繋いだこの手はそのままに − 220
 その日、鐘が鳴った。
 私は聞く覚悟はできていたが……なぜ鐘を鳴らすのか? とても不思議だった。
 鐘は皇帝が死んだ時のみ鳴らされると、ナサニエルパウダさんから教えてもらった。それなのに鐘が鳴る。
 もっと穏やかに鳴らされるものだとも思っていたけれど、まるで狂っているかのように早く乱暴に聞こえた。
「ナイトオリバルド様、どうしてですか? どこか壊れたのですか? なぜ鐘を鳴らしているのですか?」
「……僭主に襲撃された時のことを覚えているか?」
 私とナイトオリバルド様は喪服に着替え終えて、これから葬儀に参列する
「忘れられません」
「そうだな。あの時……エーダリロクがザベゲルンを仕留めた際に出て来た人格こそが”ザロナティオン”……実はな、余とエーダリロクはほぼ同じなのだ。ザロナティオンとルーゼンレホーダのようなクローン関係と言って良いくらいにな。だから皇帝が死んだ時に鳴らされる鐘が鳴り響いておるのだ。……前に死んだ時は、大宮殿の破損がひどく鐘を鳴らすことは出来なかったので、今回は鳴らすことにした。余の一存だ……エーダリロクと余の関係を知っているのはほとんどいない。多くの者にとって、この鐘の音の意味が解らないままであろうが……帝国に全てをかけて死んだ皇帝の弔いには必要だろうと思ってな」
 ゼーク様に聞いていたけれども……あの時、ゼーク様はナイトオリバルド様が亡くなったあとはエーダリロクさんを頼れと言っていたはず。
「ナサニエルパウダさんは、知っていたのでしょうか?」
 ナイトオリバルド様の寿命が削れたのと同じようなことが、エーダリロクさんにも起こったのだろう。
「知っているそうだ」
「そうですか」
「メーバリベユを誤魔化すことなど、エーダリロクでもでき……なかったな」
 鐘の音を聞きながら、ナイトオリバルド様は目蓋を閉じていた。玉座にいる時のように動かずに。しばらくしてデウデシオンさんがやって来て、ナイトオリバルド様に耳打ちをした。
「ロガ、謁見の間に行ってくる。ロガはデウデシオンと一緒に葬儀会場へ向かってくれ」
「はい」
 何時もと重さは変わらない着衣だけれど、ナイトオリバルド様の足取りはとても重そうだった。従兄のエーダリロクさんが亡くなったことも悲しかっただろうし……ゼーク様の弟さんが亡くなったことも悲しいに違いない。
 もう現れてはくれないゼーク様は……やはり悲しんでいらしゃるのだろうか? それとも……
「デウデシオンさん」
「はい」
「エーダリロクさんは、もっと長生きする筈だったんですよね」
「はい。私よりも長く生きる筈でした。私はあの男を当てにして生きて来たのですけれども……あの男は気付いていたようです。気付いていたから……」

―― 私よりも長生きするカルニスタミアをアルカルターヴァ公爵に押し上げた

「そうですか。気付いていたのですか」

 ナサニエルパウダさんの異父弟さんに初めて会ったのは、ナサニエルパウダさんが再婚してしばらくしてから。

**********


 シュスタークは謁見の間へと向かい、すでに訪れ頭を下げているランクレイマセルシュに玉座に腰を下ろしてから顔を上げるように指示を出す。
 謁見の間には誰もいなかった。
「陛下。これは今は亡き愚弟が陛下のために作った薬です」
 一族代表として喪主を務めるランクレイマセルシュが、忙しい合間を縫って、周囲から人払いをしてまで届けたかった”薬”
「なんの薬だ?」
 飾り気もなくラベル一つ張っていない空色の瓶の中に、白い砂状の物。
「陛下の寿命を僅かですが、延ばすことができます」
「……」
「お前が余に差し出すのだから、確実な証拠があるのだな」
 シュスタークを最大限に利用し、最も大事にしてくれるロヴィニア王が、確実ではないものを渡すはずもない。
 ランクレイマセルシュは頭を軽く下げて、
「はい。愚弟が……エーダリロクが自らの身で証明しました。あの弟は十年以上前に一度目の変異を迎えかけて、それをこの薬で回避したそうです。ただ一度が限界だそうです」
 人体実験の結果と安全性を語る。
 十年以上前から死ぬ直前まで、エーダリロクはそれこそ元気で精力的に物事をこなしていた。
 誰にも言わずに、だが苦悩していたわけではない。
 《最高のチャンスだ》と捉え、帝国の隅々にはびこる変異する寿命に立ち向かい、《死》から栄誉を受け取った。
「そうであったか。この薬の詳細は?」
 シュスタークは受け取った薬を眺めながら、これが他の者にも使えるのかを尋ねる。
「確りと残っておりますのでご安心を。ただエーダリロクが残した記録……兄の私が言うのもおかしいのですが、少々天才過ぎまして解読には時間がかかる模様です」
 エーダリロクの発明は多々ある。
 一般階級ではワープ理論と新型機動装甲の設計者として有名で、上級貴族にとってはこの特殊変異を一時抑制する薬で。
 皇帝がその才能を惜しんで鐘を鳴らしたのだろうと……知らない者達がそう考える程、彼は色々なものを残した。
「そうか。では行くか」
「ご足労をおかけします」
「……不思議だな、自分の葬儀に参列するようだ」


―― 余は長生きしたいと……昔は思わなかったが、今はやはり思うのだ。だが思うと同時に、この薬で生き存えようとも思わんのだ ――


 シュスタークは一人薬が入った瓶を眺めながら、思索に耽る日々が続いた。決断を出すべき当日になり、部屋で子供たちと本を読んでいるロガに声をかけ尋ねる。
「ロガ」
「はい?」
「一人で宮殿にいても、もう大丈夫か?」

 この言葉の意味が正しく伝わるかどうか? 周りで騒いでいる親王大公たちは、何を言っているのか全く理解できてはいなかったが、ロガはシュスタークの真意を理解してはっきりと返事をした。

「はい、平気です」
 《薬》が手に入ったことはロガもデウデシオンから聞いた。だがその薬が手に入ったことを自分に言わないので、悩んでいることにも気付いた。
 《薬》を飲むのが恐いのではなく、僅かに寿命が戻ることを良しとしない態度。それが何を意味しているのか? ロガは決断を下したあとに聞こうと待っていた。
「そうか……では余は出撃前の挨拶を受けてくる」
「いってらっしゃいませ」
「お父上さま、いってらっしゃい!」
「いってらっしゃいまし!」
「ナイトオリバルド様」
「ロガ?」
「あとでお話したいことが御座います」
「……解った」

 帝国にタウトライバを残し、皇帝の代理人はアルカルターヴァ公爵が帝国軍を預かる帝国防衛戦。いつもは総司令官の配置に口を挟まないシュスタークが、今回だけはアルカルターヴァ公爵にせよと命じ、他の王もそれを受け入れた。
 つつがなく何時も通りに出陣前の挨拶は終わり、
「ビーレウストは残れ」
 最後にシュスタークはビーレウストに声をかける。
「はい」
 全員が謁見の間から退出して、互いに視線を交わす。
「……」
「……」
「かける言葉はない。選んだ道を行くがいい、ビーレウスト。余が許すものでないが……許すと言っておこう。カルニスタミアはお前の道を開くであろうよ」
「御意」
「それとビーレウスト、これを届けて欲しいのだ」
 シュスタークはランクレイマセルシュから渡された薬の瓶を差し出す。
 瓶の蓋は一度も開かれてはいない。
「誰にでしょうか?」
「エーダリロクに」
「……」
「余にこれは必要ないとエーダリロク・ゼルギーダ=セルリード・シュファンリエルに渡せ。確かに届けよ、ビーレウスト=ビレネスト・マーディグレゼング・オルヴィレンダ」
 ビーレウストは聴覚という名の超能力が発達していることで名を残す。戦死したのだが、戦死する前にもらおうと思っていた「セルリード」を貰い損ねて、ビーレウスト=ビレネストのまま名が残った。
「御意」
「それでは下がれ」
「はい」
「ビーレウスト」
「はい」
「遠からず会うことになるであろう」
「……御免被りますよ、陛下。しばらくは来ないでください」

 シュスタークは一人になった玉座で目を閉じ、腕を組む。

「話は終わったようだな」
「カル! どうした」
 謁見の間から出たビーレウストは、カルニスタミアが一人立っていることにやや面食らった。由緒正しい王家の王様は、強いがそれに慢心することなく一人で居るようなことはまず持って無い。
「待っていた」
「なんで」
「お前を足止めして欲しいと、皇后に頼まれたからじゃよ」
「そうか」
「もう少し待て」
「解った」
「良い機会だ、はっきりと聞いておこう。お前はこの会戦で死ぬつもりじゃな」
「ああ」
 シュスタークは長年の友人に最後の命令を出したいと願いはしたが、それを叶えることはできない。だから最も近い《カルニスタミア》を代理に立てた。
「そうか。ではそのように、キュラと作戦を立てておく。儂の指示に従い戦い、オーランドリス伯爵の命令で突進せよ。よいな」
 カルニスタミアはその死を目に焼き付け、どれほど技術が進歩しても映像では伝えられない世界をシュスタークに伝える必。
「了解」
「安心して戦うがよい。儂は貴様を必ず戦死させてやる」
「信用してる」
「貴様が死んだら儂は兄貴の世話もしなくてはならん。それが面倒じゃが、仕方あるまい」
「悪ぃ」
 エーダリロクは《カレンティンシス》でビーレウストの死の願望を阻止しようと考えたが、それは成功しなかった。
「本当にな。兄貴が寿命を延ばした理由の一割くらいは、貴様と一緒にいたかったからじゃろうに」
「俺もエーダリロクの発案だから、実験材料になることを勧めちまったもんな」
 両性具有の寿命を延ばす方法をも確立し、その実験台にカレンティンシスがなった。
 ビーレウストもカレンティンシスが自分の為に寿命を延ばしたことを知っているので、置いて逝くのは気がかりなのだが、エーダリロクが死んだことで自分の感情、カレンティンシスに対する情愛も含めて、それら全てが消えてしまう前に去ることにした。
 ビーレウストの感情は《ビーレウスト》だけでは成長せず、生きてもゆけない。カレンティンシスはビーレウストの感情の根にはなれたが、育てる陽光にはなれなかった。
 もとよりなれる物ではない。幼少期からビーレウストの感情に光りを注いだのはエーダリロクで、自己の中にある太陽に代わりは存在しない。
「そうじゃな。全ての元凶め、儂に苦労を押しつけてあっさりと逝きおって」
 ”あっさり”に力を込めてカルニスタミアは皮肉る。
「今思えば、最初からそのつもりだったな。やたらと手前を国王に押すんだよ。どうしてかな? って思ってたけど、手前が国王なら安心して死ねるってことだったんだ」
「そいうかい……皇后が来たようじゃ」
「一緒に来たのはキュラとザウディスか……そう言えばザウディスはカレティアとは別の方法取ったよな」
「そうじゃな。早ければあと五年もしない内に、公式には死亡となるようじゃ。ザウディンダルに早死にされて帝国宰相まで狂ったら、儂にかかる負担が多すぎるから、早くにあの水部屋に入って欲しいものじゃ」
「手前も会いに行くの?」
「もちろん友人じゃから、まめに会いに行く。硝子越しに会うのも良かろう」
「そうか」
 二人が話していると、ロガがやってきた。
 シュスタークの決断は知らないロガだが、
「ビーレウストさん」
「皇后」
 ビーレウストが死ぬことは解っていた。ナサニエルパウダに聞いても「その通りです」と答えられ、デウデシオンに聞いても「生かしておくことは無理です。あの男はすぐに狂う」そう言われた。
「あの……」
 死を悼むことを表情に出してはいけないとロガも解っているが、
「そんな顔されると困りますな」
 表情を作りきることはできなかった。
「いままでお菓子作り教えてくれて、ありがとうございました! 教えてもらっておきながら、一度しか成功できなくて……あの、今回もやっぱり失敗してしまいました。でも受け取っていただけますか?」

―― 本当は一度も成功していないのですが

 初めてクッキー作りを教えた時のことを思い出し、細い眼を僅かばかりの優しさを含んで細め、
「喜んで」
 差し出された箱を受け取った。
 カルニスタミアは謁見の間の扉を開き、まだシュスタークが座っていることを確認してロガに中に入るように促す。謁見の間に入ったロガはビーレウストの方を向く。
 扉が閉じてゆくまでの間、ビーレウストは頭を下げて閉じる直前に、
「それでは失礼いたします」
 そう言った。
 ロガは振り返り、玉座に座っているシュスタークの元へと駆け出した。

 扉が閉じ立ち上がったビーレウストは、三人と一緒に、
「ザウディス、お前が入る部屋見せてくれよ」
「いいよ。それでさあ、ビーレウスト。お願いがあるんだけど」
「なんだよ、ザウディス」
「あの部屋に名前付けてくれないか。エーダリロクは”管理番号00”しか思い浮かばねえって。その点お前はほら、作家だし、メメント・モリと……」
「止めろーそれ以上言うなあ!」
「海に飛び交うカモメのように……だったけ?」
「喋るな! キュラ!」

 ザウディンダルがデウデシオンと共に生き続ける為の隔離室へと、騒ぎながら足を向けた。

―― 余は長生きしたいと思うが、この薬は飲まぬ。皇帝としてあの戦いで失った命を取り戻すことはしたくはない。余がビシュミエラに捧げた命は、あの戦いで死んだ者たちにも捧げたものだ。生き抜いた者たちと死んだ者たち、そしてビシュミエラとロガに。だから取り戻すわけにはいかない。だがこの薬は開発させる、未来で命を欲する者たちに伝えるために。ロガよ、この未来に繋がる薬の開発を見守り……もしも子の誰かが発症しそうであったら使ってくれ ――

**********


 私は二度目の鐘を聞きながら、自分の手を握った。ここにもう手はないけれど、まだ思いはたくさん残っている。

「皇太后陛下、此方へ」
「はい」

 陛下と手を繋ぎ、あの宇宙を眺めた日
 私は宇宙に触れることができるようになった
 私が触れられるのは僅かだけだけれども

 ―― ロガ。一緒に行こう ――

 あの方とこの手を繋いだその日から

第十五章≪皇后≫完



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