する行事があるため部屋を出て行く。
「さて、我輩も出席行事の用意をするか」
一人残された皇君は、キャッセルが出席するのとは違う行事に出席するので、その用意をして迎えに来てくれた皇婿と帝婿に挨拶をした。
「やあ。どうしたんだい? 二人とも」
唯二人とも、慶事の最中とは思えないような顔をしていたので、皇君も気になり尋ねる。
「皇君が皇后からパパって呼ばれることになったって聞いたんですけど、本当なんですか?」
「ふむ。それは本当だよ、帝婿」
「皇君のどこがパパって顔なんじゃ!」
「君の会話の語尾も”パパ”ではないな、皇婿」
「パパ譲ってくださいよ!」
「断る。世の中には同意できないもの、同意してはならないものが無数にあるのだよ。さあ、行くよ」
「皇君。格好良さげに言ってますがね!」
「皇君、逃げるな!」
父親たちはかつては欲しなかった皇帝の寵を欲し、《王子》として新たなる皇后の寵も欲する。それは正しき後宮の姿に戻ったとも言えた。
「ナイトオリバルド様」
「どうした? ロガ」
「結婚式、とても楽しいです」
「それは良かった。ロガの結婚式だものな! 楽しんでもらわねば」
「ナイトオリバルド様の結婚式でもありますよ」
「……そうだったな。余は楽しんでおるぞ、ロガ」
世界はこうして一先ず平穏を得た。ここからまた、無数の事件が起き、何かを残す者もあれば、全てを消し去って立ち去る者もあるだろう。それは繰り返される、どんな哀しみも喜びも時を留めることは出来ず、永遠を誓うことも、永久にあることもできず。
世界が幕を下ろすことはなく、観客が立ち去ることでしか終わらない未来を―― ここに。
第十七章≪同意≫完
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